密かに進めるもの

 バッハ公爵令嬢が襲撃された翌朝、王都のとある下町の一軒家で一組の男女が同じ部屋で思い思いに座っていた。男は浅黒い肌に筋肉質な体躯で目つきが悪く、女は薄い茶色の髪を肩で切りそろえ、ぱっちりとした青い瞳が愛くるしい。


 二人の様子には恋人同士のような甘ったるい雰囲気はまったくなかった。かといって険悪でもない。一番近いのが仕事上の信頼できる仲間だろうか。


 男の方が女へと話しかける。


「ユッタさん、昨日の貴族街での襲撃は失敗しやした」


「集めた連中の質が悪かったのかしら」


「そんなに悪くないとは思うんすけどね。ともかく、護衛の騎士四人は予定通り押さえ込めたらしいんですが、馬車の中にいたもう一人の女護衛が誤算だったみたいっすねぇ」


「侍女にやられる程度の騎士を籠絡したなんて思いたくないんだけど、何者なの?」


「肩まで延びた銀髪と金色の目をした恐ろしく美人なヤツで、しかも、得体の知れない魔法を使う上に切れ味の良すぎる剣を持ってるそうで」


「ウッツ、心当たりはある?」


「一人だけ。得体の知れない魔法ってのは、たぶん精霊ってヤツなんでしょうなぁ」


「あたしもそう思うわ」


 相手の特徴を知った時点で顔をゆがめたユッタが苛立たしげに髪の毛をかき上げた。真夏なので朝であっても蒸し暑い。そこへ更に悪報を聞かされたのだから不機嫌にもなる。


 そんなユッタにウッツが更に言葉を続けた。


「それと、五人戻って来ませんでしたね。三人は斬られたみたいですが、あと二人は捕まっちまったか逃げたか」


「捕まったんでしょ。あたしに入れ込んでてどこかに逃げるなんてないもの」


「確かに。一応こっちは偽名を使って会ってたんで大丈夫だとは思いますが、帰ってきたときのための細工をしねぇと」


「最悪婚礼の儀式まで隠せればいいわ」


「その後はトンズラっと」


 開催までもう一ヵ月切った国を挙げての式典についてウッツは思いを馳せた。とは言っても、楽しく飲み食いするくらいしか想像できなかったが。


「これであのご令嬢を狙うのはもう難しいっすね。こっちを嗅ぎ回るめんどくさいヤツなんで、この機会に片付けたかったんすけど」


「これに懲りたら怯えながら部屋に引きこもるんでしょうけど、あいつ気が強いし」


「親が止めるんじゃないすか? もう少しで王妃様なんすから、これ以上危ない橋を渡らせるとも思えねぇ」


「あたしもそれを期待したいわね。ただ、襲撃を防いだのがティアナだとすると、こっちはこっちで別に対処しないといけないわね」


「ちくしょう。何だってあんなところにいやがったんだか」


「一時は共同戦線を張った仲みたいだから、可能性はあったということね。それにしても、これだけやることなすこと邪魔されるってことは、あいつとあたし達の行動範囲は思ったよりも重なるのかも」


