知りませんは通じない
空から夜の気配がなくなった頃、ティアナはやっとの思いで宿泊している宿にたどり着いた。ただし、表通りからではなく裏路地からだ。
昨晩出た窓を見上げると今は閉まっていた。さすがに真冬で一晩中開けていては凍えてしまうので仕方ない。
窓の真下に立つとティアナは水の精霊アクアに話しかける。
「アクア、アルマを起こしてくれ」
『起コス』
男の口調で頼んだ後はその場でじっと待つ。じんわりと足の先が冷えてくるがもう少しの我慢だ。
頭上から扉の開く音がするとティアナは見上げる。アルマが顔を出して周囲へ視線を巡らせてから頭を引っ込めた。
次いでティアナが姿を消したまま階上まで浮いて室内へと入る。そこでようやく風の魔法を解いた。
「ただいま。疲れたぁ」
「おかえり。随分と時間がかかったわね。結局徹夜じゃない」
「やっぱりぶっつけ本番は駄目だ。危なすぎる」
「そうなんでしょうけど、あれ以上の準備はできないでしょ。うまくいったのよね?」
「ああ。ちゃんと取ってきたぞ。ほら」
頭から覆面用の布を取ったティアナが、袋に入れたままの禁忌の魔法書をアルマに手渡した。
早速袋の口を開けて中を覗いたアルマが顔をしかめる。
「何この汚い本は。本当にこれなの?」
「そうだよ。ずっと放棄されてた書物庫にあったから、ひどい状態なんだ」
「昨晩のことは話してくれるんでしょ。そのときに聞くわ」
「とりあえず朝飯を食って、体を拭いて、一眠りしたい」
「そうでしょうね。とりあえず食堂に下りましょうか」
「助かる。ところで、リンニーはどうするんだ? まだ寝てるけど」
「起こしても起きなかったのよ。そのままにしておきましょ」
まだ日が出てそれほど経っていない。王都から出発するのならともかく、そうでないのなら早起きする必要はなかった。
二人で階下の食堂へ向かうと、既に半分以上の席が埋まっている。
ちょうど空いたばかりの隅にあるテーブル席に座ると、ティアナはパンと鶏肉と豆のスープを、アルマは野菜の煮込みスープを注文した。
給仕が去って行くとティアナは不思議そうにアルマへ問いかける。
「それだけで足りるのですか?」
「リンニーが起きたらまた一緒に食べるからよ。あの子一人で食べさせるの不安だもの」
「まるで子供みたいですね」
「誘われたら無邪気に付いていきそうで、どうにも不安なのよねぇ」
外向きの言葉で話すティアナにアルマは苦笑いを返した。本来ならば人間以上に大人であるはずなのだが、出会ってから今までの言動は立派な子供である。
給仕が注文の品を持ってきてテーブルへと置いた。ようやく温かい食事にありつけたティアナの顔がほころぶ。
「はぁ、生き返ります」
「そりゃずっと寒空の下にいたんだものね。ああ、部屋に戻ったら体を拭くんだっけ。食べ終わったら桶を借りてこなきゃ」
「水と火は自前で用意できるのは助かりますよね。王都って物価が高いですし」
パンを千切って豆のスープに浸すティアナがのんびりと話す。いつもアクアに水を出してもらい、イグニスに温めてもらっているのだ。おかげで水代と薪代が節約できていた。
野菜の煮込みスープをちびちびと食べているアルマがティアナに尋ねる。
「それで、目的は達成したのよね。だったらもう戻るんでしょ?」
「はい。今日は疲れましたから、明日くらいには」
「妥当ね。あんまり長居してもお金が余計に減るだけだし。ちょっとゆっくりしたいのなら隣の町にしましょ」
資金面は以前に比べて厳しくなってきているので、いつでも好きなところで骨休めというわけにはいかない。
これからのことなどを二人で微妙にぼかしながら話をしていると、次第に食堂の席が埋まってくる。中には宿泊客だけでなく、朝食にありつこうという来客も入ってきた。
二人とも食事をしながら話をしているが、たまに会話が途切れることがある。すると周囲の会話が耳に入ってくるのだが、今朝はなぜかどの客も同じ話題を口にしていた。
スープを上の空で食べていたアルマがティアナへと話しかける。
「みんな妙な話題で盛り上がってるわね。倉庫街で邪教徒がたくさん捕まったそうよ? 隠れ家でもあったのかしらね」
