倉庫街での襲撃

 アルマは今、祖国を出てラムペ商会へと勤めている。規模こそ大きいが、幼いことからやってきたことであり、前世の知識と経験を活かせる仕事だ。


 帳簿関係の仕事を任されたアルマは、ラムペの元に寄せられる情報を次々にまとめ上げていた。さすがに大商会だけあって様々な話が舞い込んできて飽きない。


 これに驚いたのがラムペだった。単に記帳を任せるだけのつもりだったところ、やらせてみると商売上の判断も的確にやってのけるのだ。とても十代半ばの少女とは思えないと驚いていた。


 使える人間はどこでも限られている。予想以上に優秀と評価されたアルマには、記帳以外にも様々な仕事が与えられた。


 この日は商品在庫の確認と初めて納入される物品の検品で、アルマはラムペ商会の所有する倉庫の一つへと向かっていた。


「十月も終わりになると、さすがに昼でも涼しくなってきたわね」


 日陰で肌寒さを感じたアルマは、できるだけ日向を歩くように位置取りを変えた。先月までは汗ばむから避けていた日差しの評価は、今やすっかり逆転している。


 商人街から倉庫街へと移ると往来する人々の種類が変化する。平民の客や使用人から作業者である人足へと入れ替わった。また、倉庫街では馬車の往来も頻繁だ。変わらないのはたまに行き交う商売人の姿くらいである。


 男一色になった倉庫街の道をアルマは進んでゆく。既に行ったことのある倉庫なので迷いはない。


「おはようございます!」


「おお、来たかい、嬢ちゃん」


 老年の男がアルマの挨拶に反応した。ゲッツという倉庫の管理者だ。今日倉庫で一緒に仕事をする人物である。


「ゲッツさん、初めての納品される陶器って、もう来てます?」


「まだだな。ありゃ、夕方にならねぇと来ねぇよ。先に棚卸しを片付けちまおう」


 長年倉庫で仕事をしているゲッツの口は良くないが悪意は感じられない。アルマはその口調を気にした様子もなくうなずいた。


 倉庫の真正面の門が全開なので中は明るい。さすがに奥の方は手前よりも暗いが、採光窓があるので持ち運びに差し支えはなかった。


 往来する人足と運ばれる荷物を尻目に、アルマはゲッツの後ろをついていく。


「よし、それじゃ奥から手前へ数えていくぞ」


「はい。最初はこの麻袋ですね。何が入ってるんです?」


「南方で穫れた小麦だ。今年は豊作だったみたいで、安く大量に仕入れられたらしい」


 ゲッツの話を聞いてアルマは帳簿の内容を思い出す。確かにラムペ商会は少し前に小麦を多く買い付けていた。


 山積みされた小麦の袋を見たアルマは思わずつぶやく。


「こんなにたくさん、どこに行くんですかねぇ」


「そんなもんは決まってる。どこに行こうと最後はみんな人の腹の中だ」


 小麦の袋を軽く叩いてゲッツが笑う。アルマも釣られて笑った。


 ひとしきり笑うと二人は倉庫内の棚卸しを始めた。今も忙しく人足が往来する中で、今日は運び出されないものだけを選んで数えてゆく。帳簿と数が一致している物もあれば、一致していない物もあった。


 その作業が一通り終わって倉庫の手前に戻ってくると、初納品される陶器がちょうど届いたところだった。


「なんでぇ、思ったよりも早く着きやがった」


「良かったじゃないですか。早速検品しましょう」


 ぼやくゲッツに言葉を投げると、アルマは荷馬車から降ろされた品物を見た。陶器に関してはまったくの素人だが、破損や傷物を見つけるくらいはできる。


 ゲッツも呼んできた本店の使用人を集めてアルマと一緒に検品した。終わった品物から順次人足が倉庫へと運んでいく。


 検品作業はすぐに終わった。アルマの予想よりも破損している陶器が多かったので、本店へ戻ったときにラムペへ報告する必要がある。


「よし、これで終わりだな。嬢ちゃん、この売れねぇやつはどうする?」


「同じように運んでいって、ひとかたまりにして置いておいてください。後で書類と一緒に返品しますから」


「わかった。こいつらの数もあとでまとめて報告しとく」


「お願いします。それじゃ、私は本店へ戻りますね」


「忙しいこったな」


 軽く一礼したアルマにゲッツは苦笑いを返した。


 アルマはすぐに踵を返すと商人街へ向けて歩き出す。


 時刻は夕方、アルマは空腹を感じていた。記帳作業の量に辟易しつつも、とりあえず何か食べてから仕事をすると心に決める。今日の夕飯は何かと楽しみにしながら、アルマは本店へと向かった。


