起死回生の一手

 妨害されている魔法を精霊が短時間だけ使えると知ったティアナは、その切り札が最大限に効果を発揮する方法を考える。


 今やるべき事は自分達の魔法を妨害している原因を排除することだ。これさえ実現できれば精霊は十全に魔法を使えるので、複数の相手でも充分に戦える。


 もちろんユッタ達もそれを理解しているので、ティアナが尊き主の像を持つ四人に近づこうとするのを妨害するのは間違いない。恐らく包囲しようとする理由の一つだろう。


 そうなると最大の問題は、いかにしてユッタ達の目を掻い潜るのかということだ。


「はぁはぁ、これだけ、しつこい、連中を、どうやって、撒くかですね」


 息を切らせながらティアナがつぶやいた。多少言葉遣いが悪くなっているのは、それだけ頭に酸素が回っていない証拠だ。


 今のところ飛び道具を使われていないので、恐らくあっても投げナイフ程度だろうとティアナは予測した。これなら一旦足を止めて息を整えてから、空を駆けて飛び越えることができる。


 ただし、包囲網から抜け出してもすぐに追いつかれてしまう。例え森の縁まで飛んだとしても、駆ける速さはティアナの足の速さ程度なのであまり意味はない。


 一番の問題は、像を持つ四人のところへとたどり着いても、同時にユッタ達もやってくるので倒したい四人を相手にする時間がないことだ。


「空を飛ぶのは、有効では、ありませんね」


 鈍く痛む左脇腹を気にしながらティアナは更に考えた。


 次いで姿を隠す方だが、相手の目を掻い潜ることができればティアナを探そうとしばらく右往左往するだろう。その間に像を持つ四人のところへと向かえば、ユッタ達を出し抜いて四人を倒すことができる。


 問題はどこで姿を消すかだ。見当違いの場所で可能な限り捜索してほしい。ということは、できるだけ像を持つ四人から離れた場所で姿を消した方が良い。後は風の精霊が助言してくれた短時間という時間との兼ね合いだ。


 例えばこの開いた場所はどうだろうか。姿が消えた当初は全員驚くのは間違いない。


 では、どうやって発見されるだろうか。ティアナなら音を頼りにするか、体に触れる草木や踏みしめられる地面を追いかける。膝下までの草が所々生えており、地面に足跡が付きそうなこの場所ではすぐに勘付かれてしまいそうだ。


「一時的な、目くらましが、良いところですね」


 とても像を持つ四人の所までたどり着けるとは思えなかった。別の案を考えてみる。


 例えば森の中はどうだろうか。この森は一般的な森よりも木々の密度が低い。人によっては林と呼びそうなくらいだ。地面には思ったほど下草は生えておらず、石混じりの茶色い地面が広がる。


 一見すると開けた場所とそう変わらない。ただ、開けた場所よりは暗く、石混じりの地面は足跡を残しにくい。姿を消した相手を探す条件が同じならば、開けた場所よりかは見つかりにくいのは確かだ。


 完璧な条件が期待できないのなら、よりましな条件を選ぶしかないだろう。


 何よりそろそろ本当に息が苦しくなってきた。体力的にもうあまり時間がない。


「やるしか、ないですね!」


 周囲の状況を確認して像を持つ四人から離れた場所を選んだ。そして、ここと決めると森の縁へと方向を変えて一気に逃げる。


 急に森へと足を向けたティアナを見てユッタは口元を歪めた。


「多少暗いってだけで、別に見晴らしはそんなに悪くないんだから、隠れる場所なんてあるわけないじゃない」


 さすがに場所を指定した側だけあって、この周囲のことは調べていた。隠れる場所はほとんどない。木の裏側が精々だ。


 もっとも、何事にも例外はある。尊き主の像を持つ四人は珍しく背の低い木などが生えている繁みに隠れていた。


 そんな知見を手に入れているからこそ、ユッタはティアナが森に飛び込もうとしても余裕でいられる。圧倒的な優勢は変わらない。


「繁みのある場所とは違う方向に向かってるってことは、バレてないってことよね。これなら今まで通り体力切れを待てばいいわ」


 相変わらず包囲網がきちんと築けないことが不満だが、状況は何も変わっていなかった。何にせよ時間の問題だと安心して見ていられる。


「ああそっか。何かに似ていると思ったら、これは狩りね。こんなに楽しいものだったんだ」


 機嫌良くユッタが笑った。自分を狩人に、籠絡した騎士八人が猟犬、そしてティアナが獲物だ。この復讐が終わったらどこかの貴族の家を乗っ取って、狩りをしてみるのも良いと思うようになる。


