迷惑な知り合い

 昼間から酒を飲んだ翌日、ティアナ達は宿泊した宿で目を覚ました。幸い、誰も二日酔いにはなっていない。


 昨日、部屋に置いたままの荷物に誰かが触った形跡はなかった。リンニーが風の精霊に問い質しても部屋に誰も入ってこなかったらしいので、今回は平穏だったようだ。


 安心して一晩を過ごせた三人は階下の食堂へと移る。早朝に出発する者達が出て行ったこともあって食堂内はいくらか落ち着いていた。


 開いているテーブルを囲ったティアナ達は、パンと豆を煮込んだスープを給仕に運んでもらう。今日はのんびりとするので朝食に肉はなしだ。


 固めのパンを千切ってスープに浸したティアナはそれを口に入れた。煮込まれて崩れた豆とパンが絡み合い、幸せを運んでくる。


「やっぱり起きたてはあっさりした物が良いですね」


「体は若いからいきなりお肉でもいけるんだけど、どうしても精神的にはねぇ」


 同じく美味しそうに食べるアルマが苦笑いした。もちろん二人とも肉は大好きなのだが、転生前の晩年は中年だったので嗜好はどうしても若くなりきらないのだ。


 一方、リンニーは笑顔で淡々と料理を食べている。その量は他の二人と同じだ。酒以外はどこまでも常識的なのだった。


 他愛ない話をしながらパンと豆の煮込みスープを食べ終わると、アルマがティアナに声をかける。


「さて、これからどうするの? 護衛を募集してる隊商を探すとしても、朝からがっつりってわけじゃないんでしょ?」


「そうなんですが、かといって特にやることもないんですよね。交易の中継地点だそうですから、市場を冷やかすのが無難だとは思いますが」


「だったら小物探しに付き合ってくれない? 何があるのか見ておきたいの」


「好きでしたよね、そういうの。いいですよ。リンニーは何かしたいことってあります?」


「う~ん、お酒は夜に飲めばいいから、特にはないよ~」


 既に今晩飲むことが決まっていることを知ったティアナとアルマは力なく笑った。


 今日の方針が決まった三人は一旦部屋に戻り、外出する準備を整える。戦うわけではないので防具は必要ないが、何かあったときのために武器は身に付けておいた。


「イグニス、荷物番をお願いします」


 呼ばれた火の精霊は半透明な火柱姿を明滅させながらティアナの元を離れて背嚢の上に浮かぶ。そこで再び姿を消した。


 用意ができたティアナ達は宿屋を出て市場へ足を向けようとしたが、周囲の人々の様子がざわついているに気付く。


 何事かと三人とも周囲の様子を窺ってぽつりぽつりと単語を拾った。


 おおよそ推察できたところでアルマが口を開く。


「朝っぱらから邪教徒狩り? 聖教団も熱心ねぇ」


「話には聞いていましたが、まさか自分達のいる街でやってると思いませんでしたね」


 まるっきり別の世界の出来事のように噂話をしていたことが、自分の身近で起きると受け止め方が変わってくる。それはティアナ達も同じだった。


 話を聞いていたリンニーがティアナに尋ねる。


「ねぇ、見に行くの~?」


「聖教徒が邪教徒狩りしてるところですか? いえ、さすがにそれは」


 問われたティアナが首を横に振った。娯楽に飢えた一般人ならばともかく、何度も荒事をこなしてきたティアナはそういった捕り物劇を見ても楽しめない。


 念のためにティアナはアルマを見てみたが、同じく首を横に振り返された。


「君子危うきに近寄らずってことわざ覚えてる? 危ないことに近づいちゃ駄目よ」


「クンシ? 何それ~?」


「昔のことわざよ。賢い人は危ないところに近づかないって意味よ」


 説明を聞いたリンニーだったがその反応は薄かった。アルマもとりあえず説明しただけらしく、すぐにティアナへと顔を向ける。


「ということで、少し早いけど市場に行きましょ。邪教徒狩りは住宅街だそうだから、あっちに危険はないはず」


「関わっても良いことはなさそうですし、そうしましょう」


 ティアナとしても面倒なことには関わりたくなかったのでアルマに賛成した。


 三人は危険を避けるように宿屋の前から出発する。


 多少ざわつく周囲の人々を気にしつつもたどり着いた市場は、まだ開店準備中の店が多かった。特に露天商は街の周辺から出向く者が多いので店開きの時間はそれだけ遅い。


 もちろん客の姿もほとんどなく、往来するのは商売人やその関係者が大半だ。誰もが大なり小なりの荷物を抱えたり背負ったりしている。


