悪徳侯爵との対決

 ここが執務室だろうという扉の前に立ったティアナ達の耳に、小さいながらもエルネスティーネの悲鳴が届いた。しかもそれは真正面の部屋からではない。


 ティアナはローザと顔を合わせると、悲鳴の聞こえた部屋へと向かった。一番奥の扉の前に立つと、ティアナは取っ手を握って開けようとしたが微動だにしない。


「なんで、どうして開かないの!?」


「鍵がかかっているのでは?」


『この取っ手のところに、なんか変なのが巻き付いてるよ?』


 ローザとウィンクルムが同時に助言してくれた。見た目にはただの取っ手にしか見えないとなると、物理的な仕掛けではないということになる。


 エルネスティーネの悲鳴が尚も聞こえる中、ティアナはウィンクルムに伝える。


「その変なのは取れる?」


『う~ん、やってみるね』


「あなた、誰と話しているのですか?」


 ウィンクルムの存在を説明されていないローザにとって、ティアナの発言は独り言にしか聞こえない。しかし、説明する時間が惜しいティアナはあえて無視する。


『取れたよ!』


「すごい! 優秀! できる鳥!」


『えへへ! え、鳥?』


 扉にかかっていた魔法を解除したウィンクルムを適当に褒めつつ、ティアナは扉を開けた。すると、悲鳴と笑い声が一層はっきりと聞こえる。中に入ってベッドに視線を向けると、エルネスティーネがレーラー侯爵に組み敷かれているのが見えた。


「エルネスティーネ様!」


 ローザが悲鳴を上げて固まる。


 その声でレーラー侯爵はようやくティアナ達に気付いて振り向いた。


 ティアナはそのまま走り、レーラー侯爵の顔へと跳び蹴りを放つ。


「がっ!?」


 もんどり打ってベッドの反対側に吹き飛ぶレーラー侯爵を無視して、ティアナはエルネスティーネに目を向けた。


「エルネ!」


「あ、ティアナ、姉様?」


 半ば衣服を剥ぎ取られたその姿は痛々しく見える。顔は、目に涙を浮かべ、呆然と眺めていた。


 できれば感動の再会といきたいところだが、残念ながらレーラー侯爵は吹き飛ばされただけだ。ティアナは強引にエルネスティーネをベッドから連れ出してローザに預けた。


「よし、逃げるわよ!」


「キサマァ!」


 逆上したレーラー侯爵がベッドの上で立ち上がる。ティアナ達に走り寄ろうとするが、広いベッドの上はクッションが効きすぎて速く走れない。


 その間にローザがエルネスティーネを引っ張って室外へ出ようとする。ティアナはそれについていく前にウィンクルムへと話しかける。


「ウィン、あいつを吹き飛ばして」


『いいよ! あっちいけ! あれ?』


 先程までならウィンクルムのかけ声と共に相手は吹き飛んでいたのに、今回は何も起きない。実際には弱い風は巻き起こるものの、それだけで終わった。


「え、なんで!?」


『わかんない!』


「この下郎がぁ!」


 魔法が不発に終わったティアナは動揺しつつも、ベッドから飛び降りて近づいてくるレーラー侯爵を避ける。


 原因は不明だが、魔法が使えないのなら逃げの一手しかない。ティアナは全力で部屋の出入り口まで向かう。しかし、そこでエルネスティーネとローザの悲鳴が聞こえた。


 開けっぱなしになっていた扉の向こう、廊下に出たところでローザが倒れ、エルネスティーネがハルトヴィンに取り押さえられていた。


 走る速度はそのままにティアナはハルトヴィンにぶつかろうとする。自分を弾き飛ばそうとする裏拳まがいの一撃を避けるために腰を沈め、そのまま全身でぶつかった。しかし、ハルトヴィンは多少揺れただけで倒れない。


