第2章エピローグ

 エルネスティーネを救出してから一週間が過ぎた。既に十二月が目前だ。雪こそまだ降っていないものの、どこも冬支度を済ませていた。


 ティアナはエルネスティーネの屋敷で与えられていた個室の掃除が終わったところである。昨日付でエルネスティーネの侍女を辞したので、本日中に去る準備をしたのだ。元々私物は持ち込んでいなかったので荷物もない。


 王女から贈られた上質な旅用の衣服を着たティアナは、エルネスティーネの私室へと向かう。中に入ると、エルネスティーネがティアナを笑顔で迎えた。


「ティアナ姉様、どうぞ、こちらへ」


 勧められた席に座るとローザがお茶を入れてくれる。昨日までは先輩であり上長だった相手だけに、ティアナはやりづらいことこの上なかった。


 対面に座ったエルネスティーネはティーカップを手に取って一度口を付けると、話を切り出す。


「本日でお別れとは、お名残惜しいです。ご一緒できないのがとても悔しいですわ」


「そう言ってくれると嬉しいです。エルネが王女でなければ、是非お願いしていたんですけどね」


「せめて療養中ということになっていなければ、王都までお見送りできたものを」


 ティアナの言葉にエルネスティーネが悲しそうに微笑む。


 現在、エルネスティーネは療養中ということになっている。レーラー侯爵に館へ誘き寄せられた上に襲われて、心身共に強い衝撃を受けたのが原因と公表されていた。


 尚、このような事件が公になったレーラー侯爵家が無事に済むはずもなく、お家はお取り潰し、領地は王家が接収となる。今回は王家対侯爵家という単純な図式となったため、他の貴族と揉めることなく簡単に決まった。


「でも、しばらく療養が必要なのは本当でしょう? 厄介な方はいなくなったんだから、しっかりと治しておかないと」


「そうは言いましても、さすがに年内中ずっと療養というのは長すぎます」


 諭されるようにティアナから言われて、エルネスティーネは拗ねてみせる。


 厄介な方というのはレーラー侯爵のことだ。ティアナに火傷を負わされて、更にエルネスティーネに切り刻まれたのが原因で、あの日の翌日に死亡した。


 レーラー侯爵の死については公表されているが、王家からの公式発表では、王女に邪なことをしようとした罰が精霊石から下されたということになっている。これは、王家と王女の不可侵性を高めるためだ。貴族と平民が王家を畏怖することを狙っている。


 ところが、その精霊石には肝心の精霊ウィンクルムはもういない。一週間前にティアナが解放して以来、ティアナに憑依して過ごしている。そのことは、事件後に関係者の一部へと説明したが、特にエルネスティーネとローザは驚いていた。


「ウィン、エルネにお別れの挨拶をしたら?」


 ティアナが憑依状態を解除すると、頭上にぼんやりと七色に光る半透明の鳥形精霊が現れた。ウィンクルムによると特にこれといった固定の形はないそうだが、最近は姿を見せる度に鳥形となっている。


「エルネ、今までありがとう! ボク、自由になれた! これで故郷に帰れるよ!」


「わたくしは結局何もできませんでしたわ。お礼はすべてティアナ姉様にしてください」


「そんなことないよ。ボクが寂しいとき、いつも話し相手になってくれたじゃない!」


 羽をばたつかせながら言葉を返すウィンクルムにその場にいた皆が微笑む。


 精霊石から自由になったウィンクルムは今後故郷を目指す。精霊界という別世界が本当の故郷だそうだが、この世界で精霊が現れやすく仲間がたくさんいる場所があるので、まずはそこへ向かうことになったのだ。


 ただし、帰る途中でまた人間に捕まるを嫌ったウィンクルムは、ティアナに故郷まで旅を共にすることを頼み、ティアナはそれを受け入れた。そのため、ウィンクルムは普段ティアナに憑依して過ごしている。


 ウィンクルムの方はこれで万々歳だが、エルネスティーネの今後を心配したティアナが不安そうに問いかける。


「精霊石からウィンはいなくなりましたけど、これって秘密にし通せるものなんですか?」


「精霊石にいくらかウィンの力が残っているそうなので、しばらくは大丈夫です。後は徐々にその力が弱くなっていくことを演出して、最後はウィンが亡くなったことにする予定ですの」


