思わぬ切り返し
泳がせた逃亡犯が戻った拠点で毒を盛られて死んだとティアナが報告してから、追跡隊はにわかに慌ただしくなった。一時は作戦は成功したと思っていただけに、逃亡犯の毒殺は意外だったのだ。
「馬鹿な、戻って来た仲間に毒を盛るだと!? いや、しょせん寄せ集め、最初から使い捨てにするつもりだったか!」
最初に報告を聞いたニクラスは歯噛みしたが、こうなるともう隠密に事を運ぶ意味はない。矢継ぎ早に指示を出して襲撃犯の拠点に急行させた。
騒がしくなる室内でティアナは机上の地図の拠点がある場所をじっと見つめている。
「テレーゼ様が襲撃されたのは十日以上前、ブルーノを逃がす計画を立てたのは三日前、計画が漏れていないとしたら、捕らえられた者が戻ってくること前提で罠を用意していたということ?」
「ティアナ、どうしたのよ?」
「計画が漏れていたとは思いにくいですけど、だとしたら十日以上前からこの日を想定していたことになります。お酒ってそんなに放っておいても飲んで平気なものなのですか?」
「涼しいところでしっかりと保管してるならいいけど、どんな場所なの?」
「崩れかけた民家の一室です。恐らく温度管理は一切されていないはずです」
「真夏の今の時期に? いくらお酒でも危ないわね。毎日取り替えていたって考える方が自然よ」
「だとしたら、いずれ戻ってくることがわかっていたということですか?」
「うがった見方をしたら、この計画自体が想定の内だってことかしらね」
「なるほど、織り込み済みということですか」
ティアナは顔をしかめた。相手の手のひらの上で踊らされているとは思いたくないが、少なくとも簡単にあしらわれているように思えた。
悔しがるティアナにニクラスが声をかけてくる。
「そちらの話を聞くに、どうも手の内を読まれていたようだな」
「申し訳ありません。成功すると思ったのですが」
「どのみちこちらも手詰まりだったのだ。今回は相手が上手だったと思うしかないだろう。相手の拠点を一つ潰したと考えるしかあるまい」
襲撃犯を一人失った上に得るものがほとんどなかったニクラスはため息をついた。拠点は確かに一つ潰せたが、それに意味はないことをこの場の全員が理解している。
「ともかく、こちらの追跡班が拠点に到着するまで精霊で周囲を警戒してくれ。せめて現場を押さえておきたい」
「承知しました。今のところは周囲に変化なく、敵意のある者もいないようです」
「わかった」
若干重くうなずくとニクラスは追跡隊の指揮に戻った。
一方のティアナは机上に指揮棒を置くと与えられた席まで戻って座る。全身の力が一気に抜けた。アルマが隣の席に座ったことも気付かない。それでも最後の責務を果たすべく、ティアナはぼんやりと火の精霊経由の風景を眺めていた。
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夕方、追跡班が拠点に到着し、ある程度捜査が進んだ頃にティアナはお役御免となった。
精神的な疲労により体が重く感じるティアナは足を引きずるようにして王城の応接室へと向かう。そして、テオフィルとの面会を待った。
程なくして王子が応接室へと入ってきた。そして、ティアナの様子を見て眉をひそめる。
「顔が青いぞ。平気なのか?」
「お気遣いありがとうございます。思った以上に気落ちしているのでしょうね。しかしご安心を」
「まぁそう言うのならば。ただ、面会は手短にした方が良さそうだな」
「そこまでひどいですか?」
「隣のアルマに尋ねてみるといい」
「面会は明日にして今日は横になるべきと廊下で申し上げましたよ」
「ほら見ろ」
味方がいないことを知ったティアナは面白くなさそうに少し口を尖らせた。その顔を見てテオフィルが少し笑う。しかし、すぐに真面目な顔になった。
「ニクラスから既に一報は届いている。駄目だったようだな」
「拠点に逃亡犯がたどり着いたところまでは予定通りでしたが、まさか毒殺するとは思いもしませんでした」
「毒殺か。随分と徹底しているな。余程姿を見られたくないらしい」
