終章 Change

精霊の庭への帰郷

 ヘルプスト王国ですべての因縁を清算したしたティアナは再び精霊の庭を目指した。以前とは違って経路は知っているので迷いはない。


 竜牙山脈に最も近い都市であるゲトライデンで準備を終えた三人は意気揚々と霊峰に臨んだ。何しろ一度往来した場所である。何とかなると信じて疑わなかった。


 しかし一点だけ、気候については見くびっていた。年の瀬も迫る年末に山へと踏み込んだのだから凍えるほど寒いのは当たり前だ。


「あれ~? こんなに寒かったっけ~?」


 冬の装備に太鼓判を押したリンニーが震えながらつぶやいた。その表情は明らかに予想外だと主張している。


「あんた精霊の庭に何百年と住んでたんでしょ? どうして知らなかったのよ?」


「だって、精霊の庭から普段は出なかったし、前にお外へ出たときは暖かいときだったから~」


 訝しむアルマに問いかけられたリンニーは、着込んだ冬山用の厚手の服ごと自分の体を両手で抱えていた。


 仕方なく火の精霊に体を温めてもらいつつ、更に風と土の精霊に獣や魔物の襲撃を防いでもらいながら三人は山中を進んだ。


 苦労して山中を進み、迷いの霧も水の精霊に先導してもらってようやく目的地の一歩手前にたどり着いた。霧が晴れた先には、凶悪な造形の巨竜が寝そべっている。


「クストス~、ただいま~!」


「ん~? なんだ、もう帰って来たのか」


「えへへ、ちょっと用事ができたからね~」


「旅とやらに飽きたのかと思ったが、まだ飲み足りんのか?」


「わたしそんなに飲まないよ~!」


 片目を開けたクストスが疑わしそうな目をリンニーへと向けた。続いてティアナへと視線を移す。


「実際のところはどうなのだ?」


「旅費の半分は酒代でした」


「ははは! やはりな! リンニーが我慢できるはずなどないと思っていたのだ!」


「ひどい~!」


 怒ったリンニーが両手で大きなごつい前足を叩くが、クストスは一向に気にしなかった。


 一通り話し終えると、三人はいよいよ精霊の庭へと足を踏み入れた。


 周囲を山脈で囲まれ、森や平原それに川や泉が点在する自然溢れる場所である。緩やかなすり鉢状の盆地の中央には、相変わらずやたらと高い御神木が立っていた。


 以前とは異なってすべてがうっすらと雪化粧をしており、一方で球体の半透明な精霊の姿がそこかしこに漂っている。


「うわぁ、帰ってきたね~!」


「エステはどこにいるのよ?」


「わかんないから、御神木に行ってみようよ~」


 元気よく返答したリンニーにアルマが眉を寄せて首をかしげた。妙に自信があるように見えるが理由はわからない。


 仲間の言葉を待たずに歩き出したリンニーの後をティアナとアルマがついて行く。


 かすかに新雪を踏みしめる音を耳にしながら、三人はそびえ立つ御神木の幹にたどり着いた。すると、リンニーが御神木を軽く叩きながら笑顔で口を開く。


「エステ~、帰ってきたよ~!」


 ぺちぺちと何度か幹を叩いたリンニーは、くるりと体を反転させるとティアナとアルマに歩み寄った。


 若干不審気味なアルマがリンニーに尋ねる。


「今のでいいの?」


「そうだよ~。エステは御神木とつながっているから、あれでわかるの~」


 尚も納得していないアルマの横で、ティアナはかつて芋虫退治をしていたときのことを思い出した。具体的なことは思い出せないが、御神木とつながっているような発言をしていたような気がする。


