野営地での混戦
霧の丘に偵察隊を送り込んだ勇者アレックスは報告を今か今かと待っていた。
本来なら自分が先頭に立って偵察したいくらいなのだが、さすがにそれは周囲に止められて諦めている。一度肩透かしを食らっているので意気込みは強くなっているのだ。
その意気込みは二部隊を送り込んだ翌日の夜に更に高まった。邪教徒と接触したとの報告を受けたからだ。
「よし、それなら増援を送って更に広範囲を捜索しよう! 何なら俺が出るぞ!」
「待ってくださいよ、アレックス隊長。まだ本隊が見つかったわけじゃねぇっすよ」
「だから捜索隊の数を増やすんじゃないか。その方が邪教徒を見つけやすいだろう?」
「そんなに捜索隊ばっかり出してたら、本隊の戦力がなくなっちまいますよ。ここは我慢ですぜ」
アレックスが勇者活動をしてからは最古参の傭兵となるインゴルフが逸る隊長をなだめた。学はないが場数を踏んでいるので戦いに関する助言は真っ当である。
おかげで他の聖騎士や騎士はあまり意見することがない。傭兵が出しゃばりすぎという思いはあっても、憎まれ役も引き受けてくれるのならばと黙っているのだ。
そんな周囲の思惑などつゆ知らず、アレックスは邪教徒と邪神を早く討ちたいと落ち着きなく討伐隊内を歩き回っていた。
更にその翌朝、今日もまた待つだけかとアレックスは不満げに自分の天幕内を歩き回っている。身に付けた聖鎧と聖剣が擦り合って一定の調子で音を立てていた。
天幕の出口近くで立っているインゴルフがそんな勇者に声をかける。
「書類を片付けて落ち着いたらどうなんですかい?」
「落ち着かなくて事務作業ができないんだ」
「けど、そんなぐるぐる回ってたって、いい話は舞い込んじゃきませんぜ?」
「わかってるんだけど、体を動かさないと落ち着けないんだよ」
まるで子供だなと思うと同時に、自分も体を動かした方が落ち着くのでインゴルフはそれ以上諫めるのはやめた。
霧の丘の北端である邪神討伐隊の野営地にも霧はたちこめているが、日が昇るにつれて薄くなっていく。
誰もが昼食までの時間はまだ先だなと思っていると、霧の丘から何か獣の咆吼のようなものが聞こえてきた。最初は霧の丘側の見張りだけだったが、すぐに全員の耳に入る。
予想外の低く響き渡るような雄叫びに邪神討伐隊の面々は面食らった。邪教徒との戦いは想定していたが、人間以外についてはあまり考えていなかったからだ。
最初に霧の丘から出てきたのは土人形におぶさった女三人組だった。野営地から少し離れたところの谷間から出てきて、邪神討伐隊を横切ってそのまま北上しようとする。
その様子を訝しげに眺めていた傭兵達だったが、次に霧の丘から姿を現した半透明で巨大な黒いサイを見て驚愕した。
「なんだあのデカブツ!?」
「邪教徒が召喚したのかよ!」
最初の雄叫びに気付いて天幕から出ていたアレックスは、騒ぐ傭兵達の背後からその様子を見つめている。
「あれは、ティアナ? いやそれよりも、なんだあの魔物は!?」
「でけぇ! 真っ黒っぽいが、あっち側が透けて見えるぞ?」
勇者の隣でインゴルフが驚いた。仲間であるトーマス、ローマン、ホルガーは唖然としている。
しかし、邪神討伐隊の面々がのんきに見物できていたのはここまでだ。ティアナ達を追っていた巨大な黒いサイは突如音もなく止まると、ゆっくり討伐隊へと向き直った。
いきなり矢面に立たされることになった傭兵達は、何が起きているのかよくわからずに呆然としたままだ。そこへ巨大な黒いサイが突っ込んでくる。
これが作戦を立てて陣形を整えた上でならまだ様になる形で迎え撃てたのだろうが、何の準備もなしに開戦とあってはどうにもならない。傭兵達は悲鳴を上げて逃げ惑う。
逃げ遅れた者達が巨大な黒いサイと交差すると瞬く間に干からびた。傭兵や聖教団の兵士など関係なしにだ。
まっすぐと自分達に向かって来る巨大な黒いサイを見たインゴルフと三人の仲間はその進路上から退避した。犠牲者の惨状を見て同じになりたいとは誰も思わない。
ところが、一人アレックスだけは聖剣を鞘から抜いてその場で構えていた。あくまでも迎え撃つ気である。
思わずインゴルフが叫んだ。
「おい隊長! 無茶だって!」
