お話にならない会合
貴族の子女として、また公爵家の令嬢として育てられたテレーゼの振る舞いは完璧である。幼い頃に決められたテオフィルとの婚約によって将来王妃となるための研鑽も求められたこともあり、その風格は同年代を圧倒していた。
そんなテレーゼにとって貴族らしからぬ言動をする令嬢は看過できなかった。
自室にて通学前のお茶を嗜むテレーゼは小さくため息をつく。
「去年のティアナはまだかわいらしいものでしたね。少なくとも殿方が一方的に騒いでいただけでしたから。それに比べてユッタは」
まるで娼婦のよう、という言葉を飲み込む。誰構わずと男へ声をかけるなど貴族の子女どころか町娘にも劣る。テレーゼにはそう思えて仕方ない。
テレーゼは口に付けたティーカップをテーブル上のソーサーに重ねる。
「不思議なのは、声をかけられた殿方はそろってユッタに夢中になることですわ」
程度の差はあっても好意を寄せるところは皆同じである。一体何がそこまで惹きつけるのかテレーゼにはわからない。これは学院内の子女共通の疑問でもあった。不自然なくらいどの子弟もユッタになびくのだ。
「こうなると、一度ユッタとお話をした方がいいかしら」
物憂げなままテレーゼが眉を寄せる。
学院内には子女が形成する派閥がいくつかある。もちろんテレーゼの派閥が最も大きい。そして、子女はほぼ全員がどこかの派閥に属していた。例外は二人、ティアナとユッタだ。
この派閥に属していないという点の何が不都合かというと今回は二点ある。
「どこかの派閥に属していたら、その派閥の方に色々とお話を伺えましたが」
例えテレーゼが直接ユッタと話ができなくても、もしユッタがどこかの派閥に属していたらその派閥内の子女に話を聞くことができる。
それができないために、ユッタについて噂以上の情報がなかなか入ってこない。
「それに、ご忠告もできませんわ」
通常、あれこれと直接指導できるのはあくまでも自らが率いる派閥のみだ。他に手出しをするのは貴族の秩序を乱すことになるので控えないといけない。
しかし、ユッタはテレーゼの派閥に属していない。いや、どこの派閥にも属していないのだ。他の派閥に属していればそこのとりまとめ役から注意をしてもらえるが、個人となるとそうもいかない。ユッタは実に頭痛の種だった。
「オリーヴィアは一度注意したものの拒否され、ザビーネには先日わたくしから忠告してほしいと訴えられたばかり。ユッタにはテオフィル様やカミルをはじめとした殿方の後ろ盾がありますから、一介の男爵令嬢を相手にする感覚では説得できないしょう」
単なる子女同士の揉め事ならば派閥の力で対処できる。しかし、ユッタが厄介なのは子弟の多くを巻き込む点だ。特に王子と近衛騎士団の有望株が相手となるとうかつに手出しはできない。
「問題なのは、わたくしが注意をして聞いてくださるのかということですわね。テオフィル様があちらにいらっしゃる以上、公爵家の権威は恐らく通じない」
いくら公爵家の権威といえども王族の権威には敵わない。王侯貴族の序列としては正しいが、今回はそれが裏目に出ていた。
「しかしそうは言っても、一度はユッタとお話をしなければ」
テレーゼは色々と考えてはみたものの、結局のところは直接出向くという結論に至る。
表情が晴れないまま、テレーゼは再度ティーカップを持ち上げて口を付けた。
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王立学院では同時期に入学した生徒は同じ授業を受けるようになっている。一部飛び抜けて優秀な生徒のみ個別指導を受けることがあるが、それは例外だ。そのため、ティアナはパウルと同じ授業を受けるが、テレーゼはユッタと同じ授業を受けることはない。
つまり、同じ授業を受ける者同士なら常日頃から顔を合わせることになるが、そうでなければ通学時に顔を見かけるだけとなる。授業だけにしか出席しないと交友範囲は意外と狭い。午後からお茶会や舞踏会が開かれるのはその問題を解決するためでもあった。
しかし、この慣習にまったく従わない者が学院内に二人いる。ティアナとユッタだ。
テレーゼは一年生の学舎の正面玄関で取り巻きの子女達とユッタを待っている。
「何もテレーゼ様自らがお待ちにならなくても」