 寒さで少し震えつつも三人が雑談しながら待っていると、森から当の本人が出てきた。腰まで伸びた栗色の髪、銀色の瞳、白い肌、めりはりのある体つきの美少女だ。


 白い一枚布を体にゆったりと巻き付けた服装なので寒くはないのかなとティアナなどは思ったが、冬の気候などまったく気にした様子もなく声をかけてくる。


「あら、思ったよりも早く帰ってきたじゃない。満足したの、リンニー?」


「まだ旅は終わってないもんね~!」


「そうなの。ティアナ、アルマ、こんにちは。人間の感覚だと久しぶりになるのかしら」


「その通りです。お久しぶりですね」


 ティアナに続いて挨拶をしたアルマにも笑顔を返したエステが笑顔を浮かべた。冗談めかして尋ねる。


「リンニーの里帰りじゃないとしたら、遊びに来たの?」


「いえ、実は大切な用があってこちらに来ました」


「大切な用?」


「はい。先日復活したテネブー神をこの封印石に閉じ込めましたので、こちらで安置していただこうかと思って持って来たのです」


「何てことやってたのよ」


 説明を聞いたエステが呆れた。さすがに予想外すぎたらしい。


 まだ説明が不足していると考えたティアナは、更にテネブー教徒との争いについても話をする。一番最初は地下神殿での出来事だ。


 御神木も関係していたことを知ったエステは次いで驚いたが、ティアナから銀色に輝く卵型の封印石を受け取るとため息をつく。


「てっきりお酒を飲み歩いているとばかり思っていたけど、それだけじゃなかったのね」


「飲んだ分は働いてもらっていましたよ」


「ふーん」


 ティアナの言葉を聞きながら封印石を眺めていたエステは目だけを動かした。視線を向けられたリンニーが震える。


「ほ、本当だよ~。わたしもちゃんと働いたんだからね~」


「どんなふうに活躍したのか、後で教えてよ?」


「うん、わかった~!」


「ともかく、今はこれよね」


「トゥーディが作ったから、とっても頑丈なんだよ~!」


 知り合いの神が作った物だと聞いたエステが寄せていた眉を元に戻した。それでもゆっくりと首をかしげて悩んでいる。


「あいつが作ったんなら確かに大丈夫そうね。となると、後はどこに埋めるかか。リンニー、さっき言ってた地下神殿の御神木についてもっと話を聞かせて」


「いいけど、何を話したら良いのかな~?」


「テネブーの欠片がどこに安置されていて、御神木がどんなふうに変化していたかよ。こっちで同じ状態になるわけにはいかないから、できるだけ対策をしておきたいの」


 人間にではなく同じ神から色々と話を聞いたエステは、次いで矢継ぎ早に問いかけた。いずれも見た目ではわからないことばかりだったので、ティアナとアルマでは返答できない。


 知りたいことをほぼ聞き終えたエステは肩の力を抜いた。


「ありがと。丁寧に埋めておけばそうそう悪いことにはならなさそうね」


「最初はクヌートのところに持って行こうとしたんだけど、久しぶりにエステに会おうと思ってこっちに来たの~」


「そんな理由でこっちに持って来たの」


 封印石とは全然関係のない理由でやって来たことにエステが呆れた。


 その様子を楽しそうに見ていたアルマが口を開く。


「せっかくこっちに来たんだから、リンニーが精霊の庭から出たとこのことを話さない? 神様にとっては短い時間でも、結構色々あったのよ」


「楽しみね。あ、そうだ。確かあんた達に捕縛の種を渡していたわよね。あれって使った?」


「ええ、一回だけだけど」


「へぇ」


 今まで明るい口調だったエステの声色が一段と下がった。顔ごとリンニーへとゆっくり向ける。


「あんた何したの?」


「ひぃ~」


 震え上がったリンニーは慌ててティアナの後ろに隠れた。両肩をしっかりと握られて動けないティアナがため息をつく。


「自分で弁明したらどうなのですか?」


「一緒にお話をしてくれると嬉しいかな~」


「状況の説明くらいはしますけど、それ以上はできませんよ」


 かつて被害に遭ったアルマが苦笑いしながら三人の様子を眺めていた。あの後すぐにリンニーは罰を受けたのでもう許してはいるが、面白いのでそのまま見物と決め込んでいる。


 この後しばらくティアナ達は精霊の庭に滞在することになったが、その間旅の話をエステに聞かせた。途中クヌートの管理している御神木から芋虫を駆除した話などで盛り上がる。


 もちろん一番盛り上がった話はアルマがリンニーのせいで二日酔いになった話だ。エステとリンニーの攻防が白熱したのである。終始リンニーが押されぎみだったが。

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