逃亡犯の追跡
襲撃犯に指示を出した者達を捕縛する計画を練った三日後、ついに実行するときがきた。
提案したティアナとアルマはそのときまで待つだけで良いが、テオフィルは計画のために急いで準備をする必要があった。
今回は、襲撃犯の一人、地下牢でティアナ達と話をした男ブルーノを別の監獄へと移送することになっていた。本来は警戒は厳重に、手足の拘束も抜かりなくするものだ。しかし、ブルーノに対しては移送車の護衛は最低限、拘束は緩い。
この状態の移送隊を正体不明の者達が襲撃するということになっている。もちろんこの襲撃者は仕込みだ。そして、誤って移送車の扉の鍵を壊してしまうのである。
一方、精霊はあらかじめ透明な状態で移送車に付き従い、ブルーノのが逃走するとそれを追いかける予定だ。ティアナはもう精霊一体に憑依してもらい、その様子を探る。
懸念があるとすれば、魔法の妨害を受けたときだ。かつてテネブー教徒が尊き主の像を使って実行したときも精霊同士は会話ができたそうだが、同じ環境でティアナが遠く離れた精霊の見聞きしたことを本当に知覚できるかはわからない。
当日の朝、ティアナはアルマと共に王城へと徒歩で向かった。話が通っていた門兵に咎められることなく城内に入り、応接室で待つ。
やがて一人の中年騎士が入室してきた。豊かな髭を蓄えた堂々とした体躯の持ち主だ。
「襲撃犯追跡の責任者を任されたニクラスだ。テオフィル殿下がおっしゃっていたティアナ嬢とアルマだな?」
「はい、私がティアナで、こちらがアルマです」
事務的な態度で接するニクラスにティアナは席から立って一礼した。アルマもそれに続く。
二人の態度にうなずいたニクラスが用件を簡潔に述べる。
「追跡本部は城内の兵部省にあるのでそちらに移っていただきたい。我々が動くならそちらの方が好都合なのだ」
「わかりました。今から参りましょう」
逃亡する襲撃者を追跡するのはティアナの役目だ。しかし、それ以外はニクラス配下の騎士や兵士が担当する。それならば、実働部隊が動きやすいように配慮するべきとティアナは応じたのだ。
ニクラスに案内されて二人が向かった兵舎はさすがに城内の建物だけに立派なものだった。王都内にある官憲の建物にも引けを取らない。しかし派手な装飾はなく、白い石材を使った質実剛健な様相だ。
中へ入るとさすがに薄暗い。外観と同じ内装で、その廊下を騎士や兵士が往来している。ニクラスがとある部屋に入ると、三十人程度が入れる会議室にいた十人程の騎士と兵士が一斉に顔を向け、敬礼した。
それを手で制すると、ニクラスは顔色を変えずに口を開く。
「この二人の女性が、今回精霊を使って襲撃犯を追跡するティアナ嬢とメイドのアルマだ」
「私がティアナです。皆さん、初めまして」
「メイドのアルマです。よろしくお願いします」
紹介された二人が挨拶したものの、反応は微妙だった。その表情から、ティアナは以前の舞踏会の件が影響しているのかなと想像する。それでも、あからさまな反感はないことがわかって内心安心した。
追跡隊の感触をティアナが推し量っていると、ニクラスが声をかけてくる。
「この追跡隊の指揮権は私にある。ティアナ嬢は私の直属という位置づけだ。何かこちらに要求がある場合、私を通してもらいたい」
「精霊を使っての追跡に専念すれば良いわけですね」
「その理解で構わない」
指揮官であるニクラスの確認にティアナはうなずいた。相手の言葉を深読みすればいくらでも考えられるが、追跡後の主体は追跡隊になるので何も言い返さない。
そして、ここから打ち合わせかと思っていると、ティアナは少し意外なお願いをされる。
「ところで、追跡に使うという精霊を我々は見たことがないのだが、実際どのようなものか見せてもらえないだろうか?」
「え? ああ、そうですね。イグニス、アクア、姿を見せてください」
一度は自分の目で確認したいという気持ちを理解したティアナは、火と水の精霊に声をかけた。すると、半透明の火柱と水玉がティアナとアルマの前に現れる。
精霊の姿を見たニクラス以下の騎士や兵士は小さくどよめいた。この反応はティアナとアルマにとってはもう見慣れたものになりつつある。
「いかがでしょう。自在に姿を隠すことができますし、移動の際に物音も立ちません。更には物理的な存在は無視できますから、壁をすり抜けることも可能です」