 そのハルトヴィンは自分の腰にしがみついたティアナを睨むとその髪の毛を掴んだ。同時に、ティアナもハルトヴィンの胸ぐら部分の服を右手で掴む。


「ウィン、火をつけろ!」


『うん!』


 男言葉になるのも気にせずにティアナは叫ぶ。それに呼応したウィンクルムは、ティアナの右手付近に炎をまとわりつかせた。


「うおぅ!?」


 突然現れた炎に慌てたハルトヴィンが、ティアナとエルネスティーネを手放して廊下を転がり回る。


 その隙に立ち上がったティアナはエルネスティーネへと目を向けた。


「エルネ!」


「危ない!」


 ティアナとエルネスティーネは同時に叫んだ。


 その言葉をティアナが理解するよりも早く、横からレーラー侯爵が突っ込んでくる。何が起きたのかわからないまま、ティアナは壁に左肩から激突した。


「かはっ!?」


「貴様が、貴様が、貴様がぁ! 貴様のような下郎がよくも邪魔をしてくれたな! 万死に値する!」


 髪の毛ごと頭を掴まれたティアナは、レーラー侯爵に左側頭部を壁に打ち付けられる。さすがに二度目からはとっさに左腕で頭を庇ったが、レーラー侯爵は勢いを止めない。


 口元から血を流しているローザが頭を振って起き上がりつつある中、エルネスティーネは悲鳴を上げてレーラー侯爵を止めようとする。


「やめて! ティアナ姉様が死んじゃう!」


「うるさい!」


「あう!」


「エルネスティーネ様!」


 腕にしがみついたエルネスティーネだったが、殴りつけるようにして振りほどかれてしまい、床に倒れ込む。ローザがふらつく体を鞭打ってエルネスティーネに駆け寄った。


 しかし、エルネスティーネの行為は無為ではなかった。レーラー侯爵の攻撃が止んだその隙に、その左肩を右手で掴んだティアナはウィンクルムに命じる。


「ウィン、こいつを燃やせ!」


『わかった!』


 ウィンクルムはティアナの言葉を忠実に実行し、レーラー侯爵の左肩付近を中心に大きな炎を出した。


「ああぁぁぁ!」


 突然現れた炎が自分を包み込んだことに驚いたレーラー侯爵が、ティアナから離れて廊下を転げ回った。


 余波で自分にも炎がちらりとついたティアナは慌てて消す。一方、それを呆然と見つめるエルネスティーネとローザの二人は、悲鳴を上げてレーラー侯爵に近づくハルトヴィンを目にして我に返った。


「二人とも、こっち!」


 ティアナの目的はエルネスティーネの救出だ。レーラー侯爵の殺害ではない。ハルトヴィンが手を離せない間に、ティアナは二人を連れて館を脱出することを優先した。


 三人は今まで歩いた経路をたどって館の玄関から出ようとした。しかし、復活した吹き飛ばした警護兵が次々とティアナ達の行く手を阻んでくる。


『みんな、あっちいけ!』


 帰路になるとやることがわかってきたウィンクルムが、ティアナに指示される前に魔法を使う。しかし、全員は吹き飛ばせなかった。二度目となるとさすがに半分程度はその場に踏ん張って残ったのである。


