かつて修道院で出会った子
ローザに案内されて応接室へと向かったのはティアナ一人だった。エルネスティーネが呼んだのはティアナのみだからである。アルマは形式上ティアナのメイドである以上、ローザから暗に遠慮するよう求められたのだ。
応接室の前までたどり着いたティアナは、ローザが許可を得て扉を開けると中へと入る。
音もなく扉が閉まるのを背中に感じながら、ティアナは応接室の中に視線を巡らせる。王女という地位の割に質素な装飾なのは好感が持てた。これは、巫女という立場上求められているのか、それとも修道院で過ごしたことが影響しているのか、判然としない。
扉から向かって部屋の右手にあるソファには、一人の少女が座っていた。背中の半ばまである流れるような金髪と紅色に輝く瞳を持つその姿は、まごうことなき美少女である。
ティアナが目を向けると、その美少女は目を見開いて驚いていた。
しばらくすると、その少女は立ち上がってゆっくりと近づいてくる。単に歩いているだけなのだが、随分と気品がある振る舞いだとティアナは感じた。
「お、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ティアナです。実家と縁が切れましたので、今は名乗っておりませんが、元はベルネットでした」
「修道院にわたくしがいたことを覚えていらっしゃいます?」
「あなたが私の知っているエルネならば。一緒にお泊まりしたときに、怖い夢を見てちょっとだけお漏らしをしたので、私が下着を洗って差し上げましたよね?」
「いやぁ! どうしてよりによってそんな話を持ち出すんですの!?」
悲鳴を上げたエルネスティーネが飛びかかってきて、ティアナの口を閉じようとした。しかし、ティアナは横に避けてしまい、エルネスティーネは空振りしてしまう。
「本人確認のために、二人だけしか知らない事柄を持ち出したんです。それで、あのときどんな夢を見たんでしたか?」
「王妃様に追いかけられる夢でしたわ! それよりも、避けるなんてひどいです、ティアナ姉様!」
口を膨らませて抗議するエルネスティーネだったが、ティアナは素知らぬ顔である。あのとき、真夜中に粗相の跡がある下着を洗ったのはティアナだ。あの空虚な気持ちは今思い出すと苦笑いするしかない。
しかしこれではっきりとした。この屋敷の主人エルネスティーネ・シャルフェンベルクはあのときのエルネだ。言われてみれば確かに面影がある。
思わずティアナは独りごちた。
「まさか王女様だったなんて、知りませんでした」
「だって言えなかったんですもの。修道院で知っていたのは院長だけですわ」
再度近寄ってきたエルネスティーネがティアナに抱きつく。そして、満面の笑みでティアナの胸に自分の顔を押しつけた。
いささか苦しく思いながらも、ティアナはエルネスティーネのするがままにして質問を投げかける。
「よく私だってわかりましたね?」
「ティアナ姉様のことでしたらなんでもわかります! 梨がお好きだということも、お服は右腕から袖を通されることも、体の隅々もすべて覚えてます! ですから間違えるはずありません!」
「待って最後のは何ですか?」
過剰に好かれていることは以前からなんとなくわかっていたが、ティアナは久しぶりに会ってエルネスティーネの状態が更に悪化したように思えた。
眉をひそめてティアナはエルネスティーネの頭頂を見ながら回答を待つ。しかし、当人はティアナの感触を楽しむのに夢中のようだ。
さすがにこのままでは埒が開かないので、ティアナはエルネスティーネを引き剥がした。
「他に再会を喜ぶ方法はないんですか? 苦しいです」
「うう、これ以上の方法はないですのにぃ。仕方ありません。しばらく我慢しますわ」
「どうせならばお話しましょう。せっかく再会したんですし」
尚も迫ってきそうなエルネスティーネに対して、ティアナは一歩下がりつつ提案した。すると、一瞬思案する表情を浮かべたエルネスティーネは、ぱっと明るい笑顔になる。
「ではティアナ姉様、あちらに座ってお話をしましょう! ああ、お茶の用意もしないと!」
エルネスティーネに手を引っ張られてティアナは近くにあったソファへと案内された。見るからに高級そうなソファだ。触るのも気が引けたが、先に座ったエルネスティーネに促されて隣へと座る。そして、ぴったりと密着された。
「あの、近すぎません?」