「なるほど、これなら追跡も容易だな。逆に追跡されたら振り切れないが。ちなみに、精霊はこの二体だけなのか?」
「風と土の精霊はテレーゼ様の身を守っています」
「これがまだ二体もいるのか。しかも、遠く離れた場所で独自に動けるとは」
「あちらには私のもう一人の仲間がいます」
呻くように話すニクラスにティアナは笑顔で応えた。
しばらく何とも言えない複雑な表情を浮かべていたニクラスだったが、しばらくして気を取り直す。
「精霊については承知した。テオフィル殿下の言葉を疑っていたわけではないが、これなら確実に追跡できるだろう」
「襲撃犯の移送はいつでしょうか?」
「昼からだ。移送車は既に準備してあるので、精霊を向かわせるのならいつでも構わない。こちらの隊の状況説明はこれから行う」
「わかりました。説明が終わってからイグニスを向かわせます」
大きな机にちらりと目をやったティアナがうなずいた。その机上には王都の細部まで書き込まれた地図が張り出されている。
こうして、いよいよティアナ達の拠点捜索が始まろうとしていた。
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打ち合わせが終わり、火の精霊を移送車に向かわせ、昼食も済ませたティアナとアルマは、ニクラスから襲撃犯ブルーノの移送を始めると連絡を受けた。
隣に座っているアルマへと顔を向ける。
「それじゃ、アクアを借りますね」
「どうぞ。早く返してよ」
笑顔で答えるアルマにティアナは苦笑した。
水の精霊を自分に憑依させ、火の精霊の周囲を見たティアナは、護衛の兵士が既に待機していることを知る。
「イグニス、誰か敵意を抱いた人は近づいています?」
『イナイ』
さすがに王城で誰かが襲撃してくるとは思っていないが、正常に意思疎通が図れるか確認するためにティアナは火の精霊に問いかけた。
立ち上がったティアナは数歩進んで王都の地図の前に出る。
「ニクラスさん、こちらの準備は整いました」
「承知した。こちらも既に用意できている。後は出発するだけだな」
大きくうなずいたニクラスは部下に顔を向けて指示を出した。敬礼して応じた騎士は、水晶玉の前に座った魔法使い数人に同じ命令を繰り返す。
離れた場所との連絡を取る方法は王国軍も持っている。直接人を往来させる伝令の他に、魔法使いによる水晶を使った遠隔通話だ。あまり長距離だと使えないが、王都内ならば通話は可能である。そのため、要所には連絡班として配置してあるのだ。
魔法使いからブルーノを地下牢から連行し始めたという連絡があった。いよいよ作戦開始である。予定通り緩めの拘束具で縛り上げ、城から出てくる。
火の精霊を通して建物から出てきたブルーノを確認したティアナが口を開く。
「こちらでも襲撃犯の姿を確認しました。もうすぐ移送車に入ります」
「そうか。きちんと見えているのならば問題ない」
ティアナへと顔を向けたニクラスが返答した。その後で、部下からブルーノを移送車に入れて出発したとの連絡が入る。
移送車が動いたことで火の精霊も一緒に移動を始めた。位置は移送車の出入り口扉の前である。姿を消しているのでどこにいても構わないのだがティアナの気分の問題だ。
これで後は仕込みの襲撃班が仕掛ける場所まで何もない。ティアナは目の前の地図に目を向けた。地図に書き込まれた予定路通りに進むなら三十分後だ。
隣に立っているアルマにティアナが声をかける。
「とりあえず、出だしは何事もなく始まりましたね」
「問題は襲撃地点よね。ここで本物が出てきたら厄介よ。ただ、こっちは何があっても精霊で追跡するだけだけど」
「私達からすれば本物が出てくるかどうかは重要ではないですしね」
今回はあくまでもブルーノの逃げ込む先がどこなのかを知るのが目的であって、移送車とその護衛は重要ではないのだ。
しばらくじっと待っていると、移送車の御者台にいる魔法使いから問題なく予定地点通過との連絡が入った。その声を聞いたティアナは地図へと視線を落とす。
「五分後ですね」
「その通り。君はここからが本番というわけだ」
「ええ。そろそろ指揮棒を貸していただけますか?」
