地下神殿の祭壇
ウッツ達が去った後、残った襲撃組は日没まで林の中で思い思いに待っていた。寝転がる者、王立学院を眺める者、知り合いと話をする者などである。
そうして日没直前になって誰かが声を上げた。
「おい、誰か明かりは持ってるか?」
それをきっかけに皆が周囲の仲間に確認をするが誰も持っていないことがわかる。
頭髪をすべて剃った男が呆れる。
「マジかよ。いくら何でも間抜けすぎるだろ」
「王立学院ってところは明るいだろうから、行けるんじゃねぇの?」
「こっから向こうまでだだっ広い原っぱなんだから、明かりなんて、うっ!?」
日没直後、話をしていた一人が突然苦しみ出した。それをきっかけに次々と土瓶を呷った者達が、胸をかきむしったり、転げ回ったりする。
やがて口が左右に裂けてせり出し、同時に犬歯が鋭く伸びる。更に、全身が一回り大きくなったかと思うと中途半端に猿のような毛が生え、手足からは鋭い鉤爪が伸びた。
「ガアアァァァ! ナンダァァ、コレェェェ!?」
その変化が終わると、今度は強烈な開放感と飢餓感に襲われる。叫ばずにはおられずに変化の終わった者から叫び狂った。
一方、カミルとヨーゼフ、それにユッタに従う二人の男も同様だ。体の中が猛烈の熱く感じる。
「はぁはぁはぁ! ぐそぉっ! あいつ、なに飲ませやがったっ!?」
「ひヒひっ、ぎぁ、くるじぃぃ!」
体の内側から燃えさかる炎に焼かれるような感覚に何も考える余裕がない。更に、何かが体内からせり出してくるかのような強烈な気持ち悪さが全身を襲う。
カミルは、全身が一回り大きくなり、手足からは鋭い鉤爪が伸びた。
ヨーゼフは、口がせり出して中途半端に猿のような毛が生えた。
半魔物化が終わると、他の者達と同様に強烈な開放感と飢餓感に襲われる。しかし、カミルとヨーゼフだけは叫び狂わなかった。
表情を硬くしたユッタがつぶやく。
「これ、本当に大丈夫なの?」
「すごいぞ、体が羽のように軽い!」
「ヒヒヒ、たまんないなぁ! これなら何でもできるぞう!」
他の者は半ば自我を失っているのに対して、カミルとヨーゼフの二人だけは人間のときと態度があまり変わらない。しかし、手に入れた力に酔っているのはよくわかる。
皆が叫びを上げている中、ユッタは不安そうにその声を聞く。
「これじゃ何も見えないわね」
魔法で光の球を頭上に発生させると、暗い林の中で魔物化した者達が次第に王立学院へ向かい始めているのがわかった。しかし、何体かはユッタの方へと顔を向けている。
それに気付いたカミルとヨーゼフ、それに籠絡された元男二体はユッタの周囲を固めて威嚇する。すると、興味を示していた魔物化した者達は王立学院へと踵を返した。
何とはなしにユッタがカミルに問いかける。
「あたしは仲間扱いじゃないのかしら?」
「ユッタに興味を示しているだけみたいだったな。敵意は向けられてこなかったが」
「ヒヒヒ、ユッタだけ人間のままっぽいけど、どうしてかな?」
「知らないわよ。手渡されたものを飲んだだけなんだから」
不機嫌な様子を装ってユッタが反論するとヨーゼフはそれ以上何も言わなかった。
周囲にいた魔物化した者達は大半が王立学院へと向かい、林の中にはほとんど残っていない。ユッタ達もじっとしているわけにはいかなかった。
「それじゃ、あたし達も行きましょうか」
「歩いていくのか? 何て言うか、今はすごく体を動かしたい気分なんだが」
「あたしの目的は学院の襲撃じゃなくて地下神殿なの。だから、他のみんなが王国兵を排除してから堂々と乗り込めばいいのよ」
「ヒヒヒ、合理的だね。ぼくはそれでもいいよ」
「力を試すのは地下神殿からでもいいか」
カミルは体を動かしたくて落ち着かない様子だったが、ちらりとヨーゼフを見ると独りごちてから足を動かす。
光の球で照らされた場所をユッタは王立学院へ向かって進む中、自分に従う四体を見て魔物化しても能力の効果が失われていないことに安心した。
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魔物化した集団が人間ではあり得ない速度で夜の平原を走った後をのんびりと進み、ユッタ達が王立学院にたどり着いた頃には大勢は決していた。
