存在する理由
かつて住んでいた宿舎の玄関の扉は開け放たれていた。まだ西日がかろうじて届いているので宿舎内も一応見える。
三人が歩く廊下には、男爵家や子爵家の子女に割り当てられる部屋が並ぶ。ときおり開いている扉があるものの今は後回しだ。
目的の部屋、かつて自分が使っていた部屋の前にティアナはたどり着く。
扉は開いていた。つまり、今年の春から誰かが使っていたということだ。
中に入ると、今の部屋の主の生活感がわかる風景が目に入る。当人は帰省中のようで寝台や鏡台などはきれいに片付けられていた。
「当たり前のことですが、貴族の子女らしいお部屋に見えますね」
「去年のお嬢様と比べてのことなら、当然だと思いますよ。なんにもなかったですからね、あのときは。それに比べて今の方は」
「わかりましたから、それ以上は言わないでください」
周囲に比べてかなり貧しかったことを思い出したティアナは、アルマの言葉を塞ぐ。
改めて室内を眺めると、こぎれいな家具やかわいらしい小物など、貴族の子女ならこんなものと想像していたものがここにはあった。
色々と思うところがあったティアナはため息をつく。
「思い出に浸るつもりで来たはずなのに、打ちのめされた気分なのはなぜかしら?」
「ティアナ、だいじょうぶ~?」
せつない思いをしているティアナをリンニーが慰めようとした。隣でアルマが苦笑する。
今まで室内を強く照らしていた西日が急速に消えてゆくのに三人は気付いた。入れ替わるように暗闇が周囲に広がっていく。
「ねぇ、そろそろ明かりを点けよっか~」
「お嬢様の顔も見えなくなってきているものね。お願い」
「ちょっと待って。何かおかしくありません?」
光の球を出現させかけたリンニーが途中やめる。アルマもティアナへと顔を向けた。
「どうしたんです? このままじゃ何も見えないですよ?」
「何か聞こえませんか?」
「え? ここに来て怪談話ですか? 時季はぴったりですけど」
「宿舎内じゃなくて、外からです」
怪訝な表情のまま、アルマとリンニーが耳を澄ます。てっきり無音だと思っていた二人だったが、確かに喧騒のような音を捉えた。
「何ですこの音? 学院内って王国軍の兵士しかいないはずですよね?」
「喧嘩でもしてるのかな~?」
「こんな所まで聞こえる喧嘩なんて相当じゃない」
尚もティアナ達が耳を澄ましていると、窓の外にちらりと何かが見えた。しかし、暗くてはっきりとはわからない。
何となく危険を感じた三人は見つからないように壁際へ寄った。
声を潜めてティアナがアルマに話しかける。
「日が暮れて明かりも点けずにうろついているのは怪しいですよね」
「碌な連中じゃないのは確かですよ」
「人間なのかな~? さっきのお部屋で見た魔物に似てなかった~?」
無邪気なリンニーの問いかけにティアナとアルマは表情を一層硬くする。もちろんその可能性も考えたからだ。しかしその可能性はあってほしくないものだった。
どうするべきかティアナ達が迷っていると、数人の王国軍の兵士が走ってきた。先頭の兵士が松明を持っていたのでその様子がわかる。
窓からこっそりと覗くように外を眺めているアルマが小声でつぶやく。
「あれ、逃げてきてるのよね? 誰に追われてるのかしら?」
「あ!」
同じくこっそり外の様子を窺っているリンニーが小さく悲鳴を上げた。
三人の目の前で、逃げていた王国軍の兵士が襲われる。
松明の明かりに照らされたそれは、口元は犬のように変形し、体の大半が体毛に覆われ、そして手足から鋭い鉤爪が伸びている。更に、裂けた衣服を身につけている者もいた。
顔をゆがめたティアナがうめく。先程の部屋で見た魔物の死体と似ていたからだ。
尚も宿舎の外を見ていると、最初に松明を持った兵士に半人半魔の魔物がぶつかって押し倒す。悲鳴を上げた兵士だったが、すぐに喉元を食いちぎられて絶命した。
他の兵士は襲撃に気付いて応戦しようとするが、暗闇の中で相手を見定めることができないらしく後手に回っている。一人、また一人と倒されて生きたまま貪られていった。
しばらく断末魔が続いていたが、それもなくなると魔物が咀嚼する音だけになる。
ティアナ達は窓の外から目を離して、外から見えない場所に移った。
日が暮れて、何も見えない中で不安そうにリンニーがつぶやく。
「ねぇアルマ、どうしよう~」