「らしいですね」
「勇者はここにはいないはずだけれど、聖教団がやったのかしら?」
心当たりのありすぎるティアナは事情を知らないアルマに最小限の返事しかしない。別に隠しているわけではなく、食堂で話すわけにはいかないだけだ。
誰かに聞かれるとまずいので黙っていたわけだが、まだそのことを知らないアルマは続いてしゃべる。
「でもちょっと面倒なことになってるみたいね。邪教徒を官憲か聖教団のどちらが逮捕するかで揉めているそうじゃない」
「揉めている?」
「周りの話じゃね。実際はどうなのか知らないわよ」
「領主の権限に挑戦するなど穏やかではありませんね。いくら勇者に邪教徒狩りをさせているとはいえ」
「聖教団も邪教徒狩りの成果を大々的に喧伝しているらしいから、一部の聖教徒が高ぶっちゃったんじゃない?」
あり得る話だった。大きな組織だと末端の構成員まで完全に把握することは無理なので、やり過ぎる聖教徒がいてもおかしくない。
自分に直接関係のない話になってきたので話に乗ったティアナだったが、アルマの次の一言でむせる。
「でも変よね。倉庫街に邪教徒が倒れていたということは、やったのは聖教団じゃなさそうだわ。引き取るって官憲と揉めるくらいなら、最初から教会に連れて行けばいいもの。これは第三者が関わっているわね」
「けほっ」
次第に話しづらくなってきていると感じた真犯人は、喉を潤すために豆のスープを飲んだ。温かさが体に優しい。
しかし危ない話はそこまでで、後はとりとめのない雑談を交わしながら残りの食事を二人で楽しむ。
食べ終わるとアルマは宿の店主に桶を借りに行き、ティアナはそのまま部屋に戻った。すると、既に起きていたリンニーに迎えられる。
「あ~、ティアナおかえり~!」
「ただいま。先に朝食を済ませてきました」
「そっか~。ねぇ、アルマはどこにいるのか知ってる~?」
「今、下で桶を借りてきてもらってます。すぐに戻ってきますよ」
言ってるそばから部屋の扉が開いてアルマが入ってきた。
「ティアナ、はいこれ。あら、リンニー、もう起きてたのね」
「さっき起きたところだよ~。ご飯食べにいこうよ~」
「でたら二人に付いてるアクアとイグニスを残してください。ウェントスとテッラは連れて行ってくれていいですから」
桶を受け取ったティアナは、昨晩活躍してくれた風と土の精霊をお湯を作るのに必要な水と火の精霊と交換してもらう。
アルマとリンニーが食堂へと向かうと、ティアナはアクアに桶へ水を入れてもらった。桶の真上まで半透明な水玉が移動すると、真下に水を垂れ流す。次いで半透明な火柱が桶に溜まった水に重なると水を温めた。湯加減はティアナの指示で調整だ。
ちょうど良い加減になった湯ができあがると、後は服を脱いで布で拭くだけである。費用の節約だけでなく湯を簡単に作れる点を見ても精霊に協力してもらうと便利だった。
いつものように全身をきれいに拭き取ると後は眠るだけだ。食欲を満たされている今、ようやくティアナに睡魔が襲ってくる。
そのまま自分の寝台に潜り込むとティアナはすぐに意識を手放した。
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翌朝、まだ体内時間が若干狂っているティアナだったが王都を出ることにした。いつもなら隊商護衛の仕事を引き受けて町から町へと移動するが、今回は後ろめたいことがあるのでさっさと王都から立ち去ることにしたのだ。
食堂で朝食を取り、旅支度を
特に何も考えずに歩いていた三人だったが、門に続く大通りを歩いていると長蛇の列に遭遇する。
「うわ~、どうして並んでるんだろうね~?」
「この辺りに露天商なんてあったかしら?」
不思議そうにアルマとリンニーは首をかしげた。同じく列を見たティアナはその先へと目をやって驚く。列は門に続いていたからだ。
気になったティアナは列に並んでいる行商らしき男に声をかける。
「あの、この列は北の門に続いているのですか?」
「そうだよ。何でも昨日の昼から始まったらしい」
「どうしてまたそんなことを」