「これを使うといい。記録班、もうすぐ追跡が始まる。ティアナ嬢の示した経路を見落とすなよ」
部下に指示を下すニクラスからティアナは指揮棒を受け取った。再びイグニスへと意識を戻すと、相変わらず移送車と護衛の兵が移動している。
もうそろそろとティアナが思ったときだ、突然周囲から覆面をした者達が移送車に襲いかかってきた。護衛の兵が応戦する。
「始まった!」
指揮棒を握りしめたティアナは地図に片手を突いて前のめりの姿勢で待機した。周囲でニクラスやその部下達が言葉を交わしているが気にならなくなる。
火の精霊を通して見える風景では偽りの戦いが続いているが、とある襲撃者と護衛兵がもつれ合うふりをして扉の前まで移動してきた。そして、誤って剣をぶつけたかのように装って鍵を壊す。その衝撃で扉が少し開いた。
「移送車の扉の鍵が壊されました。もうすぐ出てくるはずです」
「いよいよか!」
乱戦状態では連絡を受け取れないニクラス達はティアナの言葉に目の色を変えた。
尚もじっと待っていると、やがて中からブルーノが出てくる。最初は顔だけ出して外の様子を窺い、次いで拘束具を外した体で飛び出して全力で走り始めた。
「ブルーノが脱走しました。追跡を始めます」
記録班を中心にティアナの言葉にで体に緊張感を走らせた。
それには目もくれず、ティアナはイグニスを通して見える風景を感じ取る。ブルーノに合わせて移動しているので次々と周囲の景色が変わった。それに合わせて与えられた指揮棒で地図の道を指し示す。
多少まごつきながらも動いていく指揮棒を追って、記録班が地図に経路を書き込んでいった。人通りのあまりない住宅街の一角から始まり、次第に下町へと向かっていく。
「こっちなのは予想できたけど、問題はここからよね」
近くでティアナの様子を眺めているアルマがつぶやいた。他の町よりも広い王都なので、下町や貧民街の規模も大きい。この広い場所のどこなのかがわかれば、後は官憲を差し向けるだけだ。
右へ左へと曲がり、全力で駆ける逃亡犯を火の精霊が追いかける。さすがに騎士だけあって体力があり、走る速度はなかなか落ちない。それでも平気なのは精霊が追いかけているからだ。これがティアナ本人ならば怪しい。
走るブルーノの周囲は次第に薄汚くなってきた。下町から貧困街に入ったのだ。
「奴め意外に逃げるな。もう城壁まであまりないぞ」
長い逃走劇にニクラスも眉をひそめた。
しかし逃走もついに終わりのときが来る。ブルーノが走るのを止めてとある崩れかけた民家に入ったのだ。
「ブルーノはこの古い民家に入りました」
「そこか! よし、追跡班に追わせろ! いいか、すぐに手を出すんじゃないぞ」
拠点の位置がわかったと判断したニクラスが、新たな命令を部下へ次々に下していった。この時点でティアナの役目は半分終わったが、次の役割に切り替わる。今度は内偵だ。
民家に入ったブルーノは盛大に息を切らせながらも安心した様子である。迷いのない足取りで廊下を進み、とある部屋に入った。あまり大きな部屋ではなく、粗末なテーブルが中央にあり、その周囲にいくつかの椅子がある。
『はぁはぁはぁ、まさか本当に逃げ出せるとはな。はは、ツイてる』
逃げ切れた安心感からブルーノには緊張感がなくなっていた。そして、室内に入ってすぐにテーブルの上に真新しい土器一つと木製のジョッキ八つが置いてあるのに気付く。
迷わず木製のジョッキ一つをたぐり寄せ、土器の栓を抜いて傾ける。
『へへ、そういやいつもここにゃ酒があったよな。ちょうどいい。ツイてるぜ』
並々と土器から液体を注ぎ込むと、ブルーノは待ちきれないといった様子で木製のジョッキに口を付けた。そして、一気に飲み干す。
『はぁっ、うめぇ! たまんねぇな! もういっぱ、い? がはっ!?』
気分爽快といった様子で上機嫌だったブルーノは、再び土器に手を伸ばそうとして目を見開いた。次いで喉をかきむしりながら苦しみ出し、ついには倒れて血の泡を口から吐き出す。そして、最後は動かなくなった。
火の精霊を通してその様子を見ていたティアナは目を見開いたまま呆然とする。異変を察知したアルマに呼びかけられて我に返ったのは、しばらくしてからだった。
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