ユッタ・キルヒナー

 何か嫌なことがあるとユッタはすぐ内にこもる癖がある。そして、不満を吐き出すように現実を否定するように延々と独り言をつぶやくのだ。


 テレーゼとの会合直後もそうだ。元々無理に引っ張り出されたこと自体が気に入らなかったが、自分の行動を否定して当たり前というその態度が何より気に入らなかった。

 そんな憂鬱な会合が終わると、ユッタは思考を内側に向けて独り言を垂れ流し始めた。


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 物心がついたときに前世の記憶があることに気づいたユッタは驚いた。異世界転生という言葉は知っていたが、その手の小説や漫画にはほとんど興味がなかったので、まさか自分がそうなるとは思ってもみなかったのだ。


「すぐにこれが幸運だってことに気づいた。大人の知識を持ったまま子供からやり直せるなら人生イージーモードだし、なんたってここはゲームの世界! それを知ってるだけでも圧倒的に有利だしね」


 テレーゼ達と別れて学舎裏から離れる途中でユッタは一人口元をゆがめる。つい今し方まであった不愉快さが急速に消えていった。


 元々ゲーム好きだった前世で一通りやり尽くした乙女ゲームの世界に転生したと知ったとき、ユッタは驚喜した。前世で良い思い出がないだけに、今度こそ思い通りの人生が歩めると確信したからだ。


「何をどうすればいいのかわかってる人生なんて、カンペ持ち込んでテストするようなもの。失敗するはずがない」


 王立学院に入学する前は実家の男爵家で教育を受けていたが、算術や文章記述など実務系の勉強は非常に優秀だった。一方、ダンスや歌や詩など社交系の素養は平凡だったので、両親からは商家の娘のようだと嘆かれたこともある。


 それでも、圧倒的な強みを持っているというのは大きな自信になった。ユッタは両親の嘆きなど意に介さず思うように生きてきた。


「それに、これができることがわかってからは、何だってできることがわかったもんね。異世界転生がこんなに都合がいいなんて思わなかったわ」


 面白くて仕方がないという様子でユッタはウィンドウ画面表示と念じる。すると、半透明の小画面が目元に現れた。そこにはユッタの各種ステータスが表示されている。


「相手のステータスや攻略条件も出てくるんだから、男相手なら楽勝よね!」


 前世の乙女ゲームが基準なせいか対象が男性のみに限定されるが、対人交渉でステータスや各種条件それに選択肢が表示されるのだ。これを選ぶだけで交渉事がうまくいく。


「更にこの『誘惑の指輪』! これさえあればなびかない男なんていない! 実際、テオとカミルの攻略は簡単だったし!」


 ユッタは左薬指に嵌めている指輪を愛おしそうに眺める。


 学院へ入学直前に義母からお守りとしてもらった指輪なのだが、乙女ゲームを知っているユッタはそれがただの指輪ではないことを知っていた。ゲームでは救済アイテムであった指輪だが、今のユッタには必需品である。


「まぁ、どっちも女には使えないのが困ったところだけど、それなら攻略した男に任せればいいだけだし。そのためには使える男を手元に置いておかないといけないけど、その点は問題なし」


 乙女ゲームの知識とゲーム的な能力さえあれば何でも簡単に攻略できるとユッタは思っていた。ティアナに出会うまでは。


「でも、あいつ一体何者?」


 先日、兄のパウルたっての願いで会った子女がいた。


 噂に名高い憑依体質持ちの子爵令嬢ティアナ・ベルネット。ユッタが王立学院に入学する前から既に学院内で孤立していた美少女だ。実際に会ってみてユッタはその美貌に思わず嫉妬したが、既に嫌われ者だということを思い出して気持ちを落ち着かせた。


 そんな動揺をしたせいだろうか、ユッタは普段子女にはしないウィンドウ画面の表示を何気なしに念じた。すると、子女相手には開かないはずのウィンドウ画面が開いたのだ。


「なんであのティアナってやつ相手にウィンドウ画面が出てくるの? しかも、ステータスや条件がすべて非表示って何よ!」


 パウルのそばにいることが多い友人のティアナという子女。憑依体質かつ絶世の美少女で周囲の生徒から避けられているなんて特徴のあるキャラは、前世の乙女ゲームには出てこなかった。


「あいつは孤立してパウル兄さんしか友達がない。今まで無視しても問題なかった。どうせこれからも何もできそうにないんだから、これからも無視してもいい?」


 今のところどうなのかわからない。下手に排除して王立学院編が攻略できなくなるのは困る。ここから更に王国編へと入ってハーレムルートを目指すのだ。こんなところでつまずくわけにはいかない。


