レーラー侯爵邸へ突入

 精霊の間から抜け出したティアナは、壁をすり抜けるためにウィンクルムに憑依してもらった。そして、そのまま精霊殿から出る。崖から落ちて以来の地上だ。既に日没寸前で精霊殿の敷地内のあちこちにはかがり火が燃えていた。


 衛兵に驚かれながらも何とかごまかして屋敷へと戻ってきたティアナだったが、ここで衝撃の事実を知る。エルネスティーネとローザがレーラー侯爵の館へと向かったのだ。当時執務室でウッツとの会話を聞いていたメイドに経緯を聞いたティアナは愕然とする。


「このままだとエルネが危ない!」


 自分のせいでエルネスティーネ達が危機に陥ったことにティアナは焦った。手紙に釣られて外出しなければと後悔する。


 しかし、ここで自分を責め続けても仕方ないとティアナは無理矢理思考を切り替えた。今考えるべきことはどうやってエルネスティーネを助けるかということだ。


「でも、どうやって王都まで」


 今すぐ追いかけたいティアナだったが、追いつく移動手段がないことに気付く。徒歩は論外だが、馬車は遅すぎ、馬は乗れない。魔法も使えないティアナとしてはいきなりお手上げ状態だった。


 屋敷の外に出るも、辺りは暗く、空は藍色から夜色へと染まっていくのが見えるのみ。何も思いつかずに焦燥感だけが募っていくティアナは頭を抱えた。


「あーもーどうすればいいの!?」


『飛んでいけばいいんじゃないかなー』


 やけにのんびりとした声がティアナの頭の中に響いた。ウィンクルムが憑依していたのを思い出す。


 ため息をついてティアナは言葉を返した。


「あなたは飛べるでしょうけど、私は飛べないんです」


『うん? ボクと一緒だったら飛べるんじゃないかなぁ』


「できるの? それなら試してみてよ」


『わかった、やってみるね!』


 随分と軽い調子で返答されたティアナは本当にできるのか半信半疑だ。球体の精霊のように、ふわふわと自分が浮かぶところしか想像していないのではないかと考える。


 ウィンクルムが返答して少しすると、ティアナの体の周りに風がまとわりつく。最初は微風だったのが徐々に強くなり、ティアナの体が浮いた。


「うぉ、浮いた!?」


『できたぁ!』


 思わず言葉遣いが男になったティアナだったが、ウィンクルム以外誰も聞いていない。


 体をひねるなどあちこちを見たティアナは本当に浮いているのを確認した。ただ、いくら体を動かしても浮いたところからは微動だにしない。


「浮いたはいいけど、これ、どうやって動かすんです?」


『ボクが動かすよ』


「まるで持ち上げてもらってるみたいですね」


『あはは、そうだね! 風の力で浮いてるんだよ』


「できるだけ早く王都に私を運べる?」


『王都ってどこにあるの?』


 問いかけに対して無邪気な質問を返してきたウィンクルムにティアナは一瞬頭を抱えた。しかし、すぐに気を取り直して答える。


「私が指示する方向に飛んでくれたらいいわ」


『わかった! それじゃもう行く?』


「ええお願い。あっちの方向へ飛んで」


 ティアナが指差すと、その方向に向かって体が次第に上昇していく。同時に速度も速くなっていった。


 西の稜線のみ明るい夜空を王都目指してティアナの体が上る。これが昼間ならば絶景の景色なのだろうが、日没直前では地上の様子はほとんど何もわからない。道を追って進んでいくつもりだったティアナは、目印がすべて暗闇に覆われて見えないことに気付いた。


 更に、晩秋も深まった夜空は寒い。特にあちこち破れた旅装のままなので、速度と相まってティアナは凍えた。


「さ、さぶい! くしゅん!」


『あれ、速すぎた? もっとゆっくり行く?』


「いい、このままで! あ、あれは! ウィン、あの光に向かって飛んで!」


 一体どのくらいの高さをどの程度飛んでいるのかさっぱりわからないティアナだったが、わずかに見えた人工的な光に声を上げた。


 指示を受けたウィンクルムは、速度をそのままにティアナの言う通り光に向かう。最初は緩やかに上昇していたのが平行になり、次第に降下していく。暗闇の中で正常に位置を把握できない恐怖を、ティアナは寒さと共に我慢した。


 次第に光がはっきりと見てるようになると、ティアナはウィンクルムに速度を調整させる。せっかく早く着いても建物に激突して大怪我はしたくないからだ。幸い向かう先の明かりは王都のものらしいが、ここに来て再度ティアナは困る。


