婚礼の儀式にて
ティアナとアルマの二人と別れてテレーゼに付き従ったリンニーは、馬車で王城に参内した。しかし、今日はいつものように応接室ではなく、新たにテレーゼの私室となる部屋へと入る。
中はいつでも住めるようになっているため、この日に控え室として用いても問題ない。調度は基本的にテレーゼの好みとなっているが、一部はテオフィルの意向も入っているとリンニーは聞いている。
「きれいなお部屋だね~」
「そうですわね。これからはここがわたくしの部屋ですから」
「儀式はいつ始まるのかな~?」
「もうそろそろ始まります。わたくしが謁見の間に向かうのはその少し後ですわ」
バッハ公爵邸で準備を終えているため、新たな私室では待つだけだ。
この日、リンニーは一日中テレーゼの背後に付き従うことになっている。本来ならば部外者が花嫁の列に加わるなど不可能だが、警護のために特別に参加できたのだ。もっとも、その要求が通ったのもリンニーの並外れた美貌があったからだが。
これで常に二人が一緒にいることで何かあればすぐに対応できる。特に土の精霊が側にいるのが心強い。ちなみに、最初から土人形を出して守るという案は却下された。さすがに儀式にそぐわないからだ。
ともかく、リンニーにとっては結構待った後、ようやくテレーゼにお呼びがかかった。座っていた椅子から立ち上がると侍女達を引き連れて歩き出す。その集団の最後尾にリンニーは続いた。
長い廊下を右に左にと歩き、やがて謁見の間に近づくと参列する貴族の姿が目に入る。ゆったりとした厳かな音楽が演奏されており、弛緩していた雰囲気が引き締まった。
目に入るものすべてが珍しいリンニーは思わず周囲を見て回りそうになるが、かろうじて好奇心を押さえつけた。酒精が入っていたら我慢できなかっただろう。
ゆっくりと進むテレーゼは開けっぱなしにされている正面の大扉から謁見の間に入室した。玉座に続く赤い絨毯とその周辺以外は多くの貴族が立ち並んでいる。
正面をまっすぐ見つめるテレーゼの目には、玉座に御座す国王夫妻とその手前に立つテオフィルが映った。テレーゼと同じく純白を基調とした礼装で、青色の意匠が胸元に一つ施されている。
侍女集団の先頭二人にスカートの最後尾を手に取ってもらいながらテレーゼが進んだ。やがてテオフィルの隣まで歩むと、背後の侍女達はテレーゼ側の壁際へと下がる。
主賓が全員揃ったところで、いよいよ婚礼の儀式が本格的に始まった。
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婚礼の儀式のために王城のテレーゼの私室から出発してから、リンニーは何度も周囲を見て回りかけた。前日まで指導役の侍女に散々指摘されたことなのでどうにか耐えたが、一つ困ったことがある。
「どうしよ~。これじゃどこから悪い人が来るかわからないよ~」
ほぼ口を動かさないようにリンニーはつぶやいた。確かに王城という珍しい場所を見たいという気持ちはあるが、さすがにテレーゼの警護までは忘れていない。
どうしたものかと悩んでいるうちに謁見の間に入ったが、そのときテオフィルの頭上に透明な火の精霊とテレーゼの横を歩いている土の精霊の存在を感じ取った。そこで精霊に協力してもらえば良いことを思いつく。
『イグニス~、ちょっと周りの景色を見せてくれないかな~』
『イイヨ』
許可を得たリンニーは火の精霊と感覚を重ね合わせた。テオフィルの頭上に留まっているため、謁見の間が一望できる。たくさんの貴族がテレーゼ達を祝福していた。
『怪しい人はいるかな~?』
テレーゼ側の壁際へと下がって立つと、リンニーは更に何度か室内を見渡した。魔法の道具らしいものがきらきらと輝いている。それが単なる装飾道具なのか、それともそれ以外なのかはリンニーにはわからない。
『テッラ、イグニス~。怪しい人って見分けがつくかな~?』
『ワカラナイ』
『知ラナイ』
さすがに人間の見分けまではつかないようで、精霊二体はすぐに返事をした。事前にわかれば捕らえられると思ってのことだが、証拠もなしに貴族を捕らえられないことまで頭が回っていない。
悩みながらも周囲を警戒しているリンニーをよそに婚礼の儀式は進行していく。
せっかくきれいな花嫁衣装姿のテレーゼがいるのにゆっくりと眺められないことをリンニーは残念に思った。なので、たまに土の精霊の視点を借りて眺めたりする。
