最後の仕上げ
王子暗殺未遂の速報がカールハインツにもたらされたとき、さすがに驚いて跳ね起きた。権勢の拡大は狙っていても王子の死までは望んでいないからである。
しかし、続いてゲルルフが暗殺者を退けたという方がもたらされると狂喜した。己の策が図に当たったからだ。
「でかした! さすがゲルルフ、王子の護衛に付けた甲斐があった!」
翌朝、すぐさま王城へ駆けつけたカールハインツはテオフィルと面会した。王子の容体に問題はないので私室ではなく応接室である。王子の背後には近衛兵一人とゲルルフが立っていた。
「テオフィル殿下、ご無事で何よりです。一報を聞いてこのカールハインツ、肝を冷やしましたぞ」
「心配をかけてすまない。この通り傷一つないから安心してくれ」
「それにしても、一体誰がこんな大それたことを」
「さてな。賊は二人いたが、どちらも倒してしまって聞き出すこともできない。当面は警戒を厳重にするしかないだろう」
「まったく、婚礼の儀式の直前にとんでもないことをしてくれたものです」
「ただ、そうやって明日の心配をしていられるのも生きているからだ。そちらから使わされたゲルルフが昨夜の当直だったが、見事一人を仕留めてくれた」
「無理を言って陛下にお願いした甲斐があったというものです!」
心底嬉しそうにカールハインツが王子に答えた。その王子は若干複雑な笑顔を浮かべているがそれには気付かない。
一方、主人と王子に褒められたゲルルフは溢れる喜びを抑え切れていなかった。満面の笑みを浮かべて胸を反らせて立っている。
自分の家臣の様子を満足そうに見たカールハインツはすぐに視線を王子に戻した。そして、続けて話す。
「こうなりますと、明日の婚礼の儀式は更に気を引き締めないとなりませんな。テオフィル殿下とテレーゼ様のご両名が狙われたとなると、儀式自体も安心できませんぞ」
「恐ろしいことを言うな、と言いたいところだが、確かにその心配はある。より警戒を厳重にするのは当然だが、それにも限界がある」
「しかし、当家の者も明日は近衛と共に皆様をお守りいたします。更に殿下にはゲルルフがついておりますので、必要以上に恐れることはございません」
「そうだな。頼りにしている」
その後、更に雑談などを話したカールハインツは満足げに面会を終えた。機嫌が良かったのでついでに派遣している自家の兵士を慰問する。王城でのやるべきことを済ませると昼前には屋敷へと戻った。
珍しく浮かれた様子で昼食を取り、食後の酒を楽しんでいるカールハインツは、音もなく近づいて来た家令のラルフに声をかけられる。
「お館様、例の計画の準備が整いました。明日、手はず通りに行います」
「そうか。でかした。後は結果を待つばかりだな」
一礼したラルフがやはり音もなく下がった。
「ようやくここまで来たぞ。途中幸運が重なったが、これも日頃の行いというやつだろう」
今のところすべてが順調だった。打つ手はすべて当たり、危機も転じて好機となっている。そして、明日はその集大成だ。
カールハインツは自分の策の成功を信じて疑っていなかった。
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計画の実行日である婚礼の儀式までにティアナを殺害したかったウッツだが、結局それは叶わなかった。どうしても精霊の守りを崩せなかったからである。
しかし、公爵令嬢と深くつながっている以上、放っておくわけにはいかなかった。日が経つにつれてウッツは焦る。
「いけねぇな。一旦落ち着かねぇと」
大きく深呼吸をして更に酒を呷って気分を落ち着かせると、ウッツはこれまでのことを注意深く振り返った。そうして、一つの可能性に気付く。
公爵令嬢の馬車を襲撃したとき、最初に馬車へと乗り込もうとした騎士は扉を開けると吹き飛ばされたと聞いていた。その後、別の一人があっさりと剣で両断されたそうだがこちらはいい。
「ユッタさんの話だとティアナは魔法を使えねぇ。ってことは、風の魔法は精霊が使ったってことか。テレーゼってヤツを守るためなんだろうが、その後はどうしてんだ?」
一般的には一度危険にさらされた人間は守りを固めるものだ。そして、身を守るためにあれだけ便利な存在がいると知れば、絶対に使いたくなるとウッツは考える。
