王城へ向かう前
いよいよ婚礼の儀式当日となった。ティアナは緊張のせいか、いつもより早く目覚める。窓の外へ目を向けると曇り空だ。まだ残暑が厳しい時季なので日差しが弱まるのはありがたい。
思い返せば四年前のこの日、王立学院の舞踏会でこの国の王子と対決したわけだが、よく生き残ったと振り返って思う。物理的な危機はその後いくらでもあったが、あれ以上の危機は未だにないように思えた。
しかし今や、その王子とも仲直りをし、更に友人である公爵令嬢と結婚しようとしている。もしあのまま貴族として残ることができたのなら、これ以上はない伝手として皆に羨ましがられただろう。
実際には追放同然で祖国を出て現在に至るわけだが、それらはもう良い思い出である。ある意味権力よりも珍しく更に強力な知り合いと巡り会えたのだから、人生は本当に何が起きるかわからない。
ともかく、ティアナが窓の内側から外の景色を眺めていると、アルマが起きてきた。既に着替えている姿を見て驚く。
「珍しいわね。野宿のときでも起こさないと起きないのに」
「いやぁ、さすがに結婚式当日だから緊張してたのかもしれないなぁ」
立ち上がって背伸びをするアルマに、男の口調でティアナは切り返した。リンニーがバッハ公爵邸で寝泊まりするようになってから、宿の室内ではこの口調が当たり前になっている。
そんなティアナの返答にアルマは呆れた。土器製の水差しからコップに水を入れながら更に言葉を返す。
「あんたが結婚するわけじゃないのに、何を緊張しているのよ」
「そりゃそうなんだけどな。王子様と貴族のご令嬢の結婚式なんて絶対堅苦しい場だろう? うまく切り抜けられるかなって」
新婦を助けた功績によって婚礼の儀式の末席に座ることができたのは良いが、礼儀作法のことを思い出したティアナは悩んでいるのだ。
「前にあの王女様のところで侍女としての訓練をしたでしょ。だからどうにかなるんじゃないの?」
「もう忘れたなぁ」
「ダメねぇ」
水を入れたコップをティアナに差し出すと、アルマはもう一つのコップを手に取って傾けた。喉が渇いていたのでぬるくてもうまい。
二人は雑談をしながら着替え終わると一階の食堂へと向かう。既に半分の席が埋まっていた。空いている席に座ると、アルマが二人分のパンとスープを給仕に注文する。
注文した品が来る前にティアナがため息をついた。いささか難しそうな顔をしている。
「この後バッハ公爵邸へ行って着替えて、そしてテレーゼ様と同行するわけですよね。服は貸してもらえるそうですが、あれたまにきつい服があるので困るのですよね」
「こっちのメイド服とは違って、胴回りを思い切りきつく縛るやつよね。肋骨が折れるくらい締め付けるらしいじゃない。あたしには無理だわ」
「エルネのところは違いましたけど、テレーゼ様のところはどうでしたっけ?」
「あたしは知らないわよ。そういえば、リンニーはその侍女の服を着てるのよね? この後会ったら聞いてみたらどうなの?」
「そこで聞いてももう遅いでしょう。もっと早く気付くべきでした」
給仕がパンとスープを持って来た後も二人は話を続けた。きつく縛り上げる服を着るのが本当ならばティアナはあまり食べるべきではないが、そこまで考えが至っていない。
そうしてのんきに朝食を楽しんでいると、ティアナはふと脇に誰か立っていることに気付いた。顔を向けると貧しそうな姿をした男の子だ。
「あんたがティアナって人?」
「え? ええ。なぜ私の名前を知っているのですか?」
「はい、この手紙! 頼まれたんだ!」
突然白い封筒を突きつけられてティアナは驚いた。若干汚れているが、中身に影響を与えるようなものではなさそうだ。
よくわからないままティアナが手紙を受け取ると、男の子は満面の笑みを浮かべる。
「確かに渡したよ。じゃぁね!」
「え? あ、ちょっと! これは誰から」
戸惑いながら問いかけようとしたティアナだったが、男の子は役目を果たしたとばかりに足早に去って行った。
しばらく呆然としていたティアナだったがアルマに声をかけられて立ち直る。
「で、せっかくなんだから、中身は見ないの?」
「あからさまに怪しいですよね」
封筒は表裏共に白紙なので開けるしかない。アルマにペーパーナイフを借りると封を切った。中には便箋が二枚入っている。一つは地図だ。
