どのような手段を使おうとも

 ガイストブルク王国との交渉も終わり、つつがなく役目を果たしたブライ王国の使節団は、本来なら得られた成果を前に喜んでいてもおかしくなかった。


 しかし、団長であるルーペルト王子の機嫌が悪い。そのため、仕事が終わったのに団員達は大っぴらに羽を伸ばせないでいる。団長の機嫌が悪い理由は誰もが見当を付けていた。


 交渉が終わってしばらくした夕方、王宮の一角にある客室を与えられた王子は室内をあちこち回っていた。その表情は険しい。


「くそ、あの小娘め! せっかく俺様が結婚を申し込んでやっているのに、一体何が不満なのだ!?」


 断られてから一直線にこの客室へとやって来てからずっとこの調子だ。控えている執事や侍女にとっては珍しくない光景だが、喜ばしい状況ではない。


 尚もルーペルト王子は歩き回る。これが屋敷なら周りの物に当たり散らすこともあるのだが、さすがに出先しかも求婚相手の実家なので自重していた。


 そうはいっても憤懣やるかたない王子は、この不満をどうにかするために叫ぶ。


「ヘルゲを呼べ!」


 執事が音もなく退室してしばらく後に呼ばれた当人が姿を現した。


「殿下、ご用命でしょうか」


「エルネスティーネを振り向かせる方法を考えろ!」


 顔を上げたヘルゲにルーペルト王子が言い放つ。


 命を受けた王子の側近は表情を変えずに口を開いた。


「以前から申し上げております通り、色恋沙汰について当方はわかりかねます」


「それは何度も聞いている。しかしだな、このままでは兄上に勝てぬではないか!」


 素っ気ない返事をされたルーペルト王子が地団駄を踏む。


 ルーペルト王子には兄のラルフ王子がいる。今のところ大過なく務めを果たしており、既に有力諸侯の令嬢とも結婚していた。それがルーペルト王子には面白くない。


 年々彼我の差は開く一方で、このままではラルフ王子が王位を継ぐことになる。これを覆し、自分が王位に就くため現在色々と画策しているところなのだ。


 エルネスティーネ王女との結婚もその一環なのだが、これがまったくうまくいっていない。シャルフェンベルク王家へも働きかけているが反応は薄かった。


 ますます機嫌を悪くした王子は糾弾するかのようにヘルゲへ問いかける。


「貴様の方の計画はうまく進んでいるのだろうな!?」


「万事、滞りなく事は進んでおります。ご安心を」


「最近報告はなかったが、本当に順調なのか?」


「はい。ヘルプスト王国王立学院は既に夏休みに入り、ゲオルク配下のドプナー男爵が今後本格的な調査を行います。また、邪教徒に扮する者達も順調に集まっております」


「この夏に調査を終えて、冬休みの期間に実行するのだったな」


「その通りです。来年の春には殿下の立場は大きく飛躍しているでしょう」


 あれだけ不機嫌だったルーペルト王子は側近の言葉で落ち着きを取り戻した。


 その様子を見たヘルゲは更に続ける。


「婚姻の件ですが、この計画が成功した後に改めて申し込めばいかがです?」


「どういうことだ?」


「自国の貴族と隣国の危機を見事収めた殿下のお姿を見れば、エルネスティーネ王女も考えを変えるのではないかと」


「おお!」


 予想外の提案にルーペルト王子は驚き、そして喜ぶ。自分が頼りになる男だとわかればなびくだろうと助言され、その気になったのだ。


 途端に機嫌が良くなった王子はヘルゲから団員を慰撫するように進言される。今の今まですっかり配下の者のことを忘れていた王子は、早速腹心の助言を受け入れた。


-----


 ヘルプスト王国の王立学院では夏休みは七月から始まる。最初の一週間は帰省する貴族の子弟子女で賑わうが、その後の学院内は閑散としたものだ。


 ただし、滅多にはいないが何らかの理由で夏休み中も学院内に留まる者もいる。


 西日の差すとある宿舎の一室、割と広めの室内に数人の男女がいた。その中でも、長身でがっちりとした体格の貴族子弟と痩身の青年貴族は小さな丸机を挟んで座っている。


 二人の内、貴族子弟が青年貴族へと話しかけた。


「やっとこの学院内も静かになったな。これできみも大手を振って仕事ができるわけだ」


「そのような表情でおっしゃると皮肉のように聞こえますよ」


「実際に皮肉も混じっているのだから仕方ないだろう。いまだこの役に納得しているわけではないのだから」


 人を射るような目つきの厳つい顔を微妙に歪ませた貴族子弟が心情を吐露した。話し方は若干拗ねているようにも受け取れる。


 相手の様子を見た青年貴族が苦笑いした。


