エルネスティーネの危機

 エルネスティーネ・シャルフェンベルクは、日が暮れる頃にローザを伴ってレーラー侯爵の館へと向かった。鳥をあしらった家紋が刻まれた王侯貴族用の馬車を先頭に、平民が乗る古びた馬車が続く。


 前方の馬車にはエルネスティーネとローザが乗っている。エルネスティーネの顔に表情はなく、じっと目をつむったままだ。


 一方、古びた馬車にはウッツが乗っている。仲間の男達は全員が車内に入れないので、御者台や屋根の荷物置き場などに分乗していた。


 レーラー侯爵の館の玄関口に到着すると二台の馬車は停まる。すると、すぐにウッツが馬車から飛び出して館の玄関の守衛と手短に会話をした。話が終わると守衛は扉を開け、ウッツが中へと入っていく。


 その様子を見ていたローザがぽつりと漏らす。


「エルネスティーネ様を誘っていた割に、無様な対応ですね」


「元から期待していないのですから、大目に見ましょう」


 馬車から降りたエルネスティーネは、日が暮れてかがり火が揺らめく玄関口で待つ。そこへ執事のハルトヴィンを伴ったウッツがやって来た。


「へへ、オレはここまでです。あとはこちらの執事様にすべて申しつけてくだせぇ」


 下品な笑みを浮かべたウッツが一礼すると、そそくさと古びた馬車に向かって乗り込む。そしてすぐに馬車が動いた。


 それは完全に無視して、エルネスティーネは執事へと声をかける。


「主人の下へ案内しなさい」


「ローザ殿は控え室へとご案内いたします。王女様と二人だけで大切なお話をされたいと、我が主人からのご要望です」


 ハルトヴィンの言葉にローザの目が大きく開く。何か言おうとしたローザだったが、エルネスティーネに視線で制せられたために言葉を飲み込む。その代わり、ハルトヴィンを強く睨んだ。


 丁寧に一礼したハルトヴィンは、何も言わずに仕草だけでエルネスティーネを促す。


 しばらくハルトヴィンの案内で廊下を歩いていたエルネスティーネだったが、思った以上に奥へと向かうことに内心首をかしげた。通常は玄関に近い応接室で客人を迎えるからだ。


 やがてハルトヴィンはとある扉の前で立ち止まる。ノックをして入室の許可を取ると、扉を開けてエルネスティーネに一礼した。


 中に入ったエルネスティーネはすぐに違和感に気付く。


「これは」


 応接室か執務室のどちらかだと思っていたエルネスティーネは、部屋の一角に大きなベッドが設えてあるのを見て驚いた。ここが私室であることがわかったからだ。


 眉をひそめているエルネスティーネに向かって、立ち上がったレーラー侯爵が笑顔で声をかけてきた。


「ようこそ、王女様! わざわざご足労いただき、恐悦至極に存じます」


「挨拶は不要です。わたくしがここに来たのは、侍女のティアナを返していただくためです」


「はて、どういうことですかな? そのような侍女はこの館にはおりませんが」


 一瞬眉をひそめたレーラー侯爵だったが、気にせず扉近くで無表情のまま立っているエルネスティーネへと近づく。


 それを聞いたエルネスティーネは声を尖らせた。


「とぼけないで。あのウッツという下賤な輩があなたの企みを白状しましたわよ!」


「ウッツ? 知りませんな? そんな輩が何を言おうとも、私には関係のないことですよ」


「ティアナ姉様をどこにやったのです。早く連れてきなさい!」


「本当にそのような侍女はこの館におりません。信じられないのでしたら、この館を隅々までお調べになるといい。アプトやその配下が何かを企んでいたとしても、私は何も知りませんよ」


 レーラー侯爵はエルネスティーネをこの館に連れてくるようアプトに命じただけだ。ティアナについて何も知らないというのはある意味正しい。しかし、首謀者である以上、詭弁に等しい主張でもあった。


