気になる噂と避けられない魔の手

 指定された禁忌の魔法書を手に入れたティアナ達は約一ヵ月後に北の塔へと戻った。


 すっかり雪化粧を施した山脈の麓は風が厳しく寒い。厚着をしても尚冷えるため、三人はイグニスの魔法に頼って体を温めたくらいだ。


 そんな環境でもトゥーディの塔へと入ると常春である。外との差が大きいので最初は暑く感じるくらいだ。


 とりあえず客室に案内してもらい、三人はそこで体を拭いて服を着替えて人心地着く。


 話は食事をしながらということになった。精巧な人型の石人形に食堂へと案内されたティアナ達は、既に着席していたトゥーディの対面へと座る。


 トゥーディが三人に食事を勧める。供された食事は、硬いパン、豆を磨り潰したスープ、豚肉の燻製、そして一番搾りのエールだ。


「こんな冬山の中だと、食べられる物も限られてしまうからね。保存食ばかりですまない」


「いいえ、温かい食事をいただけるのは何よりのごちそうです」


「わ~い、お酒~!」


「こらリンニー、もう少し我慢しなさい」


 挨拶をするティアナを挟んでアルマがリンニーを注意した。


 その様子を見ていたトゥーディがこめかみを押さえてため息をつく。


「きみ、以前よりもお酒にだらしなくなってない?」


「そ、そんなことないよ~! 前と同じくらいだも~ん!」


「だったら前からだらしないってことじゃないか」


 よりひどい返答を聞いたトゥーディが呆れた。


 締まらない形で夕飯は始まったが雰囲気は明るい。今回の旅路が話題としてあがった。


 最初に問いかけたのはトゥーディだ。


「ところで、あの魔法書があった書物庫って、今どうなってたの?」


「完全に放棄されていました。何しろ通路となる階段が塞がれていましたから、建物を建て直すときに埋めたのでしょう」


「そっか。そうなると、書物庫の書籍はどうなってたの? あの魔法書の状態を見ると想像がつくけど」


「その場に放置されていました。荒れるに任せてありましたので、読めなくなってしまったものも多いでしょうね」


「割と貴重な書物もあったはずなんだけどな。代を重ねて不要と判断されたんだ」


「真上の宝物庫を見ると、保管できる広さはあるように思えましたが、寂しい話ですね」


「仕方ないさ。今回に限った話じゃないからね。僕が関わった書物だけでも、相当な数が既に失われているから」


 失われた書物の数はわからなくてもティアナも残念に思った。例え自分で理解できないものであっても大切なことには変わりないからだ。


 多少しんみりとしたところで、次は手元のエールを飲み終えたリンニーが口を開く。


「トゥーディ、これでティアナの願いを叶えられるのよね~」


「とりあえずはその目処が立ったのは確かだね。ただ、魔法書の状態が悪いから、まずは文章を復元するところから始めないといけないけど」


「どれくらいの時間がかかるのかな~?」


「そうだなぁ、まったくの無から始めるわけじゃないから、一年か二年くらい、かな?」


「え~、もっと早くできないの~?」


「魔法書の文章の復元からしないといけないから仕方ないよ」


「一ヵ月とか二ヵ月でできないのかな~?」


「きみは研究や開発をなんだと思っているんだい」


 もっと早く作れと不満を漏らすリンニーにトゥーディが困った様子で答えた。