本来の役目を果たしつつもたまに息抜きをしていると、部屋の大扉に面した両端の壁際に立っている貴族の様子がおかしいのに気付いた。
『最初は平気だったよね~? 具合でも悪くなったのかな~?』
『アノ二ツノ生キ物、何カオカシイ。変化シテル』
『え、変化ってなに~?』
『人間デハナイモノニナル』
『なんかやだな~。イグニス、テッラ、ちゃんとテレーゼとテオフィルを守ってね~』
精霊の視覚を借りているリンニーも状態がおかしい貴族二人に気付いた。しかし、何が起ころうとしているのかがわからない。儀式を中断させるわけにもいかないので、リンニーは護衛対象をちゃんと守るように精霊へとお願いする。
もはや儀式どころではないリンニーは、何が起きても良いように様子のおかしい二人の貴族に注目した。
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婚礼の儀式に参加しているカールハインツは上機嫌でその様子を眺めていた。厳粛な雰囲気の中で清廉な二人が夫婦になろうとしている。
この婚姻で今後はバッハ公爵家が王家の親族となる。そのため、本来ならばバルシュミーデ侯爵家の王家に対する影響力は相対的に落ちるはずだった。
しかし、そのための対策をカールハインツは既に打っていた。近衛騎士に並んで配下の騎士が王子の護衛を務めているのだ。騎士達が身に付けている家紋入りの外套を誇らしげに眺める。先頭に立っているのはあのゲルルフだ。
更には、王子達が誓いを立てる前に闖入者が婚礼の儀式を混乱させる手はずになっている。それを手際よくバルシュミーデ侯爵家の騎士が捕らえ、儀式は再び平穏に進むのだ。
一連のこれらによってバルシュミーデ侯爵家の権勢は次世代も盤石なものとなり、カールハインツは今後も王宮での影響力を確保するのである。
明るい未来を脳内で描いている侯爵家当主をよそに婚礼の儀式は進んでゆく。そして、いよいよ王子と公爵令嬢が誓いを立てようというときになって、突然大扉に面した両端の壁際から雄叫びや悲鳴が上がった。
「なんだ? 一体どうした?」
もっと静かに始まると思っていたカールハインツは眉をひそめて振り向いた。他の皆も、国王夫妻でさえも注目する。
大扉に面した両端の壁際には人間よりも一回り大きな異形がいた。口が左右に裂けてせり出して同時に犬歯が鋭く伸び、全身が猿のように毛が生え、手足からは鋭い鉤爪が伸びている何かが二体いる。
それらが再び雄叫びを上げたとき、静まり返っていた謁見の間が一気に大混乱へと陥った。大扉から逃げようとする者、玉座の横にある通路へ走る者、腰を抜かしてへたり込む者など、普段の姿からは考えられないような醜態をさらして貴族達が逃げ惑う。
カールハインツは呆然と立ち尽くした。計画にはあんな化け物はいなかったからだ。
「ばかな。なんだこれは? こんな混乱は誰も望んでないぞ」
「お館様、危のうございます! 早くお逃げください!」
護衛の騎士が立ち尽くす主人に声をかけた。本来ならば失礼に当たるが、肩に手をかけて揺さぶる。
その間にも雄叫びを済ませた化け物二体が暴れ始めた。一体がカールハインツめがけて迫ってくる。
尚も動かない主人を見てこのままでは危ないと悟った護衛の騎士は、礼装用の剣を鞘から抜いて主人を背にした。刃は潰されているので事実上鈍器である。
「馬鹿な、一体どうなって、ひっ」
何がどうなっているのかわからないカールハインツは、護衛の騎士が化け物に一撃で吹き飛ばされるのを目の当たりにした。それでようやく我に返る。しかし、もう遅かった。
一歩後退ったところで、カールハインツは化け物の鋭い鉤爪で簡単に切り裂かれた。
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いよいよ婚礼の儀式も終盤に差しかかり、夫婦の誓いを立てる頃に背後で異変が起きたことをテレーゼとテオフィルは気付いた。
雄叫びと悲鳴を耳にして二人同時に振り向くと、貴族の衣装らしい切り裂かれたぼろをまとっている化け物が目に入る。
「なんですか、あれは?」
「衛兵、取り押さえろ!」
二人は同時に口を開いた。呆然とするテレーゼに配下へ命を下すテオフィルと対照的な態度だ。
暴れる化け物に逃げ惑う貴族達が交差して謁見の間は大混乱である。既に化け物の犠牲者は何人もいるが、衛兵は無秩序に逃げる貴族に邪魔されて思うように動けない。