「お嬢ちゃん知らないのかい? 昨日の朝に邪教徒が倉庫街を襲撃したらしいんだ。それで外に逃がさないように検問してるのさ」
肩をすくめて答えてくれた男に礼を述べると、ティアナは仲間二人とその場を離れた。
驚きを隠せないティアナが眉をひそめる。
「まさかこんなことになるなんて」
「そりゃ官憲からしたら網を張るわよね。どうすんのよ。そのまま知らん顔で並ぶ?」
昨日、一眠りした後に事の顛末を二人にすべて話していたので、アルマはティアナが何をしてきたのかを知っている。その上での問いかけだ。
行商人の話からすると捜索対象は邪教徒なのでティアナ達は関係ない。それならばアルマの言う通り素知らぬふりをして通り抜けることができるはずだった。
どうするべきか悩んでいるティアナにリンニーが声をかける。
「一度門まで行って、何を調べているのか見てみない~?」
「真正面から向かうのはまずいですね。できれば身を隠したまま調べたいですが」
わき上がる不安を無視できないティアナは眉を寄せた。そしてすぐに妙案を思いつく。
三人で路地に入って隠れると、ティアナは精霊達に声をかけた。
「イグニス、私に憑依してください。ウェントス、あの門の兵隊がいるところまで行ってください」
『ワカッタ』
憑依したイグニス経由でティアナはウェントスの返事を聞いた。
何をしているのかわからないリンニーが尋ねる。
「どうするつもりなの~?」
「憑依した精霊経由で離れた場所の精霊が聞き取る声を私も聞くのです。視覚では何度もやっていることですから、聴覚でもできるはずだと思いましたから」
「賢いね~!」
満面の笑みで褒めてくれるリンニーに礼を述べながら、ティアナはウェントスが聞いている声を聞く。門に着いてからは検問所でのやり取りが聞こえてきた。
「よぉし次! 袋の中身を見せろ。全部だ」
「何でまた。今までこんなことしてなかったじゃないですか」
「邪教徒を捕らえるためだ。おとなしく袋を開けろ」
「引っかき回さないでくださいよ。壊れたら弁償してもらいますからね」
「そこの女、名前はなんというんだ?」
「あたし? ロレッタよ」
「ティアナではないんだな?」
「はぁ? 誰よそれ」
「重要参考人だそうだ。銀色の髪に金色の目をした相当な美人らしい。お前は全然違うな。行ってよし」
「なによそれ、失礼ね!」
「早く行け! 今日中にこの列を全部確認せねばならんのだ!」
やり取りを聞いてすぐにティアナは頭を抱えた。まさか名指しで自分も捜索されているとは思わなかったからだ。
ティアナの様子を見ていたリンニーが心配そうに声をかけてくる。
「どうだった~?」
「まずいです。なぜか私が捜索対象になってしまっています。覆面をしていたはずなのにどうして」
「邪教徒を率いてたのがウッツなら、あんたの特徴を教えていたかもしれないわね。自白させたのかも」
その可能性は考えていなかったティアナが天を仰ぐ。こうなるとティアナが門から出るのは無理だ。
しばらく考え込んでいたティアナは顔を上げる。
「仕方ありません。もう一度ウェントスに姿を隠してもらって、空を飛んで王都を出ましょう。ああもう、これではまるっきりお尋ね者じゃないですか」
「実際、人に言えないようなことはやってるんだし、間違いじゃないんだけどね」
心当たりのあるティアナは声を詰まらせた。そして、必要なことだからと自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。
「ともかく、捕まるわけにはいかないので私は城壁を飛び越えます。二人は捜索対象ではないようですから、列に並んで検問所を通り抜けてください」
「かなり時間がかかりそうね」
他に案が思いつかないアルマはティアナに同意した。
方針が決まると三人はすぐに行動を始める。
ウェントスを呼び戻したティアナはイグニスと交代で憑依してもらい、姿を消してすぐに空を飛ぶ。
一方、アルマとリンニーはすぐに列の最後尾へと並んだ。
三人が再び合流したのは六時間後だった。
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