 そこへ豚肉の燻製の切り身を飲み込んだアルマが口を挟んでくる。


「トゥーディが研究している間に、あたし達は水晶を取ってくればいいのよね」


「そうだね。あれがないと理論は完成しても実行できないから。保管場所や中の外的対策への対処なんかは後で教えるよ」


「ついでに取ってきてほしい物はあるかしら?」


「今はないかな。まぁ大体必要な物はその都度集めてるから、一度保管したやつは使わないんだよね」


「たまに思い出して使いたいときはないの?」


「あることはあるよ。でも、行って帰ってくる時間で大抵は作れちゃうから、結局取りに行かないんだ」


「それだったらいっそのこと、ずっと同じところで研究していたらどうなのよ?」


「理想はそうなんだけど、人と関わっていると、どうしてもそこにいられなくなることがあるんだ。それに、研究によっては最適な場所が違うことも多いしね」


 説明を聞いたアルマがうなずいた。具体的な話に興味はあったが聞かなかったのは、良い話ではないように思えたからだ。


 こうして食事をしながら話題が移り変わっていく。


 自分が話の中心から離れたのを機に、ティアナは硬いパンを千切って豆を磨り潰したスープに浸した。口に入れると暖かいスープが硬いパンを解してくれて噛みやすくなる。


 他の二人をちらりと見ると、アルマはパン、スープ、肉を少しずつ食べているようだ。一方のリンニーはずっとエールばかりで他にはほとんど手を付けていない。いつの間にか精巧な人型の石人形の一体がエールを注ぐ専門と化している。


 食事が一段落するとそのままお茶の時間へと移った。テーブル上の皿が片付けられて、リンニー以外の三人分のティーセットが用意される。


 用意されたお茶を一口飲んだトゥーディがティアナへ話しかけた。


「ところで、風の噂で聞いたんだけど、聖教団が大々的に傭兵を集めているって話は知ってるかな?」


「こちらに戻ってくる途中でその噂は聞いています。年が明けてからは特に。邪神討伐隊と言うそうですね」


「邪神ねぇ。テネブーが復活するっていう話でも聞きつけたのかな。でも、魂の一部はリンニーが消滅させたんだよね?」


「ん~?」


 幸せそうにジョッキを傾けていたリンニーは、少し間を置いてから話を向けられたことに気付いた。ジョッキから口を離したリンニーは不思議そうに問い返す。


「なに~?」


「あーもう。話を聞かないんなら、お酒はもう止めだよ?」


「うわ~ん、ごめんなさい~! ちゃんと聞きます~!」


 ジョッキを両手で庇うように守ったリンニーが涙目で訴えた。


 取り上げるつもりはなかったトゥーディは嫌そうな顔で返答する。


「そんな本気でジョッキを守らなくてもいいじゃないか。もうわかったから。話を戻すよ? テネブーの魂の一部をリンニーが消滅させたんだよね?」


「うん、消滅させたよ~」


「ということは、当分の間は復活させられないってことだよね。だったらわざわざ討伐しなくてもいいと思うんだけど」


「そうだね~」


 のんきに二神が言葉を交わすが、ティアナは頭を左右に小さく振った。


「それは、リンニーがその神の魂の一部を消滅させたことを知っているから出せる結論ですよね。聖教団はこのことを知らないでしょうから、復活するという前提で動いているのは仕方ないと思います」


