屋敷内の研究室
叡智の塔にあるヨーゼフの研究室を訪問したティアナは翌日王都へと向かった。
まだ充分な成果を上げていないのでマリーへの報告はできないが、一旦ヨーゼフと距離をとりたかったからだ。
宿はあの貴族御用達の宿である。ブルクハルトと共に滞在していたときの客室がそのまま確保されていたので、三人は迷うことなく室内に入った。
席に着いたティアナが備え付けの陶器からグラスへと水を注ぐ。それを一口飲むと、砕けた男言葉で確認するようにしゃべった。
「一応これって成功したってことでいいんだよな」
「そうね。ダンケルマイヤー侯爵の屋敷に堂々と入り込めるんだから、悪くないでしょ」
荷物を片付け終わったアルマがやって来てグラス二つに水を注いだ。その片方に手を出して口につけてから席に座る。
そんなアルマへと顔を向けてティアナが声をかけた。
「しっかし、随分あっさりとダンケルマイヤー侯爵の屋敷へ案内する約束を取り付けられたな。てっきり断られると思ってたのに」
「何か勝算があって言ってたんじゃなかったの。まぁ、結果的に良い方向へ転んだんだからいいけど」
「まず商談で近づくところまでしか考えてなかったんだけどな。まさか観光したときの話であんなに釣れるとは思わなかったもんなぁ」
たまたま目についた前世関連っぽい物の話を振り向けたらヨーゼフの考案したもので、更に当人が転生者と思えるような言動をしたのだ。
ちょうど部屋に入ってきたタクミに目をやりながらアルマが口を開く。
「そうなると、タクミにやたらと目を向けてた理由もわかるわね。転生者なら名前で日本人だとすぐ気付けるから、気になって仕方ないに違いないわ」
「だよなぁ。これはタクミにも頑張ってもらう機会ができたんじゃないか?」
「僕がどうしたの?」
自分の名前が話題になっていることを知ったタクミが口を挟んでくる。あまり良い話題ではないと察知したのか不安そうな顔だ。
誰も手をつけていないグラスをタクミに押し出したアルマが簡単に説明する。
「転生者っぽいヨーゼフの調査に、タクミもティアナ並みに頑張ってもらおうって話よ」
「やっぱりあの人、そうなんだよね。僕の名前を聞いてから会う度に目を向けてくるし。っていうか、ティアナ並に頑張るって何? 僕何をさせられるの?」
眉をひそめたタクミが水を飲む。同性に視線を向けられて喜ぶ趣味はタクミにはないので、いつも困惑しているのだ。
若干動揺しているタクミを苦笑して見ていたティアナが話す。
「ヨーゼフがお前のことを気にしてるから、俺とは別に聞き取り調査をしてもらおうかって考えてるんだよ」
「僕そんなことをできるかな?」
「叡智の塔で話をした限りだと脇は甘そうだから、雑談してるだけでも結構情報は手に入れられると思うぞ」
「あーうん、確かに自分からしゃべってたよね、あの人。そうなると、今度ダンケルマイヤー侯爵の屋敷に行くときも僕とアルマは一緒なんだね」
「そうだな。俺も貴族の子女だから、メイドと護衛はいないと格好がつかないしな」
何とはなしにタクミと雑談していたティアナだったが、急に思い出したようにウィンへと語りかけた。
「ウィン、次の研究室へ入ったら、おかしなものがあったら言ってくれ」
『おかしなものって何?』
「具体的に言えと言われるとちょっと思いつかないけど、変な魔力を感じたり、知ってるものがあったらだよ。叡智の塔の方には何もなかったんだよな?」
『うん、あっちにはなかったよ。そっか、気になったものがあったら言えばいいんだね』
「その通り。頼んだ」
魔法の知識はなくとも魔力に関しては敏感なウィンに見張ってもらうことで、ティアナは自分が見落としを補完するつもりでいた。
更に何かないかと考え始めたティアナに対してアルマが話しかける。
「あたし達、次も研究室の中に入れるのかしら? 叡智の塔じゃ特別にって言ってたけど」
「どうなんだろうな? 外で待つとなると、俺一人で中を調べなきゃいけないのか」
「それもあるけど、あたしが外で待つと面倒なことになりそうなのよね。以前、カミルがダンケルマイヤー侯爵に仕えているって言ってたでしょ。鉢合わせしないか心配なのよ」
「忘れてた! そう言えば、あいつそんなことを言ってたな!」
指摘されたティアナが顔をしかめる。こちらに敵意を剥き出しにしている様子を思い出して頭を抱えた。
更にアルマは言葉を重ねる。
「あのとき、ブルクハルトさんと一緒にいるところも見られてるから、あの様子だとあたし達はきっと国王の一派だと思われてるわよ」
