差し伸べられた手
ティアナ達への襲撃が失敗したエゴンだったが何とか生き延びていた。逃げ始めた直後は四人だったことは覚えているが、地上に出たときは一人だった。何度か悲鳴を聞いた気がするが他のことは覚えていない。
仲間を失い、金が底を突いたエゴンは八方塞がりになってしまった。酒代すらひねり出せない。もちろん宿代も支払えるわけもなく、最安値の安宿にも泊まれなかった。年の瀬も迫るこの時期に貧民街で野宿をする羽目になった。
そうして三日間、エゴンはグラウの町で悶々と過ごした。今日も何か食べるものはないかと繁華街をさまよい歩く。
そんなエゴンに声をかけてきた男がいた。
「よう、シケたツラしてどうしたんだ」
いかにも悪人面といった風貌の男だった。エゴンは初対面でいきなり親しげに話しかけてきた男を警戒する。
「なんだてめぇは?」
「オレァ、ゲルトってんだ。これから一杯やりに行くところで、たまたまお前さんを見かけたんだよ。これも何かの縁だ。おごってやるからついて来いよ。話くらい聞いてやるぜ」
そう言えばこの三日間ろくに食べていないことを思い出したエゴンは、とりあえず飢えをしのぐために男の話に乗ることにした。いつもとは違う安酒場へと連れて来られたエゴンは、店の奥にあるテーブルを囲む席に座る。
ゲルトは酒と料理を注文するとエゴンの隣に座る。
「ツイてないときはな、飲んで食って愚痴るのが一番だ。酒と食いモンはすぐに来るから、それまでまずはお前さんの話を聞かせてくれや」
胡散臭そうな視線をゲルトに向けていたエゴンだったが、どうもおごってくれるのは本当らしいと知って、ぽつぽつと最近あったことを話し始める。
その間に酒が来た。勧められるままに口を付けると、いつも飲んでいた薄い酒と違う。
「こいつぁ、うめぇ!」
「だろ。ほら、景気良くやっちまいな」
妙に優しい男の言葉を受け入れて、エゴンは喉を鳴らして酒を呷る。安酒には変わりないが、より酒の成分が強い一杯だ。久しぶりにその酒を飲んだエゴンの表情が明るくなる。
次いで料理もやって来た。豚肉と鶏肉をこんがり焼いて薄切りにしたものだ。それが皿に山と積まれている。
ゲルトはにやにやと笑いながら皿をエゴンへと押しやった。
「腹が減ってるんだろ? 好きなだけ食えよ」
「ありがてぇ!」
空腹だったエゴンは遠慮なく豚肉を摘まんで口に入れた。噛むとほどよい弾力が返ってきて、口の中に油が広がる。そしてそれを酒で洗い落とす。たまらなかった。
その様子をゲルトは木製ジョッキをちびちび呷りながら眺めていた。顔は相変わらずにやついているが、目はエゴンを品定めするかのように冷めている。
久しぶりのまともな食事で一息つけたエゴンは、木製ジョッキに残っていた酒を飲み干して大きく息を吐き出した。
それを見計らってゲルトはエゴンに話しかける。
「いい食いっぷり、飲みっぷりだったぜぇ! これでこそおごり甲斐があるってもんだ!」
すっかり気の緩んでいたエゴンは、ゲルトのあからさまなおだてに機嫌を良くする。こんなに良い気分で飲み食いできたのは久しぶりだ。
ゲルトは給仕に追加の酒を注文するとエゴンへと向き直る。
「落ち着いたか? それじゃさっきの続きといこうか。そういやおめぇ、何て名なんだ?」
「オレはエゴンってんだ! 実はよ、グラウ城の地下に潜って、金目の物を探すだけじゃなく、他のトロそうな奴から金を巻き上げてたんだよ」
一度話し始めるとエゴンは延々と話し続けた。最近失敗した追い剥ぎの話、このグラウの町へ来てからのこと、そして果ては生い立ちまでだ。一山当てることを夢見ながら今やこの町へ来訪したときよりも状況が悪くなっていることに、かなりの不満を抱いている。
そんなエゴンの愚痴や後悔の話を延々とゲルトは聞き続けた。時折、相づちを打ったり主張を全肯定したりする。そうしてエゴンの胸の内にあることを吐き出させた。
話が終わる頃には、何杯も酒を飲み続けたエゴンはふらふらになっていた。しかし、内にあるものをすべて晒せたおかげで上機嫌だ。
目を細めたゲルトは懐から一つの腕輪を取り出してエゴンの前に置いた。鈍い銀色の光を放つ腕輪だ。
エゴンはその腕輪を手に取って首をかしげつつも眺める。
「なんだい、こりゃ?」
「幸運の腕輪さ! こいつを付けてれば、大きな不幸も小さな不幸に、小さな不幸は幸運に変わるんだ! お前さん、話を聞いてると生い立ちからして不幸じゃねぇか。明らかにその実力に見合った人生を送ってねぇ!」