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 西日が強くなるにつれ、通りの影は濃くなってきた。人の往来は相変わらず多いが、荷馬車の騒音に替わって仕事帰りの喧噪が通りを満たしていく。


 そんな中、アルマはラムペ商会の本店へ向かって歩いていた。すると、知らない少年に呼び止められた。


「なぁ、姉ちゃん、ちょっと手伝ってくれないか」


「はい?」


 まさか声をかけられるとは思っていなかったアルマは、思わず立ち止まって少年を見た。


 みすぼらしい姿なので平民でも下の方の子供だとわかる。年齢はアルマより確実に下で十歳程度に見えた。とても倉庫街で働く人足には見えない。


 いささか緊張した面持ちの少年は更に話しかけてくる。


「あっちの倉庫裏に妹がいるんだけど、ここまで運ぶの手伝ってほしいんだ」


「運ぶ? 歩けないの?」


「父ちゃん探しに家を出たのをやっと見つけたんだけど、足を挫いてて歩けないんだ」


 何とも無鉄砲な妹だとアルマは思った。どのような子かは知らないが、仲の良い親子なんだと想像する。


「表通りまで運んだ後はどうするのよ?」


「荷馬車に乗っけてもらう。オレん家は倉庫街の近くだから、倉庫街を出たとこで母ちゃんを呼びに行くんだ」


 なるほどとアルマは納得した。妹を置いて遠く離れるのは確かに良くない。


 倉庫の裏側から小さい女の子を一人運ぶくらいならばアルマでもできる。


「わかったわ。行きましょう」


 すぐに終わると考えたアルマは少年の願いを聞き入れることにした。少年は安心したようにうなずく。


 倉庫と倉庫の間がちょうど狭い路地となっており、幅は大人一人分より少し広いくらいだ。そこを少年の案内でアルマは奥へと進む。


 狭い路地を抜けると、表通りとは反対に倉庫の裏側ばかりが並ぶ通りに出る。幅は大人二人分くらいだ。倉庫の横幅は不規則なので十字路になっているところはほぼない。アルマが今通ってきた路地も三叉路となっており、左右に延びている裏通りにつながっていた。


 少年は右側に曲がった。アルマもそれに続いて数歩進む。すると、浅黒い肌に筋肉質な体躯で目つきが悪い男が立っていた。その姿を見たアルマは目を見開く。


「え、あんたは!?」


「いよぉ、久しぶりだなぁ。アルマってんだろ。こんなところで出会うたぁねぇ。街中で出会ったら覚えとけって言葉、覚えてるか?」


 夕刻で暗くなりつつある中、アルマはウッツの十歩程度前で立ち止まった。しかし、少年は尚も立ち止まらず進んだ。


 ウッツはにやにやと笑いながら、少年に貨幣一枚を投げて寄越す。


「おーし、ご苦労。行っていいぜ!」


 貨幣を器用に片手で受け取った少年は、そのまま振り向かずウッツの脇を通り抜けて姿を消した。


 事ここに至って、アルマは少年に騙されたのだと理解した。思わず顔をゆがませる。


 そんなアルマを愉快そうに眺めていたウッツが語りかけた。


「探すのは簡単だったぜぇ。ラムペ商会で最近カツヤクしてんだってなぁ。女のくせに、読み書き算術、更に商売の指示までするたねぇ。これが才媛ってヤツかぁ?」


「あたし、あんたに用はないんだけど」


「ははは! そりゃねぇだろうよ。ああ、あるわけねぇや。けどよ、こっちにゃあるんだなぁ、これが!」


 嫌らしい笑みを浮かべたウッツが一歩踏み出す。同時にアルマが一歩下がった。


 少年まで使ってウッツが自分を誘き寄せたことにアルマは考えを巡らせる。今までウッツに出会ったのは二回だった。一度目は奉姫祭のとき、二度目はラムペ商会襲撃のときだ。そこでアルマは思い至る。


「まさか、ラムペさんを襲っているのを止めたのを逆恨みしたの?」


「話が早くて助かるぜぇ。オレのような裏家業のモンはよぉ、ナメられたら生きていけねぇんだ。特にお前さんのような女に仕事を邪魔されたとあっちゃぁなぁ」


「あれだけやってまだ足りなかったの?」


「足りる足りねぇの問題じゃねぇんだ。ナメられたかどうかって問題なんだよ」


 アルマにとっては心底どうでも良いことだった。ここでウッツと争う理由などないアルマはどうにかして逃げたかった。あと三歩下がれば先程通ってきた路地に到達する。そこまで穏便に後退しないといけない。