裏社会の伝手を使って今まで細々とティアナ達を探らせていたが、ティアナ自身はバッハ公爵邸とは別に宿泊していた。そこで気になる情報が寄せられる。宿泊しているのは三人ではなく二人なのだ。一人リンニーだけがいない。
「どこに行ったんだ、あいつ。いや、まさか?」
気になったウッツはバッハ公爵邸を重点的に探った。そして、常にリンニーがテレーゼの側にいることを突きとめる。
この事実を知ったウッツは喜んだ。初めてティアナ達が別行動をしているからである。
「ははっ! こりゃいいや! あの女も確か精霊を使ってるはず。ならその分ティアナのヤツの守りは薄くなるよなぁ」
仲間一人と行動を別にし、周囲の精霊の数も減ったとなるとウッツにはやりやすくなった。しかし、まだ完全ではない。後一押しが欲しかった。
色々考えた末にウッツが思いついたのは、テオフィルも襲ってしまうというものだ。もしこれでティアナ達が危機感を持って王子に精霊を貸し与えれば儲けものである。
「確かティアナとあの王子は確執があるってユッタさんが言ってたが、それを言っちゃあのご令嬢も似たようなモンだよな。案外いけるんじゃねぇか?」
あわよくばという思いから、ウッツは早速裏社会の伝手を通じて王子を暗殺する者達を探した。さすがに王族殺しとなると引き受ける者は多くないが、金を積んでどうにか釣り上げる。
「へへ、こういうときに資金提供してくれる支援者がいると楽だよなぁ」
どうせ他人の金とばかりに、オットマーがギードから受け取った資金をウッツが派手に使った。余っても返金する必要はないので遠慮がない。
そうして、どうにか婚礼の儀式二日前に王子暗殺を仕掛けることができた。結果は失敗であるが、ウッツとしては織り込み済みだ。
「これでよしっと。後はティアナを守ってる精霊があの王子を守るようになってくれりゃいいんだが、確認する時間がねぇな」
本当に知りたいことは知る術がないのがもどかしいが、仕方がないとウッツは諦めた。やれることはやったと思い直す。
明日の打ち合わせも兼ねた報告をするため、ウッツはユッタとの打ち合わせ場所に向かった。
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一方、ウッツからテオフィル王子の暗殺失敗の報告を聞いたユッタは顔色一つ変えなかった。あらかじめ失敗する予定と聞いていたこともあるが、もはや王子自身に何の感慨も湧かないからでもある。
一時はあれほど憎んでいた相手であり、つい最近まで婚礼の儀式という晴れの舞台で殺してやろうと思っていたというのにだ。
その証拠に、ウッツからティアナから精霊を引き離すために王子を利用したいと持ちかけられてあっさり許可している。もし婚礼の儀式で王子と公爵令嬢を殺すことが主目的ならば、相手を警戒させるような行動は認めていなかったはずだ。
てっきり断られると思っていたウッツが理由を問うと、ユッタは素っ気なく返事する。
「ティアナが関わる限り、どうあっても邪魔をしてくるし、そのせいで失敗ばかりしてきたからよ。極端な話、あたしが王子とあの令嬢を殺すだけならいつでもできるもの」
ウッツが納得したこの主張に間違いはない。王立学院の舞踏会に始まって、地下神殿からの水晶奪取、邪神復活、そして西の大陸でのティアナ殺害と、ことごとく失敗している。
王子達の暗殺ならば関係者を籠絡して殺させれば良いだけだ。しかし、ここまでやることなすことすべて防がれてしまうと、もうティアナの影がちらつくだけで他が目に入らなくなってしまう。
だからこそ、元々進めていた婚礼の儀式での王子夫妻暗殺計画を囮にすることにもためらいはなかった。
「あの女さえあたしの目の前から消せたら、どうとにでもなる」
思えば最初から目障りだった。いきなり公爵令嬢と組んだかと思うと、舞踏会で真正面から自分を粉砕してきたのだ。ユッタにとってあのときが絶頂期であり、同時に絶望の始まりだった。
何より腹立たしいのは、ティアナとその周囲にはユッタの能力がまるで効かないということだ。ティアナ本人はもちろん、アルマもリンニーも女であり、テレーゼやエルネスティーネのような協力者さえもである。
もちろん一部の知り合いが男だとは知っているものの、友人知人の大半がこうも女ばかりだと打つ手が限られてしまう。アルマとリンニーのどちらかでも男だったならば、ティアナはもう殺せていた。
