謂われなき詰問
昼下がりの午後、ティアナ達の授業が終わると二年生の学舎から一斉に生徒が出てくる。その頃には待ち受ける侍女やメイドもいるので、正面玄関はちょっとした混雑に見舞われていた。
「お疲れ様です、お嬢様。鞄をお持ちしますよ」
「ありがとう。ん~、やっぱり授業後の開放感は格別ね~」
主人を見つけたアルマが声をかけると、ティアナが手にしていた鞄を渡して深呼吸する。本当は背伸びくらいしたいのだがはしたないので控えているのだ。
「お嬢様はこれからどうされるのですか? 図書館へ直接向かわれます?」
「どうしようか迷ってるのよね。大体見たい本は見ちゃったし。かといって、部屋に戻ってもすることが特にないのよね」
「刺繍でもされたらどうです? あれなら暇つぶしにもってこいですよ」
「ハンカチのワンポイントくらいならすぐできそうね。それともマフラーにしようかしら」
「編み物ですか。毛糸があるか確認しないといけないですね」
中身が男のティアナが女の子らしいことをできるのは小さい頃からの慣れである。実家が貧しかったので裁縫などの家事を一部担っていたのだ。
これからどうするか話しながら二人で歩いていると、後ろからこちらへ向かってくる急ぎ足の音が複数聞こえた。
気になったティアナが振り向くと、真剣なまなざしをしたカミルが取り巻きの二人と早足で近づいてくる。何を急いでいるのか不思議に思ったティアナだったが、その視線が自分に向けられていることを知って小さなため息をついた。
「おい、ティアナ、止まれ!」
「カミル様、こんにちは。いかがなさいました?」
「今日は、お前を裁きにきたんだ!」
取り巻き二人を従えたカミルがティアナに向かって指を指す。いきなり責め立てられたティアナは首をかしげた。周囲にいる人々も何事かと注目する。
「普段は接する機会もほぼないはずですけど、私がカミル様に何かいたしましたか?」
「俺じゃない、ユッタにだ! 身に覚えがあるだろう!」
「いいえ、まったくありません。確かにユッタの姿は朝に見ることが多いです。しかし、言葉を交わしていないことは、カミル様もよくご存じでしょう」
「何も直接顔を合わせるだけが能じゃない。噂を流してユッタを陥れようとしただろう!」
「どのような噂を私が流したことになっているのです?」
「悪意ある噂だ! しかもいくつもだ! まだとぼけるのか?」
「ですから、具体的にどのような噂なのかと伺っているのです」
そこでカミルの勢いが止まる。指を指したまま固まった。
しばらくしても反応しないことにティアナとアルマは呆れ返った。取り巻きも驚いてカミルの顔に視線を向ける。その顔は困惑していた。
「まさか、証拠どころか証言もなしに私を追求しにいらっしゃったのですか?」
「うるさい! 現にユッタの悪い噂は色々とあるじゃないか!」
「あれほど目立つ方ですから、噂が立つのも当然でしょう。そもそも、私は他の方ともお話をする機会がほぼないですのに、どうやって噂を流せばよいのですか?」
またもやカミルの口が開かなくなった。周囲でティアナとカミルを眺めている子弟子女も、ユッタの噂については知っている。そして、ティアナと会話をする子弟子女は一部を除いていないこともだ。だからこそ、ティアナと同じ疑問を抱いてカミルに注目する。
カミルの取り巻きの表情は、次第に情けないものへと変わっていく。一方で、カミルの顔は怒りの形相に変化していった。
「うるさい! お前さえいなければ、ユッタはもっと幸せになれるんだ!」
「お嬢様、危ない!」
逆上したカミルがティアナに掴みかかろうとすると、ティアナの脇からアルマが飛び出た。誰もがカミルに手ひどい仕打ちを受けることを想像する。周囲の子女の中には目をつむる者もいた。
しかし、ここで意外なことが起きる。
無防備に伸ばされてきた左手の袖を右手で、左手で相手の胸元の襟をアルマが掴む。驚いた相手の表情を無視して左足を一歩前に出したかと思うと、くるりと半回転しながら腰を屈めて相手に背中を密着させる。そして体を捻りながら一気に膝を伸ばした。
まさか反撃されると思わなかったカミルは、一瞬できれいに投げ飛ばされ、視界が反転したかと思うと地面に叩き付けられていた。
「かはっ!?」
受け身を知らないカミルは何が起きたかもわからず背中に衝撃を受けて身悶える。
カミルを手放したアルマはそのままティアナの前まで下がった。