「ボク死んじゃうんだ?」


 話の内容をよくわかっていない様子のウィンクルムがつぶやいた。


「それまでは精霊石の巫女を務めますわ」


「となると、その後は普通の王女に戻るわけですね」


「そしてティアナ姉様の願いを成就するお手伝いをするんですの!」


 両手を合わせたエルネスティーネが目を輝かせてティアナへと向かって身を乗り出した。お茶がこぼれそうになるティーカップをローザが素早く移動させ、ティアナがのけぞる。


 実は、ウィンクルムがティアナに帰路の旅を一緒にしようと依頼する前に、エルネスティーネがティアナに屋敷へ住むよう何度もお願いをしていた。最初は旅の真の目的をぼかしていたティアナだったが、常時あらゆる手段で問いかけられて最終的に話してしまったのだ。前世のことも話したと知ったアルマには呆れられてしまったが、もう遅い。


「お手伝いと言っても、ほら、ここにいつ戻ってくるかもわからないんだし、もう何年かするとエルネだって結婚しているでしょう?」


「わたくしのお相手はティアナ姉様だけです! 殿方になったティアナ姉様とでしたら結婚できる、うふふふ」


 夢見る少女の表情で悦に入るエルネスティーネを見て、ティアナは顔を引きつらせた。


 すべて話して以来、何をどう結論づけたのかティアナにはわからないが、万事この調子なのだ。ローザは呆れるばかりだが止めようとはしていない。


 現実へ意識を戻したエルネスティーネがティアナへと目を向けてにっこりと微笑む。


「ウィンを故郷へ帰したら、まっすぐこちらへ戻ってきてくださいね。殿方になる方法はその後に探しましょう!」


「ええぇ」


 本命を後回しにするよう堂々と頼まれてティアナは困り果てる。ちらりとローザへと視線を向けたがすまし顔のまま無言だ。


 頑張って思いとどめさせるためにティアナがしゃべる。


「私でさえ実家との縁が切れないと旅に出られませんでしたのに、王女であるエルネが旅をするなんて許されるとは思いませんが」


「精霊石の威光がないとやっていけない王家なんですよ? 精霊石の力がなくなったと知ったら、代わりを求めるでしょう。わたくしがそれを探す旅に出ると提案すれば、父上も兄上も否とは言えませんわ!」


 前半部分はその通りかも知れないが、後半部分はどうなのかとティアナは首をかしげる。再度ローザへと目を向けると、ため息をついて首を横に振っていた。ここで下手に否定して話がこじれると厄介なので、これについてティアナは触れないでおく。


「ともかく、旅の途中で近くまで来ましたら、また寄らせてもらいますね」


「はい! お待ちしております!」


 満面の笑みを浮かべたエルネスティーネが元気よくティアナに返事をした。


-----


 エルネスティーネの屋敷からラムペ商会へと移ったティアナは、与えられた客室でアルマと合流した。


 ティアナが部屋の中に入るとウィンクルムが出てきてアルマに挨拶をする。


「やぁ、アルマ!」


「こんにちは。相変わらず鳥がしゃべってるみたいで違和感あるわねぇ」


「ボク、鳥じゃないもん! すっごく強い精霊なんだぞ!」


「それじゃなんで今まで人間に捕まってたのよ?」


「うっ、それは、騙されたからだよ!」


「いくら強くても、おつむが弱いとダメじゃない」


「うわ~ん、ティアナ、アルマがいじめるよぅ!」


 羽をばたつかせながらウィンクルムがティアナの体を行ったり来たりと素通りする。影響はないが地味に鬱陶しい。


 それを無視して椅子に座ったティアナが口を開いた。


「やっと終わったわぁ。しんどかったぁ」


「お疲れ様。ラムペさん経由でも話を聞いてたけど、かなり大変だったみたいね」


「まさか森の中をさまよった挙げ句、崖から落ちるとは思わなかった」


「人を信じすぎよ。怪しいとわかってるのに行っちゃダメじゃないの」


 まったくその通りなのでティアナは何も言い返せない。しかし、そのおかげでウィンクルムの解放につながったのだから、アルマもそれ以上は追求しなかった。


「アルマはもう仕事を辞めたのか?」


「ええ。たまに手伝うくらいね。あんたが侍女を辞めたんだから、続けるわけにもいかないでしょ」


 ガイストブルク王国では男になる方法は見つからなかった。そうなると、ティアナがもうここですることはない。アルマも旅の供をする以上、ラムペ商会の仕事を続けるわけにはいかなかった。


