魂の移植
怪しげな紋様の入った純白の衣装に身を包んだヘルゲが、右にウッツ、左にラウラ、背後にユッタを引き連れて盆地へと入ってきた。
戦況は今のところ微妙で、リンニーがいる周囲は増え続ける土人形のおかげで優勢だが、ティアナのいる場所は立っているのが半人半魔ばかりで劣勢だ。
ここで三人に加勢されるとティアナは危なくなる。それはすぐにわかったのでアルマと合流しようとした。
「ティアナを足止めしろ」
「承知しやした」
「任せな!」
「わかったわ。行きましょう、皆さん」
ティアナの動きを察知したヘルゲが左右の二人へと命じると、ウッツとラウラは武器を手に走り出した。ユッタは籠絡した四人の傭兵を連れてその後をゆっくりと歩いて行く。
半人半魔達は新たにやって来たヘルゲ達には反応しない。その様子を見てティアナは仕掛けた首謀者を知る。
最初に斬りかかってきたのはラウラだった。笑顔を浮かべて剣を振り下ろしてくる。
「ついに死ぬときが来たようだなぁ、てめぇ!」
「恨まれる覚えなんてありませんけどね!」
「てめぇみたいなお嬢様ぶってるヤツぁ大っキライなんだよ!」
「あなたの好き嫌いなんて知りません。というか、あなた第四部隊にいたはずでは?」
「雇い主を鞍替えすることなんざ、傭兵じゃ当たり前だぜ!」
「自分の都合だけで裏切っておいて開き直るなんて、最低ですね!」
剣を交えながらティアナはラウラと言葉も交わす。前から自分勝手だとは知っていたが、ここまで無茶苦茶だとは改めて知って怒る。
こうなるともう遠慮などない。ティアナは火の精霊を呼ぶ。
「イグニス!」
『斬ル、燃ヤス』
長剣の赤い輝きが強くなると、ラウラの剣と交わったときにそれを一気に両断した。しかもその断面は飴のように溶けている。
何が起きたのかわからないラウラは目を見開いた。
「なんだこりゃ!?」
「はっ!」
間合いを詰めてティアナが切りつけると、ラウラは体裁など考えずに地面を転がって逃げた。その際に落ちていた剣を拾い、立ち上がると構える。
「ちっ、なまくらっぽいね。だから死ぬんだよ」
「覚悟!」
「オラァァァ!」
ラウラに集中していたティアナは、横合いから突っ込んで来たウッツに直前まで気付かなかった。前に出ようとした足を踏みとどめて顔を向けたが、それ以上は間に合わない。
『アッチイケ』
「がぁ!?」
金属製の棒を振り下ろし始めた直後のウッツが、強烈な突風を受けて吹き飛んだ。一度地面に転がったウッツはすぐに起きて腹立たしそうにつばを吐き捨てる。
「くそっ! 近づけねぇ!」
『てぃあな、危ナイ。逃ゲル』
助けてくれた風の精霊が忠告してきた。ティアナもわかっているのでアルマとリンニーに合流しようとするが、今度はユッタと四人の傭兵に取り囲まれる。
「あーもう、次から次へと!」
「簡単に逃がすわけないでしょう? あなたはここから、あたし達の役に立つのよ」
「お断りします。私に良いことが何一つなさそうなので」
「あんたの意見なんて聞いてないわよ」
「私だってあなたの話なんて聞くつもりはありません。ウェントス、もう一回さっきのを全周囲で!」
『ミンナアッチイケ』
風の精霊が言い放つと、ティアナの周囲から四方八方へと強烈な突風が巻き起こった。すると、片膝を突いて踏ん張ったウッツとラウラはその場で耐えたが、ユッタと傭兵四人は地面に転がる。
今が好機と今度こそ走り始めたティアナだったが、一瞬遅れて黒い稲妻が目の前の地面を抉ったのを見て急停止した。右横へと振り向くとヘルゲが近づいている。
「ようやく会えたな、ティアナ」
「あら、どこかの王子様の片腕さんじゃないですか。新興宗教でも立ち上げたのですか?」