「本当は興味もない遺跡に狂っているふりをしないといけないのですから、愚痴を言いたくなる気持ちはわかりますけどね」


「だろう? 本物の遺跡狂いのきみならぴったりの役だが」


「生憎、王立学院に大人は入学できませんから」


 余裕の表情で受け答えする青年貴族へ貴族子弟が恨めしそうな視線を向ける。


 そんな二人の間に軽やかな足取りでむっちりとした体型の貴族子女が割って入って座った。続いて後ろに控えていたメイドが進み出て手早く三人分のお茶を用意する。


「ゲオルグ様、カスパル殿、お茶が入りました。どうぞお召し上がりください」


「普通、侍女は主人のそばに立って控えるものじゃないのか?」


「誰も見ていないのですから良いではありませんか。仮初めの主従関係なのですから」


「ベルタ殿の言う通り。だからこそ、私もこのようにお茶ができるというものです」


「よく今までぼろが出なかったな」


 ため息をついたゲオルグがティーカップに手を伸ばす。口を付けるとほんのりと冷たかった。暑い夏には心地よい感触だ。


 手にしたティーカップを元に戻すゲオルクを見ながらカスパルが笑う。


「新年早々ルーペルト王子からお声がかかったと思ったら、ヘルゲ殿の計画に協力しろですからね。私は遺跡に興味があったので悪い話ではありませんでしたが」


「俺はいきなり父上からここに入れと言われたぞ。元々別のところへ行く予定だったのに」


「わたしもゲオルク様と似たようなものです。そのせいで、仲の良いお友達と会えなくなってしまいましたわ」


 三人ともルーペルト王子の派閥に属している貴族だ。ゲオルクがディルタイ伯爵家の長男、カスパルがドプナー男爵家の次男、ベルタがアーベライン子爵家の次女である。


 ベルタへと視線を向けていたゲオルクは再びカスパルへと顔を向けた。


「それにしても、本当にこの学院の地下に神殿などあるのか?」


「初めて話を聞いたときは私も半信半疑でしたけどね、実際に敷地内を調べてそれらしきところがありました。これからはそこを集中的に調べて神殿への入り口を見つけます」


「けれど、邪教徒の神殿ですのよね? いたずらに立ち入っても平気なのかしら?」


「俺も気になるな。それに、下手をすると隣国との諍いの種を蒔くようなことになってしまう。本当に大丈夫なのか?」


「ヘルゲ殿に見せていただいた古い文献によると、神殿は封印されているそうです。なので立ち入っただけでは何も起こらないでしょう」


「まぁ、俺達はその言葉を信じるしかないわけだが」


 計画の全容を知らないゲオルクとしては、カスパルの言葉にうなずくしかなかった。


 二人の話を聞いていたベルタがゲオルクへと語りかける。


「それにしても、最近のゲオルク様は、遺跡狂いが板に付いてきましたね」


「やめてくれ。全然嬉しくない。本当は剣を振っている方が性に合ってるんだ」


「そのおかげで、学期中に私が学院内をうろつき回っても、怪しむ者は今はいませんからね。本当に助かってますよ」


「嫌みにしか聞こえないぞ」


 再びため息をついたゲオルクは天を仰いだ。


 ベルタとカスパルの言う通り、ゲオルクの学院でのあだ名は遺跡卿だった。遺跡大好き貴族子弟を演じていたからだが、おかげで友人はほとんどいない。


 そんな主人に命じられて学院内を日々うろついている体裁を取ってカスパルは調査していたわけだ。おかげで、誰にも怪しまれなくなるのに時間はかからなかった。


 一方、ベルタはそんな変人の主人と周囲をつなぐ役割があった。どうしても貴族同士のつながりが弱いゲオルクを従者同士のつながりで支えるわけである。


 気落ちしている仮初めの主人に対してカスパルが慰めの声をかけた。


「調査が順調に進めば、この夏休み中に大体の仕事が終わるでしょう。そうなれば、お役御免になるのでは?」


「そんな簡単にいくものか。遺跡を暴いてお終いなわけがないだろう。少なくとも俺は、役割を変えながらもここできっちり三年間在籍することになるはずだ」


「ということは、わたしもかしら?」


 のんきに首を傾けるベルタを見ながらゲオルクはお茶を飲む。


 カスパルが調査している神殿が計画において重要であることくらいはゲオルクも察しがつく。そうなると、むしろ重要なのは調査後になるはずと予想していた。


 日が暮れる直前になって使用人が周囲に明かりを付けて回る。それほど明るくなるわけではないので部屋の一部は暗いままだ。


 日没後、そんな暗い部屋の隅にぼんやりと人影が浮かび上がる。薄い輪郭は何となく鎧を着た騎士を連想させるが判然としない。