「しばらく待つしかないでしょ。あんな風に食べられたくないもの」
「こっちに来たらどうするの~?」
「せ、精霊がどうにかして追い払ってくれるんじゃないかしら?」
二人が声を潜めて話している間にティアナが割り込む。
「こんなに暗いと動くこともできません。リンニー、明かりを付けずに暗い中でも見えるようになる魔法なんてありますか?」
「あるけど、動物みたいに目が光っちゃうよ~?」
「この際仕方ありませんね。精霊にお願いすれば良いのですか?」
「そうだよ~」
早速ティアナはウェントスに頼んでみる。すると、魔法をかけられた後、白黒の風景として周囲が見えるようになった。
「さすがに総天然色ってわけにはいかないのですか。あれ、アルマの目からかすかに青い光が見えますね」
「あたしは、なんか水の中にいるみたい。お嬢様の目からは白っぽいのが見えますね。リンニーは黄色?」
「わぁ、周りが明るい土色みたい~」
魔法をかけた精霊によってそれぞれ微妙に違うらしいことが会話でわかる。それでも視界が利くようになって三人とも安心した。
人心地つくと、外の様子を見たときのことを思い出したアルマが眉をひそめる。
「それにしても、ああもあっさり兵士が殺されるとは思わなかったわね。あの魔物の方が強いのかしら?」
「私もそんな印象を受けました。さっきの部屋で見た魔物の死体も複数人で倒したように見えましたから、単体では人より強いのでしょう」
どうしたものかと考えていると、いつの間にか喧騒と咀嚼音が聞こえなくなっていた。
周囲は既に暗い。三人とも明かりなしで周囲は見えているが、それは魔物も同じ可能性が高いので有利な条件にはならないと見るべきだ。
迷う三人が真っ暗な元自室でじっとしていると、窓際の壁から半透明な人型が音もなく入室してくる。闇夜にぼんやりと全身甲冑の姿が浮かんでいた。
「む、本当にいるとは、何という僥倖」
「え? エッカルト?」
「やはり、そなたはティアナであるか。息災である」
予想外の再会を果たした両者は驚いて何と答えて良いのか迷う。
そこへアルマが割り込んできた。
「お久しぶりです、エッカルトさん。今日も見回りですか?」
「そうなのだが、今は見回ることしかできんと言った方が正しいな。明かりも点けずに部屋に縮こまっていたようだが、外の様子は知っているのか?」
「学院が魔物に襲われたということくらいならですけど」
アルマと会話をしながらエッカルトが兜を脱ぐと、色の抜けた金髪と皺の刻まれた顔が現れた。厳つい顔だが温厚な人物であることはティアナとアルマは既に知っている。
暗闇にぼんやりと浮かぶ姿にティアナは話しかける。
「今日の夕方に、調査のためにここへ戻って来たら、今の襲撃に巻き込まれてしまいました。それ以前も謎の魔物の大量発生があったようですが」
「おお、それを知っておるのか! 実は、儂はその原因を知っておったのだが、誰にも話す術がなくて結局止められなんだのだ」
意外なことを知ってティアナ達三人は驚いた。しかし考えてみれば当然で、壁すら通り抜けられる幽霊なのだから秘密は知りたい放題なのだ。
思わずティアナが尋ねる。
「実は、今回の王立学院の事件が私達の問題と関係あるのか調べに来たのです。よければこの惨状の原因を教えてくれませんか?」
「それは構わぬ。ただその前に、そちらの女性を紹介してもらえぬだろうか。初めてお目にかかるはずなのだが」
「そういえば忘れていましたね。こちらはリンニー、竜牙山脈の奥にある精霊の庭に住まう慈愛を司る女神です」
「初めまして~、リンニーです~」
「なんと!」
紹介された途端にエッカルトが膝をついた。
三人が驚く中、エッカルトが頭を垂れながら口上を述べる。
「私は、ヘルプスト王国近衛騎士団の元近衛騎士にて、墓守騎士団の騎士、エッカルト・パウマンと申します。慈愛の女神リンニー様の尊名は存じております。お目にかかれるとは恐悦至極。また、知らぬとはいえ、無礼な態度で接したこと平にご容赦を」
「あ、うん、いいよ~」
あまりにもかしこまった名乗りにリンニーが焦る。
その様子を見たアルマがリンニーへと問いかけた。
「女神なのよね? こういうガチガチなのには慣れてると思ったんだけど、違うんだ」
「うん、わたし、こういうの苦手なんだ~」
「なんと、お心を煩わせてしまったこと、申し訳ありませぬ」
「もういいから立ってよ~」