それと入れ替わるように取り巻きが慌ててカミルに駆け寄る。苦悶の表情を浮かべて悶絶しているカミルはしばらく動けない。
「背負い投げとは容赦ないわね」
「相手から先に手を出してきたんですから仕方ありません。しかも女の子に手を出そうとしたんですから当然です」
表情は硬いがアルマは断言する。ティアナにとってこの態度は頼もしかった。
しばらくすると、落ち着いてきたカミルが二人を睨みながら立ち上がる。
「貴様、メイドの分際で俺の邪魔をするのか!」
「お嬢様の敵に貴族も平民もありません!」
間髪入れずに反論したアルマに周囲の人々がわずかに反応するが、カミルは逆上する。
「おのれ貴様! 許さんぞ!」
「お待ちなさい!」
再度前に進もうとしたカミルに横合いから声がかかる。全員がその声の主へ視線を向けるとテレーゼが立っていた。
柳眉を逆立てて二人に近づくとカミルを睨む。アルマへの怒りで頭がいっぱいだったカミルだが、さすがに各上の貴族に立ちはだかられて動揺した。
「テ、テレーゼ様」
いつも笑顔を振りまいているテレーゼが本気で怒るところをティアナは初めて見た。それはカミルをはじめとする周囲の人々も同じらしく、皆が目を見開いて公爵令嬢に目を向けている。そして、誰も声を発しない。
「カミル・フリック、あなた、ティアナに何をしようとしたのですか?」
怒気に彩られている表情に反して声は恐ろしく落ち着いたものだった。震えることもない、澄んだ声色がカミルに向けられる。
「俺は、ユッタの悪い噂を流しているティアナを裁くために、ちょっと懲らしめようと」
テレーゼの目元がピクリと動く。それを見たカミルがびくりと震えた。
「ティアナがユッタの悪い噂を流しているという証拠はあるのですか?」
「それは、ユッタがそう、いや! 状況的にそうだと思って」
「自分の独りよがりな思い込みで、ティアナを裁こうとしたのですか?」
カミルは証拠を示せない。一方的に断罪するつもりだったカミルは、このままでは公爵家を敵に回してしまいそうになって焦る。
「ユッタは確かにいろんな男に声をかけていますが、それだけです。なのに、あらぬ噂を立てられて名誉を傷つけられています。不遇な婦女子を助けることは貴族の子弟として当然のことではないですか」
「その噂を振りまいているのがティアナと勝手に思い込んでいるようですが、その証拠はどこにあるのですかと先ほどから聞いています。話をはぐらかさないで答えなさい」
依然としてテレーゼの声は静かなままだ。しかし、形相も変わらない。
口を開いて何か話そうとしたカミルだったが、そのまま閉じる。
「それと、ティアナを掴もうとしていましたが、あの後何をするつもりだったのですか?」
カミルは顔をゆがめる。どうするかなどわかりきったことだからだ。もちろん手加減するつもりではあったものの、そんなことが言い訳になるとも思えなかった。
「答えなさい。ティアナに何をするつもりだったのですか」
テレーゼが問い詰める。その迫力のある視線にカミルは肩をふるわせた。
「そこまでだ! テレーゼ! もうやめるんだ!」
再び他から声がかけられた。そちらへ目を向けるとテオフィルが歩いてくるのが見える。カミルはあからさまに安堵の表情を浮かべたが、テレーゼの顔は無表情となった。
「テオフィル様」
「君の声が聞こえたから来てみれば、何をしている。そんな女をかばう必要などない!」
「殿方が子女一人に手を上げようとするのを、黙って見ていろとおっしゃるのですか?」
テレーゼの反論にテオフィルは言葉に詰まる。理由はどうあれ、公衆の面前で子弟が子女に手を出すのはまずい。テオフィルはカミルに目を向けると視線を逸らされた。
「確かに婦女子に手を出すのはよくないな。それは認めよう。しかし、悪い噂の絶えないあの女を庇うのは君のためにならない」
「それならばユッタも同じではありませんか」
「何を言うか! ユッタへの噂などすべてでたらめだ! 惑わされてはいけない!」
「何がどうでたらめなのか、一つずつ説明していただけますか?」
最初はカミルとティアナの争いだったが、いつの間にかテレーゼとテオフィルに替わっていた。公爵令嬢と王族であるため、誰もうかつに仲裁へ入れない。
「あ~、テレーゼ様、テオフィル王子、もうそのくらいにしてはいかがですかね」
