奉姫祭

 ガイストブルク王国では、大体どの村でも九月の末には収穫を終え、十月前半はその後始末と収穫祭である精霊祭の準備に追われるの一般的だ。毎年開催されるお祭りの中で最も大きなものなので、誰もが楽しみにしている。


 精霊祭は十月の半ばから一週間かけて開催される。王都で行われる精霊祭が最も賑やかなものだ。大小の広場には、行商人や近隣農民の露天、旅芸人一座の芸、楽師の演奏、吟遊詩人の歌、職人の腕自慢の披露など、様々な店や見世物がひしめいていた。


 そんな活気溢れる王都の中をティアナは物珍しげに眺めながら歩いている。


「すごい。いつもと全然違う」


「そりゃお祭りだからです。みんな浮かれて当然ですよ」


 よそ行きの口調でティアナが感想を漏らした。それに当たり前という態度で言い返すアルマの態度もどこか浮ついている。


 しかし、露店に寄ったり演奏を聴いたりすることはない。あっちこっちにふらふらと行ってしまいそうになるティアナを引き留めながら、アルマは注意する。


「何やってるんですか。奉姫祭に出るんですから、こっちです」


「こっちの方が楽しそうなのに」


 名残惜しそうに露店に並べられた品物を眺めながら離れたティアナは、仕方なく前に進む。その後ろを歩くアルマがため息をついた。


「奉姫祭が終わってから好きなだけ遊んでください。今は賞金を持って帰ってくることだけを考えないと」


「よく考えたら、そんなにうまくいくものでしょうか。こうゆうのに出てくる人って、みんな自分に自信がある人でしょう?」


「貴族界隈でも指折りの美少女なんですから、庶民のお祭りに出てくる程度の美人じゃ相手になりませんよ。素体の違いもそうですけど、普段のお肌の手入れの仕方なんかが段違いですから勝負になるわけないでしょうに」


 家族総出で何かしらの労働をこなしている庶民の家では、当然娘は重要な労働力だ。余程裕福な商家でもない限り、普段は家事を手伝ったり働いたりしている。そんな娘達ができる肌の手入れは限られていた。


 アルマは更に続ける。


「かつては貴族の子弟がお嬢様に首ったけだったんですから、入賞は確実ですよ」


「説明を聞いてると、子供の遊びに大人が本気で入ってきてるみたいで嫌ですね」


「そういう意見は、自分でしっかり稼げるようになってから言ってください」


 容赦のないアルマの意見にティアナが震える。


 ますます気が進まなくなったティアナだったが、ふと気になったことを尋ねてみる。


「参加者は庶民だけなんですか? よそ者が出られるのなら、当然貴族の子女だって出場できるんでしょう?」


「貴族のお嬢様は出場しない習慣だそうです。庶民に優劣を付けられたくないとか」


 その話を聞いて、ティアナはかつての舞踏会のことを思い出す。様々な習慣や思惑が絡み合う貴族社会で、庶民にあそこのご令嬢よりも劣ると格付けされてしまった子女がどんな末路をたどるのか。それは容易に想像できた。


「うん、出てはいけませんね」


「面倒ですよね、貴族って。あ、あれみたいですよ」


 二人は雑談をしているうちに奉姫祭の会場へとたどり着いた。王都の大きな広場の一角に組み立てられた舞台が見える。そこには会場前から観客がぽつぽつといた。


 その脇を通り抜けて舞台横に近づくと、奉姫祭の関係者らしき人物が数人集まって雑談している。ティアナはそのうちの一人に声をかけた。


「あの、奉姫祭に参加したいんですけど、受付はどこでしているんでしょうか?」


「ここで受け付けてるよ。どこの誰だが教えてくれたら、そこから舞台裏に行ってくれ」


「ティアナです。今はラムペさんのところでお世話になってます」


 最初は不思議がっていた男達だったが、ラムペの名前を聞くと納得した表情になった。ティアナとアルマにとってはもうお馴染みの反応だ。


 ティアナと言葉を交わした男は次にアルマへと視線を向けた。


「そっちの子も出場者かい?」


「いえ、お嬢様の付き添いです。一緒に中へ入っちゃダメですか?」


「どこぞのお嬢様か? なるほど、きれいだと思ったら良いところの出なんだ。ん~そうだなぁ、他の出場者の邪魔はしちゃダメだぞ。同じように緊張してる子がいるからな」


 アルマがうなずくと、男達は二人が舞台裏に向かうことを許した。


-----


 奉姫祭の進行は非常に大雑把なものだった。


 当日に参加者を募り、応募してきた順番の奇数番と偶数番を対決させる。例えば、一番と二番、三番と四番だ。対決方法は、二人に舞台へ上がってもらい、観客の拍手をたくさんもらえた方が勝ちという形式である。これを繰り返し、最終的に優勝者を決めるのだ。