明日は婚礼の儀式当日だ。今日はウッツと最後の打ち合わせをすることになっている。内容は、オットマーが進める計画と自らがティアナを討ち取るための計画の最終確認だ。
「ああそうそう。やり残したことがあったわ」
待ち合わせの時間まではまだ余裕があるので、ユッタはその間に手紙を書き始めた。
内容は大したものではない。ティアナに対する案内状だ。これを渡せなければ、せっかく用意した舞台に当人が気付かないことになってしまう。
書き上げた手紙は丁寧に折って白い封筒に入れて封をする。後はウッツに頼んで届けてもらうだけだ。
「さて、これでやるべきことはすべてやったわね」
満足そうな笑顔を浮かべてユッタが立ち上がった。窓の外から入り込む光は少し朱くなっている。
残りの時間は待ち合わせ場所で待つことにしたユッタは少し早めに部屋を出た。
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ホフマン子爵家の跡取り息子であるオットマーは父親が病死して家督を継いだ。それだけならば何でもない貴族の相続なのだが、このとき初めて家に多大な借金があることを知って驚いた。
「どうしてこんなに借金があるんだ?」
葬儀が終わって間もない頃から頻繁にやって来る債権者や借金取りの話を総合すると、どうも身分に不釣り合いな生活を補うためらしかった。子供心に不思議に思っていたことが解決した瞬間である。
母親とは既に死別しており、兄弟もいないオットマーは一瞬すべてを投げだそうかと考えた。しかし、貴族以外の生き方を知らなかったせいで思いとどまる。
以来、借金を返済するため奔走していたが、いくら頑張っても利子さえも返せない。生活費を削り、稼いだ金をほぼ返済に充てているのにだ。
「だめだ。真っ当な手段ではとても返済できない」
仕方なくオットマーは以前誘われたことのある後ろ暗い仕事を引き受け始めた。最初は名義貸しや荷物の一時引き受けから始まって、次第に儲けの大きい危ない仕事を引き受けていく。
そんなとき、ハンスという男に出会った。浅黒い肌に筋肉質な体躯で目つきが悪い。しかし、既に裏社会に踏み込んでいたオットマーには珍しくなかった。
「たまには息抜きをしないとダメっすよ、旦那」
そう言われて納得してしまったオットマーは、誘われるままに一人の女と出会った。ジルケである。
薄い茶色の髪を肩で切りそろえ、ぱっちりとした青い瞳の愛くるしい女と話したオットマーはたちまち夢中になった。
「お前のためなら、私はどんなことでもやってみせる!」
「なら、あなたのすべてを話してください。今まではもちろん、これから先のことも」
息巻くオットマーにジルケが囁くと、以後会う度に自分のことは何でも話すようになった。
それからしばらくして、オットマーはギードという枯れた風貌で皺の多い目立たない人物と出会った。
「わたくしの仕事を引き受けてくださるのなら、あなたの背負っている借金をすべて引き受ける用意がございます」
にわかには信じられない話を持ちかけられたオットマーだったが、内容を聞いて驚愕した。何と王子と公爵令嬢の婚礼の儀式を混乱させる計画だったからだ。
さすがにその場では決められなかったオットマーは一旦話を持ち帰り、ジルケに相談する。すると、引き受けるように勧められ、更には暗殺計画へと変更するように求められた。
動揺するオットマーにジルケは優しく諭した。
「自分自身を変えるいい機会です。それに、こういうことは相手を出し抜くことを考えないと、いいように使い捨てられてしまいますよ」
この言葉にその気になったオットマーは、以後暗殺計画を実行するために準備に専念した。資金はギード、人材はジルケに籠絡された貴族達でまかない、計画内容の相談はハンスが引き受けた。
そして、ついに婚礼の儀式前日となる。準備は既に終えており、後は当日に決行するだけだ。
子供の頃に比べてすっかり汚れた屋敷でひとりつぶやく。
「明日、計画を成功させれば借金が消える。早く真っ当な貴族に戻るんだ」
その計画を実行すれば自分がどうなるか考えもせず、オットマーは自分に言い聞かせた。
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