「お、おう。そうか?」
「ああ間違いねぇとも! あとほんの少し運がありゃ、もっと面白おかしく生きてられるのによぉ。実に惜しい!」
ゲルトにそう言われていると、エゴンはなんだかそんな気がしてきた。つい先日追い剥ぎに失敗したあの女子供三人組だって、背後からの奇襲が成功していればこんな目に遭っていなかったのだ。
となると、後は自分に足りないものを他で補えばこんな生活から抜け出せると、エゴンは酔いの回った頭で考える。そして、その足りないものを補える腕輪が目の前にあった。
「これを付けたら、ツキが回ってくるのか?」
「もちろんだ! ほら、オレもこの通り付けてるだろ。それによ、実は後で紹介する仲間にも腕輪を渡してんだよ」
「それで、そいつらにもツキが回ってきたのかよ?」
「そいつらにゃ、別の効果を発揮する腕輪を渡してる。腕力、敏捷、器用、観察、幸運の五つがあるんだが、おめぇの場合はツキ、幸運の腕輪だと思うぜ」
首をかしげるエゴンだったが、酒と料理をごちそうしてくれたゲルトがここで嘘を言う理由が見当たらなかった。本当に世話好きな奴なのかもしれないとエゴンは納得する。
「これを嵌めりゃ、いいんだな?」
「その通り! それで腕輪に血を少し付けりゃお終いよ!」
「血ぃだと?」
「オマジナイには血が付きモンだろう?」
一瞬胡散臭そうに思ったエゴンだったが、先程まで見ず知らずの自分にこれだけのことをしてくれた男を疑うことはやめる。それに、一文無しの自分を騙しても、何の得にもならないとも思った。
「いいぜ。付けてやろうじゃねぇか」
「それでこそだ!」
ゲルトにおだてられて改めて機嫌が良くなったエゴンは、袖をまくり上げて腕輪を左に嵌める。そして、差し出されたナイフで人差し指を少し切って、わずかに滲んだ血を腕輪に付けた。
「なんにも変わんねぇな」
「そりゃまだ何にもしてねぇからな。これからだよ。まぁ、他の腕輪をしている兄弟も最初はみんな疑って疑ってたけどな」
「兄弟?」
「そうよ! 同じお揃いの腕輪をしてっだろ!」
上機嫌な様子でゲルトが左腕の袖をまくり上げると、エゴンと同じ銀の腕輪が嵌められていた。同じ服を着たり首飾りをすることで仲間意識を高めるということはエゴンも知っている。男の言葉にそんなものかと思った。
そんなエゴンを見ているゲルトは、さも当然と言った口ぶりで語りかける。
「よし、それじゃ本当にツキが回ってきたかどうか、試して見ようぜ」
「試すって、どうやってだよ?」
「ここにゃちょうどおあつらえ向きの場所があんだろ?」
エゴンの肩を叩いたゲルトがにやりと笑う。
「グラウ城の地下だよ。オレも一緒に行ってやっから、ツキが回ってきたのか試そうぜ」
「でも、オレ今は武器がねぇんだよ」
「なぁに、それくらいオレが用意してやんよ!」
普通ならば、初対面でいきなりここまで用意する者など怪しく思う。しかし、今のエゴンは、路頭に迷いかけていた自分を助けてくれたこのゲルトをかなり信頼してきていた。
「へへ、さっきまでのことを考えると、早速ツキが回ってきたみてぇだな」
「ははっ! 試すまでもねぇってか! 嬉しいねぇ、助けた甲斐があったってモンよ!」
ゲルトは嬉しそうにエゴンの肩を何度も叩く。そして、嬉しそうに宣言した。
「よし、今日は徹底的に飲もう! 宿はオレの泊まってるところを紹介してやる!」
「そうだな! 飲むぜ!」
ここまで無償で親切にされたのは初めてのエゴンは、嬉しくなってうなずく。数時間前までの不幸が嘘のようだ。
再び注文してやって来た木製ジョッキを手に取ると、エゴンはうまそうに仰いだ。
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翌日、エゴンは男と共にグラウ城の地下牢にいた。
約束通り、男は武器を用意してくれた。それだけではなく、防具や服など必要な者一式を揃えてくれたのだ。今のエゴンになぜそこまでしてくれるのかという疑問はなかった。すべて自分にツキが回ってきたという一言で済むからである。
グラウ城の地下で運試しをすると言われて、エゴンはてっきり金目の物を探すとばかり思っていた。見つかるかどうかは完全に運頼りなので、ぴったりだと思ったからだ。ところが、地下牢の階層から先に進もうとしないゲルトを見てエゴンは首をかしげる。
