王子の苦悩と襲撃犯の煩悩
婚礼の儀式当日まで三週間を切ったある日、ティアナはヘルプスト王国の王城へ参内していた。とは言っても正式な要件があってではない。非公式な要件だ。
現在は応接室の一つで相手を待っている。座るティアナの背後にはアルマが立っていた。
呆れと感心の混じった声でアルマが話しかける。
「よくこんな要求が通ったわね」
「私もあんまり期待していませんでしたが、あちらも手詰まりらしいので」
「捕縛者の見学ねぇ。あたし達が見て何かわかるのかしら」
以前テレーゼが馬車で襲撃されたとき、撃退後に襲撃者を騎士が追跡して二名捕らえたのだ。今回はその二人を見学させてもらうために登城している。
尋問の専門家でもないティアナとアルマが見学して何を知るのかだが、実はテレーゼに教えてもらった者の一人が捕らえられていると知ったからだ。とりあえず一度見ておきたいと考えたのである。
二人がのんびりと待っていると、要求を認めてくれた人物が応接室に入ってきた。同時にティアナが立ち上がって一礼する。
「この度は、こちらの要望を聞き届けてくださってありがとうございます」
「まぁこのくらいだったら構わないよ。こちらの捜査の進展も望めるしね」
いささか疲れた様子のテオフィル王子がティアナに椅子を勧めた。王子が座ってからティアナも着席する。
「お疲れのご様子ですが、さすがに婚礼の儀式の準備と襲撃者の尋問を並行するのは大変ですか?」
「あーうん、それもあるんだが、仕事の疲労というより気疲れかな」
「お心を煩わせるようなことがあるのですか」
「ティアナはテレーゼに近いから知ってもらっても構わないか。愚痴に近いことでもあるんだけど、儀式当日の警備で横槍が少し入ってね」
「王家の差配にそんなことができる方がいらっしゃるのですか」
「それがいるんだよ。親戚がね」
その一言を聞いてティアナは納得した。上下関係が厳しい貴族社会だが、もちろん単純にはいかない。色々な要素で貴族の立場はめまぐるしく変わる。姻戚関係もその一つだ。
「バルシュミーデ侯爵家を知っているだろう? あそこは僕の祖母、父の母の出身家なんだ。困ったことにお婆様を盾に今回の件で警護を申し出てきたんだよ」
「口を挟む資格があるのはわかりましたが、テレーゼ様の警護はバッハ家ですよね?」
「テレーゼの護衛じゃない。僕の護衛なんだ。このままだと王子の身が危ないってね」
「それでは王家の体面に関わることになるでしょう」
事実上、王家は頼りないと言っているようなものだ。通常ならばこのような申し出は断られる。
そうティアナは思っていたが、テオフィルの様子を見ていると様子は違うようだ。
「真正面から進言すれば父上も断れるだろうが、困ったことにお婆様が父上に詰め寄ってるんだ」
「それは」
「普段政治に口出しをしないお婆様が言い出すなんて明らかにおかしいよ」
これが宮廷政治、引いては貴族社会の面倒なところだ。
話を聞いたティアナも顔を引きつらせる。しかし、すぐに首をかしげた。よく考えてみると別にどうとにでもなるように思えたからだ。
「しかし、それでも陛下が進言を退ければ済む話ではありませんか?」
「お婆様は僕のことを可愛がってくれていてね。会う度に父上に泣きながら進言されるそうなんだよ」
対面で向き合ったティアナとテオフィルはどちらも嫌そうな顔をした。このままでは国王陛下の胃が悪化することは間違いない。
「それで、結局受け入れざるを得ないと」
「お婆様を盾にされたんじゃどうにもならない。近く父上にも決断なさるだろう」
「ならば後は、人数を絞り込むくらいしかできませんね。近衛の方はお怒りでしょう」
「近衛騎士団長はかなり怒ってたね」
疲れた笑いを浮かべながらテオフィルは椅子の背もたれに背を預けた。
「雑談が過ぎたな。本題に入ろう。君から申請があった例の襲撃者の見学だが、父上から許可を得てきた。しかし、面会するのではなく見学とは珍しいな」
「尋問の専門家以上にうまく話を誘導できる自信はありませんから。案内人を通して多少話ができれば構いません」
「わかった。それと、今まで尋問してきたが、大したことはわかっていない。名前と家名と襲った理由くらいだな」