「勘弁してほしいっすよねぇ」


 心底嫌そうにウッツが顔をしかめた。何かする度に邪魔されていた身としてはたまったものではない。


 不機嫌な様子のままであるユッタは、しばらく考え込んでから口を開く。


「やっぱりティアナは殺さないとダメね。婚礼の儀式の方はオットマーが進めてくれるから、あんたはティアナを始末してちょうだい」


「マジすか。正直もう関わりたくないんっすよね」


「それはあたしも同じよ。でもこのままだと嫌でも関わることになるでしょ。テレーゼと一緒にいたってことは婚礼の儀式にも絡んでるわよ、あいつ」


「こっちを探り当てられた上に襲われちゃ、どうにもなんないっすよね」


「せっかく都合のいい手駒と資金源が手に入ったんだから、邪魔なんてさせないわよ」


「ヘルゲの旦那と別れたときにいくつか道具を持って来てますけど、あれを使うかぁ」


 あまり深く考えずに与えられた道具をそのまま持って来たウッツは、ここに来て活用するとは思っていなかった。


 気温がじわりじわりと上がっていく中、暑さでユッタは顔をゆがめる。いきなり何もかもがうまくいかなくなった感じだ。


「ともかく、ティアナの件は任せたわよ。必要ならあの男達を使ってもいいから」


「忠誠心で言や、カネで雇った連中なんて比べものになんないっすからね。場合によっちゃありがたく使わせてもらいますよ」


「それと、落とせる男をまた見繕っておいて。減った分は増やさないといけないから」


「確かに。なら夕方までに見繕っておきますよ」


 ユッタがうなずくのを見るとウッツは立ち上がった。窓の外へちらりと目を向けて日差しの強さに顔をしかめる。


「それじゃまた後で」


「ええ」


 面白くなさそうな表情の二人が挨拶を交わした。


 ウッツは踵を返して扉へと向かう。そして、それ以上は何も言わずに出て行った。


-----


 ウッツと別れた後、ユッタもまた自分の役割を果たすために一軒家を出た。強い日差しが降り注ぐ表通りではなく、まだ涼しい日陰の裏通りを進む。


 日差しの届かない裏通りは涼しいが、それでも刻一刻と蒸し暑い空気が流れ込んできた。昼過ぎになるとこの辺りも息苦しくなる。


「いつまでこんなことを続けなきゃいけないのかしらね」


 年が明けてからのことを思い返してユッタはため息をついた。


 組織内で追い詰められた恩人とティアナを襲撃して返り討ちに遭い、そのままウッツとしばらく潜伏した。その後追っ手がいないことを知るとこちらの大陸に渡る。


 そのときまでは特に何も考えていなかったユッタだったが、王子と公爵令嬢の結婚式があると知って心に暗い炎がとぼった。


「どうしてあいつがのうのうと結婚なんてできるのよ。あのとき散々あたしに入れ込んでたくせに!」


 他にも当時取り巻きだった貴族のその後を追えば、大半がそれなりの人生を歩んでいた。まるで自分一人だけが不幸に思えてくる。


 もちろん全員の心を大なり小なり自分が心を操作していたことをユッタは理解していたが、それでも許せなかったのだ。


 無性に悔しくなったユッタはヘルプスト王国に復讐するため活動を始める。このとき、裏社会に通じているウッツが一緒だったのは大いに助かった。


 しかし実のところ、当初は復讐心ばかりが先行して具体案はこれといってなかったりする。それらしい目標を一応挙げてはいたが、無意識下ではどうでも良かったからだ。


 そんなユッタに転機が訪れたのは活動を始めてから三ヵ月が過ぎた初夏だった。それまでウッツに見繕わせた使い捨てのできる下級貴族や騎士をたまに籠絡していたが、その中の一人が思わぬことを相談しに来たのである。


「ジルケ、とある人物にとんでもないことを頼まれたんだ」


 その男の名はオットマー、借金に苦しんでいるホフマン子爵家の冴えない男だ。


 話を聞くと九月にある婚礼の儀式に混乱をもたらす計画の実行準備を持ちかけられたのである。しかも資金はすべて提供してもらえるということだった。


 この話は使えるとユッタは即座に思った。婚礼の儀式に混乱をもたらす計画ということは、その場までの手引きも含めて便宜を図ってもらえるということである。持ちかけた相手は結構な身分だと想像できるので、ある意味ユッタが籠絡する以上に確かな伝手だ。