 楽しい想像しながらユッタも森の中へと足を踏み入れた。相変わらず騎士達は走っている。開けた場所にいたときと違って八人全員の姿を見にくくなったが、それだけだ。


 いささか空想に耽りすぎたのか、それとも木々の陰にたまたま隠れてしまったのか、ユッタはティアナの姿を見失った。苦笑いしつつも前方を見渡す。


「みんながあの辺りにいるから、こっちの方のはずなんだけど」


 思ったよりも見通しが良くないわねとつぶやきつつ、ユッタは歩みを緩めた。先程からあちこちを早歩きしていたので、いささか疲れたのだ。


 あまり休みすぎると騎士達とはぐれてしまいそうなのが困ったものだとユッタは思う。まさかティアナがここまで走り回るとは思わなかったからだ。


「もう、いい加減にしてほしいわね。あら?」


 いつになったらティアナの体力が尽きるのかと考えていたユッタは、騎士達も歩みを緩めていることに気付いた。立ち止まってはいないものの、しきりに周囲を見回している。


 怪訝に思ったユッタは騎士の一人に近づいて尋ねた。


「何をしてるの? ティアナはどこよ?」


「それが、急に姿が見えなくなってしまって」


「は?」


「黒精霊の導きを持ってる二人はおおよその方向がわかるみたいなんですが、姿はどこにも見当たらないんです」


 目を見開いたユッタは一瞬言葉を返せなかった。ここに来て姿を見失うとは思わなかったからだ。


「あいつらの精霊の魔法は押さえてるでしょ? それで姿が見えなくなるなんておかしいじゃない?」


「不完全には使えてましたから、何らかの方法で姿を消したとしか」


「それにしたって中途半端にでも見えるでしょ? 完全に見えなくなるなんてありえないわ!」


 しゃべっている内に興奮してきたユッタが声を上げた。さっきの二人とは黒精霊の導きの像を持っているのことだ。かつてウッツが別大陸の都市で使ったときのように、直接触れていると精霊の駆けた魔法を見ることができるのだ。


 しかし、それですら姿を追いかけられないとなると、余程高度な魔法を使っているか、逆に一切魔法を使わずに隠れたかのどちらかだ。


 いずれにせよ、ユッタにとっては原理不明である。そして、それでも何とかしなければならない。


 騎士の一人が言ったおおよその方向へユッタは顔を向けた。アルマのいる場所は開いた場所を挟んではるか向こうの森の中だ。方角が全然違う。


「合流する気はない? 単に逃げてるだけ?」


 森に入った当初と比べると右手に大きく曲がって進んでいた。この王都郊外の森自体には特別なものなどないので、このまま逃げ切るつもりと考えるのが常識的である。


「でも、アルマを見捨てて逃げるつもりなの? それは考えにくいわね。ああでも、あの繁みがあるといえば、あ、る」


 その瞬間、背筋がぞくりと震えた。方角は一致している。ティアナには知られていないはずだが、本当に偶然だろうか。


「みんな、四人のいる繁みに戻るわよ! 急いで!」


 騎士達に呼びかけたユッタは走り出した。八人もそれに続く。


 相手に知られていない道具を自分が使っているのだから、相手も自分の知らない何かを使っている可能性があるとユッタは思い直した。今までの経験からこういうときが危ないことを思い出す。