『ねぇ、ティアナ。あのたくさんある光のどこに行けばいいの?』


「レーラー侯爵の館なんだけど」


 その館がどこにあるのかティアナは知らなかった。屋敷で誰かに聞いておけば良かったと後悔する。だがそのとき、ティアナに代案が浮かんだ。


「ウィン、ラムペ商会に行きます!」


『だからそれどこなの?』


 どこへ向かったらいいのかわからないウィンクルムに細かい指示を与えて、ティアナはどうにかラムペ商会の建物に到着した。


 そこで、偶然店じまいの手伝いをしていたアルマに出会う。


「アルマ、レーラー侯爵の館ってどこにあるか知ってる?」


「あんた今どこから来たのよ!?」


 文字通り飛んできたティアナに驚いたアルマが思わず気安く問い返す。しかし、それに答えている時間はティアナになかった。


「その話は後で! レーラー侯爵の館の場所を教えて!」


「ええ? えっと、ここをまっすぐ行って」


 状況が掴めないながらも焦るティアナを見たアルマが道を教えてくれる。それを覚えたティアナが礼を言うと、すぐにウィンクルムへと指示を出した。


「ウィン、あっちに飛んで!」


『わかった!』


 アルマの言葉を待たずにティアナの体が王都の空に舞う。寒いのを我慢して、暗い中目を凝らして、ティアナはレーラー侯爵の館を見つけた。


 敷地を区切る塀と門を無視して、館の玄関前にティアナは降り立った。突然の乱入者に守衛が驚く。


「ウィン、私が指示する人以外は近づけさせないで」


『うん! あっちいけ!』


 ティアナの指示通り、ウィンクルムは近づいてきた守衛二人を突風で吹き飛ばす。その間にティアナは扉を開けて中へと入った。


 館の玄関口には誰もいない。しかし、騒ぎを聞きつければすぐに人が駆けつけてくるだろう。ティアナは走り出すと同時に、同行したローザの居場所を推測する。もし、主人同士の面会に同席していなければ、どこで待っているだろうか。


 エルネスティーネの屋敷の構造を思い出しながら、ティアナは玄関口に近い場所に控え室があるはずと考える。そして、当たりを付けて扉を開いた。


 室内には一人の女性が座っていた。ティアナが中に入ると同時にこちらへと顔を向けて驚愕の表情を浮かべる。


「ティアナ!? あなた今までどこにいたのですか!」


「ウッツに襲われて森の中をさまよって、崖の下に落ちて気絶してました。屋敷に戻るとエルネスティーネ様と一緒にこちらへ向かったと聞いて、急いで来たんです」


「この館にいたのではないのですか? それに、そのひどい姿は」


「今来たばかりです。姿のことは後回しで。それで、エルネスティーネ様はどこに?」


 混乱しているローザに大雑把な説明を投げつけたティアナは、エルネスティーネがどこにいるかを問い質す。


 姿だけでなく、ただならぬ様子のティアナに若干気圧されつつもローザは答える。


「レーラー侯爵と面会なさっているはずですが」


「その場所へ今すぐ案内してください」


「何を。主人同士の面会に割って入るなど」


「この館に私がいると偽って誘き出した以上、エルネスティーネ様が危険な状態に陥っている可能性があります。何もなかったときは、すべて私のせいにしてくれて構いません。案内してください」


「案内と言われても、私もこの館のことは」


「屋敷に長く勤めているんですから、大体の予想はつくでしょう? 急いで!」


 ティアナに急かされて立ち上がったローザは、気の進まない様子ながら控え室を出た。エルネスティーネの身に不安を感じているのは同じだからだ。


 控え室を出たところで、前後の廊下の向こうから警護兵がやって来る。


「ウィン」


『ふふん、任せてよ! あっちいけ!』


 得意気なウィンクルムが、ティアナの呼び声と共に近づいてきた警護兵を突風で吹き飛ばす。廊下という限定された空間で突風が荒れ狂い、ティアナ達も髪の毛をかき乱されたが構っていられない。悲鳴と共に壁に叩き付けられた警護兵が呻く。