閉じられた正門を配下の四体に開けさせて中に入ると、そこはユッタの記憶にある王立学院とは大きく異なっていた。
「懐かしの母校だけど、こうなると悲惨の一言ね」
日が暮れているので光の球で照らせる範囲だけとはいえ、それも進む先々で魔物化した者達が倒した王国兵を貪っている。さすがにユッタもこの光景には眉をひそめた。
衛兵の詰め所を通り過ぎ、学院生の宿舎へ続く道に入ると惨劇はかなりましになる。内心それで人心地ついていたのだが、再び前方から咀嚼音が聞こえてきた。
立ち止まったユッタがため息をつく。
「この様子だと、学院内のあちこちで人間が食べられていそうね」
「ヒヒヒ、負けた奴等の末路なんて悲惨なものだと決まってるからね」
「その言い方は嫌いよ」
「待て、あそこに誰かいるぞ」
ヨーゼフと話をしていたユッタは、カミルに声をかけられて指差された方へと顔を向けた。しかし、光の球で照らせる範囲外なので何も見えない。
「暗くてわからないわ」
「少し遠いが、王国兵を食ってる連中の更に奥に宿舎がある。そこから人の気配がかすかにするんだ」
「よく気付いたわね」
「感覚が研ぎ澄まされているからな。このくらいなら何てことないさ」
説明したカミルが得意気に返答した。
反対側からヨーゼフがユッタに声をかける。
「ヒヒヒ! 怯えた兵隊が隠れてるのかな。どうする、行き掛けの駄賃にするかい?」
ヨーゼフの言葉を聞いたユッタとカミルがちらりと視線を交わした。
そうしてしばらく黙って立ち止まっていると、一体の魔物化した者が近くを横切る。向かう先は聖堂のある方角だった。
「時間が惜しいわね。後にしましょう」
「怯えて隠れる奴など後でどうとにでもできるからな」
「ヒヒヒ、一発魔法をお見舞いして」
魔法を唱えようとしたヨーゼフだったが、ユッタとカミルが再び歩き出したのを見て慌ててついて行った。
妨害を受けることもなくユッタ達は聖堂へたどり着いた。そして、地図に従って裏手から侵入して地下神殿へと入る。
光の球に照らされた地下神殿内には、ぼんやりと黒い霧のようなものがかかっていることに五人は気付いた。
しばらく周囲を見る振りをして入り口でじっとしていたユッタは、自分に異常がないことを知って安心した。与えられた御手の秘薬は確かに効いている。
通路は大の大人が両手をいっぱいに広げても余裕で三人は並べる程広く、天井はその大人二人分以上の高さだ。また、その石造りの通路は建築直後かと見まがうほどに新しい。
歩きながらユッタは周囲を眺める。
「随分と保存状態が良いのね。朽ち果てる寸前みたいだと思っていたのに」
「ヒヒヒ、魔法的な何かを感じるね。この黒い霧みたいなのが関係してるに違いないよ」
「ユッタ、ここからはどう進むんだ? 確かここは結構広いんだったよな」
周囲の光景に興味のないカミルに声をかけられると、肩をすくめたユッタが地図を見た。
「割と入り組んでいるけど、難しくはないみたいね。こっちよ」
「ヒヒヒ、あくまで神殿であって迷宮じゃないってわけか」
ちらりとヨーゼフを見てからユッタは背を向けて先頭を歩き始めた。
第一層を踏破すると三人は躊躇うことなく第二層へと降りる。黒い霧の色がわずかに強くなったが、体に影響はない。
相変わらず周囲の床や壁は新品同様だ。人が使っていたのかと疑うくらいである。
この階層も何事もなく進むと、三人は続いて第三層に降りた。
「ここも黒い霧が少し濃くなっただけのようね」
「いいや、邪魔者が来たようだぞ」
通路の先を睨んでいたカミルの視線を他の四人も追うと、三体の半人半魔の生き物が走ってくる。
カミルはそのうちの一体に自ら走り寄り、鋭い右の鋭い爪を使って切り裂く。
「ギァァ!?」
「ふん、遅い!」
倒すまでには至らなかったカミルは、相手の背後に回って今度は左の鋭い爪で相手の背を突き刺す。半人半魔の生き物は短い悲鳴を上げると絶命した。
その両脇を通り過ぎた二体のうちの一体はヨーゼフへと向かう。
しかし、ヨーゼフは恐れることなく嬉しそうに魔法を唱えた。
「炎よ、集いて敵を焼き尽くせ!」
かざした右手の先に短時間で頭大の火の玉が浮かび上がると、高速で向かって来る半人半魔の生き物に衝突する。