近衛兵はすぐさまテオフィルとテレーゼを囲んで守りを固めた。国王夫妻も同様で、こちらは避難を始めている。
「テオフィル殿下、テレーゼ妃殿下、ひとまず避難を!」
「わかった。テレーゼ、いくぞ!」
「はい。しかし、バルシュミーデ侯爵家の騎士達はどこに?」
「なに?」
指摘されてテオフィルも気付いた。自分を守ると豪語していたゲルルフもいない。視線を謁見の間全体に向けるとすぐに見つかった。とある遺体の元で揃って戦っている。
「おおお! 侯爵様の仇ぃ!」
次々と二体の化け物に吹き飛ばされてゆくバルシュミーデ侯爵家の騎士の中で、一人ゲルルフのみが奮戦していた。しかし、刃の潰されている礼装用の剣では限界がある。
「まさか、あの遺体がバルシュミーデ候なのか?」
「殿下、早くこちら、ぐあっ!? な、なにを」
「どうした!?」
自分に呼びかけていた近衛兵が崩れ落ちるのを見てテオフィルが驚いた。何事かとその奥を見ると、複数人の下位貴族が短剣を武器に襲いかかっている。
「王子、死ねぇ!」
儀式のために武器を持たず、隣にテレーゼがいるため避けることもできず、テオフィルは覚悟を決めた。
ところが、剣を構えた襲撃者に突然いくつもの火の玉がぶつかって燃え上がった。悲鳴を上げて転げ回る。
「くそ、なんだこいつ!? 放せぇ!」
「これは一体? ああ、あなたが?」
一方、テレーゼに襲いかかってきた貴族は石人形に抱きつかれて動けなくなっていた。
テレーゼが周囲を見て回ると、隣にいる半透明の土人形がひたすら石人形を作り出している。時が経つと、石人形が襲撃者を止めて火の精霊がその人物を燃やすという連携となった。
「リンニー様が操っている様子もありませんし、精霊達が自分の意思で助けてくれているのですか」
逃げることも忘れたテレーゼが呆然と周囲の様子を眺めていた。化け物は依然暴れているが、襲いかかってきた貴族は土と火の精霊によって粗方撃退されている。あまりにも圧倒的だった。
この精霊達に任せればこの混乱もすぐに収まるのではないかと、テレーゼはぼんやりと思った。
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突然現れた化け物にリンニーは見覚えがあった。かつて王立学院とその地下神殿で敵対した異形の化け物達だ。
こちらの大陸にテネブー教徒はほとんどいないことをリンニーは知っているので首をかしげたが、とりあえず疑問は後回しにした。
玉座の横にある通路からテレーゼの侍女を逃がした後、戻ってくると混乱は最高潮に達していた。テレーゼとテオフィルは近衛兵に囲まれて土と火の精霊が襲撃者に反撃をしている。更に化け物が周囲の人間を殺し尽くし、テレーゼ達の所に向かおうとしていた。
「どうしよう~? あ、そうだ~! えい!」
自分に何ができるのか考えた結果、リンニーは石人形を作り始めた。床に大きな石があるので作りやすい。
「みんな~、あの悪い化け物を捕まえて~」
戦場には似つかわしくないのんびりとした声でリンニーが作り上げた石人形に命じた。とりあえず作った四体の石人形が化け物に向かって歩いて行く。
倒れた貴族を解放した土の精霊の石人形も合流して、化け物の周囲は大混戦となった。膂力の強い化け物は次々と石人形を投げ飛ばしていく。
ところが、リンニーと土の精霊が延々と石人形を作り続けるので数が一向に減らない。更には火の精霊による火の玉の攻撃が化け物の動きを阻害した。
手段に制限がかからないのならばリンニーと精霊達は強い。化け物は、延々と作り出される石人形に動きを制限され、火の精霊が撃ち続ける火の玉で傷が増えてゆく。
そうしてついに、化け物は火の玉の攻撃に耐えきれず倒れ、石人形の中に埋もれた。
「やった~、終わったよ~!」
『終ワッタ』
『動カナクナッタ』
精霊達も倒したと判断したらしく、火の精霊は火の玉を撃つのを止め、土の精霊は石人形を作るのを止めた。
「みんな~、怪我してない~?」
目の前の戦いが終わって一息つけたリンニーはテレーゼ達に声をかけた。王子共々生きているのを見て喜ぶ。
一方、守ってもらったテオフィルとテレーゼ、それに近衛兵達は呆然とリンニーを見ていた。途中で姿を現した精霊共々畏怖するかのように見つめる。
その視線に気付かないまま、リンニーは皆の元に近寄った。
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