「あんな小物にわざわざ仕えたのは、大望を実現させるためだ。お前が邪魔をしたせいでその努力も水泡に帰したわけだが」
「お役に立てて何よりですね」
「ふん、お前が本当に役に立つのはこれからだ」
「もう充分関わったので遠慮します」
「お前に拒否権などない」
話をしている間にアルマとリンニーが近づいてくれることを期待したティアナだったが、今ひとつ間に合わないようだった。ユッタに指揮された半人半魔が土人形を、籠絡された傭兵達がアルマとリンニーを押しとどめている。
反対に、ティアナはヘルゲの他にウッツとラウラに囲まれていた。状況はかなりまずい。
「ウェントス、周りの連中を吹き飛ばして!」
『ミンナアッチイケ』
風の精霊が言い放つと、再びティアナの全周囲に強烈な突風が巻き起こった。ウッツとラウラは前と同じく片膝を突いて踏ん張ったがその場から動けなくなる。
これで三人とも動けなくなればティアナは仲間と合流できたのだが、不思議なことに正面のヘルゲだけは突風の影響を受けていない。
平然と近寄ってきたヘルゲは懐から人の頭程の大きさの玉を取り出す。それは、どす赤くそしてどす黒く緩やかに明滅していた。
見た瞬間ティアナはかつての黒い奔流を思い出す。
「それは、地下神殿にあったものと同じ?」
「察しが良いな。その通り。我らが主そのものだ。お前を依り代に、これからこの世に再臨されるのだよ」
一歩下がりつつウェントスに再度全周囲へと突風を吹かせた。ヘルゲには通用しないが、ウッツとラウラを足止めするためだ。次いで左手で鞘に収められた短剣を手にしつつ、右手の長剣でヘルゲを狙う。
赤黒く明滅する玉を右手で差し出すとヘルゲが叫ぶ。
「我が主よ、守り給え!」
「イグニス、切り裂け!」
『切リ裂ク』
ほぼ同時にティアナも叫び、長剣がヘルゲまであと一歩というところで止まった。その瞬間、明るく赤い火花と暗く赤い火花が飛び散る。
火の精霊の力をもってしても防がれたことにティアナは驚き、目論見が成功したヘルゲが満面の笑みを浮かべて更に近づいた。
「さぁ、我らが主をその身に宿すのだ!」
「誰がそんなもの!」
目の前にまで近づいてきた赤黒く明滅する玉を睨みながらティアナは右手の長剣を振り上げるが、近すぎて振り下ろせない。
代わりに、左手で握った短剣を鞘から一気に引き抜いてヘルゲの右腕を狙い、そのまま命中した。ところが、暗く赤い火花が散るのみで袖すらも斬れない。
「なっ!?」
成功を確信したヘルゲがそのまま右腕を突き出して、ティアナに明滅する玉を押しつけようとした。
対するティアナは更に後ろへ一歩下がりつつ、左手の短剣を腕ごと振り抜く。尚も斬れる気配はなかったが、ヘルゲの右腕の軌道がティアナからずれた。
「なっ!?」
目を見開いたヘルゲに構わず、ティアナは叫びながら長剣を振り下ろした。
「イグニス、燃やし尽くせ!」
『燃ヤシ尽クス』
幽霊騎士の感覚をなぞったティアナの長剣は赤黒く明滅する玉へとぶつかった瞬間、爆炎を吹き上げた。
ヘルゲの悲鳴やウッツとラウラの叫びを耳にしながらもティアナは全力で後退する。勢いで命じたことがあまりにも派手すぎたので本人も驚いたが、今が好機なので土人形のいる場所へと駆け込んだ。
ようやく有利な地へと戻れたティアナはイグニスへと問いかける。
「あの怪しい玉にぶつかって爆発したみたいになりましたけど、燃えたのでしょうか?」
『燃ヤシタケド、本当ニ燃エタノカハ知ラナイ』
確認する間もなく離れたので当然の返答なのだが、ティアナはイグニスが超常的な感覚で何かを察知しているのではと期待したのだ。当ては外れてしまったが。
尚も燃える一帯を警戒していると、アルマとリンニーが寄ってきた。