「アルマと先程少し話をしましたが、計画が露見したというより、相手にあらかじめ想定されていたのではないかと思われます」
「なるほどな。あちらはかなり知恵が回るらしい」
見立てを聞いたテオフィルは面白くなさそうな顔をした。しかし、計画に独創性はないので想像できる範疇だ。実際にここまできっちりと対処されるとは思わなかったが。
ともかく、テオフィルは気になることを問いかける。
「さっき、拠点にたどり着くところまでは予定通りだと言っていたが、違和感やおかしな点はなかったのか?」
「見当たりませんでした。魔法関係ならば精霊が感知してくれますが、まったく反応がなかったので、今回は魔法を使われていないと思います」
「純粋に知恵比べというわけか。厄介な」
「拠点は今後官憲などが調査をされるでしょうけど、恐らく何も出てこないでしょうね」
「同感だな。ここまで周到に仕掛ける奴がそんな抜けたことをするとは僕も思えない」
見解が一致したところでティアナとテオフィルはため息をついた。
しばらく黙っていたテオフィルが再び口を開く。
「これで手がかりが完全になくなってしまったわけだが、君はこれからどうする?」
「テレーゼ様から頼まれている調査を続けるつもりです。使用人やメイドから話を聞き取って主人である貴族や騎士の動向を探ります」
「そんな方法があるのか。それはそれで興味深いな。何か成果があったらこちらにも教えてくれないか? こうなった以上、こちらも本腰で捜査をしないといけないんだ」
「でしたら、テレーゼ様経由でお伝えします。私達は毎週一度ご報告申し上げております」
「それでいい。頼んだ。それにしても、面倒なことになったな」
「まったくです。ご婚礼の儀式も近いですのに」
「仕事が増えるばかりでちっとも減ってくれん。婚礼の儀式どこではなくなってきた」
心底参ったという様子でテオフィルが愚痴を漏らした。
大きくため息を漏らした王子にアルマが一言諌言する。
「間違ってもテレーゼ様には婚礼の儀式どころではないとおっしゃらないでくださいね。一生に一度の晴れの舞台なのですから」
「僕にとってもそれは同じなんだが、重みが違うんだろうな」
「そういうことです」
アルマに笑顔を向けられたテオフィルは苦笑いをして黙った。
その後、数日をかけて拠点が捜査されたが、これといった有力な証拠は見つからなかった。結局、何もわからないまま捜査は打ち切られてしまう。
こうして、一連の反撃計画は失敗に終わった。
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王子達の計画が失敗してから二週間が経過した。八月も残すところ明日の一日のみだ。既に日は落ち、明かりがないと何も見えない。
連日続く責務にテオフィルはため息をついた。通常の職務に加えて、婚礼の儀式とテレーゼ襲撃事件の調査がその肩にのしかかる。
一定の間隔で明かりがぼんやりと輝く廊下をテオフィルは歩いていた。背後に近衛兵二人が続く。最後の面会が終わり、私室へ戻るところだ。
「結局この日まで進展なしか」
襲撃事件の調査は難航していた。ティアナも調査を進めて怪しそうな人物を何人か挙げてくれたが、官憲が踏み込めるだけの決定的な証拠までは掴んでいない。
それでもこの二週間が平穏に過ぎていってくれたのは助かったとテオフィルは思う。婚礼の儀式関連の作業で職務が圧迫されているからだ。これ以上は今の王子にはきつい。
やがて私室へとたどり着いた。扉の前に四人の男が立っている。二人は扉を守る兵であり、一人は今晩室内を守る近衛兵、そして最後に厳つい顔で豊かな髭を蓄えた男だ。
王子が私室の扉の前にやって来ると、見かけない男が直立不動となって口を開く。
「今晩から護衛を務めます、バルシュミーデ侯爵家カールハインツ候の家臣ゲルルフです! 殿下の安眠を守る栄誉を賜り、恐悦至極にございます!」
「もっと静かに名乗ってくれ。そんなに大きな声を出さなくても聞こえる」
「申し訳ございません! 以後、気を付けます!」