「わたくしとティアナ姉様の距離に近すぎるなんてことはありませんわ!」
「少し暑くありませんか?」
「全然平気ですわ!」
婉曲に離れてほしいと頼んだつもりだったティアナだが、エルネスティーネにはまったく通じなかった。満面の笑みで拒否される。それ以上強く出ることもできないティアナは諦めた。
上機嫌でお茶の用意を命じるエルネスティーネを横目で見ながら、これからどうしたものかティアナは考える。何か目的があってやって来たわけではないので、今のところ本当に雑談しかやることがない。
とりあえず思いつくことを聞いてみようと、ティアナは深く考えるのを止めて口を開く。
「以前エルネスティーネ様は突然修道院に」
「お姉様、エルネスティーネ様なんてよそよそしい呼び方はおやめください。昔のようにエルネと呼んでください」
「ええ?」
いきなり出鼻をくじかれたティアナは困り果てる。幼い頃はエルネという名前しか知らなかったのでそう呼んでいたが、今は多少常識も知っている身なのでそうもいかない。しかし同時に、そう呼ぶまで許さないということもなんとなく理解できた。
「えっと、それじゃ、エルネ様」
「様はいりません。エルネとお呼びください」
「いくら何でも失礼ではないですか?」
「ないです! わたくしが許すのですから、他の者の意見なんて関係ないですわ!」
「それでは、エルネ」
「はい、ティアナ姉様!」
密着されているところに更に満面の笑みで迫られてティアナは辟易した。しかし、突き放すわけにもいかず、なんとか落ち着かせて再度質問する。
「以前エルネは修道院にいましたが、どうしてベルネット領までやって来たのです? ガイストブルク王国にも修道院はあるでしょう?」
「わたくし、王女ではありますが妾の子ですの。それで、母上が亡くなると当時の王妃様に隣国の修道院へ送られたのです。できるだけ遠くへと」
「寵愛を受けていた妾の子供を嫌って、ということですか。あれ、でも、お父上の国王陛下は何もしてくださらなかったのですか?」
よくある話だとティアナは一旦納得したが、すぐに首をかしげる。
「国王陛下は王妃様を恐れていましたから、口出しできなかったそうですの」
「恐妻家でしたのね」
「けれど、理由はそれだけではありませんでした。実はわたくし、魔法の才能に恵まれていて、それを王妃様が恐れたと聞いております」
「魔法の才能を恐れた、ですか?」
「はい。王妃様には息子が二人おりますの。わたくしの兄なのですが、どちらも才気は今ひとつという噂がありましたから」
曖昧に笑うエルネスティーネにティアナがうなずいた。
要するに嫉妬である。自分の息子二人の才能が冴えないのに妾の生んだ末娘が優秀なので、どうにも我慢ならなかったのだろうとティアナは推測した。
「でもそれが本当でしたら、もしエルネが男だったら」
「恐らく亡き者にされていましたわ。生かしておけば、兄上二人にとって危険ですもの」
「それなら、よく戻れましたね。王妃様はお許しになったのかしら?」
「いえ、もう亡くなられました。その葬儀に参列するという名目でこちらに戻って、それ以来ですわ」
かつてのティアナはその辺りの事情をまったく知らなかったので、理由もわからずエルネスティーネが去って行くのを見送るしかなかった。その真相がようやく判明する。
「ではここに戻ってからは、ずっとこのお屋敷に住んでいるのですか?」
「いえ、最初は王城に住んでいました。しかし、父上に精霊殿へ連れて来てもらったときに、たまたま精霊石に触れたらお声が聞こえたのです。それをお話したら、大層お喜びになって、このお屋敷と精霊石をお慰めする巫女の役目を与えられました」
話を聞いているティアナの国王への評価が下がった。単に恐妻家で娘を手元に置けなかったのならばともかく、結局国王は娘のエルネスティーネをあまり可愛がっていないのではないかと勘ぐってしまう。
「せめて大きくなるまでは王城で一緒に住めばいいのに」
「その頃には別の愛妾がいらっしゃったそうですから、仕方ありませんわ」
ティアナの国王への評価が地に落ちた。
気を取り直して、ティアナはエルネスティーネに話を続ける。
「このお屋敷の隣にあるのが精霊石の置いてある精霊殿なのですよね?」
「はい。正確にはお屋敷の方が後から建てられましたけど」
「エルネのためにですか? それなら歴代の精霊石の巫女は、どこに住んでいたんです?」