「それよりも当面はテレーゼに集中しないと。あっちの方がずっと厄介だし。とりあえずさっき強制イベントはこなしたけど」


 大筋はゲームの通りにできたとユッタは思っていた。以後は、テオフィルの婚約者であり悪役令嬢テレーゼに嫌がらせをされる日々が起きることになっている。


「後は周りの男に泣きつけばなんとかなるか。とりあえず基本的には順調ね」


 頭の中でこれまでのこととこれからのことを整理していたユッタは、計画に狂いがないことを確認できて安心した。


「でもそうなると、やっぱりあいつが気になるわね」


 とりあえずティアナは放っておこうと一旦考えたユッタだったが、他に問題がないとわかると気になって仕方がなかった。それに、憑依体質という問題は抱えているが、自分を超える絶世の美少女なのだ。何が起きるかわからないと思えてしまう。


「ちょっと脅かしておこうかな。でも、あたしが直接手を出すのはイヤだし」


 目的さえ果たせるのならばティアナがどうなろうと構わないが、こんなことで後ろめたい思いをしたくはなかった。あくまでも明るく楽しい学院生活を送りたいのだ。そのためには自分の手は白い方がいい。


「あの能力が使えない女との交渉はクソね。やっぱり話す相手は男に限定しないと。でもあいつ、接触するルートがほとんどないのよね」


 ティアナと接触後にユッタが調べて驚いたのは、あの美少女は周囲との関係がほとんどなかったことだ。他人とのつながりが友人のパウルくらいしかない。一応テレーゼともたまに雑談をするらしいが、本当にそれ以外のつながりがなかった。


「部屋に引きこもってるわけでもないのにあそこまでボッチなんて、避けられてるって話は嘘じゃなかったんだ。そっか、そうなると何やっても大丈夫か」


 どうしたものかと考えていたユッタだったが、一つの案をひらめく。


「あたしにはたくさん手駒がいるしね。あいつらを使えばいいんだ。テレーゼとの消化イベント前にさっさと片付けちゃおう!」


 嬉しそうにユッタはつぶやく。そしてそのまま寄宿舎へ向かった。


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 ユッタは思いついた案をすぐに実行するべく、近くにいた自分に好意を寄せる子弟に頼んでテオフィルとカミルを呼びつけた。貴族の序列を考えると本来あり得ないが、ユッタに夢中な二人は喜んで駆けつける。


「ユッタ、火急の用件があると聞いたけど、どうしたんだい?」


「俺で力になれることがあったら、何でも言ってくれ」


「あの、折り入ってご相談があるんです」


 寄宿舎から少し離れた人通りの少ない場所に呼びつけられた二人は、不安そうな顔をするユッタに出迎えられた。ユッタの役に立てるかもしれないと思った二人の表情は真剣だ。


 ユッタは表示しているウィンドウ画面にちらりと視線を向けて口を開いた。


「あたしが男の人とお話しするのを気に入らない人がいるのは、ご存じですか?」


「知っている。男に相手にされない女が妬んでいるんだろう。そんな嫉妬は無視すればいい。いちいち相手にすることはないよ」


「誰がそんなことを言ってるんだ。そんなやつは俺がとっちめてやる!」


 つらそうな表情で質問をひとつなげただけで、テオフィルは優しく、カミルは激しく反応する。ユッタにとってはステータスから予想できた反応だ。


「先ほど、あたしの交友関係についてテレーゼ様からご忠告をいただきました」


「テレーゼか。あいつ、余計なことを! 自分の配下でもないのにどうして出しゃばるんだか。今度よく言い聞かせておくよ」


「でも、テレーゼ様はパウル兄さんのために忠告してくださったんです。あたしの行いが、兄さんの肩身を狭くしているから控えてはどうかと教えてくださいました」


 ユッタの言葉にテオフィルは渋い表情となったが、カミルは首をかしげる。


「パウルと何の関係があるんだ?」


「ユッタが嫌いだからって、その兄まで嫌うのさ。まったく度し難い」


 テオフィルの説明でカミルは納得した。そして鼻息を荒くする。


「あたしが原因でパウル兄さんが悪く言われているのなら、今後あたしが行いを改めればいいです。しかし、原因はそれだけでしょうか? 兄さんはずっと悪い噂のある女のそばを離れませんが、あれは問題ないんでしょうか」