「仲間のことはしゃべっていないのですか」
「口が堅いというか、どうも本当に知らないらしいんだ。頭に布を巻いた状態で当日初めて会ったと言っている」
「そうなると、指示を下した人物も」
「顔に布を巻いていたらしい。名前もカイというそうだが、恐らく偽名だろうな」
予想以上に周到な準備にティアナは驚いた。これでは実際に会わないと片鱗すら掴めなさそうだ。
「襲った理由は何と言っているのですか?」
「金に困って頼まれて引き受けたそうだが、落ちぶれてもこの国の騎士なのに、次期王妃を金ごときのために狙うと思うか?」
人間は墜ちればどんなことでもやることをティアナは知っているため黙った。しかし、テオフィルの言い分も確かにわかる。いくら借金苦であっても現役の騎士が次期王妃を金銭のために狙うというのは考えにくい。
「何か裏があると」
「普通はそう考えるだろう。命までは狙っていない、脅すだけだったと主張しているが、どこまで信用できるか。そういえば、君はあの馬車に乗っていたんだったな。襲ってきたときの連中はどんな様子だった?」
「殺気立っていたのは確かです。ただ、馬車の扉を開けられた瞬間に中へ入ろうとした者を吹き飛ばして私も外に出ましたから、実際のところどうだったのかはわかりません」
「そうか。命を狙われるという可能性なら王族も貴族も確かにある。しかしだ、こんな直接的な方法は普通選ばない。君も元貴族ならそれはわかるだろう?」
「はい。ただ、そうだとすると、殺す気はなかったという主張が正しく聞こえてしまいますが」
言葉に詰まったテオフィルが顔をしかめた。自分の主張の矛盾点に気付いてしまう。
その後いくらか話を続けたが、特にこれと言った情報は得られなかった。あまりわかっていないことが改めてわかってしまう。
やがてテオフィルが立ち上がった。同じく立ち上がろうとするティアナを制して告げる。
「これから案内人をこちらに寄せるから、その者と一緒に地下牢へ行ってくれ。もし、何か新しいことがわかったら教えてほしい」
「承知しました」
座ったままティアナが一礼するのを見たテオフィルは一つうなずくと、応接室を出た。
その後しばらくして案内人のマルコがやって来ると、ティアナもアルマと一緒に地下室へと向かった。
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罪を犯した者は官憲に捕らえられてしかるべき罰を受ける。通常の犯罪ならば専用の場所に収容されるが、王侯貴族に対する犯罪の場合は一旦王城の地下へ移されるのがヘルプスト王国では一般的だ。
今回テレーゼを襲撃して捕らえられた二人の襲撃者も同様で、捕らえたのはバッハ公爵家の騎士だが現在は王城地下の牢で監禁されている。
案内人であるマルコに先導されて地下牢へ向かう中、ティアナとアルマは簡単な説明を受けた。
「捕らえてから一週間尋問しましたが、目立った成果はありません。罪人の体力を回復させるために昨日から尋問は控えています」
「会話は成立しますか?」
「一応は。雑談には気軽に応じるようですが、質問にはほとんど答えません」
「自分が何をしたのか理解はしていますか?」
「見ている分には理解しているようです。ただ、正気かどうかまでは判断できません」
回答を聞く限りは捕まった襲撃者は正気のようにティアナには思えた。
ちらりと視線を向けられたアルマが今度は尋ねる。
「暴れて抵抗したことはあるんです?」
「痛みのせいで暴れたことはありますが、基本的に反抗的ではないです」
「襲ったことを後悔している様子は?」
「ありません」
「襲撃に失敗して悔しがっていました?」
「それもありません。襲撃の成否にはあまりこだわりがないように見えます」
最後の返答を聞いた二人は顔を見合わせた。テレーゼへの殺意がないのは案外本当なのではと思えてくる。しかしそうなると、何のために襲ったのかがわからない。正確には、襲撃を計画した者の意図が理解できない。
最初に疑問を口にしたのはアルマだ。
「本当にテレーゼ様の殺害が目的じゃないとしたら、真の目的は何かしら?」