 間に合うように祈りながらユッタは森の中を駆けた。


 一方、姿を消してから進む方向を大きく変えたティアナは多少走る速度を落としつつ進む。いい加減疲れていたのと、足音を小さくするためだ。


 目指す像を持つ四人の場所は風の精霊の視覚を通して見えている。問題は直線的に進むべきか迂回するべきかだ。


「ウェントス、しばらく我慢してくださいね」


『アマリ長クハ持タナイ』


 精霊は何であれ正直だ。はっきりと答えられてティアナは苦笑した。そうなると、選択肢は一つに絞られる。


 周囲を見ながら走るがどこも似たような風景だ。この森にやって来るときにも感じたが、隠れるところはあまりない。


「ユッタ達も最初姿が見えませんでしたね。木の裏に隠れていたのでしたっけ?」


 像を持つ残り四人はどうなのかとティアナは考えた。もし同じだと、たまたまティアナがその方向に向かったらすぐに見つかってしまう。相手にとっては都合が悪い。


「もしかしたら、視覚的には何か隠蔽でもしているのでしょうか?」


 それが一番現実的に思えた。相手はティアナが裸眼だけで探す前提のはずなので、探しにくく偽装すると考えられる。


「偽装の道具を使われていたら、厄介ですね」


 偽装ネットやギリースーツなど、うまく使えば裸眼では周囲と区別がつかない高性能な道具が前世にはたくさんあった。さすがにそこまでのものはないにせよ、人間の目は意外に騙されやすいのでちょっとしたものでも上手に使われると探すのに手間取る。


 周囲は相変わらずの風景だったが、正面には背の低い木などが集まる繁みが見えてきた。精霊の視覚と重ねると、どうもあそこらしいことがわかる。


 背後を確認したが、像を持つ四人と同じく二つの魔法的な反応がそう遠くないところから近づいて来ていた。


「気付かれました? 早くしないと」


 すぐに追いつかれる程ではないが、もたつくと四人を倒す前に出会ってしまう微妙な距離だ。急ぐ必要があった。


 幸い、繁みといえども隙なく繁茂しておらず、外側からでも内側はちらちらと見える。目には二人の男が跪いている姿が入った。


 そのとき、風の精霊から話しかけられる。


『てぃあな、モウ限界』


「よくやりました! 剣に入ってください」


『剣ニ入ル』


 一人を確実に一撃で葬る必要があったティアナは風の精霊に命じた。


 足音はするのに姿は見えないことを訝しんで顔を向けてきた相手は、突然姿を現したティアナを目の当たりにして絶句する。


 相手が驚きで固まって動けない間にティアナは繁みの中へと入った。枝葉は自然に自生しているもので衣服などを引っかける。てっきり繁み自体が偽装だと思っていたティアナは内心驚いた。


 それでも勢いを止めるほどではない。狭い中に集まっていた一番手前の人物に長剣を振り下ろす。


「はっ!」


「ぎゃっ!」


 体を動かそうとした男をティアナは左肩から腹の半ばまで両断した。通常ならここまで斬れないが、風の刃をまとった剣の切れ味は段違いである。


 剣を引き抜くと同時に死体を蹴倒すと、ティアナは一人目の真隣にいた男の首に長剣を突き刺した。今度は声もなく絶命させる。


 さすがにこの頃になると残る二人も無反応ではなかった。どちらも一斉に立ち上がって間合いを取ろうとする。しかし、三人目は胴を横一文字に切り裂かれてすぐに崩れ落ちた。


「くそ、どうやってここを!」


 最後の一人はどうにか繁みを抜け出した。ふらつく体を懸命に動かして繁みから離れようとする。だが、尊き主の像に命を注ぎすぎたせいで素早く動けない。


 必死に逃げようとする男を追いかけてティアナも繁みから抜け出した。こちらはこちらで体力の限界を感じていたが、それでも体を動かす。


「あなたで最後です!」


「や、やめっ!」


 背を向けて逃げようとする男の脇腹に剣を突き刺してティアナはその動きを止めた。そして、地面に片膝を突いた男の首を背後から両断する。


 転がる首を視界に収めながらティアナは長剣を一振りして血糊を振り払った。これで精霊達はいつも通り魔法を使えるはずだ。


「ウェントス、剣から抜けてください」


『ワカッタ』


「それと、魔法の妨害はなくなりましたか?」


『ナイト思ウ。ウン、イツモト同ジヨウニ使エル』


 大きな旋毛風をティアナの前に起こした風の精霊が返答した。どうやらこれで魔法の妨害は本当になくなったらしい。


「となると、これでやっと反撃できるわけですね」


 荒い息が次第におさまっていく中、ティアナは大きくため息をついた。ようやく思うように戦える。


 そのとき、複数の足跡が森の奥から聞こえてきた。姿は見えないがユッタ達であることには間違いない。


 これからどうやってあの九人に反撃するかティアナは考えた。

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