三度外から声がかかった。次は誰かと目を向けると、パウルが申し訳なさそうにやって来た。思わずテレーゼとテオフィルも口を閉じる。
「どうも面倒なことになってるようですけど、ここはお互いに一旦引き下がった方がいいんじゃないですか?」
パウルの提案に全員が黙る。このままでは収集がつかないことは明らかだった。
テオフィルは肩の力を抜いた。
「仕方ない。今回は君に免じて引き下がろう。カミル、行くぞ」
「あ、はい。テオ王子」
ひとつため息をついてテオフィルが踵を返すと、カミルとその取り巻きも続いて去った。
残ったティアナ、アルマ、テレーゼ、パウルの四人は誰からともなく顔を見合わせる。
「いやぁ、災難だったな。まさかこんな公衆の面前で堂々とやりあうとは」
「ありがとうございます、パウル」
「はっはっはっ! いいって。友人だからな。このくらいの手助けはするよ」
「わたくしもお礼申し上げます。つい頭に血が上ってしまって、テオフィル様とこのようなところで口論をしてしまうとは」
テレーゼは恥ずかしそうに顔を背けた。
入れ替わるようにアルマがパウルに一礼する。
「あたしからもお礼を申し上げます。カミル様をつい投げ飛ばしてしまった後ですので、あのまま続いていましたらどうなってことやら」
「あのカミルを。それは見てみたかったなぁ。寄り道なんてするんじゃなかった」
「わたくしもそれは是非見て見てみたかったですわ。もっと早く来るべきでした」
「すごかったですよ。大の男を地面に叩き付ける勇姿に、周囲も唖然としていました」
「お嬢様、それは褒めていただいているのでしょうか?」
「もちろん! あのおかげで私は助かったんだから! とても頼もしかったですよ!」
四人が和やかに話をしていると、騒動が終わったことを知った周囲の人々が散ってゆく。
「さて、ここで立ち話をずっとしているわけにもいかない。そろそろ寄宿舎へ戻ろう」
パウルが提案すると、残る三人はうなずく。
こうして白昼堂々と起きた騒動はうやむやのまま終わった。
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寄宿舎まで帰って解散した直後、ティアナはパウルに呼び止められた。
「ティアナ、話しておきたいことがあるんだ。ちょっとこっちに来てくれないか?」
自室に戻ろうとしたティアナはパウルの真剣な表情を見て思いとどまる。アルマを先に返したティアナはパウルについて行った。
寄宿舎横の空き地まで移動するとパウルはすぐに口を開いた。
「本当はもう少し様子を見ようと思ってたんだが、さっきあんなことがあったから、ユッタについてすぐにでも話しておいた方がいいと思って呼んだんだ」
「何かあったの?」
「実ははっきりとしたことはわからないんだ。でも昨日の夕方、寄宿舎の近くの人通りの少ない場所で、ユッタがテオフィル王子とカミル様の二人と話をしていたみたいなんだ」
「偶然とは思えないと?」
「人気のないところで話をするのがそもそも怪しいだろう。それに昨日の今日だし」
「つまり、また何かあるかもしれないってことを言いたいわけですね」
「すまない。君をユッタと引き合わせなかったら、こんなことにはならなかったろうに」
「それは結果論ですよ。仕方のないことです」
内心は友人と同じことを思いつつもティアナはパウルを慰める。
「それともう一つ。気になったことがあったから伝えておくよ。ユッタが入学して以来男にちやほやされてるけど、もしかしたら義母からもった指輪のせいかもしれないんだ」
「指輪? そんなものを嵌めているの?」
「そうなんだ。俺は単なる指輪だと思ってたんだけど、あいつはそれを『誘惑の指輪』だって言ってた。どんな代物かまではわからないけど。ただ、何をどこまで信じられるかわからないんだよな。あいつ、たまにおかしなことをつぶやくときがあるから」
以前ユッタと会ったときのことをティアナは思い出す。確かに前世の記憶がなければ突然変なことを言い出したとしか思わないだろう。
「ありがとう、パウル。何かあるって知ることができただけでも嬉しいわ」
「もし俺で力になれることがあったら言ってくれ」
「そうね、お願いするわね」
ティアナが微笑むとパウルは疲れたように笑い返した。
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