あまりにも堅いエッカルトの態度にリンニーは困り果てていた。
ようやく立ち上がったエッカルトにティアナが話しかける。
「近衛騎士とか墓守騎士団とか初めて聞くことばかりですね」
「すべてを話す必要はなかろうと思っていて控えておったのだ。それに、お役目の都合上、話せぬこともあったしな」
「確かに。それより、リンニーのことを知っていたのですか?」
「うむ、儂が生きておった頃には既にほとんど信仰されておらなんだが、その名はまだ語り継がれておったのだ」
ようやく落ち着いた様子を見計らって、今度はアルマがエッカルトに話しかける。
「さっきの続きですけど、王立学院の惨状について教えてもらえるんですよね?」
「うむ、そうであったな。その前にまず、儂の事情を話しておくとしよう。元々この王立学院の地は、儂の生前から数えてもはるか昔に存在した邪教徒集団の根拠の一つだった。当時の人々が苦労をしてこの地の邪教徒を排除し、地上の神殿は破壊された」
いきなり始まった壮大な話にティアナ達三人は驚く。しかし、全員黙って聞き続けた。
「しかしだ、実は地下にも神殿があったのだ。当時の人々はこれも破壊しようとしたが叶わず、かろうじて封印するのがやっとだった。仕方なく、人々はこの地に悪しき者が入って来ぬよう守りを固めた」
「エッカルトもその一人だったんだね~」
「その通りです。儂の時代には先程言った墓守騎士団が守っておって、儂は年を取って近衛騎士団を辞した後にそちらへと入ったのだ。そうして、死後もこの地を守っておった」
なぜエッカルトが王立学院の敷地内から出ないのかティアナはやっと理解した。このような事情があるのなら確かにこの地を離れるわけにはいかない。
「以後は、あの地下の神殿に霊が入って悪霊化するのを防ぐ日々が続いた。墓守騎士団がなくなり、この地が王立学院になっても儂の役目は変わらなかった。しかし、先日とうとうその平穏を破る者達が現れたのだ!」
「ここに侵入した者達がいたのですか?」
「違うのだ。そやつらは、まず学院生として入学し、その身分を利用して探索し、地下神殿に入ったのだ! しかも、話を窺えば隣国のブライ王国の貴族!」
「先程初年度の学院生宿舎へ寄りましたが、もしかして魔物の死体がある部屋ですか?」
「既に見てきたのか! 確かにそこだ! あの者達も上位者の指示に従っておったようだが、実行犯はあやつらだ! せっかく隠してあった地下への入り口を掘り出すところからずっと見ておった! なぜあんな余計なことをするのか!」
興奮したエッカルトを見ながらティアナは答え合わせをするように質問していく。
「その貴族はディルタイ伯爵家のゲオルクという方ですよね? あと、ルーペルト王子やヘルゲ、それにドプナー男爵という名前は聞いたことがありませんか?」
「確かに聞いたことがあるぞ。む、もしやティアナの調査にも関係するのか?」
「実は別の隣国の王女様絡みで調査していたのです。今回の事件と関係するのかはまだわかりませんが、関係者は重なるようですね」
「何という運命か!」
エッカルトだけでなく、ティアナ達も驚く。
しかし驚いているばかりではなく、エッカルトはリンニーに真剣な眼差しを向けた。
「今回の件、できれば儂だけで解決したかったのですが霊体となった今は無理です。そこで畏れ多くもお願いしたいのですが、地下神殿を再封印するか、できれば破壊するのを手伝っていただけないでしょうか」
「え、わたし~?」
「人の身では封印するのもやっとであっても、女神であるリンニー様のお力ならば滅ぼせるやもしれませぬ」
「ティアナ、どうしよう~?」
こんな重大な決断をさせるのかとティアナは呆れたが、植物を司る女神からリンニーの監督を任されていたことを思い出して頭を抱える。
かつてないほど危険であることはわかりきっていたが、これを放っておくといずれヘルプスト王国が大変なことになることも自明だった。そうなるとテレーゼの身も危ない。
「仕方ありませんね。リンニーに期待しましょう」
「どれだけやれるか、わたしもわからないよ~」
「おお、リンニー様、ティアナ、かたじけない!」
返事を聞いたエッカルトが大いに喜ぶ。
結局、最初から選択肢などなかったのだとティアナは諦めた。
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