探索者たち

 グラウの町の宿屋街に『小麦と大豆』という宿屋がある。一泊の値段は平均的な安宿の一週間分だが、目端の利く商売人が多数利用する色々と行き届いた宿だ。一階は食堂で二階と三階が宿泊施設となっており、部屋も少し広い。


 シュパンとの面会を終えたティアナ達は、紹介された『小麦と大豆』亭で二階の部屋を二つ取る。最低限の荷物以外はグラウ支店に預けたティアナ達だったので現在は身軽だ。宿泊する室内をわずかに確認するとすぐに一階の食堂に移った。


 四人テーブルの一つを占有した三人が座って最初にしたことはため息だった。


 まずタクミが口を開く。


「やっと座れたぁ。馬車から降りて初めてだよ」


「言われてみれば、この町に来てから今まで座ってなかったわね。どうりで疲れるはずだわ。あれ? でも、タクミは以前も護衛の仕事をしてたんでしょ? だったら立ちっぱなしに慣れてるんじゃないの?」


「別の貴族のお屋敷に行って控え室で座ってることが多かったんだ。だから意外と立ちっぱなしってやってないよ」


 アルマの問いかけに答えたタクミは、やって来た給仕に声をかけられて固まった。まだこちらの世界での注文の仕方に慣れていないのだ。アルマへと視線を向けて助けを求めた。


「もう夕飯にしましょうか。給仕さん、豚と鶏のお肉と大豆のスープ、それと黒パンを三人分ください」


「アルマ、ティアナには聞かなくていいの?」


「お腹が空いてるのは同じでしょうから問題ないわよ。それに、お嬢様に聞くと貧乏くさくなっちゃうもの」


 長い窮乏生活のせいで感性が貧相になっている自覚はティアナにもあったが、さすがに真正面から指摘されると面白くない。給仕が去るのを無視して、ティアナは口を尖らせてアルマを睨んだ。


「アルマだって一緒に生活してたじゃない。貧乏くさいのは同じはず!」


「あたしが今注文した豚と鶏のお肉、お嬢様だったらどちらか片方しか頼まなかったんじゃないですか?」


 にやにやと笑いながら指摘するアルマからティアナは視線を逸らせる。確かにどちらも注文したことに内心で驚いたのは事実だった。


 逸らせた視線の先にいたタクミに対して、ティアナは真剣な表情で問いかける。


「タクミだったらどう注文してた!?」


「え? いやぁ、僕、注文の仕方がわからなかったから、アルマにしてもらおうと」


「つまり、私以下ってことよね!」


 何が上で何が下なのかわからないタクミは再び視線をアルマに向けた。しかし、アルマは笑いをこらえるので精一杯で助けてくれそうにない。


 さてどうしたものかとタクミが考えていると、給仕が三人分の黒パンと大豆のスープを持って来た。震えながらアルマが対価を支払うと給仕は去って行く。


 やって来たパンとスープから視線を元に戻したタクミの視界には、口を尖らせて拗ねているティアナと笑いをこらえて震えているアルマの姿が映った。どう声をかけて良いのかわからないタクミは、開き直って黒パンを手に取る。


「先に食べよっか。おなか空いたしね!」


「そうね。いただきましょう、お嬢様」


 タクミの言葉に反応したアルマがティアナに声をかける。しかし、ティアナは返事をせずに黒パンをちぎって大豆のスープへと浸して、黙々と食べ始めた。


 その姿を見たタクミがアルマに尋ねる。


「ねぇ、ティアナ怒ったままだよ?」


「大丈夫、お肉が来たら機嫌が直るから」


「待って、いくら何でもそれ安すぎない?」


 あんまりな言いようにティアナは思わず突っ込む。


「おいしいものを食べて機嫌が良くなるなんて常識じゃないですか。別にお嬢様に限った話じゃないですよ?」


 しかし、当然のようにアルマから言い返されてティアナは首をかしげる。


 そのとき、ちょうど豚と鶏の肉を焼いて薄切りにした料理が運ばれてきた。アルマがその皿をティアナのところへ寄せる。


「ほら、食べてみたらわかりますよ? おいしそうな匂いがしてるでしょ」


「うん。あ、ほんとだ。おいしい!」


 豚肉を一切れフォークで口へと運んだティアナは、溢れる肉汁と油で口の中を満たして顔をほころばせた。さっきまでの不機嫌さが嘘のような笑顔である。


 それを見ていたタクミは少し呆れたが、これで機嫌が直るのならと思い直して何も言わない。代わりに自分も鶏肉を一つ口の中へと入れる。豚肉よりもさっぱりとしたその感触にタクミの顔が緩んだ。