 舞台裏でアルマから説明を聞いたティアナは首をかしげる。


「拍手した人の数が同じくらいだったら、どうやって決めるの?」


「特別審査員が決めるんですって」


 既に奉姫祭は始まっていた。舞台の袖からティアナがこっそりと会場を覗くと、結構な観客が集まっている。そして、舞台の脇に三人の男が椅子に座っているのが見えた。


 そのときちょうど、舞台に上がっている二人の娘に対する拍手は同じくらいの大きさだった。司会者は拍手した人の数を数えることなく、三人の男に判定を依頼する。すると、二対一で右の女の子が勝者となった。


 その様子を見ていたティアナが呆れてつぶやく。


「大雑把ねぇ」


「学校の試験とは違うんですから、この程度のざっくり感で充分なんですよ」


「これで勝ち残れるのか不安です」


「まぁ、何とかなるんじゃないですか? あら、呼ばれてますよ」


 参加者の受付をしていた男が次の次の登壇者を探している。大雑把な運営の仕方が目立つ奉姫祭だが、この辺りはしっかりとしていた。


 舞台から降りてくる二人と登る二人が交差するのを横目に、ティアナは名前を呼んだ男のところへと向かった。


「いたいた。順番はすぐに来るから、あそこで対戦者と待ってて。それで、舞台の上から前の二人が降りたらすぐに上がって」


 ティアナがうなずくとすぐに男はその場を離れて、次の参加者を探しに行った。


 指示された場所へ行くと既に対戦者が待っている。くすんだ金髪のをお下げにしたかわいらしい娘だった。


 隣に立つと女の子がこちらへ顔を向けてきた。それに合わせてティアナは微笑みながら軽く会釈をする。一方、女の子は硬い表情で挨拶を返した。


 順番がやって来た。壇上へ上がると観客の視線が一斉に向けられる。感嘆の声が上がっているが、今になって緊張し始めたティアナは何に対してなのか気にしている余裕がない。司会者に話しかけられてもそれは同じだった。


 やがて拍手が沸き起こった。大きな拍手が一回とその後に小さな拍手が一回。どうやら自分が勝ったらしいことはわかったティアナだったが、充分に理解する前に流れるように舞台を降りるよう指示された。


「あれ? 終わった?」


「お嬢様、端から見ててもよくわかるほどがちがちでしたね」


「勝ったのよね?」


「ええ、勝ちましたよ。圧勝じゃないですか。お嬢様が出て行ったときに観客がどよめいたのを見て、これはいけるって思いましたね」


 苦笑いしたアルマに迎えられたティアナは未だに呆然としたままだ。


 そんなあっさり一回戦に勝ったことについて二人が話をしていると、目つきの悪い男が寄ってきた。


「なぁ、姉ちゃん。ちょっと話があるんだが、いいかい?」


 二人に声をかけてきた男は浅黒い肌に筋肉質な体躯をしている。目つきが悪いせいで悪い印象しか持てないが、その嫌らしい笑みが一層嫌悪感を強くしていた。


 すぐさま逃げるわけにもいかないティアナは警戒しながらも口を開いた。


「何かご用でしょうか?」


「いい話を持って来たのさ。お前さん、この奉姫祭で優勝するのが目的かい? もし違うんなら、こっちの話に乗ってほしいんだよなぁ」


「美を競う以外に、この奉姫祭で何か目的があるというんです?」


「優勝者でなくても入賞したら賞金がもらえるってのは知ってんだろ? そっち目的なのかって聞いてんだ。もしそうなら、入賞金以上の金と引き換えに、これ以上の出場を辞退してほしいんだよ」


 いきなり取り引きを持ちかけられたティアナは驚いた。思わずアルマと顔を見合わせる。相手の目的がさっぱりわからない状態では、さすがに首を縦に振れなかった。


「私がこのまま参加し続けても入賞するとは限りませんし、辞退しても入賞者の顔ぶれに影響があるかなんてわかりませんよ?」


「いやいや、そんなことはねぇって。お前さんくらいの美人だと、そこいらの町娘じゃかないっこねぇよ。さっきお前さんに拍手する観客の数を見ただろ? 間違いなく優勝候補だぜ。それを見込んで言ってんだ」