 室内を動く者達でそれに気付く者はいなかった。魔法で探知すればあるいはわかったのかもしれないが、その素養がある者はここにいない。


 その人影は、室内の者が全員床に就くまで立ち続けていた。


-----


 王立学院での調査が本格化した頃、ブライ王国のとある酒場では浅黒い肌の目つきの悪い男が他の男二人をもてなしていた。


「さぁ、パァっとやってください。今夜は全部こっち持ちなんで!」


 ガラの悪い周囲の客に負けぬよう大きめの声で目つきの悪い男が同席者二人に促す。目の前の丸テーブルには、鶏、豚、牛、羊と様々な肉が並べられている。


「ひひひ、そういうことなら遠慮なく食べるよ」


 背が低く小太りし、ぽっちゃりとした顔の男が暗い笑みを浮かべて豚肉の薄切りをまとめて取り皿に移す。口に入れて頬張る姿は幸せそうだ。


「おい、先にいくつか酒を用意しておけ。どうせ飲むんだからな。待たせるなよ」


 赤みがかった茶髪に灰色の瞳をした男は不機嫌そうな声で言い放った。目の前に置かれた木製のジョッキを乱暴に掴むと一気に呷る。


 元貴族は扱いづらいと内心で愚痴りつつも、目つきの悪い男は給仕を呼んで酒を注文した。エールだけでなく、ワインなど数種類である。同じものばかりだと不機嫌になるのだ。


 頬張っていた肉を飲み込んだ男はジョッキを傾け口を湿らしつつ、目つきの悪い男に声をかける。


「ひひひ、一時はどうなるかと思ったけど、キミに助けられて良かったよ、ウッツ」


「いえいえ、オレはただ命じられてお二人をお助けしただけですから、ヨーゼフの旦那」


 謙遜しているように見えるウッツだが言っていることは事実だった。しかし、そんなことを気にもしないヨーゼフは更にしゃべる。


「しかも、仕事まで用意してくれるんだもんね。ありがたいよ」


「どうせ裏があるに決まってるだろ」


「カミル、言い方がきつすぎるんじゃないかい?」


 機嫌良く話をしていたヨーゼフにカミルが噛みついた。言い返されると、カミルは無言でジョッキを呷る。


 助け出してから既に一ヵ月以上が経つが、ウッツはこの間に二人の性格を把握していた。なので、このやり取りにも驚かない。


 注文していた酒が届いたのでカミルに渡しつつ様子を窺っていると、尚もヨーゼフが口を動かしていた。


「ひひひ。それにしても、ウッツが紹介してくれた魔法の実験って実にぼく向きだよ! 実にやり甲斐があるよね!」


「そりゃぁ良かったです。紹介した甲斐があったってモンですよ」


 ウッツの所属する非合法組織がやっている実験の仕事のことだ。もちろん真っ当な実験ではなく、禁制の品々を作るために日々人体実験などを繰り返していた。


「前から思ってたんだけどさぁ、やっぱり倫理や道徳なんて非効率だよね。目的を達成するためには何でもやらないと」


「まったくです。だからこそ、商売も繁盛するってモンですよ」


 自分の意見が全肯定された上に酔いが回ってきたこともあって、ヨーゼフの機嫌はますます良くなる。


 その勢いのまま、ヨーゼフはカミルに話を振った。


「カミル、そっちはどうなんだい?」


「ふん。殴りつけて金を取り返すだけだよ」


「いやいや、それでも大したモンじゃないですかい。旦那を前にしてカネを返さねぇヤツはいないって組織でも評判ですぜ?」


「相手を殴れるのなら誰にだってできる。特にガキがいたら楽勝さ」


 ヨーゼフとは異なり、カミルは同じ組織の借金の取り立てをしている。割と回収が厳しい件を任されていたがすべて力で解決していた。


「ひひひ、ガキ! いいよね! 色々いじり甲斐がある!」


「旦那、具体的に話すのは勘弁してくださいよ。飲み食いできなくなっちまいます」


 上機嫌になってもらうために接待しているウッツだったが、さすがにすべてをここでぶちまけてもらうわけにはいかない。その辺りの手綱捌きが結構難しかった。


 そうやって深夜まで仕事をこなした後、ようやくウッツは一人になれた。この手のことは慣れてはいるがそれでも疲れる。


「明日はヘルプストへ行かなきゃなんねぇってのに、たまんねぇよなぁ」


 暗い夜道を歩きながらウッツはぼやく。前日に新たな命を受け、ヘルプスト王国の大罪人である女を助け出さなければならないのだ。


「ったく、ヘルゲ様も随分と人使いが荒いよなぁ」


 たまには接待される側になりたいと思いつつも、ウッツは次の仕事の打算を考えた。

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