「なるほど、確かにそうだったね。でもそうなると、テネブー教徒の方はどうしてるんだろう。絶対に集まらないテネブーの魂を今も集め続けているのかな?」


「どうでしょうか」


 実際のところはティアナにもわからない。何しろテネブー教徒と話をしたことがないからだ。会ったところで話してくれるとも思えないが。


 今まで黙ってお茶を飲んでいたアルマも入ってくる。


「それにしても、テネブー教徒は自分のところの神様を復活させて何がしたいのかしらね。ルーメン教徒に対抗したいのかしら?」


「もちろんそれはあるだろうね。何しろ神同士からして仲が悪かったくらいだから、聖教団の弾圧もきついだろうし」


「どうしてそこまで仲が悪かったのよ?」


「ルーメンは真面目な奴で悪いことが許せない性格だったし、テネブーは逆にいい加減で悪さばかりしていたからだよ」


「聞いていると正反対の性格みたいね」


 根っこの部分が合わないことを知ってアルマはうなずいた。


 飲み干したジョッキにエールを注いでもらっている間に、リンニーがトゥーディへと疑問をぶつける。


「でも、トゥーディも噂話を知ってるんだね~。ずっと塔の中にいるのに、どうやって知るのかな~?」


「たまに材料の買い付けなんかで町に出向くことがあるんだ。それに、ここへやってくる客人とも話をすることがあるしね。完全に引きこもっているわけじゃないよ」


「そっか~。それじゃ、トゥーディはルーメン教徒がテネブー教徒をやっつけてるところを見たことってあるの~?」


「そりゃまぁ昔からやってるからね。だから自分の信仰する神を復活させて対抗したいっていう気持ちはわかるよ。実際にされると迷惑だけど」


「みんな困ったものだよね~」


 つぶやきながらもリンニーは注がれ終わったジョッキに再び口を付けた。


 それを見てからトゥーディがティアナへと顔を向ける。


「しかしどちらも厄介なことをしてくれるね。確かきみはテネブー教徒に狙われているんだっけ?」


「以前私達と敵対した者がテネブー教徒と共に襲ってきたので、間違いないでしょう」


「そんなに敵対した奴に恨まれてるの?」


「恨んでいるのは確かなのかもしれませんが、それだけではテネブー教徒が動く理由にはならないと思います。ただ、生かしたまま捕らえたかったようですので、テネブー教徒にも動機があるのかもしれません」


「単に殺すわけじゃないんだ。散々苦しめて殺すという線もあるけど、それだけじゃなさそうだよね」


 襲われたティアナからすると気味の悪い話だ。テネブー教徒側にティアナを襲う理由がある場合、例えウッツを倒しても延々と襲われることになる。


 話を聞いていたアルマが口を開いた。


「ティアナ、あんたこれからどうするのよ? 延々とテネブー教徒に狙われ続けるかもしれないわよ?」


「困りましたね。実際に一度襲われているわけですから、現実の話ですし」


「いっそのこと、聖教団の傭兵募集に応じてみる?」


「邪神討伐隊ですか? 狙われるくらいなら思い切り反撃するというのは良いと思いますけど、あちらはあちらで大変そうなことになると思いませんか?」


「大変なことって、例えば?」


「だって傭兵として集められるのですよ? 使い捨てにされるに決まってるじゃありませんか。身の危険を避けるために、別の危険に身を曝すことになります」


「そうだったわ。四六時中襲撃に備えるよりもましだと思ったんだけど、やっぱりそう簡単にはいかないわね」


 提案したアルマが渋い顔をしてうなずいた。


 ただ、ティアナとしてもいつ襲われるかわからない状態のままというのは困る。何らかの対策は必要だと感じていた。


「ともかく、男になるまでは何としてもこの大陸に留まらないといけないので、その間だけでもどうにかすることを考えましょう」


「男になったらどうするの~?」


「元の大陸に戻りますよ」


「あっちにはテネブー教徒はいなの~?」


 小首をかしげて尋ねてきたリンニーに言葉を返そうとして、ティアナは眉をひそめた。隠れて活動しているテネブー教徒が元の大陸にいないという保証はない。


 意外な盲点に気付いたティアナが頭を抱えた。やはりどうやっても解決しなければならないことに気付いたからだ。


 その様子を見ていたトゥーディがティアナを言葉をかける。


「少なくとも、男になる方法は研究開発するよ。しばらく時間がかかるだろうから、その間ゆっくりと考えたらいい」


「ありがとうございます」


「同時にきみは研究対象でもあるからね。僕としても簡単にはテネブー教徒には渡せない。ここにいる限りは守ることを約束しよう」


「やったねティアナ~!」


 隣で延々と酒を飲んでいるリンニーが嬉しそうに声をかけてきた。あれだけ飲んでいるのに飲む前とほとんど変わっていない。


 今まで目的を達成することだけを考えて行動してきたが、ここにきて自分が厄介なことに巻き込まれていることをティアナは実感した。これからの将来のことを考えても解決しておかなければならない。


 お茶に口を付けながら、ティアナはどうやって面倒なことを解決するのか考えた。

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