「そういえばパウルの奴、去年からティアナは友人だって言ってたよな」


「確かに、あれだけ悪い噂が流れる女のそばにずっといるのは普通では考えられん。僕とカミルはすぐに縁を切ったのに」


 自分に同調する男二人の様子を窺いながらユッタは続ける。ウィンドウ画面に表示されたパラメーターは順調に伸びていた。更に挑発する選択肢を選ぶ。


「あたしは、パウル兄さんがあの女に騙されている気がしてならないんです。兄さんに都合の悪い噂を流して、自分のそばから離れなられないようにしているんじゃないかと思うんです。お二人はどう思いますか?」


「それは考えたこともなかったな。だが、それならパウルがあの女から離れないのも納得できる」


「狡猾なやつだな。騙してまで友人がほしいのか!」


「そして、兄さんに都合の悪い噂の中に、あたしについての噂もあるかもしれません。どれかまではわからないですが」


「なるほど、その可能性はあるぞ! そうか、道理でユッタがここまで嫌われるわけだ。こんなに素晴らしい女性なのに」


「あいつはそこまで性根が腐っていやがったのか! とんでもないやつだ!」


 ユッタの誘導にテオフィルとカミルが乗る。いつの間にかテレーゼの話がティアナの話に移っているが、どちらもまったく気にしていない。


「あたしのために怒ってもらえるのは嬉しいですが、どうか直接ティアナには何も言わないでください。あたしが二人に話をしたと知ったら、またどんな噂を広げられるか」


「安心してくれ、ユッタ。俺が何をするにしても、決して君の名前は出さないよ」


「そうだ! これは俺がお前の話を聞いて勝手にすることだからな!」


「ありがとうございます、二人とも!」


 そう言いながらユッタは二人の手を取って微笑む。どちらの好感度もかなり上昇した。


「次にあの女と会ったら、きつく言っておいてやる。今まで放っておいたが良い機会だ」


「ユッタ、部屋まで送っていくよ」


「おい待て、僕も送っていくぞ」


 テオフィルもカミルも先を争うようにしてユッタに寄り添う。その様子をユッタは満足そうに見ていた。


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 ティアナに大恥をかかせてしまったパウルはユッタが去った直後深く謝罪した。笑って許してもらえたのは救いだったが、ユッタによく言い聞かせないといけないと決意する。


 翌日、授業が終わってすぐさまパウルは一年生の学舎の正面玄関へと向かった。すると先にテレーゼが待っているのを見て驚く。


「まさか、ユッタを?」


 思わず一歩引いてテレーゼの様子を窺っていると、パウルの予想通りユッタがテレーゼと共に学舎裏へと向かうのを見てしまった。


 居ても立ってもいられなかったパウルは多少大回りして隠れながら二人の後を追う。幸い学舎裏は林や生け垣があるので隠れる場所には困らなかった。


 ただ、到着してすぐにユッタが学舎裏から離れていくのを見て、パウルは慌ててその後をついて行った。そして、学舎の表側に出た時点で声をかけようとする。


「相手のステータスや攻略条件も出てくるんだから、男相手なら楽勝よね! 更にこの『誘惑の指輪』! これさえあればなびかない男なんていない! 実際、テオとカミルの攻略は簡単だったし!」


 喉まで声が出かかったパウルだったが、うつむき加減に独り言をつぶやいているユッタを見てまたかと思った。あの妹は昔から嫌なことがあると自分の殻に閉じこもって、よくわからない言葉を交えて胸の内から吐き出すのだ。


 そして今回は聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。


「『誘惑の指輪』? 義母さんからもらった指輪のことか? それにテオフィル王子とカミル様の攻略って」


 声をかける機会を逸してしまったパウルはそのままユッタの後を追う。ユッタがきちんと前を見て歩くようになってからはパウルは充分距離を置いた。


 途中、ユッタは他の子弟と話をしたかと思うとすぐに分かれて寄宿舎へと向かった。そして、そのまま人通りの少ない場所へと歩いて行く。


 寄宿舎前でパウルがそのまま追うかどうか迷っていると、しばらくしてテオフィルとカミルが通り過ぎていった。そして更に迷いながらも立っていると、ユッタを挟んで三人が仲良く戻ってきた。


「あいつ、何をやっていたんだ?」


 とっさに隠れてしまったパウルに気付くことなく三人は寄宿舎へと入っていく。

 何やらおかしなことになっていないかと不安になるパウルだった。

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