 そんな中を三人は歩くが、たまにティアナやリンニーの容姿に惹かれて足を止める者以外は誰も興味を示さない。交易の中継地点だけあって皆が異邦人に慣れているのだ。


 周囲を珍しそうに見回しつつもリンニーが先頭を歩くアルマに声をかける。


「小物のお店ってどこにあるの~?」


「あたしもここは初めてだから、よくわからないわよ。ぐるっと一周したらそのうち見つかるでしょ」


 いい加減な返答に聞こえるが、案内人なしで現地をうろつくのだからこんなものだ。問いかけたリンニーも気にした様子はなく、すぐに周囲へと意識を向けた。


 同じく周りを見ていたティアナが今度は口を開く。


「まだ開いていないお店が多いですね。小物のお店が閉まっていたらどうします?」


「そのときは護衛を必要としてる隊商探しを先にするわよ。元々そっちが目的なんだし」


 返答を聞いてティアナは納得した。言われるまで仕事探しのことを忘れていたのは内緒である。


 時間つぶしという感じで三人が市場の中を歩いていると先方が騒がしくなった。しかも、その騒ぎが次第にこちらへと近づいてくる。


 意識をそちらへと向けると、誰かかが往来する周囲の人々にぶつかりながら走っている

ようだった。


 眉をひそめたアルマがつぶやく。


「スリでも逃げてるのかしら?」


「こんな派手にですか?」


「大方ヘマでもしたんでしょ。それで持ち主に追いかけられてるんじゃないの? ああ、見えてきたわね。え?」


 驚いたアルマを不審に思ったティアナも視線をその先へと向けた。すると、浅黒い肌に筋肉質な体躯で目つきが悪い男が全速力で自分達に向かって走ってきている。


 見覚えのあるその姿にティアナとアルマ同時に叫んだ。


「「ウッツ!?」」


「ああ!? げっ、なんでてめぇらがいるんだよ!?」


 二人の叫び声に気付いたウッツも目を見開いた。そしてすぐに顔をしかめる。


 ウッツの背後には血相を変えた数人の男達が追いかけていた。特に先頭を走る男は金髪に黒目の美丈夫だが、その表情のせいで色気などすべて吹き飛んでしまっている。


 彼我の距離はもうあまりなかった。そのまま見過ごすのか、それとも捕らえるのか、考えている時間はほとんどない。


「あなた、またろくでもないことをしてますね!?」


「てめぇにゃ関係ねぇだろ!」


 以前の所業を思い出したティアナはウッツを止めるべく構えた。隣のアルマも同じ考えに至ったらしく、腰を低くする。


 自分を止める気だとすぐに察知したウッツは舌打ちすると、一瞬の判断で急減速しつつティアナ達の数歩手前にある路地に入った。


 そのまま突っ込んでくると思ったティアナとアルマは、ウッツがいきなり脇にある路地へ曲がったことに呆然とする。しかし、すぐにウッツを追いかけていた男達に気付いた。


 先頭を走る金髪黒目の美丈夫が叫んだ。


「ちょっと、そこ!」


「うわぁ!」


 不意を突かれたティアナが子女にあるまじき悲鳴を上げて美丈夫を避けた。隣のアルマも同様に止まれなかった男達を避けるために横へ飛び退く。


 男達が急静止しようとする間にティアナがアルマへ顔を向けた。


「とりあえず追いかけて、官憲に突き出しますよ!」


「かっぱらいなんて順調に落ちるところまで落ちてるわね!」


「え、行くの~!?」


 叫んだリンニーにうなずき返すと、ティアナはウッツが消えた路地に駆け込んだ。表の通りに比べて薄暗いが、さすがに朝なので気味悪さはない。


 路地を走ってティアナはすぐに気付いたが、少ないながらも人の往来はある。通勤する者や近道として利用する者などだ。路地は狭いので走りながらすれ違うのは厄介である。


 しかし悪いことばかりではない。路地が分岐する度に人々の様子を窺うことでウッツの逃げた方向が大体わかるからだ。いきなりぶつかられると普通は怒る。


 大の男であるウッツに対してティアナ達は一回り小さい。戦う場合は体力面などで不利になりやすいが、人が往来する狭い路地を走るとなるとその点が有利に働く。


「うわっとぉ!?」


 一旦路地から出たらしいウッツの悲鳴がティアナ達に聞こえた。同時に馬のいななきも耳に入る。通りに出たところで荷馬車に轢かれかけたのだと知った。


 周囲の視線の先を見て対面の路地へと逃げ込んだと判断したティアナは、迷わずに自分も飛び込む。いきなり荷物を持った厳つい男とぶつかりかけたが寸前で回避した。