「きっとじゃなくても今は国王の一派なんだけどな。でも、それならヨーゼフも知ってるぞ。なんで俺を侯爵の屋敷へ入れてもいいって判断したんだろ?」
「あんたの話を聞いてると、単純に自分の作った魔法の道具に興味を示したから喜んだのと、タクミのことが気になってるんじゃないかしら?」
「それだけのためにわざわざ危険を冒すようなことをするか?」
「さぁ、あたしに聞かれてもわからないわよ」
投げやりぎみな返事を聞いてティアナは曖昧にうなずく。確かにヨーゼフの内心までは知りようがなかった。
ともかく、虎穴には入るつもりで、ティアナ達はどうするべきかその後も三人で話し合った。
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王都で宿泊して三日後に、ティアナはダンケルマイヤー侯爵の屋敷内にあるヨーゼフの研究室を訪問した。
馬車を操る御者が屋敷の正門を守る門番に来訪を告げると門が開く。屋敷は正面の奥だが、馬車はすぐ近くの枝道に入って脇に逸れた。
しばらく進むと建物がいくつか見えてくる。その中のひとつの前に馬車が停まった。最初に外へ出たアルマはそのまま進み、建物の前にいる警護兵に話しかける。
その間に馬車から出たティアナとタクミは周囲へ視線を巡らせた。木々が視界を遮って遠くまで見通せないが、たまに建物の前に馬車が停まっているのが見える。
物珍しく周囲を見ていると、とある建物の前でヨーゼフが待っていた。
「ようこそいらっしゃいました」
「お招きいただき、ありがとうございます」
機嫌の良いヨーゼフにティアナは頑張って笑顔を向けた。
得られる情報は何でも得ておきたかったティアナは早速ヨーゼフに問いかける。
「この近辺にある建物も同じ姿をしていますが、恐らく研究のためのものですよね? たまに馬車が前に停まっていますけど、来客はよくあることなのですか?」
「ええ、レオンハルト様の関係者が中心ですけど、研究や作成の依頼はありますよ」
「ということは、私がここに入ることも実は難しくはなかったのですか?」
「難しいかどうかは微妙ですね。ただ、叡智の塔も同じですけど、誰でも依頼できるわけじゃないですよ。紹介状がないとそもそも無理ですし」
なるほどとティアナはうなずく。叡智の塔へは紹介状があったので入れたが、ダンケルマイヤー侯爵の屋敷に入れたのは直接ヨーゼフに頼めたからなのだろうと推測する。
「では、案内していただけますか」
「わかりました。お付きの者はここで待ってもらえますか? 入館制限が厳しいんですよ」
「承知しました。それでは、ここで待っていてくださいね」
ティアナに声をかけられたアルマとタクミはうなずく。やはり施設内は立ち入りが厳しいらしい。
その様子を見ていたヨーゼフは安心して肩の力を抜いた。そうしてタクミを一瞥してから、踵を返して建物へとティアナを誘う。
建物に入ったティアナの第一印象は意外に明るいというものだった。天井部分を見ると細長い蛍光灯のようなものが光っている。
振り向いたヨーゼフがティアナの視線の先に気付いて自慢げに説明する。
「あれは室内を明るくする魔法の道具ですよ。屋内は天気の良い昼間でも暗いですよね。でも、あれがあれば、建物の中でも真昼のように明るいんです。ぼくが作ったんですよ」
「あれだけ明るいと、大量の魔力が必要でしょう?」
「実を言うとそんなに必要ないんですよね。ほら、魔法の光の球と原理は同じですから」
ヨーゼフがその場で説明を始める。この蛍光灯のような魔法の道具の特徴は、魔力さえ調達できれば誰にでも使えるということだった。問題はその調達が一番の難点だったが。
説明を聞きながらティアナが進んでいくと、ヨーゼフにとある扉の前に案内された。見るからに丈夫そうな金属製の扉だ。
何事かをつぶやいてヨーゼフが取っ手を掴んで押す。
扉を開けながら、驚いているティアナを見て楽しそうにヨーゼフが話しかける。
「この扉も特別製でね。普段は見た目通り重いですが、呪文を唱えると軽くなるように作られてるんですよ」
「防犯対策ですね」
「その通りです。中にあるのは重要なものばかりですからね。これもぼくが作りました」
見た目が金庫の扉に似ていることをようやく思い出したティアナは、ヨーゼフに促されて中へと入る。
室内は思ったよりも広かった。規則正しく棚が並べられており、そこには様々な品物が置かれていた。
周囲を見ているティアナに対してヨーゼフが説明する。
「ここは魔法の道具の保管庫です。ぼくが作ったものを全部置いてあるんですよ」
「これを全部作ったのですか?」
「協力して作ったものもあるから、全部一人でじゃないですけどね」