「オットマー、その話は必ず引き受けて。そして、これからはあたしとハンスの指示に従って計画を進めてほしいの」


 告げられたオットマーは最初驚いたが、籠絡されている以上はユッタの要求を断れない。最後は快く引き受けてくれて、現在は順調に計画を進めてくれている。


 これで、王子と公爵令嬢への復讐はどうにか目処が立った。後は結果を待つばかりのはずだったのだが、ここに来て大きな障害が現れる。


 最初は当の本人である公爵令嬢が自分の周りを嗅ぎつけ始めたという話だった。何かしらの兆候を見つけたらしく、自分の伝手を使ってユッタ達を探り始めたのだ。


 籠絡した男達から忠告を受けたユッタは、余計な真似を止めさせるために脅すことにする。


「婚礼の儀式までおとなしくさせるために脅しましょう。本人以外を皆殺しにしなさい」


 公爵令嬢を殺害してしまうと肝心の儀式がなくなってしまうため、ユッタは襲撃する男達に何度も念を押した。全員籠絡した者達だからこれで安心と吉報を待つ。


 ところが、襲撃はティアナらしい人物によって阻止されてしまった。襲撃はしたので警告程度にはなったかもしれないが、予定とは大きく異なる結果である。


「それにしても、どこまでもあの女は祟るわね」


 鬱陶しそうにユッタはつぶやいた。王立学院のときから徹底的に対立してきたことを思い出す。


 公爵令嬢の馬車に乗っていたということは、間違いなく何らかの話を聞いているはずだ。そうなると、例え公爵令嬢が何もできなくなってもティアナが独自に動く可能性が高い。


 当日まであと数日であればあるいは放っておくのも一つの手だが、まだ三週間以上もある。この微妙な期間が実に厄介なのだ。


「見てなさい。今度こそ必ず殺してやるんだから」


 少しずつ暑くなっていく中、ユッタがその熱気に煽られるようにつぶやいた。幸い本命の計画は人に任せられる。それならば、自分はウッツと共にティアナに集中すべきだろうとユッタは強く思った。


-----


 バルシュミーデ侯爵家の家令であるラルフは、先代の頃から四十年以上にわたって仕えている。家令としても既に長いため、今では侯爵邸のことはすべて任されていた。


 しかし、ラルフが任されているのは屋敷のことだけではない。その何でもこなせる利便性から裏方の仕事も一手に任されていた。


 今回任されたのは、テオフィル王子とテレーゼ公爵令嬢の婚礼の儀式を混乱させるというものである。混乱させるというところが重要で、台無しにするのではないのが要点だ。


「お館様、婚礼の儀式を中断させるわけではないのですね?」


「その通りだ。混乱の渦中に我らが殿下をお助けし、バッハ公爵家よりもバルシュミーデ侯爵家の方が重要だということを理解してもらうのだ」


「ということは、自ら波乱を演出し、己で片付けるわけですか」


「理解できたか。助ける役はゲルルフにさせようと考えている。そなたは適度な混乱が起きるように手配しろ」


 こうしてラルフはまたもや難しい役目を授かった。とは言っても否とは言えない。すぐに準備に取りかかる。


 まずは人選をどうするかとラルフは首をひねった。当日儀式の場で混乱を発生させることが当主の意向だが、そうなると身分の低い者では不可能だ。


 そこで、当日儀式の場に入退室できる、あるいはその近辺からすぐ駆けつけられる者を探した。特に計画の実行責任者の下級貴族は慎重に選ぶ。


 もちろん真っ当な計画ではないのでまともな人物が引き受けてくれるはずもない。信頼できる裏の筋から何人かの候補者を選んでもらい、その中から一人を選ぶ。


 オットマー・ホフマン子爵。両親が遺した借金を返済するために奔走しているというこの貴族に、ラルフは接触した。


「わたくしはギードと申します。あなたのご苦労を取り除く提案を持って参りました」


 さすがに王家の関わる婚礼の儀式で事を起こすことに一度は躊躇ったオットマーだったが、多額の借金を帳消しにできる魅力には抗えなかった。最後は引き受ける。


 実行責任者を据えることができたラルフは、実務をオットマーに任せるとそのオットマーを制御する役割に回った。単純に能力だけ見ればラルフがすべてを仕切った方が良いのだが、何しろ後ろ暗い計画なので可能な限り接点を減らさねばならなかったのだ。


 ときには指示を出し、ときには相談に乗りながら、ラルフはオットマーを介して計画を進めてゆく。見た目は冴えない男だが意外に手際よく準備を進めてゆくのを見て、良い買い物をしたと内心ほくそ笑んだ。


 ただし、すべてに満足していたわけではなかった。ほぼ唯一といって良いが不満点もあったのだ。それは資金の使いすぎである。


 あまりにも湯水のように使われてはかなわないので当然説明を要求した。しかし、ある程度細かい説明を聞いてもおかしな点は見つからなかった。


「目的外への使い込みがないのなら、大目に見るべきか」


 一度説明させてからはさすがに資金の使う額は減ったが、金をけちって計画が破綻しては元も子もない。以後、ラルフは資金について何も問わなかった。


 今のところは計画は順調に進んでいるようだ。この様子なら事はうまく運ぶだろうとラルフは考えた。

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