「誰か優勝させたい方がいらっしゃるんですか?」


「話が早くて助かる。ぶっちゃけそうなんだよ。お前さん、ここいらじゃ見かけない顔だから、最近この王都にやってきたよそ者だろ。だったら、奉姫祭でみんなに美人だって認められるよりも、確実に金を握れる方がいいんじゃねぇのか?」


 実際その通りである。本来の目的は路銀稼ぎなのだから、名より実を取ることに問題はない。問題があるとすれば、実を取るにしても、こんな裏取引を想定していなかったということだ。


 ティアナはアルマを再度見る。すると、一言尋ねられた。


「どうするんですか?」


 どうやらティアナに一任するようだ。ある意味追い詰められた気がしたティアナが内心焦る。本来なら筋を通すためにもこんな裏取引は拒否するべきだ。しかし、相手の風貌から要求を断ると確実に面倒なことになるだろう。


 道徳か実利か、この二つを天秤にかけたことなどなかったティアナは迷った。いや、正確には頭が真っ白になった。


 しばらく黙っていると、男が更に口を開く。


「まぁ迷うのもしょうがねぇ。こんな取り引きは慣れてなさそうだもんなぁ。よしわかった。優勝したときの賞金にイロを付けた額を出そうじゃねぇか。これだと奉姫祭にこれ以上出ても意味ねぇだろう?」


「それは、そうですけど」


「あと、これはあんまり言いたかねぇが、オレはアプト商会とつながりがあるんだ。アプト商会って言やぁ、この王都でも有数の商会だ。断ると面倒なことになるかもしれねぇぜ。そうだ、自己紹介がまだだったな。オレはウッツってんだ。アプト商会の用心棒さ」


 アプト商会と聞いてティアナは目を見開いた。ラムペ商会に嫌がらせをしているところだということを思い出す。


 こうなると、道徳か実利かという以外にラムペの問題も関わってくる。


 ティアナは自分がラムペ商会の関係者だと受付で説明したことを思い出した。こういう手合いは、何かと嗅ぎ回ることが得意なことが多い。ここでウッツの要求を断ると、ラムペ商会への嫌がらせの口実になるかもしれないとティアナは考えた。


 再度ティアナがアルマに視線を向けると、ため息をついて首を横に振られた。


「わかりました。辞退すればいいんですね?」


「おお、ありがてぇ! やっぱ話し合いは穏便に進めねぇとな!」


 ウッツはにやりと笑っておどけてみせる。


 それを見ても面白くないティアナは、早々に受付係から進行係になった男を探した。忙しく動き回っていた男を引き留めて、簡単に事情を説明してから出場を辞退する。男は一言「災難だな」と同情を示すと、ティアナの申し出を受け入れてくれた。


 戻ってきたティアナは、面白くなさそうな表情のままウッツに話しかける。


「ちゃんと出場は辞退してきましたよ」


「しっかり見てたぜ。よし、約束の金だ。持っていきな」


 にやにやと笑うウッツが小袋を投げて寄越す。それを受け取ったティアナはすぐさまアルマに手渡した。驚いたアルマだったが、ため息をつきながらも中身を確認する。


「確かにありますね。イロっていうのがどのくらいかにもよりますけど」


「なら問題ねぇな。確かに渡したぜ」


「それならこれでお話はお終いですね。失礼します」


 形ばかりの礼をすると、ティアナはアルマと一緒に足早に舞台裏から離れようとする。その背中にウッツが言葉を投げかけた。


「賢く生きてりゃ、いい目を見られるってもんさ」


 それを無視して広場に出て、二人はラムペ商会へと足を向けた。


 周囲が賑わう中、どちらもしばらく無言で歩いていたが、道半ばでアルマがティアナに声をかける。


「どうしてあいつの要求を飲んだんです?」


「ラムペさんに迷惑がかかると思ったから。せっかくだから入賞して賞金を手に入れたかったですけど」


「あれは仕方ないですね。あたしだって辞退します。ただ、ウッツがアプト商会の関係者じゃなかったら、どうするつもりだったんですか?」


 特に責めるような口調ではないものの、ティアナはその質問を投げかけられて顔をしかめる。結論を出さずじまいにしていたことなので、すぐには答えられない。


「どうだったでしょうね。わからないです」


「そうですか」


 アルマはそれ以上聞いてこなかった。そして、幾分か声の調子を明るくして別の質問をしてくる。


「ともかく、奉姫祭が終わったんですから、遊んでいきますか?」


「一旦戻ります。すぐにはそんな気分になれないから」


 どんな返事をするのかある程度予想していたアルマは何度かうなずいて黙る。


 二人はそのままラムペ商会の建物まで帰って行った。

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