「仕方ありませんわ。お願いした方の言うことを無視するんですもの」
本来、上位の者が下位の者と会うときは使者を派遣して呼び出す。
通常ならばとりあえず応じるものだが、ユッタは取り付く島もなく無視したとテレーゼは報告を受けた。そのため、使者を送るだけでは埒が開かないと早々に判断したテレーゼは、学舎の正面玄関でユッタを待ち構えているのだ。
暇つぶしに取り巻きの子女が語りかけてくる。
「ティアナの場合はまだ情状酌量の余地がありましたが、ユッタの態度はひどすぎます」
「困ったことに、こちらの思いはまったく通じないのですよね」
ティアナの場合は被害者である。避ける子女は多いが同情する者も多い。しかし、ユッタは違う。子弟としか付き合わず、子女には見向きもしないのだ。そのため子女全員から嫌われている。
「やっと来ました」
取り巻きの一人が目を細めて廊下の奥を見る。
何人かの子弟に囲まれたユッタがこちらに向かって歩いてきていた。恐らく同じ授業を受けた子弟ばかりなのだろう。テオフィルやカミルの姿はない。
近づいてきたユッタに対してテレーゼが声をかけた。
「ごきげんよう、ユッタ」
「どなたですか?」
「わたくしは、テレーゼ・バッハと申します。本日はお話があってやって参りました」
「あの使者と名乗っていた人の」
不審な人物を見るかのようなユッタの態度は慇懃無礼だが、テレーゼは気にする様子もない。ただ、テレーゼの取り巻きの視線の温度が下がる。
「先に申し上げておきますと、態度を改める気はありません。あたしが誰とどのように関わろうと、あたなには関係のないことでしょう?」
「殿方に対する接し方が奔放すぎだと、皆さんおっしゃっていますが」
「言わせておけばいいんですよ。あたしは普通に接しているだけです。それを部外者にとやかく言われる筋合いはありません。羨ましいのでしたら、ご自身も男の人に好かれるようにすればいいんです」
どちらも憚ることなく話しているせいで周囲にもこの会話が聞こえている。誰もが二人に目を向け、そして言葉を発しない。多数の生徒がいるにもかかわらず、誰もいないかのように正面玄関は静かだった。
それはユッタの取り巻きも同じだった。さすがに子弟とはいえ、公爵家に面と向かって立ち向かえる者はそういない。じっと二人の様子を窺うばかりだ。
「あなたの意見はわかりました。それについてもまだ言いたいことはありますが、本日の要件ではありません。あなたのお兄様についてです」
お兄様という言葉を聞いたユッタの表情が訝るものに変わる。
「パウル兄さんに何の関係があるんですか?」
「ここではなんですから、静かなところでお話しませんか?」
周囲だけでなく、二人の間にも沈黙が訪れた。時間の経過と共に緊迫してゆく。
「わかりました。ついて来てください」
「応じてくださって嬉しいですわ」
ため息をついたユッタが折れた。その表情は不機嫌な様子だったが無視できないと判断したようだ。一方、テレーゼの表情は明るい。取り巻きの子女達の表情は依然厳しいが幾分和らいでいる。
取り巻きの子弟に別れを告げたユッタは、同じく一人になったテレーゼを引き連れる形で学舎を出た。向かう場所は一年生の学舎の学舎裏だ。
「ここなら誰にも聞かれません。それで、パウル兄さんがどうしたのですか?」
ユッタはいきなり本題に切り込んだ。本当に要件だけしか話し合うつもりがないという態度がはっきりとわかる。
テレーゼがその様子を承知の上で口を開く。
「あなたのお兄さん、パウルが子弟や子女の皆さんから距離を置かれつつあることをご存じかしら?」
「それはみんなティアナという女の人が悪いんです。あんな得体の知れない気味悪い女のそばにいるから、パウル兄さんはいらぬ苦労を背負い込むんですよ。あたしが何度言っても、友人だからって離れなんです」
当然と言わんばかりにユッタが断言する。しかし、テレーゼは首を横に振った。
「殿方の皆さんがパウルに不満を持つのは、あなたとの橋渡しをしてくれないからだそうです。意中の君があれだけ方々の殿方に愛想を振りまいている姿を見せられると、誰でも不安になります。だからこそ、兄がいれば頼りたくもなるのでしょう」
「それで兄さんに八つ当たりですか。つまらないことをする人たちですね」
どうでもいいというその態度を見てテレーゼは眉をひそめる。