『ティアナ、どうする?』


 ウィンクルムの問いかけにティアナは即答できない。炎を使えば全員追い払えるのだろうが、ティアナは恨みもない相手を焼くのはさすがに気が引けた。


 そんな一瞬迷ったティアナに変わってエルネスティーネが魔法を唱えた。


「風よ、切り刻め!」


 エルネスティーネの突き出した右手から突風が吹き出す。警護兵はそれを再び耐えようとするが、ウィンクルムのものとは違い、その場にいた警護兵すべてが鮮血に染まった。


 驚いたティアナがエルネスティーネを見た。


「エルネ、殺したの!?」


「死んではいません。傷つけただけです。さぁ、参りましょう」


 赤く染まった警護兵がうずくまるのを尻目に、エルネスティーネが平然とティアナを誘う。時間がないの確かなので、ティアナは考えるのを後回しにして再び走り出した。


 次に会ったのはタクミだった。周囲にはタクミに打ちのめされて倒れている警護兵が多数いる。それを見たティアナは驚いた。


「タクミ、これ、みんなあなたが倒したの?」


「うん! あ、でも殺してないよ! さすがにそこまでは」


 慌てて説明するタクミを見てティアナは安心した。さすがに騒動に巻き込んでしまって人殺しまでさせてしまうのは気が引けるからだ。


 そんな内心はとりあえず脇に追いやって、ティアナはこれからのことを問い質す。


「タクミはこれからどうするの? 良かったら私達と一緒に来る?」


「うん。ハルトヴィンさんに裏切り者扱いされてるから、もうここにいられないんだ」


 話を聞いているエルネスティーネとローザの顔は曇る。今回の騒動のきっかけと見ているからだ。


 さすがにローザが言葉を挟んでくる。


「ティアナ、その者は一度私達の前に立ちはだかったではないですか。連れて行くのですか?」


「たまたま私達の前に現れたというだけです。敵対はいなかったでしょう? あと、護衛が一人ほしかったところです。タクミは接近戦は強いですから、今のような状況だと心強いですよ」


「ティアナ姉様がそうおっしゃるのなら」


 悩んでいる時間がないことはエルネスティーネもローザも承知しているので、ティアナの言い分を受け入れた。さすがに納得はできていないのか、顔に不満は表れているが。


「それじゃ、早く馬車を見つけてここから逃げましょう!」


 ティアナは意図的に明るい声を出して他の三人の気持ちを前向きなものにしようとする。とりあえずはエルネスティーネとローザから反論が出ないのを見ると、再び駆け出した。


 館の玄関にたどり着くと、そこには何人もの警護兵が集まっていた。その姿を見かけるなりウィンクルムが風で吹き飛ばそうとする。同時にエルネスティーネも指向性の風を巻き起こす。これで発生した突風はかなり強力なものとなり、大半の警護兵を吹き飛ばした。


 先頭を走っていたティアナが館の外に出ると馬車を探す。それは、館から少し離れた敷地内に停車していた。


「みんな、あそこ!」


 ティアナの声に反応したエルネスティーネとローザは、その指差す方へと向かう。あと一人タクミはと振り向くと、三人の警護兵と戦っていた。


「タクミ!」


「大丈夫! 先行って!」


 即答したタクミは早速一人の警護兵を昏倒させる。身体能力の高さで警護兵を圧倒していた。


 これなら大丈夫と判断したティアナは馬車へと走る。見ればローザが御者を急かせているところだ。近づくとエルネスティーネが声をかけてくる。


「ティアナ姉様! タクミは?」


「追ってきた警護兵を押さえてます! すぐに片付けてこちらへ来ます!」


「ティアナ、あなたも早く馬車の中へ!」


「いえ、御者台に行きます。追っ手が来たときに、すぐ迎え撃てるようにしておかないと」


 こちらへと顔を向けてきたローザが急かしたが、ティアナは首を横に振る。レーラー侯爵の敷地を出たからといって安全である保証はないことを心配していた。


 御者が出発の準備が整ったことを告げてきた。同時にタクミが館の玄関口からこちらへと向かってくる。人ならざる圧倒的な速さだ。すぐ馬車へとたどり着いた。全員がタクミの足の速さに驚く。


「倒してきた!」


「嘘みたいに早いわね! 馬車の中に乗って!」


 ティアナが指示すると、タクミは素直に乗る。


 そのとき、館の玄関口に二人の姿が見えた。ハルトヴィンに肩を担がれたレーラー侯爵だ。服は半分焼けてなくなり、体は全身赤く焼け爛れている。顔だけましなのは何らかの魔法的な手段で応急処置を施したと思われた。手には一本の短い杖を持っている。