「無事だったのね~!」
「すごい爆発がしたけど、一体何をしたのよ?」
「地下神殿で見た黒い玉に似たものを埋め込まれかけたので、イグニスに焼き払ってもらったのです。私を使って神を再臨させるつもりだったそうですよ」
「そんなことしなくてもいいのに~」
話を聞いたアルマとリンニーが顔をしかめた。
同時にリンニーが首をかしげる。
「でも、わたしが黒い玉を一つ滅ぼしたから、復活させるにしても足りないんじゃないかな~?」
「そんなこと言われても、あたし達じゃわかんないわよ。案外ティアナで補おうとしてたんじゃないの?」
ヘルゲ達に聞いても答えてくれるとは思えず謎は謎のままだったので、アルマも適当な返事しかできない。
尚も一定間隔で土人形がせり出てくる場所でティアナ達が爆発した場所を見ていたが、反対側では半人半魔に囲まれたヘルゲ達がいた。
爆心地から少し離れた場所にいたウッツとラウラは爆炎と爆風に煽られながらもどうにか無事に脱出できたのに対して、ヘルゲは上半身に火傷を負う。
土人形とティアナの仲間を押さえ込んでいたユッタが後退して籠絡した傭兵にヘルゲを救出させると、持ってきていた薬や魔法などで治療した。
一通りの治療を終えるとユッタが一歩離れる。
「はい、とりあえずは動くのに差し支えなくなったわよ」
「おのれあの小娘め! 一度ならず二度までも私の邪魔をしおって!」
「よくあの爆発に巻き込まれてこの程度で済んだわね。焼け死んでもおかしくはなかったのに」
「我が主が守ってくださったのだ。でなければ、私は死んでいただろう」
怒りで顔を歪ませたヘルゲが立ち上がり、次第に火が収まっていく場所へ目を向けた。
そんなヘルゲに対してラウラが尋ねる。
「で、さっき持ってた点滅する玉はどうしたんだい?」
「あー、たぶんあそこにあるんだろうな」
返事をしないヘルゲに変わってウッツが答えた。
はっきりとは見ていなかったとはいえ、ウッツはティアナが長剣で赤黒く明滅する玉を斬ろうとしていたことは知っている。まさか爆発するとは予想外だったが、こうなるとあの玉は粉々に砕け散ってしまったのだろうと思った。
ヘルゲ以外の三人がこれからどうするのかと思ったとき、鎮火しつつある場所で何かが蠢いていることに気付く。それは、その場で急速に大きくなっていった。
皆が呆然とそれを見守る中、ヘルゲが喜びの声を上げる。
「おお、我らが主! 生きていらっしゃっとは!」
喜ぶヘルゲとは反対に、ユッタ、ウッツ、ラウラは眉をひそめた。何かの形になろうとしていることはわかったが気味が悪かったのだ。
そして、気味が悪いと思っていたのはティアナ達も同じだった。
思わずアルマがつぶやく。
「あんな形で復活できるの? 真っ黒い何か? サイ?」
「それにしては角が大きいですし、皮膚にしては黒光りしすぎでしょう」
「リンニー、テネブーって神様、あれが本来の姿なの?」
「見た目は人間と同じだったよ~。何か別のものを掛け合わせたんじゃないかな~」
アルマの問いかけにリンニーは答えたが、表情はとても不安そうだ。
その黒い何かは尚も膨れ上がり続け、人間の二倍、三倍と大きくなっていく。途中で色が薄くなり実態がないことがわかったものの、それでも最終的に十倍になったそれは近くで見ると圧迫感があった。
嫌な感じがしていたティアナは、リンニーの話を聞いてこれはまずいと確信する。
ともかくここから逃げなければと思ったティアナがアルマとリンニーに声をかけようとしたとき、大きく膨れ上がった黒い半透明なそれは大きな叫び声を上げた。
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