まったく話を聞いていないゲルルフの態度にテオフィルは呆れた。腕は立つと聞いているが、一緒にいると気疲れしてしまいそうに思える。
それでも拒むことはできない。祖母の願いであり、父たる国王の命なので受け入れるしかなかった。
一緒に室内を守る近衛兵の微妙に嫌そうな顔を見ぬ振りして、テオフィルは私室へと入る。廊下をともに歩いてきた近衛兵の役目はここまでだ。
所定の位置についた守兵二人を頭から追いやって、丸い机に置かれた酒瓶とグラスを手に取る。寝酒を嗜むようになってもう一年くらいになることを不意に思い出した。
「ともかく、あと二日だ。これさえ乗り切れば、少しは楽になる」
連日ある婚礼の儀式関連の練習や決裁を思い出しながら、テオフィルはゆっくりと自分に言い聞かせていた。
最近の出来事を思い返しながらちびちびとやっていると、少しずつ眠気に襲われてくる。頃合いと思ったテオフィルがグラスを一気に傾けて丸い机に置くと寝室に向かった。
「いよいよ二日後か。テレーゼの姿が楽しみだな」
寝台に潜り込み、次第にぼんやりとする意識の中、もうすぐ結婚する相手のことを思い浮かべながらテオフィルは眠りに落ちた。
その後、部屋の明かりはほぼ消され、室内の大半に夜の帳が下りてくる。この日も一日が終わり、日の出まで静寂に満たされる、はずだった。
暗闇と同じくらいまったく音がしない室内にごくわずかな音が染み込む。ゆっくりと開いた窓から、一人、また一人と全身黒ずくめの者達が入ってきた。
二人はまるで明かりが点いているかのように壁に沿って寝台へと進む。もちろん足音はしない。そして、いよいよあと数歩で寝台というところまで近づいた。
そのとき、室内が昼間のように明るくなる。あまりのことに、侵入した二人は体をこわばらせて立ち止まった。
異変を察知したゲルルフと近衛兵がすぐに駆けつける。
「賊だ! 討ち取れぇ!」
自分に気合いを入れるように大声で叫んだ。長剣を抜いたゲルルフが黒ずくめの二人に突進する。意外に素早く早い一撃に、一人は脇へ避けたがもう一人は避けられずに短剣で受け止めた。
もう一人の侵入者を近衛兵が相手にする中、ゲルルフは目の前の黒ずくめに獰猛な笑みを見せる。
「バカめ! 殿下ほどのお方の部屋に、鼠対策がされていないとでも思ったのか?」
長い歴史の中で散々暗闘を繰り広げてきた王侯貴族は、当然自衛のための手段も発達させてきた。そのため、自らの命を守るために惜しげもなく財貨をつぎ込んできたのだ。
話を聞いているのかいないのかわからない黒ずくめは、長剣で上から押さえつけられている状況でゲルルフの足を蹴り倒そうとした。しかし、それを察知したゲルルフは、瞬時に離れる。
片足を挙げた状態でいきなり上からの圧力を失った黒ずくめは、一瞬体の均衡を失ってその場から動けなかった。そこを見逃さず、ゲルルフは再度踏み込んで斬りつける。
「死ね!」
「がっ!」
躱すことができなかった黒ずくめは、再び振り下ろされた長剣を防ぎきることができずにそのまま腕ごと斬り倒された。どす黒い血が絨毯に撒き散らされる。
もう一方の近衛兵も決着をつけようとしていたときに、ゲルルフは寝台の側に剣を持って立っていたテオフィルに駆け寄った。
「テオフィル殿下、ご無事で!?」
「ああ、賊が近寄る前に君たちが防いでくれたからな」
「はっ、それが我々の責務であります!」
相変わらず暑苦しい返事をするゲルルフの奥で、近衛兵がもう一人の黒ずくめを討ち取った。生け捕るのが理想だが、現実はなかなか難しい。
それにしてもとテオフィルは思う。私室の前で会ったときはどの程度の者なのかと疑っていたが、バルシュミーデ侯は本当に腕の立つ騎士を送ってくれたようだ。権勢を広げることだけを考えているとばかり思っていたが、いくらか評価を改める。
室内で三人が一息ついたとき、扉が開いて応援の近衛兵が駆けつけてきた。今更遅いわけだが、それを責めるわけにはいかない。
とりあえず後片付けは配下の者に任せ、テオフィルはこれからのことを考えた。
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