 次第に近づいてくるレーラー侯爵から遠ざかるように一歩身を引き、エルネスティーネが問い質す。


「本当にここにはティアナ姉様はいないのですか?」


「ええ、いませんとも。何に誓ってもよろしいですよ!」


 上機嫌なレーラー侯爵が両手を広げて大仰に答えてみせる。


 それを見たエルネスティーネは吐き捨てるように言葉を投げかけた。


「ならば、ここに用はありません。帰ります」


 踵を返したエルネスティーネは扉の取っ手に手をかけた。しかし、まったく動かない。眉をひそめたまま扉を開けようとしても、やはりまったく動かなかった。


 そんな扉を開けようとするエルネスティーネの背後までやって来たレーラー侯爵が、囁くように語る。


「その扉は私の許可がない限り開きませんよ。これから二人で愛を語り合うのですから、邪魔が入るといけないでしょう?」


 レーラー侯爵の言葉を聞いたエルネスティーネは全身に鳥肌が立った。振り返ってその嫌らしい笑みを浮かべた顔を睨む。


 エルネスティーネの肩にレーラー侯爵の手が触れた。瞬間的に払いのけたエルネスティーネは、そのまま部屋の中央まで距離を開ける。


「あなた、何を世迷い言を!」


「そんなことはありませんよ。悪徳商人に誘拐された王女様を私が助けたところ、その感謝の念が私への恋へと変わり、そして二人は熱烈に愛し合うのです!」


 再び近づいてくるレーラー侯爵にエルネスティーネは侮蔑の視線を突きつける。事ここに至って、エルネスティーネのその筋書きが見えてきた。


「あのウッツという下賤な男とアプトという商人を利用したのですか」


「平民が貴族に仕えるのは当然でしょう。私のように高貴な者の役に立つのなら、それは名誉というものです。私は王女様と結婚すれば、今回の危機など帳消しにして余りある地位と権威を手に入れられる! 王家も私という有力貴族の後ろ盾を得られる!」


 一歩ずつ近づいてくるレーラー侯爵の表情に狂気が宿っていることにエルネスティーネは気付いた。しかし、そんな程度でエルネスティーネは怯まない。


「既に性根は腐り果て、分別もつかなくなったか。痴れ者め! 風よ!」


 憤激したエルネスティーネは、あと数歩というところまで近づいたレーラー侯爵に右手を突き出す。本来なら手のひらから竜巻のような突風が吹き出し、レーラー侯爵を突き飛ばすはずだった。しかし、手のひらに風が巻き起こるものの、それだけに終わる。


 そんなエルネスティーネの姿を見てレーラー侯爵が口元をゆがめる。


「おや、どうされました?」


「そんな、魔法が発動しない!? いえ、発動してるけど、封じられてる?」


「ここは私の私室です。当然、不測の事態のための備えはいくつもありますよ。貴族ならば当然でしょう?」


 魔法を無効化する対魔法術式のことをエルネスティーネは思い出した。しかし、その術式を無効化する首飾りを身につけているので、エルネスティーネは自分には関係ないと思っていたのだ。


 真っ青な顔のエルネスティーネに向かって、レーラー侯爵は楽しそうに語り続ける。


「私くらいの者になりますとね、王家の方々が手に入れる品々も大体は手に入るのですよ。例えば、王女様が身につけていらっしゃる魔法無効化術式を無効にする首飾りの効力を封じる術式などをね」


「どうやってそのことを知ったのです?」


「いけませんなぁ。周囲の動向を探っているのは、王家だけではありませんよ?」


 尚も近づいてくるレーラー侯爵から離れようとするエルネスティーネだったが、ついに左手を捕まえられてしまう。


「嫌です、離しなさい!」


「これから夫となる者をそう邪険にするものではないですよ、王女様。いや、エルネスティーネ」


「うるさい! 誰があなたなどの妻になるものですか!」


 単純に身体能力だけならば、男のレーラー侯爵の方が強い。もみ合いながらもエルネスティーネはベッドの方へと連れて行かれる。


「さぁ、これから愛を語り合おうではありませんか!」


「何が愛ですか! こんな無理矢理なやり方にそんなものありません! あう!」


 ベッドへと放り出されたエルネスティーネがレーラー侯爵を睨む。しかし、レーラー侯爵の表情は愉悦にゆがむばかりだ。


 尻餅をつきながらベッドの奥へと後ずさるエルネスティーネを追いかけて、レーラー侯爵もベッドに乗る。そして、エルネスティーネの足首を捕まえた。レーラー侯爵は捕まえた足首から徐々に上ってエルネスティーネに覆い被さろうとする。それに抵抗するエルネスティーネだが、いかんせん力の差で抗いきれない。


「イヤ、来ないで! ティアナ姉様ぁ!」


「ははは、しょせん女など、やってしまえばどうにでもなる!」


 エルネスティーネの叫び声にレーラー侯爵の笑い声が重なった。

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