「王城だそうです。長居するときは精霊殿の宿泊施設で泊まることもあったそうですが」
苦笑いするエルネスティーネを見てティアナは心を痛めた。常時精霊石を使うからという理由があるのかもしれないが、今代の巫女はどうにも扱いが冷たいように見える。
「それともう一つ、精霊石の声って、王族の方すべてが聞こえるわけじゃないんですね」
「わたくしも初めてそれを知ったときは驚きました。どうも魔法の才気が高い子女で更に」
そこまで話してエルネスティーネは目を見開く。そして、申し訳なさそうにティアナへとお願いしてきた。
「今のは内密のお話でした。ティアナ姉様、申し訳ありませんが、聞かなかったことにしてください」
「あーそうですね。この話はここまでにしましょう。私も踏み込みすぎました。ごめんなさい」
「では、今度はティアナ姉様のことを教えてください!」
エルネスティーネの気落ちしていた表情が一転して興味津々な様子に変わる。再度密着したした状態から迫ってきたのでそれを離してから、ティアナは話し始めた。
「あまり良い話はないですけれどね。何から話しましょうか」
そう言いつつも、ティアナはエルネスティーネと別れてからの出来事を順番に話していく。実家でのこと、家族のこと、お付きのメイドのこと、王立学院でのこと、友人のこと、憑依体質絡みの問題のこと、そして、先月の騒動などだ。
改めて話してみて、良いことがずっと少なくてティアナは内心気落ちした。
「ん~、あんまり面白いお話はなかったですね」
「そんなことはありません! とても興味深かったです! ティアナ姉様のことをたくさん知ることができましたし! それにしても、謂われなき理由で追われてしまうなんてひどすぎます! わたくしがその場にいましたら、絶対お守りしましたのに!」
話す度に一喜一憂している姿は見ていて微笑ましかった。そして、自分のために本気で怒ってくれるのはティアナにとって嬉しかった。
「ありがとう。でも、もう終わったことだからいいんです」
「そうだ! ティアナ姉様、わたくしのお屋敷にいらっしゃいませ! 大歓迎です!」
「誘ってくれるのは嬉しいですけど、今滞在させてもらっているところで不満はありませんから」
「そんな! 残念です」
つい先程の勢いが嘘のようにエルネスティーネは気落ちする。しかし、紹介状を見せて世話を要求しておきながら、簡単に別の人物に乗り換えるのは良くないと考えてティアナは遠慮した。
宿泊の件から話をそらせるためにティアナは話題を切り替えた。
「そういえば、控え室でレーラー侯爵の護衛の方と会いましたが、その侯爵様とはお知り合いなんですか?」
「顔を知っているというくらいですわ。王族ですから、諸侯の名前と顔を覚えるのは当然のことですから」
珍しくティアナから顔を背けてつまらなさそうにエルネスティーネは答える。それを聞いてティアナは安心した。
「お屋敷にお呼びするくらいですから、てっきり仲が良いと思っていましたが」
「そんなことありません! 今日も自分から勝手にいらっしゃっただけです!」
予想外に大きな反応を示したエルネスティーネにティアナは驚いた。その真剣な表情にティアナは体をのけぞらせる。
「ごめんなさい。気を悪くしたみたいね」
「いいえ。わたくしこそ、いきなり申し訳ありません。先程の面会を思い出して、つい感情を高ぶらせてしまいました」
「高位の貴族とは言え、侯爵様でも王女にいきなり面会できるものなのですか?」
「普通はできませんわ。けど、レーラー侯爵の姉が父上の側室となっているので、断り切れないのです」
憤懣やるかたないといった様子のエルネスティーネが悔しそうに話した。レーラーに対して好意を抱いていないということはよくわかる。
エルネスティーネの話は更に続く。
「しかもあの者、いつもわたくしに結婚を迫ってくるんです! 虫唾が走りますわ!」
「まぁ、エルネは美人ですからね。求婚したくなるのでは?」
「違います! あの者は、王族の血と精霊石の巫女の地位が欲しいだけなんです!」
なんとなく感づいていたティアナはエルネスティーネの主張に納得する。王侯貴族の結婚に政略はつきものなので、そちらが主な理由だと言われても驚かなかった。
こちらはこちらで面倒なことになっていると、ティアナは心の中でため息をついた。
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