 食べているうちにティアナの機嫌も良くなり、テーブルを囲う三人の雰囲気は緩くなる。


 目の前の食べ物をほとんど食べ終わると、アルマが給仕を呼んで酒を注文した。それを聞いたタクミがアルマに尋ねる。


「前から気になってたんだけど、この世界ってどうして飲み水がお酒より高いの? この理由が未だにわからないんだ」


「そのまま飲める水道水が当たり前の日本だと水の方が安いけど、こっちだとどんなにきれいな泉や川でも生水をそのままなんて飲めないわよ。濾過しないと危ないし、最低限沸かさないといけないもの」


「飲めるようにするのに手間がかかるってこと? だったら、お酒も手間がかかるよね?」


「確かにね。でももっと致命的な問題があるのよ。それは保存期間。水は痛みやすいから、長くても三日くらいしか保存できないの」


「え、そうなの!?」


 アルマの話を聞いたタクミが驚いた。以前雇われていたときに毎日水代わりに酒を出されて困っていたタクミだったが、しっかりとした理由があったことに感心する。


 しかし、そこまで聞いたタクミは更に疑問が湧いた。


「でも、いくら飲んでも酔わなかったのはどうしてなんだろう?」


「お酒って言っても、度数なんて大したことないからよ。多少濃いのはお酒っぽいけど、水っぽいのはそれこそ塩素代わりにアルコールが入ってるみたいなものだから。タクミは見た目が幼いから、特に薄いお酒でも渡されていたんじゃない?」


「うっ、そんな気がする。最近飲んでたお酒の方が、味は濃かったからなぁ」


 二人が話していると、給仕が酒の入った木製ジョッキを持って来た。


 そのジョッキを神妙な顔つきでタクミが両手で持つ。そして一口飲んだ。


「でも今は普通のお酒を飲んでも平気だから、僕ってお酒に強いのかな?」


「あたしとお嬢様はこっちの世界の体だからアルコール耐性があるんでしょうけど、タクミは純正の日本人だからどうでしょうねぇ。でもだからって、かっぱかっぱ飲んじゃダメよ。急性アルコール中毒になっちゃうから」


「わかってるって。僕、別にお酒が好きってわけじゃないし」


 ちびちびと飲みながらタクミがアルマに返事をした。


 話が一段落したところで、アルマはティアナがじっと黙っていることに気付く。まだ食べているのかと一瞬思ったが、食器にあった食べ物は見当たらない。


 顔を見ると、ティアナの視線は食堂の他の人々に向けられていた。


 不思議に思ったアルマがティアナに声をかけた。


「お嬢様、何か気になることでもあるんですか?」


「大したことじゃないわ。ただ、商売人に人気がある宿だって聞いていた割に、傭兵っぽい人が増えてきたなって思って」


 ティアナの言葉にアルマとタクミは顔を見合わせた。そして、二人も周囲にそれとなく視線を巡らせる。


 しばらくしてアルマがティアナに顔を向けた。


「言われてみたらそう見えますね。商売人が七に傭兵が三くらいってとこかしら」


「本当に傭兵なのかな? ほら、さっきシュパンさんが言ってた探索者かもしれないよ?」


 タクミの言葉にティアナとアルマは目を見開いた。


 すぐにアルマが反応する。


「傭兵か探索者かはともかく、宿代をケチっても酒と女と博打にお金をかける連中が、どうしてここににるのかしら? ここって結構な値段がするのに」


「宿は別のところじゃない? まとまったお金が入ったから、ちょっと良いところでご飯を食べたくてここに来たとか」


 首をかしげて考えながらティアナが返答した。


 傭兵か探索者らしき者達の雰囲気は商売人とは明らかに違う。暴力に慣れた者達の雰囲気がありありとわかった。


 嫌そうな表情を浮かべたタクミがぽつりと漏らす。


「荒々しいっていう点は護衛騎士の人たちと一緒だけど、なんて言うか、野蛮そうな人達だなぁ」


「ここの食堂に来る連中でこのガラじゃ、それ以下なんてろくなものじゃないわね」


 木製ジョッキに口を付けてからアルマも感想をつぶやく。探索者の大半は稼げていないと聞いているので、更に荒んでいることは容易に想像できた。


 二人が唸っていると、何かを思いついたティアナがつぶやく。


「ウィン、ちょっと外に出て、あの柄の悪い人達の様子を見てきて」


『え? 見るだけ?』


「そう。グラウ城を探索している人達かどうか知りたいの」


『どうやって区別するの?』


「グラウ城、地下牢、洞窟、遺跡、財宝、魔法の道具、こんな言葉を話している人がいるか確認して。あと、地下牢、洞窟、遺跡で魔物を倒したことを自慢してる人も。見つからないようにね」