 ただし、アルマはため息をついて言葉を続ける。


「でもねぇ、アプト商会が抜けた穴を埋めなきゃいけないから、今も大変なのよねぇ」


 ティアナ達がレーラー侯爵の館にいた頃、ベンノ・アプトが殺害されたとの通報が治安の部署に届けられた。通報者はレーラー侯爵の私兵だ。エルネスティーネ誘拐の罪で捕らえようとして抵抗されたので、やむなく殺害したということだった。


 この結果、アプト商会は完全に崩壊した。アプトの生前から同業者にある程度仕事を奪われていたが、それでも大規模な商会が突然消えてなくなると王都の商圏に混乱が生じる。そこで、ラムペ商会がその基盤を引き継いだのだ。


 説明を聞いたティアナは感心した。


「これで名実ともに王都で最も大きな商会になったわけだ。そりゃすごい」


「ただ、思いっきり人手不足で悲鳴を上げてるところだから、今ならあんたでも雇ってもらえるわよ」


「う~ん、商売には興味ないなぁ」


 生活の糧を得るために働く必要性は感じていても、ティアナは商売人への興味が薄いようだ。その様子を見てアルマが苦笑する。そして、思い出したように口を開いた。


「そういえば、あのウッツって男は捕まったの?」


「いいや。それが見つからなかったらしい」


 眉を寄せたティアナが首を横に振った。


 エルネスティーネによれば、倉庫街の一角で多数の男達が殺害されているのが発見された。通報者はレーラー侯爵の私兵だ。理由はアプト殺害と同じである。しかし、そこにウッツらしき死体はなかったという。現在は治安の部署が捜索中とのことだった。


 落胆の表情を浮かべたアルマがぽつりと漏らす。


「面倒なのが逃げたわね」


「まぁ、そうそう鉢合わせになることもないだろう。世の中広いんだしさ」


「だといいんだけどねぇ」


 頬杖を突いたアルマが楽天的なティアナに微妙な表情を見せる。


 そのとき、扉の外からタクミが声をかけてきた。ティアナが入室の許可を伝えると、簡素だが厚手の旅用の衣服を来たタクミが入ってくる。


「ティアナ、来てたんだ。王女様のところはもういいんだね」


「ああ、これでやっと先に進めるぅ」


 大きく背伸びをしたティアナを見たタクミがアルマに目を向ける。


「これで中身は前世の男のままって詐欺なんじゃないかな? なんか違和感あるなぁ」


「気持ちはわかるけど、諦めて慣れなさい。これから毎日顔をつきあわせるんだから」


「う~ん、まぁ」


 ティアナの外見と中身の違いにどうにも納得できない様子のタクミが苦笑する。日本に戻るための手段を探す旅を一緒にすると決めたときに、お互いのことを打ち明けた。それ以来、たまにタクミは接し方に悩んでいた。アルマがいるおかげで感情的なしこりはないものの、違和感はまだ大きいようである。


 そんなタクミの内心を気にすることもなく、ティアナは問いかける。


「今まで何してたんだ?」


「武器と防具を見に行ってたんだ」


「以前、アルマが付き添っていったってやつだっけ?」


「そうそう。僕個人に合わせて作ってもらってるんだ」


 今回の騒動で世話になったということで、ラムペが礼をしたいと申し出たことからティアナが頼んだことだった。今後は護衛としても働いてもらう予定なので、今のうちに武具を新調してもらうことにしたのだ。


