幕間 小さい精霊
精霊殿で精霊石に触れたティアナは、囚われのウィンとの顔合わせを終えた。その後は、元来た道を戻って屋敷へと帰る。
ここでティアナはエルネスティーネと別れた。事情はあれど侍女という立場になった以上、最低限の仕事はこなしてもらうとローザに申しつけられたからだ。ティアナももっともだとうなずく。
そこからはローザの配下で新人教育の始まりだ。
「あなたの場合、事情が事情ですから作業よりも礼儀作法が重要となります。以前拝見しましたが、貴族の子女としては及第点ですが、我が主の侍女としてはより一層励んでいただかねばなりません」
要するに、ティアナの礼儀作法はエルネスティーネの侍女として不合格というわけだ。それはなんとなく承知していたティアナだったが、それからの新人教育がきつかった。
言葉遣いから始まって、立ち居、振る舞いを一通り矯正され、ガイストブルク王国での習慣やこの屋敷特有の決まり事を一気にたたき込まれる。もちろん、特殊な記憶能力などないティアナは直ぐには覚えられない。
「さすがにすべてをいきなり身につけることは期待しておりません。しかし今日は、覚えることがこれだけあるということを知っておいてください。これからは以上のことをその都度指導してゆきます」
ローザの言葉を聞いて若干顔が青くなったティアナだったが否とは言えない。
次は屋敷における侍女の仕事を紹介された。
「屋敷の敷地の維持は使用人が、家屋内はメイドが、それぞれ担当しています。そして侍女は、エルネスティーネ様の身の回りをお世話いたします」
主なやるべきことは、主人の習い事や面会に同伴すること、公務を手伝うこと、話し相手になることなどだ。
ちなみに、同じ身の回りの世話でも、身だしなみを整えること、入浴を手伝うこと、食事やお茶会の用意をすることなどはメイドの担当になる。違いは、肉体労働であるかないかだ。
今までその違いを知らなかったティアナは、初めて明確な区分を知って感心する。しかし、そうなると一つだけ疑問が湧いてきた。
「ローザさん、エルネスティーネ様にお茶をお入れしてましたよね?」
「あれは私の趣味です」
詳しく聞くと、ローザはお茶好きが高じて入れるところまで研究したという。その甲斐あってローザの入れたお茶は評判が高く、エルネスティーネも気に入っているのだ。
そうやって初日が終わる。
王立学院にいたときよりもはるかに心身共に疲れたティアナは、与えられた個室に戻った。そうして真っ暗な部屋の中で気付く。
「そうだ、アルマはいないんだ」
思えば自分の専属としてやって来てから、アルマのいない日は一日もなかった。常に部屋へと戻ればアルマが必要な用意をしていてくれたのだ。しかし、今日からはすべて自分一人でしなければならない。
「まぁ、一人暮らしなら前世でしたことあるしな」
ある意味反則とも言えるが、転生する前は一人暮らしをしていたことがある。だから困ることはあまりない。しかし、帰ると迎えてくれる人がいてくれる生活が当たり前になっていたので、予想以上に寂しく感じられたのだ。
「うわぁ、これ記憶がなかったらホームシックにかかってたかもしれんなぁ」
こちらの世界だと望郷の念や人恋しさということになるが、ティアナは自分自身がそれほど精神的に強い人間だとは思っていない。今冷静に対処できているのは、年齢以上の記憶と経験があるからこそだった。
ぼんやりとしていても仕方ないので、ティアナはまず明かりの確保に努めようとする。しかし、わずかな月明かりと闇に慣れてきた視力をもってしても暗い部屋では、動くだけで体をあちこちにぶつけてしまいそうになる。
「これみんなどうやってんだ?」
相部屋ならば、日没前に誰かが明かりを用意してくれることを期待できる。しかし、自分のように個室を与えられているとなると、ティアナは想像できなかった。
「いっそ外の燭台から拝借してこようか」
消灯時間までまだ時間があるので、廊下にはろうそくで照らされている。そこから火の点いたろうそくを一本借りてきて、室内のろうそくに火を移すのだ。問題はばれたときにどうなるかである。
あまり時間はないが、さてどうしたものかとティアナが考えていると、視界の隅がわずかに明るくなった。不思議に思って目を向けると、淡く輝く小さい球体が漂っている。
「え、精霊?」
どこからやって来たのかティアナにはわからなかったが、一体だけが室内をふわふわと浮いている。その輝きは弱いものの、わずかに何がどこにあるのかわかるようになった。
ティアナは火打ち石を探し出し、ろうそくに火を点けて、ようやく一息つけた。
「ありがと、助かった」
昼間の時と同じようにティアナは精霊に触れて礼を伝える。すると、小さい精霊はわずかに明滅した。それを見てティアナは小さく笑う。
「あーあ、お前と話ができたらなぁ」
触れたまま話をしたせいか、小さい精霊は再び明滅する。しかし、何を言っているのかはわからなかった。
小さい精霊から手を離し、寝る前に体を拭こうと桶を引っ張り出して衣服を脱ぐ。そうして丁寧に布で体を拭いていると、精霊が自分の体を行ったり来たりと素通りした。まるで遊んでいるようだ。
面白そうにそれを眺めていたティアナだったが、そこでふと思いついたことに気付いて目を丸くした。
「もしかして、精霊も憑依できるのか?」
今までは幽霊としか試したことがないティアナだったが、精霊も実態を持たない点は同じだ。そうなると理論上は憑依させることができるのではと考える。
ティアナは次に小さい精霊が体の中を通過しようとしたとき、憑依するよう念じた。もし推測が正しいのならば、これで憑依できるはずである。
しばらくじっとしていたが何も変化はなかった。しかし同時に、漂っていた小さい精霊も見当たらなくなる。ティアナは首をかしげながら声をかけてみた。
「こんばんは?」
『コンバンハ?』
ウィンのときと同様に精霊の声が頭の中に響いてティアナが驚く。半信半疑の実験が成功した瞬間だ。
「しゃべれるんだ?」
『シャベレルンダ?』
とりあえず会話ができそうだと期待したティアナだったが、どうも様子がおかしい。まったく同じ言葉しか返してこない。
いくつか試してみたが結果は同じだった。小さい精霊は会話らしきことはできるようだが、オウム返しが関の山であることが判明する。
「それでも精霊が俺に憑依できるとわかったのは収穫だな、くしゅん!」
新しい知見を得たティアナは喜んだが、同時に体が冷えてくしゃみをした。それで自分が裸であることを思い出す。
ティアナは小さい精霊を体の外に出すと、急いで体を拭いて服を着た。
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