「アアァギャアアァァ!」
「ヒヒヒ、すごい! 絶好調!」
一瞬で全身を燃やされた半人半魔は走りながら転倒し、そのままのたうち回る。しかし、炎はまったく消えずに半人半魔が死ぬまで燃え続けた。
最後の一体は自分に向かっているを知ったユッタが降魔の杖を振る。すると、水晶から拳程度の光の球が発生した。割とのんきな速さで飛んでいたので避けられるのではとユッタは危惧したが、幸い半人半魔は真正面からぶつかり蒸発する。
「驚いたわ。かなり使えるんじゃないの、これ?」
「ヒヒヒ、面白い杖だね。ぼくも欲しいなぁ」
「帰ったらウッツにでも頼んでみたらいいわ。それより、面倒ね」
「この様子だと、階下は更に敵が増えるんだろうな。クク、腕が鳴るぜ」
「ヒヒヒ、いくらでも来ればいいんだ。どうせぼくには勝てないんだし」
改めて自分は戦いに向いていないことを知ったユッタは不機嫌な様子で歩き始めた。
その後、カミルの予想通り第四層で結構な数の半人半魔の生き物に五人は襲われるが、いずれも倒していく。
ようやくたどり着いた地下神殿の最も奥にある扉は既に開け放たれていた。
四方の床、壁、天井は真新しく、扉の奥は磨き上げられたかのようだ。非常に広い祭室で、規則正しく配置された柱も異形の彫像も傷ひとつない。
祭室の奥には床より一段段差があって高くなって場所があり、その中央に大人が十人くらい横になれそうな台座が腰の高さくらいまでせり上がっている。そこから禍々しい形の樹木がが天井近くまで伸びていた。揺らめくように枝葉がゆっくりと蠢いている。
また、台座と樹木の接合部分からは黒い奔流が重い気体のように周囲の床に流れ出しており、台座から離れるにしたがって密度が薄くなっていた。
扉付近から祭室を眺めていた三人のうち、ユッタが眉をひそめる。
「この部屋だけ明かりがなくても見渡せるなんて。楽でいいけど怪しいわね」
「ヒヒヒ、黒い霧の正体はあれかぁ。あの流れ出てるやつが蒸発してるんだ」
「それで、これからどうするんだ、ユッタ?」
カミルに問われたユッタが考える。聖なる御魂という黒い玉があの黒い奔流が溢れているところなのはすぐにわかった。手で取り出すことができるのも説明されている。
問題なのは、素手で触って無事とは思えない点だ。あれは秘薬を飲んだからといって防げるものではないと素人のユッタでもわかる。
更に、あれほど活発に活動しているものを、与えられた袋に入れて本当に持ち運べるのかも不安だった。
心配事はいくつもあるが、それでも引き受けた仕事を放棄しないのは、御手の秘薬の効果だけでなく、今のところ与えられた情報がすべて信用できたからだ。
やがて考えをまとめたユッタが周囲の四人に指示を出す。
「みんなは前に出て少しずつ前進して。あたしはその後をついて行くわ。特にあの黒い守り木には気を付けて。枝が伸びて槍みたいに刺してくるから」
「ヒヒヒ、ぼくは前衛向きじゃないんだけどなぁ」
「その優秀な魔法で対処できるでしょう? それより、黒い守り木の根元から黒い水みたいなのが溢れてるけど、あそこに黒い玉があるはずだからこの袋の中に入れて」
「その黒い玉が今回の目的か」
問われたユッタはカミルにうなずき返す。すると、ヨーゼフが提案してきた。
「ヒヒヒ、ぼくが魔法で取ってこようか?」
「できるの? それならお願いしたいけど」
「任せてよ!」
嬉しそうに引き受けたヨーゼフが祭壇に向けて両手を突き出す。呪文を唱え終わってから次第に全身を力ませ震わせていたが、一気に力を抜くと荒い息を吐き出した。
「嘘だろ!? ぼくの魔法をはじき返すのか!」
「大した天才魔法使いだな」
「なんだと!」
にやにやと笑いながら皮肉るカミルにヨーゼフが激高した。
しかし、手を叩いたユッタに止められる。
「ここまで来て喧嘩なんてしないの。それより、魔法で取れないならやっぱり直接手で取らないと駄目みたいね。やっぱり最初のあたしの案でいきましょう」
悔しそうに顔を歪ませるヨーゼフを含めて四人全員がうなずく。
意見がまとまると、ユッタ達五人はゆっくりと祭壇へと近づいていった。
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