勇者の意を翻そうとインゴルフが声をかけるが、アレックスは動かない。そうしてすぐに巨大な黒いサイが突っ込んで来た。
「好きにさせるか!」
「ウ゛ォォァァァ!!」
構えた聖剣を振り上げて縦一閃に振り下ろした勇者に巨大な黒いサイが交わると赤黒い火花が盛大に散った。そして、そのまま半透明な黒い巨体が突き抜ける。
交差した後、聖剣を振り抜いたままのアレックスから火花が消えると、振り向いて再び聖剣を構えた。
「さすが先代勇者が使っていた鎧だ。あんな大きな魔物の呪いも跳ね返すとは。しかし、剣は通じないのか?」
振り返った巨大な黒いサイが勇者を見てうなりを上げていた。アレックスはそれを恐れることなく見返しながら眉をひそめる。聖鎧は効果があったのに聖剣は空振りしたがその理由がわからない。
ともかく、少なくともやられないということがわかっただけでもアレックスには収穫だった。あとは攻撃に集中できるからだ。
一方、巨大な黒いサイに真っ向から触れながらも平気だった勇者の姿を見た傭兵達は、勝てる可能性を見いだせて沸き立った。それはインゴルフも同じで、興奮しながらアレックスが得体の知れない魔物と戦う様子を食い入るように見ている。
そんな邪神討伐隊の面々だったが、次々と悲鳴を上げる者達が現れた。何事かと皆が振り返ると、半人半魔達が傭兵に襲いかかっている。
「なんだありゃ!?」
「うおっ、こっちに来たぞ!」
髭面のトーマスと傷だらけのホルガーが目を剥きつつも剣を抜いて構えた。猛烈な勢いで突っ込んで来た半人半魔は真正面のトーマスに襲いかかる。
「うわぁぁ!」
「落ち着け! 一人で敵わねぇんならみんなで戦え!」
錯乱しかけた褐色のローマンをはたいて落ち着かせたインゴルフは、自身も剣を抜いてトーマスを助けにかかった。
周囲は巨大な黒いサイのせいで混乱した上に、半人半魔が襲いかかってきて無統制になっている。襲撃してきた半人半魔の数は多くないが、一体に数人がかりでないと相手にできないため傭兵達は苦戦していた。
邪神討伐隊の野営地は突如混沌とした状態になってしまったが、その中を足早に歩く一団がいる。ヘルゲ達だ。
「おお、我が主、なぜあなた様が突然去られたのかようやく理解できました。憎きかつての勇者の遺品があったからですね! それに強く反応なされたとは!」
機嫌良く独り言を口にするヘルゲを男女七名が取り囲んでいた。
背後に従うウッツがつぶやく。
「あのデカブツ、単に突っ込んで行っただけのように見えなかったか?」
「ちっ、知らねぇ。こんな走り続けるなんて思わなかったぜ。後で追加報酬もらわねぇと」
疲れた表情のラウラがどうでもよさそうに返事をした。予定にない重労働をさせられて不機嫌になっている。
更にユッタも忌々しそうにため息をついた。
「あーあ、せっかくの仕込みが全部台無しになっちゃったじゃないのよ。最低」
邪神討伐隊の中で籠絡した男はラウラの所属部隊以外にもいた。何かしら役に立つと密かに期待していたが、見境なく半人半魔に食われていることを考えると徒労感が増す。
その半人半魔にしてもティアナ達と戦った盆地で半数を失っていた。テネブー神が本当に復活するのならいくら犠牲が出ても帳尻は合うのだろうが、色々と準備してきたものが浪費されるのは面白くない。
今や手元で自由に動かせるのが周囲の傭兵四人だけである。戦うこと自体は得意でないので、戦場でやれることはほとんどないユッタとしては心細い。
合計八名の一団が少し離れた場所で勇者と巨大な黒いサイの対決を眺めていたが、ようやく半人半魔一体を倒したインゴルフがそれに気付く。そして、思わず叫んだ。
「ラウラ! おめぇそんなところで何してやがる!?」
「ああ? インゴルフじゃねぇか。精が出るねぇ」
「隣の男は確か、去年アレックス隊長が追いかけ回してたヤツか?」
「なんだてめぇ、あんときの傭兵かよ。また変なところで会っちまったなぁ」
「ということは、おめぇら邪教徒? ラウラまさか、裏切ったのか!?」
「金払いのいいところに流れるのが傭兵ってモンだろ?」
「バカ言え! 勝手に契約破棄したら裏切りモンだろうが!」
「はっ、知らないね、てめぇのヘリクツなんざ」