「子女の皆さんは、ティアナを気味悪がってはいますがそこまで嫌ってはいません。パウルが子女から避けられつつあるのはあなたの兄だからですよ」
「どういうことです? 全然お話が見えないんですけど?」
「あなたも自分が他の子女の皆さんに嫌われていることくらいはご存じでしょう。そのあなたの兄となると、避けたくなるとは思いませんか?」
「呆れたものですね。どうしてあたしのやってることでパウル兄さんを嫌うんでしょう。関係ないですのに。そんな愚かことしてるから、男の人の気を引けないんですよ」
その当然といった態度にテレーゼは驚きつつも更に話を続ける。
「では、あなたに夢中になるあまり、元いた婚約者を捨てる男の人がいることはどう思っているのですか?」
「今初めてお聞きしました。そんな方がいるんですね。でも、それはその男の人と女の人の問題で、あたしには関係ない話ですよね?」
「関心がないということですか」
「そういうことは本人に聞いてください。あたしが婚約を破棄するように言ったことなんて一度もありませんから」
「あなたには良心はないのですか?」
「良心なんて関係ないでしょう。あたしは相手の方とお話をしているだけです。それとも、話しかける相手に毎回婚約されているのか聞くのですか? それこそぶしつけでしょう」
まったく動じないユッタにテレーゼの眉が動く。
「ユッタ、あなたの側にテオフィル様がよくいらっしゃいますが、その方がわたくしと婚約していることは知っていますよね」
「そうなんですか? テオは特に何も言っていませんでしたが」
「テオフィル様をテオと呼んでいるのですか?」
「何を驚いているんです? テオ本人がそう呼んでもいいと言ってくれたんですよ?」
ユッタの話を聞いてテレーゼは目を見開いた。一部の親しい人物にしか愛称は許さないものだが、ユッタが許されているとは思わなかったからだ。
「テオフィル様とわたくしの婚約は王家と我が公爵家が取り決めたものです。その間に割って入ろうというのですか?」
「ですから、先ほども言いましたけれども、そういうことはご本人に聞いてください。あたしはテオとテレーゼさんの間についてとやかく言うつもりはありませんから」
「テレーゼさん?」
「どうしました? 呼び捨てでないんですからいいでしょう」
会話をしている中で、テレーゼはふとユッタが貴族社会の常識に囚われない自由奔放な態度をすると聞いたことがあることを思いだした。そして、これがそうなのかと思い知る。
「では最後にひとつ。ユッタ、あなたは殿方と婚約されているのですか?」
「え? 婚約?」
テレーゼの質問にユッタが虚を突かれた。しばらく間が空く。
「左薬指に指輪をしていらっしゃるでしょう。それでそう思ったのですが違うのですか?」
「これはお守りです。幸運のお守り」
口元をゆがませながら、ユッタは左手を裏返してテレーゼに指輪を見せつける。
「婚約指輪ではないのですか」
「もちろん、そんなのしてるわけないでしょう。あたし自身も男の人を惹きつける魅力はあるけど、このお守りのおかげで更に幸せになれるの」
「そうですか。お答えいただきありがとう。お手間を取らせました。もうよろしいですわ」
「こんなつまらないことでもう呼ばないでくださいね」
テレーゼが言い終わると同時に、ユッタはまっすぐ歩いてテレーゼ達の脇を通り過ぎ、そのまま去って行った。
その足音が聞こえなくなってからテレーゼは肩の力を抜いた。
「思った以上に厄介な子でしたわね」
大きくため息をつきながらテレーゼは考える。
ユッタは慇懃無礼というよりは傍若無人な人物だというのがテレーゼの評価だ。一応言葉遣いは取り繕っているつもりのようだが全然なっていない。なるほど、他の子女がユッタを嫌う理由がテレーゼにもよくわかった。
また、テレーゼには随分と子弟に執着しているように見えた。過去に子弟絡みで何かあったのかもしれないと推測する。それでも、あそこまで子弟に声をかける理由はわからないが。
「いざとなれば、パウルに聞いてみても良いでしょう」
テレーゼは渋い表情をしながらユッタの去った方を見る。
しばらくは無言であったが、テレーゼはやがて学舎裏から立ち去った。
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