「似たものがいくつも並んでいるのはなぜです? まったく同じではないみたいですけど」
「製作の過程で色々と作り替えたものや、完成後に派生品を作ったものをまとめて置いてるんです。ばらばらに置いたら、後で見返したいときに苦労するだけですからね」
話を聞きながらティアナは歩き始める。正直なところ、ここにある魔法の道具も見た目では何をするものかはほとんどわからない。
しかし、見て回る意味はあった。ティアナの中にいるウィンに確認してもらうためだ。
たまに足を止めてはヨーゼフの説明を聞きながらティアナは保管庫を回っていく。
そうやって次々と眺めていく魔法の道具の中に銀色をした腕輪があった。ここでウィンが初めて話しかけてくる。
『これ、前に見たやつと同じだねー』
少し前の洞窟での出来事を思い出して微妙な表情をしていたティアナは目を見開いた。足を止めてヨーゼフへと目を向ける。
「さすがに女の人だと、こういった装飾品みたいなやつが気になりますか」
「ええ、まぁ。それで、これはどのようなものなのです?」
「これは銀の腕輪という見たまんまの魔法の道具です。腕に嵌めて契約すると、腕力、敏捷、器用、観察、幸運のどれかひとつの能力を高めてくれるんですよ」
「自分で指定できるのですか?」
「いえ、全部で五種類の腕輪があって、それぞれで高めてくれる能力が違うんです」
かつて洞窟内で戦ったことをティアナは思い出す。自分と戦っていた男はやたらと幸運のことを話していた。
少し真剣な表情でティアナはヨーゼフに問いかける。
「これは、売っているのですか?」
「いいえ。これは外に向けて売っているものではないです。それに、実はまだ試作段階な上に欠陥があるんですよ」
「ということは、外で使われたことはないと?」
「ええ、まぁ」
何気なくティアナが問いかけると、ヨーゼフは最後の質問にだけ曖昧に返事をした。
しかし、ウィンが前に見たものと同じだと主張している。ここでティアナは、かつての洞窟の件は表立って使われたわけではないのだと察した。
更にティアナは問いかけてみる。
「非売品ならば、ダンケルマイヤー侯爵からの依頼ですか。何に使われるのでしょうね?」
「さぁ、ぼくは頼まれて作っているだけなんで、レオンハルト様がどのように使われるのかまではわからないです」
「たくさん作って兵隊に嵌めさせたら、強い軍隊になりそうですよね」
「はは、まぁそうですねぇ」
引きつった顔のヨーゼフが露骨に顔を逸らせた。
どうにも居心地が悪そうなヨーゼフに対して、ティアナは問い方を変えてみる。
「そう言えば先程から不思議に思っていましたが、外へ売っている道具とダンケルマイヤー侯爵のために作った道具を分けて保管しないのですか?」
「はっきりと分けるのって、実は難しいんですよね。ここにある道具はほとんどがレオンハルト様の援助で作ったものですから。それを他の人に売っているかどうかだけなんです」
「つまり、このお屋敷にあるものは侯爵様の援助で大体研究していて、たまにそれを外部の人に売っているというわけですか?」
「そうそう、正にそれです!」
嬉しそうにヨーゼフが反応する。
その様子を見ながらティアナは再び歩き始めた。
ダンケルマイヤー侯爵が何を企んでいるのかこれだけではわからないし、実際のところティアナは興味がない。銀の腕輪について気にはなるが、言ってしまえばそのくらいだ。
ティアナは他にもいくつか問いかけてみたが、ヨーゼフはやはり肝心なところは答えてくれない。さすがに機密に関わることは口が堅かった。
大体めぼしいものは見たと判断したティアナは一旦切り上げることにした。今回はきっかけを作ったと考える。
「ヨーゼフさん、ありがとうございます。とても興味深かったですわ」
「気に入ったものはありましたか?」
「そうですね。あの銀色の腕輪が気になりました」
「あーあれですかー」
「ご無理をなさらずに。気になっただけですから」
難しい顔をしながら悩んでいるヨーゼフに対してティアナが言葉をかける。すると、ヨーゼフは安心したのか緊張を解いた。
今回はこの保管庫だけを見て回ったティアナだったが、他にも色々とみるべきところはありそうだと考えた。
「ヨーゼフさん、また見学に来てもよろしいですか?」
「はい、もちろんです。そのときは声をかけてください」
嬉しそうにヨーゼフが答える。
その姿を見て、とりあえず接触は成功だとティアナは内心で判断した。
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