「ぱっと思いつくのは脅迫、あるいは警告? それにしてもいきなり強烈ですよね。脅すのならば最初は手紙だとは思うのですが」
「ここから先は地下牢の区画になります」
二人が色々と話したり考えたりしているうちに目的地へとたどり着いた。マルコが警護している兵士へ話しかけると、すぐに頑丈そうな鉄の扉を開けてくれる。
そこから先は陰気な空間だった。単に薄暗いというだけでなく、雰囲気が重苦しいのだ。
やたらと足音が響く通路を通り、更に地下へと向かう。そうしてようやく目的の部屋の前にたどり着いた。
その部屋は面の一つが鉄格子となっており、廊下から丸見えになっている。中には粗末な寝台と用を足す桶があるくらいだ。そこに、寝台に腰掛けた一人の男がうつむいている。
振り向いたマルコが口を開いた。
「中に入るのはお控えください。今回は見学ということですが、この廊下からでしたら声をかけても構いません」
声をかける許可はもらったものの、いざとなると何と声をかけようかティアナ達は迷った。こういったことに慣れていないことを改めて知る。
しかし、意外にも相手の男が先に反応を示した。最初は興味なさげに廊下へと顔を向け、ティアナの姿を認めると目を見開く。
「お前、あのとき馬車から出てきた女か?」
「その質問が出てくるということは、逃げた二人のうちの一人ですね。吹き飛ばされた方ですか? それとも煙玉を使った方?」
「さぁな。ふん、バッハ家の犬か」
「あなただって、元は王家の犬でしょうに」
「ははっ! 違いない!」
何か琴線に触れたのか、男は顔を向けたまま楽しそうに笑った。そしてそのまま独りごちる。
「その口ぶりだと同じ犬でも騎士じゃないな。服装からして、傭兵か?」
「思っていたよりもよくお話されるのですね。最初から最後まで無言という可能性も考えていましたのに」
「そりゃ口はあるんだから話もするさ」
男は肩をすくめて答えた。今までの短い会話では一般人と大差ない受け答えだ。
ティアナはもう少し雑談に付き合ってみる。
「どうして王家の犬がよそのご主人様に噛みつこうとしたのですか?」
「餌代に困ったからだよ。騎士ってヤツは貴族ほどじゃないが入り用になるんでな。ああでも勘違いするなよ。別にそっちのご主人様に手を出そうと思ったわけじゃない。周りにいる連中を噛み切ろうとしただけさ」
「餌代のために私も殺されかけたわけですか」
「何を言ってる。お前は俺達を退けたじゃないか。おかげでこっちの計画が台無しだ」
「失敗して捕まる可能性は考えなかったのですか?」
「貴族の護衛については俺達も知っている。だから失敗はしないと思ったんだ。あの襲撃が失敗したのは、お前がいたからだよ」
若干面白くなさそうに男は答えた。実際、その通りだとティアナも思った。
次いでアルマが声をかける。
「あんたに指示したのはカイって名前の人らしいけど、どんな人だったの?」
「さてね。顔に布を巻いてたんで、目つきが悪いってくらいしかわからなかったよ」
「そんなのあんただって似たようなもんじゃない」
「そりゃそうだ! 残念だったな」
楽しそうに男は笑った。雑談にしか取り合わないというのは本当らしい。
埒が開かないと思ったアルマがティアナに耳打ちする。
「今週の調査の成果をぶつけてもいいかしら?」
「構いませんよ」
許可を与えたティアナがうなずいた。それを見たアルマが男に向き直る。
「あんた、ジルケって女を知ってる?」
ジルケと聞いた瞬間、男の表情が凍り付いた。今までの余裕の態度が消え、体が震える。ゆらりと立ち上がって廊下へと近づいてきた。そして格子に手をかける。
「その名前をどこで聞いた?」
「こっちはカイって人や本当のことを教えてほしいんだけどね」
「そんなことはどうでもいい! ジルケをどこで知ったんだ!?」
「自分だけ一方的に知ろうってのはずるいじゃない。どうせならお互い知っていることを教え合わない?」
先程までとは違って目を血走らせた男がアルマを睨んだ。鉄格子を激しく揺らすがアルマは動じない。
二人の様子を見て、これなら新たな情報が得られそうだとティアナは確信した。
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