「きさまらぁぁ! 全員皆殺しだぁぁぁ!」


 もはや理性の欠片もない形相で叫ぶレーラー侯爵は、短い杖をこちらに突き出した。


「肉片を残さず焼き尽くしてやる! 我が敵を塵に還す業火よ、姿を現せ!」


 レーラー侯爵が喉も張り裂けんばかりに叫ぶと、杖の先にはめ込まれた赤い宝石から炎の塊が生み出されていく。それはより大きく、より赤くなり、ついには馬車ほどもある深紅の火の玉ができあがった。


 それを見ていたティアナが驚いてウィンクルムへと話しかける。


「あれ防げますか!?」


『や、やってみる! 水よ集まって!』


「やってみます、ティアナ姉様!」


 馬車の横に立っていたティアナへと寄ってきたエルネスティーネも即答した。そういえば、ウィンクルムを解放して連れてきていることをまだ誰にも話していないことをティアナは思い出す。


 背後の馬車を守るように並んだティアナとエルネスティーネの目の前に、それぞれ球体の水が現れる。ウィンクルムの作った水球はレーラー侯爵の火球の四分の三程度、エルネスティーネの水球はウィンクルムのものより一回り大きい程度だ。


 ティアナの目の前に現れた水球にエルネスティーネが驚いているが、今はそれどころではない。


 レーラー侯爵が杖を振ると、巨大な火球がティアナ達に迫る。


「すべて消し飛べぇぇ!」


 同時に、ウィンクルムとエルネスティーネの水球も火球へ向かって動いた。


 両者の中央で火球一つと水球二つがぶつかると、大きな爆発が発生する。周囲一帯に熱湯がまき散らされた。触れるとやけどを負ってしまう程のものだが、ウィンクルムがとっさに風で作った壁を作って防いだ。


 目を細めながらその光景を見ていたエルネスティーネがつぶやく。


「防げましたか?」


 ティアナも期待して目の前を凝視していたが現実は厳しかった。人工的に発生した霧の向こう側から、かなり小さくなった火球が迫ってくる。


「ウィン、あれ防いで!」


『え、えぇ!? どっかいけ!』


 いきなり言われたウィンクルムは驚きつつも火球を風の力で別の方向へと逸らす。馬車ほどの大きさでは無理でも、その十分の一程度の大きさならば動かせた。


 軌道を逸らされた火球はそのままの進路で敷地を囲む壁にぶつかり、爆発する。その際の火の小片が近くの木に燃え移るが、ティアナ達は無事だった。


 ようやく危機を脱したことにティアナ達は胸をなで下ろす。しかし、それを見て怨嗟の声を上げる者がいた。


「おのれ、おのれ、おのれ! なぜだ、どうして私の思い通りにいかんのだ!」


 癇癪を起こした子供のようにレーラー侯爵は地団駄を踏んだ。


 それを冷酷な視線で見つめていたエルネスティーネが、底冷えのする声でつぶやいた。


「ティアナ姉様を傷つけた報いは、必ず受けてもらいますわ。風よ、かの者を切り刻め」


 振り上げられた右手から風が巻き起こると、レーラー侯爵へと放たれる。完全に無防備だったレーラー侯爵は無数の風の刃を全身に受け、血をまき散らしながら倒れた。


 それを見ていたティアナが呆然とエルネスティーネへ顔を向ける。


「エ、エルネ?」


「さぁ、帰りましょう、ティアナ姉様」


 笑顔を浮かべたエルネスティーネの差し出してきた手を拒めずにティアナは握る。


「あの様子だと、レーラー侯爵生きていないんじゃないですか?」


「当然の報いですわ。それに、わたくしがとどめを刺さなくても、あの火傷では助からないと思います」


 そう言われるとティアナは何も言えない。レーラー侯爵の死因は自分になるからだ。


 ティアナ達は馬車に乗り込むと、次第に騒ぎが大きくなるレーラー侯爵の館を後にした。

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