あまりに自分勝手な言い分にインゴルフは目を剥いたが、口を開く前に仲間に呼ばれてしまう。振り返ると、新たな半人半魔が襲ってくるところだった。
「ちくしょう! おめぇ、後で覚えてろよ!」
歯噛みしながら仲間と共に半人半魔と戦い始めたインゴルフをラウラは小馬鹿にした様子で眺めた。
周囲で乱戦となっている中、アレックスは目の前の巨大な黒いサイと戦うことに手一杯である。最初の交差から既に何度か交わっていたが、今のところ結果は変わらない。
負けることがないと確信しているアレックスに恐怖感はなかった。しかし、いくら聖剣で切りつけてもまったく手応えがないというのには多少焦燥感を覚える。
「何が悪い? どこか弱点を突かないと効果がないのか?」
一度目の交差で相手に実体がないことは理解していた。聖剣は霊体でも斬れるので問題ないと思っていたが、何度斬りつけても効果がないので首をかしげる。今までにない敵だ。
このままでは埒が開かないと考えたアレックスは、聖剣の真の力を引き出して決着をつけることにする。
両手で聖剣を握りしめたアレックスが叫んだ。
「天に御座します我らが偉大なる神よ! 敵を討つ
勇者が叫び終えると聖剣の剣身が輝き、二倍近い光の刃が現れた。聖教団が伝承として広めている英雄譚に出てくる聖剣の描写そのままだ。半人半魔と戦いつつも勇者の持つ聖剣が変化したことに気付いた者達からどよめきが起きる。
同じく聖剣が変化したことに気付いたらしい巨大な黒いサイは、何度目かの突撃をしようとして踏みとどまった。
その変化を見たアレックスはこの攻撃は通じると判断して始めて自分から敵に向かう。
「くらえ、化け物!」
光の刃が更に何倍にも伸び、勇者が間近に迫らずとも剣の間合いに相手が入る。アレックスは躊躇わずに聖剣を振り抜いた。
さすがに今回の攻撃は危ないと思ったのか、巨大な黒いサイが初めて勇者の攻撃を後退して躱す。心なしかその雰囲気は悪くなった。
今までの戦いとは打って変わって、現在はアレックスが攻め、巨大な黒いサイが避けるという状態になっている。邪神討伐隊の面々はますます興奮した。
反対にヘルゲは青ざめる。自分の神が苦境に陥っているのだ。何とか助けねばならないという思いに駆られる。
「我らが神が苦戦されている! お前達、あの勇者を今すぐ殺せ!」
「あの戦いの中へ突っ込めってんですかい?」
「そうだ! 忠実な僕として、神をお助けするのだ!」
「アタシらは下僕じゃねぇよ。大体、神様ってんなら、あいつをもっとあっさりと片付けりゃいいじゃねぇか」
「我らが神はまだ不完全な状態なのだ。勇者ごときに苦戦するのもやむを得ん!」
「けど、そんな簡単にはいかないみたいよ?」
ヘルゲ、ウッツ、ラウラが言い合っているところに、ユッタが前を見ながら三人へと声をかけた。その視線の先にはインゴルフとその仲間三人が立っている。
「やい、おめぇら! アレックス隊長の邪魔はさせねぇぞ!」
「あんなバケモンが神様だぁ? 頭おかしいんじゃねぇのか?」
「よくもあんなモン連れ込んで来てくれたな!」
「ここからは通さねぇぞ! もうすぐ俺達の仲間も来るからな、覚悟しやがれ!」
インゴルフに続いて、トーマス、ローマン、ホルガーが次々と啖呵を切った。
目を剥いたヘルゲが四人をじっと睨む。
周囲の乱戦は徐々に邪神討伐隊が優勢になりつつあった。被害は甚大なものだが、数にものをいわせて半人半魔の数を徐々に減らしている。
既に霧は完全に消えており、逃げるのなら今のうちだ。しかしそうなると、神と崇める巨大な黒いサイを見捨てることになる。そんなことはヘルゲにはできない。
「ウッツは私に付いてこい。他はこの愚か者どもを相手にしておけ」
「金ははずんでくれるんだろうねぇ?」
「ああ、充分にくれてやるとも。殺せば更にな」
「よし乗ったぁ!」
鞘から長剣を引き抜いたラウラが一番に突撃した。ぶつかった相手はインゴルフだ。それを合図に戦いが始まり、籠絡された男三人がインゴルフの仲間と剣を交える。
それを見届けるとヘルゲは脇を通り抜けて勇者の元へと向かう。ウッツがその後に続いた。
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