 ローザの案内で廊下を進むと、ティアナがとある扉を開く。ローザの予想ではここが応接室のはずとのことだった。


「調度からしてここが応接室のはずですが、そんな、誰もないなんて」


「他にエルネスティーネ様がいらっしゃりそうなところは、わかります?」


「自分の屋敷ならばともかく、人の館など。ああ、可能性としては執務室かもしれません」


「ならそこへ行きましょう。そこもダメなら手当たり次第探します」


 徐々に嫌な予感が膨らんできたティアナの顔に不安の色が浮かぶ。


 急いで応接室から出た二人は廊下を更に奥へと進もうとしたが、そこに木製の棒を持った一人の少年が立ちはだかった。タクミだ。


「あれ、ティアナ!? 何してるの?」


「ちょっと人捜し!」


「暴れている女の侵入者ってティアナのこと?」


 真正面から問いかけられてティアナは言葉に詰まった。何も知らなければ不法侵入をしているティアナが全面的に悪いと思うだろう。


 動きを止めてしまったティアナはタクミと対峙する形となってしまう。無視して脇を通り抜けようかともティアナは考えたが、タクミの身体能力の高さを思い出したのでやめた。


 タクミは尚も問いかけてくる。


「ティアナって何をしようとしてるの?」


「私達の主人であるエルネスティーネ様を探してるの。レーラー侯爵に騙されておびき寄せられたから」


「え、なにそれ?」


 目を剥いて驚いたタクミにティアナは経緯を簡単に説明する。タクミの署名入り偽手紙でティアナが誘き出されてウッツに襲われたこと。ティアナがいない間に、レーラー侯爵の館にティアナがいると偽ってエルネスティーネが誘き出されたことをである。


 その話を聞いてタクミは震えた。


「そんな。僕は、侯爵様が王女様へ会うのに都合が良い日をティアナに問い合わせるんだって聞いてた」


「やっぱりあなたも騙されてたのね。でもこれでわかったでしょう? 協力しては言わないけど、ここは通してくれませんか?」


 動揺し、落ち込みかけたタクミはうなずきかける。しかし、直前になって警護兵を引き連れたハルトヴィンがティアナ達の前に現れた。


「タクミ、何をしている。侵入者を捕らえるのだ」


「あ、ハルトヴィンさん」


「話をすべて聞いたわけではないが、路頭に迷っていたお前を救ってくださった恩を思い出せ。お館様がお前に手をさしのべなければ、どうなっていたと思う」


 優しくタクミへと語りかけるハルトヴィンにティアナは内心で舌打ちした。ここでハルトヴィンと警護兵をウィンクルムの力で吹き飛ばすのは簡単だが、タクミがどう動くかわからない。どうして説得したものかと顔をしかめる。


 そのとき、ティアナはポケットに何か小さく硬い物が入っていることに気付いた。手を入れて触ってみると指輪だとわかる。そして、よくなくさずに残っていたものだと感心しつつも、これが何であるかすぐに思い出した。


 ためらっている時間はなかった。ティアナはすぐにそれを取り出して指に嵌める。そして、タクミに向き直った。


「ねぇ、タクミ。恩を感じることは良いことですが、恩は悪を成す免罪符にはなりません」


「う、うん、そうだね」


「あなたはレーラー侯爵の行いに胸を痛めていましたよね? それを思い出してください。受けた恩で縛り付けられて、あなたが悪事に手を染めところなど見たくありません」


 口を閉じたティアナがタクミをじっと見つめる。


 誘惑の指輪の効果がどれほどのものかティアナは知っているが、即効性があるのか、一度にどの程度効果があるのかまではまだ知らない。ぶっつけ本番の怖さはあるものの、目の前の問題をすぐ解決するためにティアナはこの指輪に賭けた。


 同じようにティアナを見ていたタクミの目が見開いた。そして、笑顔になる。


「そっか、そうだよね! よし、もうこんなことは止めるぞ!」


 今までの悩みを吹っ切るように宣言したタクミは、晴れ晴れとした表情でティアナに同意した。どこまでが指輪の効果かわからないが、タクミは説得に応じてくれたことは確かである。


「ティアナ、ここは僕に任せて! この奥に侯爵様の執務室と私室があるよ!」


「ありがとう!」


 話が物別れになったことを理解したハルトヴィンが、タクミ共々ティアナを捕らえるよう警護兵に指示する。その警護兵をタクミは木製の棒を振り回して倒していった。


 ティアナはその乱戦の脇を通り抜ける。行く手を阻む警護兵はウィンが吹き飛ばした。


 そうしてローザと共に奥へと進んだとき、エルネスティーネの悲鳴がティアナ達に届いた。

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