「いつできるんだ?」


「微調整に三日くらいかかるらしいけど、問題なかったらそれで終わりらしいよ」


「そんなもんか」


 一応言葉は返したものの、ティアナに鍛冶の知識はないので何もわかっていない。滞在日数が確認できたくらいだ。


 二人の会話に区切りが付いたと判断したアルマが立ち上がって声をかけた。


「さて、それじゃラムペさんに会いに行きましょう。話せる間に話をまとめておかないとね」


 アルマの言葉にうなずいたティアナは立ち上がった。ウィンクルムがティアナに憑依する。そして、すぐにタクミを先頭に客室を出た。


-----


 応接室でティアナ、アルマ、タクミの三人が待っていると、しばらくしてラムペが現れた。多少疲れが見えるものの、その表情は明るい。


「お待たせしましたね。これでも忙しいんですよ。もっとアルマに手伝ってもらいたいくらいです」


 ラムペの言葉を聞いたティアナとアルマは苦笑する。先程話していたとおりだからだ。


 三人の対面に座ったラムペがティアナに一礼する。


「今回は本当に助かりました。ティアナがいなければ、我が商会はありもしない不正疑惑で裁かれていたでしょう。エルネスティーネ様にもお礼を申し上げましたが、あなたにも改めてお礼を言わせてもらいます」


「元はと言えば、アルマの機転なんですけどね」


「そんなこともあったわねぇ」


 困った表情のティアナがアルマへと視線を向けると、そのアルマは遠い目を天井に向ける。アルマは自分の思いつきの行動がここまで大きくなるとは思っていなかった。


 頭を上げたラムペが言葉を続ける。


「そこで、我が商会は、今後ティアナの旅を支援することにしました。もちろん私のできる範囲ですが、これでも方々に支店を持つなかなかの規模の商会です。必ず役に立つと自負しています」


「ありがとうございます」


 その言葉通り、ラムペ商会はティアナとアルマの祖国だけでなく、周辺諸国で手広く商売をしている。その支店の協力が得られるというのならば、これからの旅はかなり楽になるだろう。それがわかって三人は笑顔を見せる。


 そんなティアナに対して、ラムペは一通の書状を手渡す。


「これは、私直筆の書状です。各支店でこれを見せれば、大抵のことには協力してくれるでしょう。特に、現地の支店担当者に誰かを紹介してほしいときは、これを使って頼めばいいですよ」


 ラムペ商会へやって来たときに紹介状の有り難みを実感したティアナとアルマにとって、これは何よりも嬉しかった。それが再び、しかもラムペ商会の支店ならどこでも通用するとなると、その有用性は計り知れない。


 そして実は、エルネスティーネからも身分を証明する書状をティアナはもらっている。こちらは紹介状ではないが、貴族とやり取りするならば特に役立つものだ。


 これからの旅路に明るい光が差しているような思いがしたティアナは笑顔で一礼した。


「ありがとうございます。ラムペさん」


「それだけあなた達に稼がせてもらったということです。王女様との取り引きもできるようになりましたしね。このくらいはわけないです。ところで、次はどこに行くのか決めているのですか?」


「いくつか候補はありますが、まだどれにするかは決めていません」


「もし決まったら言ってください。支店のある町なら商会の馬車を提供します。支店がない町なら他の馬車の手配をこちらでしましょう」


 町から町への移動は危険を伴う。そのため、どのような方法を使うにしろ、自衛の手段は考えておかないといけない。ラムペが手配するということは、すべてを用意するという意味だ。


 その真意に気付いたアルマに教えてもらったティアナは驚いた。そして慌ててお礼を述べる。


「ありがとうございます。移動はこちらで探すつもりでしたから、助かります」


「目的地まで行く隊商に任せるつもりです。ですから安心してください」


 そうなると後はどこへ向かうかを決めるだけだ。旅の経費は無料で安全も確保されているとなると、好きな場所を決められる。


 明るい未来を見いだせたティアナは居ても立ってもいられなくなる。


「タクミの武具ができあがるまでもうしばらく時間がかかるそうです。それまでに決めておきます」


「わかりました。決まったら教えてください」


 ラムペがうなずくのを見たティアナは立ち上がった。アルマとタクミも続く。その様子をラムペが笑顔で見ていた。


 ティアナ達は一礼すると応接室を退室した。

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