 更にアルマが一歩下がると、ウッツも一歩前へと出る。


 今のところ、ウッツは機嫌良くしゃべっている。これをできるだけ引き延ばす必要があった。


「本当はお前さんのご主人様にもゴアイサツしたかったんだけどなぁ。よりによって王女様のところに行っちまうなんてなぁ。いやぁ、残念だよ、えぇ?」


「お嬢様がこんなところまで来るわけないでしょ」


「ははっ! なぁに、それならそれで、こっちから出向いて差し上げるだけだぜ」


 背中から金属の棒を取り出したウッツが一歩踏み出す。同時にアルマが一歩下がった。


 あと一歩、アルマがそう思ったとき、背後に人の気配がした。慌てて振り向くと、少し離れたところに袖なしの服を着た体格の良い男が立っていた。


 そのアルマの隙を好機と捉えたウッツが、一気に距離を詰めて金属の棒を振り上げる。


「死ねぇ!」


 一瞬ウッツへと顔を向けたアルマは、すぐに体格の良い男へと全力で走り始めた。素手の男はウッツと比べて組易しと思われたと感じた男は舌打ちする。


「チッ、ナメやがって!」


 両拳を構えていた男は、すかさず右の拳でアルマへと殴りかかる。


 ところが、突き出した男の右拳をかいくぐったアルマは、相手の右肩部分の服を左手で掴み、脇を締めて折りたたまれた左腕を右手で掴む。そして、体重の乗った相手の左足を右足で払いつつ、そのまま右回転させるように引き倒した。


「ぅおあぁ!?」


 まさか自分が倒されるとは思っていなかった男は、完全に油断した状態で路面へ背中から落ちた。


 それを目の前で見ていたウッツは、驚きつつも金属の棒をアルマの背中へとたたき込もうとする。


 背中にウッツが迫っていることを感じ取っていたアルマは、体を沈めて倒した男の奥に向かって飛び込むように左肩から前転で路面を転がった。すぐに立ち上がると、振り返らずに全力で走り出す。


 初撃を外されたことに驚いたウッツは、一瞬金属の棒を振り抜いたまま固まった。しかし、逃げようとするアルマに気付いて追いかけようとする。


「クソッ! てめぇ待て、おい、ジャマだてめぇ!」


 路面で背中をしたたかに打ち付けた男がもだえている。そのせいで、結果的に追いかけようとしたウッツの足下を邪魔してしまい、初動が遅れてしまった。


 その貴重な数秒をアルマは全力で駆けることで活かした。表通りへと向かうべく、手近な狭い路地へと入る。幸い、その路地はほとんど何も物が置かれていなかったので、障害物になるような物はなかった。


「てめぇ、待ちやがれぇ!」


「バカ正直にやり合うわけないでしょ!」


 背後から追いかけてくるウッツの言葉に思わず反応したアルマだったが、足は止めない。


 表通りは、次第に薄暗くなる中を仕事帰りの人足達が往来していた。アルマは減速せずにそのまま飛び出す。幸いぶつからなかったが、その後人々を縫うようにして駆け続けた。


 アルマはそのまま倉庫街を出るまで走り続けたが、商人街に入ったところで一旦足を止める。荒い息のまま振り返ってみたが、追ってきている様子はない。


「まい、た?」


 尚も荒い息のままアルマは倉庫街へと続く通りを見る。たまにアルマを怪訝そうに見る人はいるものの、それだけだった。


 大きな息を吐き出したアルマは近くの建物の壁にもたれかかる。


「まさか、あたしを狙ってくるなんて」


 先程の光景を思い出してアルマは背筋を凍らせる。アルマからすれば、ラムペ商会とアプト商会の争いは他人事だった。何しろ、アルマを攻撃目標にしても相手が得られるものがない。


 ところが、先程のウッツはそんなこと関係なしに、自分の都合だけでアルマを襲ってきた。ラムペを助けようとしたティアナ達の行為が許せなかったという理由でだ。あんな馬鹿みたいな理由で襲われるなど、アルマは考えもしなかった。


「あれじゃまるっきり狂犬じゃないのよ」


 ラムペを助けた自分達の行為は正しかったとアルマは考えているが、それを逆恨みされるとなると今後どのように動けば良いのかわからない。


「とりあえず、戻らなきゃ」


 日はかなり傾き、暗い部分が目立ってきている。こんな状態で襲われたら今度こそ危険だ。


 アルマは不安な思いを抱えながらラムペ商会の本店へと急いだ。

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