不思議に思いつつもティアナは便箋の内容を読み取ると目を見開いた。
『親愛なるティアナへ。本日の正午、もう一枚の略図で指定した場所に来てください。もし来ていただけなければ、今後周囲のお知り合いが不幸なことになるでしょう。具体的には、王子様とその婚約者が今度こそ、などです。あたしの能力をご存じでしたら絵空事ではないとわかりますよね? それではお待ちしております』
封筒と同じく、便箋にも相手の名前はどこにも書いてなかった。しかし、書いてある内容から誰だかはすぐにわかる。
まさか、こんな形で突然呼び出されるとは思いもしなかったティアナは、頭の中が真っ白になった。いつか対決するだろうとは思っていたが、具体的にまでは想像できなかったのだ。
しかし、ついにこのときが来た。偶発的なものを除けば今までは相手も正面からこちらと正面からぶつかろうとはしなかったが、今回は違う。
便箋に目を向けたまま呆然としているティアナをアルマは訝しげに見た。しばらくしてから声をかける。
「何て書いてあるの?」
「ユッタからの、果たし状です」
「は?」
眉をひそめたアルマがティアナから便箋の一枚を取り上げて内容を読んだ。そして、動揺に目を見開く。
「嘘でしょ? こんな堂々と?」
「正午と言えば、婚礼の儀式が始まって間もない頃ですよね」
「もう一枚の略図ってこれよね。王都郊外の森じゃない」
便箋二枚とにらめっこをしているアルマをよそに、ティアナは考えた。
これから始まる婚礼の儀式で何かを仕掛ける者がおり、ユッタとウッツはその有力者だと考えていた。しかし、この手紙を見る限り、狙いは最初から自分だったのかのようだ。もちろん途中から変更した可能性もあるが、それはティアナにはわからない。
しかしそうなると、婚礼の儀式では何も起きないのだろうか。ティアナは首を振った。手紙に書いてあることは曖昧だ。自分を指名してきた以上のことはわからないと思い直す。
不安そうにアルマが尋ねる。
「どうするのよ?」
「行くしかありません。何か罠があるのは確かでしょうけど、今後のことを考えるとここで対決しておくべきでしょう。どうせいつかはやることでしたから」
「そうよね。徹底的に裏手に回られて暗殺を仕掛けられたら、こっちは手も足も出ないものね」
「ただ、まずはリンニーとテレーゼ様に話をしないといけません。すぐに行きましょう」
便箋を丁寧に折って封筒に戻すと、ティアナはそれを懐にしまった。そして、残っているパンとスープを急いで口に入れる。
もはや二人に今日を楽しむ余裕はなかった。
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突然手渡された果たし状を手に、ティアナはアルマと共にバッハ公爵邸へと向かった。
屋敷はこれから行われる婚礼の儀式の準備で大わらわである。普段は静かな邸内もこの日ばかりは上から下まで動き回っていた。
いつもなら応接室へと通されるが、この日の二人はテレーゼの私室へと案内された。中へ入ると、リンニーだけでなく数名の侍女やメイドがテレーゼを囲んでいる。
「おはようございます。このような姿をお目にかけて申し訳ありません。まだもう少しかかるので」
目だけをティアナ達に向けてきたテレーゼは花嫁衣装を身につけていた。純白を基調にバッハ公爵家の赤色と王家の青色で織りなす刺繍がふわりと盛り上がったスカートに施されている。頭部はその豊かな髪の毛を用いて結い上げている最中だ。
思わず見とれていたティアナとアルマだったが、脇からリンニーが声をかけてきて我に返る。
「おはよ~!」
「え、ああ。おはようございます、リンニー」
「おはよう。テレーゼ様がすごくきれいで見とれてたわ」
「そうでしょ~!」
まるで自分のことのようにリンニーが喜んだ。
それを微笑ましく眺めながらテレーゼがティアナに声をかける。
「今日、お二人の衣装は別室に用意してあります。案内させますから、着替えてきてください」
「それなんですが、私達は急用ができてしまい、同伴できなくなってしまいました」
「まぁ。急なお話ですわね。何があったのですか?」
「衣装の準備が終わってから、リンニーを含めてお話いたします」