「なぁ、洞窟にまで行かねぇのかい? ここじゃ金目の物は見つからねぇぜ?」
「おめぇ、何するつもりなんだ?」
「は? いや、そりゃもちろん、金目の物の探索だろう」
「チンタラやっててもしょうがねぇだろ。少し前まで追い剥ぎをしてたんじゃねぇのかよ」
「いや、そりゃやってたが、二人ですんのか!?」
さすがに無謀だと思えたエゴンが驚いた。
通常探索者は四人前後で一組となる。そのため、他の探索者を襲う場合も同じ人数を揃えるのが一般的だ。それを二人でするとなると、さすがに運の善し悪し以前の話に思えた。
腰の引けたエゴンを見てゲルトはにやりと笑う。
「大丈夫だって! おめぇならやれる! オレを信じろよ!」
困惑した表情のままでエゴンが固まる。確かにゲルトのことは信頼しているが、エゴンは自分の腕をそこまで信用できないのだ。
尚も迷っていると、向こうから誰かがやって来る。それに気付いたゲルトが剣を抜いた。
「ほら来たぜ。覚悟を決めな」
「ああもう! おい、真っ正面から行くのかよ!?」
「大丈夫だって! オレたちゃツイてんだからよ!」
てっきり不意打ちをすると思っていたエゴンは、自分の言葉など意に介しないゲルトに困惑しながらも後をついていく。
相手は探索者四人だ。内一人は怪我をしているらしく肩を借りて歩いている。相手の中ですぐに戦えるのは二人だけだ。
「二対一じゃなく、サシか。ツイてる」
思わず自分のつぶやきにエゴンは驚いた。そう、確かに運が良い。
抜き身の剣を持ったまま男はその四人に近づいていき、満面の笑みで挨拶した。
「よう! オレは今、兄弟に自分がツイてることを信じさせてぇんだ。だからちょっと死んでくれ!」
あまりにも真正面から堂々とゲルトが言ってのけたために、探索者四人は警戒しつつもあっけにとられてしまった。その間にゲルトが間合いを詰める。
さすがに危険を察知した探索者の前衛二人は剣を抜こうとするが、そのうちの一人は抜ききれなかった。ゲルトに剣の柄を持った右腕を切り落とされたからだ。特に鋭い剣捌きというわけではなかったが、運悪くゲルトの剣先の範囲に肘が入ってしまった。
「ぎゃっ!」
思わず右腕を抱えた探索者の頭にゲルトの剣が無造作に叩き付けられる。避けきれなかった探索者は大量の血を撒き散らしながら床に崩れ落ちた。
それを尻目にエゴンは剣を抜き、目の前の剣を抜いたばかりの探索者に斬りかかる。その探索者は隣の仲間があっさりと倒れたことに驚いて、視線をそちらへ向けてしまった。エゴンが相手の首筋にたたき込んだ剣は、その首を半ばまで切断する。
声もなく崩れ落ちる目の前の探索者から奥へと目を向けると、エゴンはゲルトが次の相手を切りつけているところだった。負傷していた探索者はその脇で跪いてゲルトを見ている。
「ははっ、ツイてる!」
エゴンが更に前へ進むと、負傷した探索者は自分に気付かれる。相手は慌てて剣を抜こうとするが遅かった。エゴンは剣を抜くことを許さずに、相手の頭を剣でかち割った。
終わってみると一瞬だった。今まで慎重に不意打ちを狙っていたのが馬鹿みたいだ。
剣に付いた血糊を振り払いながら、ゲルトが笑顔でエゴンに声をかける。
「どうだい? ツキが回ってるって信じられたか?」
「はは、そうだな。少なくとも前よりは良さそうだ」
「そりゃ良かった! おっとそうだ!」
何を思いだしたのか、ゲルトは剣を鞘に戻すと死体の懐や背嚢を漁り始めた。
一体何をやっているのか不思議そうに眺めていたエゴンが尋ねる。
「おい、何やってんだ?」
「決まってるだろ。金目の物を探してんだよ。おめぇもよくやってんだろ? これで一発でかいのを引き当てりゃ、お、あったぜ!」
嬉しそうに声を上げたゲルトが手にした物をエゴンに投げて寄越した。受け取ったエゴンがそれを見ると、金と銀で装飾された髪飾りだ。売ると結構な値がするだろう。
満面の笑みを浮かべたゲルトが、立ち上がってエゴンに尋ねる。
「どうだい、自分のツキが信じられるようになったか?」
「ああ、本当にオレにもツキが回ってきたみたいだ」
やっと自分の幸運を認められたエゴンは、ゲルトと同じように笑顔を浮かべた。
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