 男を避けると、ティアナの瞳に馬に轢かれかけたことで大きく足を止めたらしいウッツの背中が映る。ようやくその姿を捕らえた。


 人通りが途切れたときにウッツが振り向き、ティアナ達が追いかけてきていることを知って目を見開く。


「聖教徒じゃねぇ!? なんでてめぇらなんだよ!」


「悪さをする者を捕らえるのは当然です!」


「てめぇにゃ関係ねぇだろ!」


「個人的にも文句があるんです! 諦めて捕まりなさい!」


 息を切らせながらティアナとウッツが走りながら言い争った。


 思えば初めて出会ったのがガイストブルク王国だが、ティアナはウッツにやられっぱなしだ。取るに足らないことではあるが、同時に気にくわないことでもあった。


 再び往来する人の姿が路地に現れる。人通りが途切れたときに開いた差が再び縮まった。


 今になってティアナはアルマとリンニーがついて来ているのか気になったが、後ろを振り向く余裕がない。ついて来ていると信じて走り続ける。


「ってぇな!」


 再び別の表通りに出た。ウッツが突き飛ばしたらしい人が地面に倒れて向かいの路地に向かって怒鳴っている。


 二度目の表通りを見て気付いたが、ティアナは今街のどこにいるのかわからなくなっていた。有り体に言えば迷子なわけだが、今更走るのを止めるわけにはいかない。


 次の路地は人の数が増えた。ただし、往来するのではなく地面に座り込んでおり、どの者達も表情は暗く姿はみすぼらしい。貧困地区に入ったのだとティアナはすぐに気付いた。


 ここから先は先程までとは違って身の危険が高くなるが、それでもティアナは走り続ける。ここまで来て見失いたくなかったのだ。


 ところが、いくつかの分岐路を曲がったところで、ウッツがどこに向かったのかわからなくなった。周囲の人々を見ても誰にぶつかったのか判別できなかったからだ。


 さすがにこうなるとティアナにはお手上げである。追跡の専門的な知識があるのならともかく、荒事を経験したという程度ではどうにもならない。


 ついにティアナは足を止めた。途端に荒い呼吸が肺と喉を痛めつけてくる。何度荒い呼吸をしても簡単に収まってくれない。


「はぁはぁはぁ!」


 体の思うままに息を繰り返したティアナは時間をかけて呼吸を整えた。腰に手をやって水袋がないことに気付いて顔をしかめる。街中では不要だと宿に置いてきた。


 次第に息が落ち着いて頭にも酸素が巡ってきたことをティアナは実感する。心身共に落ち着いてきたと思えたところで周囲へ視線を巡らせた。


 この街で今まで見てきた建物とは異なり、古く汚れた建物が文字通り所狭しと連なっている。住人らしい人々の視線に敵意はないが、よそ者に対する警戒心は強く感じられる。


 ここから立ち去らなければならないことを理解したティアナは来た道を戻った。


 幸い、深く入り込んだわけではなかったので、記憶の通りに路地をたどると表通りに出られた。すると、通りの反対側からアルマとリンニーに声をかけられる。


「ティアナ! あんた一人で先走りすぎよ!」


「よかった~!」


 寄ってきた二人を見てティアナは肩の力を抜いた。追いかけているときは夢中で周りが見えなかったが、落ち着くと一人で貧困地区にいるというのはやはり怖い。


「ごめんなさい。全然周りが見えてませんでした」


「あそこまで必死になって追いかけるとは思わなかったわよ。で、その様子だと見失ったみたいね」


「ええ。思うようにはいきませんでした」


「仕方ないわね。こういうのに慣れてるわけじゃないんだし」


 仲間に慰められることを嬉しく思うティアナだったが、取り逃がしたことはどうしても悔しく思ってしまう。


「ねぇ、一度宿に戻らない~?」


「そうしましょうか。散々走って疲れてしまいましたから。ところでここはどこですか?」


「えっと~」


「街の大きさにだって限りがあるんだし、通りに沿って歩いていたら何とかなるわよ」


 顔を向けられたアルマが苦笑いしながらリンニーに返答した。


 三人の意見がまとまったところでアルマを先頭に通りを歩く。


 時間が経つにつれてティアナは全身に疲労を強く感じるようになる。ウッツを逃したのは残念だったが、ともかく今のティアナは落ち着きたかった。

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