『わかった!』


 憑依を解除したティアナはそれきり黙る。一見すると何も起きていないように見えた。


 眉をひそめたアルマがティアナに声をかける。


「今ウィンと話をしてたんですよね? 外に出したんですか?」


「ええ。私にも見えないけど、食堂内を見回ってくれてるはずですよ」


「盗み聞きは良くないんじゃないかなぁ?」


「話の内容に興味があるわけじゃないですから、今回は良しとします」


 タクミの弱々しい進言をティアナはきっぱりと却下した。道徳的に問題はあるが、自分の命がかかっているのだ。できることはやっておきたい。


 三人ともしばらく無言で木製ジョッキにちびちびと口を付けていると、やがて再びティアナがしゃべり始める。


「お帰り、ウィン。どうだった?」


『うーんとね、ほとんどの人が、地下牢、洞窟、遺跡、財宝、それと魔物を倒したことを話してたよ』


「それで?」


『みんな持って帰ってきた物を売って、ここに来てるみたい』


 ここに来ているガラの悪い者達が探索者らしいことはわかった。しかし、ウィンの説明は漠然としすぎていてそれ以上のことがわからない。ティアナはウィンと何度かやり取りしてみたが、それ以上のことは聞き出せなかった。


 ため息をついて、ティアナはアルマとタクミへと目を向けた。


「とりあえず、傭兵じゃなくて探索者だってことはわかったわ」


「他には何か?」


「ウィンの忍び寄る能力はかなり優秀だけど、情報収集は期待できそうにないってことね」


『えー、ボクちゃんと言われたとおりにしたよー!』


 体の内側からウィンが抗議してくるがティアナは無視する。


 一方、アルマとタクミは微妙な表情を浮かべた。どちらにも落胆した様子はないことから、あまり期待していなかったことがわかる。


 そんな二人を見ながら、ティアナは眉を寄せて言葉を続ける。


「ウィンはともかく、他の探索者は見た感じとても信頼できそうにないし、シュパンさんの話でも信用してはいけないっていうことだったわよね。だから、私達だけで潜らなきゃいけない」


「でもさ、本当にグラウ城の地下にティアナの欲しいものがあるのかな」


 ぽつりとタクミが漏らす。


 先日までいた他国の王都で最後の調査をしていたときにある老学者から聞いた話を三人は思い出だした。


 アルマも腕を組んで難しい顔をする。


「はるか昔に栄えた古代文明の都市がこの辺りにあったって話だけど、グラウ城の地下から行ける遺跡がそうなのかしら?」


「今のところ、魔法の道具は出てないんだよね? 都合良く見つかるかなぁ」


「それでも、調べてみる価値はあるでしょう」


 いささか自信なさげにティアナが二人に反論する。命を賭けるにしては頼りない姿だが、男になる方法の有力な手がかりが今のところ他にない。だからこそ、仕方なくアルマとタクミもグラウ城の地下へ潜ることに同意しているのだ。


 息を一つ吐いて表情を改めたアルマは、苦笑しながらティアナに返事をする。


「調べられることは全部調べたし、シュパンさんから情報はもらえる。だから後はやるだけやってみましょうか。これ以上考えてもわからないから、ここに来たんだし」


「そうだね。せっかく武器とか鎧とかも買ったんだから、やってみてもいいよね」


「ありがとう、みんな」


 二人の言葉にティアナは安堵する。


 そのとき、離れた場所から怒号と悲鳴が聞こえてきた。三人がそちらへと顔を向けると、数人の男達が殴り合いをしている。


 思わずタクミが呻いた。


「うわっ、マジでケンカなんかするんだ。お店の中なのに」


「そりゃ良いところに来ても、中身が変わるわけがないもんねぇ」


 探索者の風貌をした者達は喧嘩を見て当事者達を囃し立て、それ以外の者達は慌ててその場を離れる。


「私達も部屋に戻りましょう。巻き込まれてもつまらないですしね」


 ティアナの言葉にうなずいた二人は、木製ジョッキの中を空にすると立ち上がる。


 言い出したティアナは一番最後に飲み干して立ち上がると、そのまま二人を引き連れる形で食堂を後にした。

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