「承知しました。終わったらお呼びしますので、応接室でお待ちください」
不思議そうに首を傾けるリンニーを残して、ティアナとアルマは退室した。
それから割と待つことになった二人だったが、やがて侍女の一人が声をかけてくる。そうして再度テレーゼの私室へと入ると、そこには当人とリンニーの二人だけしかいなかった。
花嫁姿のテレーゼが笑顔で声をかけてくる。
「こういったときの衣装は一生ものですが、それだけに時間がとてもかかってしまいます。おかげで今朝は日の出前に起きるはめになってしまいました」
「それだけお美しくなられてますよ、テレーゼ様」
「ありがとう。さて、この後わたくしは王城へ向かうことになりますが、お二人は同伴なさらないのですよね。なぜですか?」
「今朝、ユッタから果たし状が届きました。今日の正午に王都の郊外まで来るようにとあったので、これから向かいます」
テレーゼだけでなく、リンニーの顔からも同時に笑顔が消えた。
わずかな沈黙の後、テレーゼが口を開く。
「放っておけばよろしいのではないですか?」
「ここで無視すれば、今後暗殺を繰り返し行うと宣告されました。余程私が目障りなのでしょう」
「ならば警護を固めれば」
「一月前の襲撃事件を思い出してください。あのとき私がいなければ、どうなっていましたか?」
指摘されたテレーゼは目を見開いた。あっさりと窮地に陥ったことを思い出す。
黙り込んだテレーゼに代わって、今度はリンニーが話しかけてきた。
「だったら、わたしも行く~!」
「リンニーはそのままテレーゼ様を守ってください。こちらが大変なことになったのは確かですが、婚礼の儀式で何も起こらない保証はありませんので」
「むしろそっちの方が本命だものね」
ため息をつきながらティアナの背後でアルマがつぶやいた。
しかし、珍しくリンニーが食い下がる。
「でも、そっちにはアクアしかいないんでしょ~? 危ないよ~」
「その通りです。テオを守る火の精霊はどうにもなりませんから、やはりわたくしを守る風の精霊はお返しいたします。幸い、リンニー様も魔法は得意なご様子ですので、どうにかなるでしょう」
笑顔を湛えつつも力強い眼光を向けてくるテレーゼにティアナは降参した。正直なところ、不安だったのは確かである。
「承知しました。でしたら、リンニーにいくらか捕縛の種を渡しておきましょう。何かに役立つかもしれません。アルマ」
「駄目よ。あれ、あたしとあんたにしか使えないように調整されてるって言われたじゃない。元はリンニーのお仕置き用なのよ?」
「そうでした」
代わりに何か役立つ物を思ったティアナだったが、あっさりアルマに否定された。正面ではテレーゼに訝しげな視線を向けられたリンニーが目を背けている。
「でしたら、ウェントスは返していただきます。ウェントス、戻って来てください」
半透明な竜巻がテレーゼの頭上に現れ、そのままティアナの頭上へと移り、再び消えた。
その様子を見ていたリンニーは嬉しそうである。
「えへへ~、これで安心だね~!」
「リンニー、お城に着いたらあらかじめ土人形を何体か出しておいた方が良いですよ。魔法を妨害されると大変なことになってしまうのは覚えているでしょう?」
「大丈夫だよ~! だって、破魔の護符を身に付けてるから~!」
そう言ったリンニーが首に提げている鈍い銀色の首飾りを取り出してみせた。確かにこれがあるのなら、リンニーは妨害魔法の影響は受けない。
手持ちの戦力を確認し、調整している中、私室に侍女が入ってきた。そして、王城へ向かうことを告げられる。
「お話はここまでです。不安はつきませんが、後は運を天に任せるしかないでしょう。ティアナ、アルマ、必ず生きて戻ってきなさい。素晴らしい婚礼の儀式の様子を自慢して差し上げますから」
「はい、必ず」
「あたしも楽しみにしていますね」
笑顔で答えた二人にテレーゼがうなずくと立ち上がった。同じく、いつも通りに戻ったリンニーが外で控えている侍女を呼びに行く。
やるだけのことをやったティアナとアルマはリンニーに続いて部屋を出て、目的地へと向かった。
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