望郷の念
ティアナがガイストブルク王国にやって来て一ヵ月が過ぎた。暦も十一月となり、秋の色が周囲を一層深く彩っていく。
エルネスティーネの屋敷で働き始めたティアナは侍女という仕事で苦労していた。特殊な事情を抱えていることからいくつかの失点に目をつむってもらっていることを差し引いても、及第点という評価なのだからお察しである。
一方、当主であるエルネスティーネは毎日満面の笑みだ。ティアナと離れているときは寂しそうだが、一緒にいるときはどんな失態も許すほど上機嫌である。
「ああ、このままずっとティアナ姉様が侍女でいてくださったら!」
夢見がちな表情でエルネスティーネが希望を口にするが、ティアナは苦笑いするばかりだった。恐らく事が終わって本来の侍女としての採用を希望しても、能力面で不採用になることがわかっているからだ。
精霊石に閉じ込められているウィルとの対話も、数日に一回していることをティアナは知った。毎回会う度に外に出してほしいと主張されるのは聞いていてつらいが、今は聞き流すしかない。
苦労しながら宮仕えをする日々を送っていたティアナだったが、ある日主人の望まぬ相手レーラー侯爵が屋敷に来訪した。エルネスティーネの私室で当人とおしゃべりをしていたティアナは、その報をローザから一緒に聞く。
「まだ前にいらっしゃってから十日程度しか経っていませんのに。本当に厄介ですわ」
「私が初めてこのお屋敷にお伺いしたときですよね。控え室で護衛の方とお目にかかったことを覚えています」
「わたくしもその護衛の者とお話したいですわ。お相手を取り替えていただきたいものです。あの者がこちらにいらっしゃらないのが一番ですが」
以前控え室を出たところですれ違った記憶をティアナは思い出す。エルネスティーネの話を聞いているからだろうか、良い印象はない。一方、エルネスティーネは不快な表情を露わにしている。その姿を見ながら、ふとティアナはこれからの行動について尋ねた。
「エルネスティーネ様、私もその面会に同伴するのでしょうか?」
「うう、ローザだけがやって来たときは、二人きりと同じように話をしてください。主人の命令です」
以前から緊急の報告のために二人のお茶会へ割り込まれることがたまにあたった。その度にティアナが口調を硬くしていたのでエルネスティーネは不満に思っていたのだ。
ティアナがちらりとローザに目を向ける。小さくため息をつかれたが無言のままだった。
「黙認していただいたのでそうしますね、エルネ」
「はい!」
「それで、レーラー侯爵との面会に私も同伴するのですか?」
「できればそうしてほしいのですが、わたくしとしては会わせたくないという思いもあります。ティアナ姉様はとてもお美しいので、絶対あの者は邪な心でいやらしい視線を向けるに違いありません!」
力説するエルネスティーネの言葉にティアナは首をかしげた。エルネスティーネと並んでしまえば大して目立たないと思ったからだ。ティアナは侍女に目を向けると無言で眉を寄せている。主人の意見に反対ではない様子だ。
それなら気になる点をティアナはエルネスティーネに質問してみる。
「レーラー侯爵という方は、その、子女の方々を囲う趣味でもあるんですか?」
「い、色を好むということですわよね。どうなんでしょう?」
「子女に限った話ではありませんが、欲しいものは必ず手に入れるという噂は耳にします。実際そうなのでしょう。ただ、飽きるのも早いと聞いておりますが」
多少顔を赤く染めたエルネスティーネがローザへとティアナの質問を渡す。ローザは動揺することなく、淡々と知っていることを述べた。
レーラー侯爵の人となりを知らないティアナは考える。エルネスティーネに執着している理由にその美貌も含まれているとすれば、それに匹敵する美人がそばにいたらどうするか。貴族としては妾として囲う可能性は充分にあった。
若干背筋に冷たいものを走らせながらティアナがエルネスティーネに提案する。
「では、レーラー侯爵との面会は同席せずに、その護衛の者と私が面会することを許可してもらえませんか? 以前会った、黒い髪に黒い瞳の少年です」
「あの者の護衛とですか? ローザ、その者はこの屋敷に同伴していますか?」
「はい。控え室に案内しております」
「ティアナ姉様が気になさるようなものが、その少年にあるのですか?」
実のところあまり深く考えて許可を求めたわけではなかったので、ティアナはエルネスティーネの質問に内心焦った。まさか前世の同郷の転移者だからなどとは言えない。
なんとか理由になりそうなものを探してティアナは口を開く。
「以前お目にかかったとき、その姿が護衛とは思えないほど細かったのですが、並の人よりも力が強く足も速いと聞きました。今回はその辺りの話を更に尋ねてみようかと」
「まぁ、そんな話をなさっていたのですか」
「それに、最近こちらへ流れ着いたようで、どうもレーラー侯爵の人となりをよくご存じない様子でした。その辺りのお話をすれば、こちらの協力者になっていただける可能性もあります」
エルネスティーネはローザと顔を見合わせた。ローザもその姿を見ただけなのでその実際は知らない。もしティアナの言うことが正しければ、試してみる価値は充分にあった。
「わかりました。ティアナ姉様の思う通りになさってください。必ずうまくいきますわ!」
「レーラー侯爵との会見は私が同伴いたします」
ローザもうなずいてティアナに賛意を示す。これで面会の基本方針は決まった。
成すべき事を整理し終わると、三人はそれぞれの場所へと向かった。
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レーラー侯爵との面会は応接室で行われるので、ティアナは途中から一人控え室に向かった。この一週間で屋敷の間取りは大体覚えたのでティアナが迷うことはない。
タクミと初めて会った前回の印象では素直そうな少年だったことをティアナは思い出した。果たしてこの短い期間でどうなっているのかと、ティアナの心に不安と緊張が湧き上がる。
控え室の扉をノックして入室する。ローザの言う通りタクミがいた。所在なさげにちょこんと椅子に座っている。
「え、あれ? きみはティアナ?」
「こんにちは。今はこのお屋敷で侍女として働いているんです」
「そうなの!?」
入室するティアナの姿に目を見開いていたタクミは、更に目を大きく開いた。事情を知らないタクミの反応は仕方ないものだが、ティアナはそれを少し面白いと思ってしまう。思わずくすりと笑った。
混乱したままのタクミをよそに、その正面の椅子へとティアナが座る。ローザからはダメ出しされそうな所作であるが、タクミはその振る舞いを見て感心していた。
「レーラー侯爵が来訪されたと聞いたので、もしやと思って来たらやっぱりいましたね」
「うんまぁ、僕は護衛だから」
「今日は何の用事でここに来たのかは知ってるの?」
「直接は聞いてないんだけど、なんとなくはね。侯爵様の屋敷でも知らない人はいないし、さすがにこのくらいは予想できるよ」
「レーラー侯爵は何も教えてくれないんですか」
「単なる護衛だから、とりあえず侯爵様についていけばいいみたいなんだ。教えてくれたらそれはそれで嬉しいけど、あの侯爵様のやることだからなぁ」
眉をひそめて口を閉じるタクミを見て、レーラー侯爵についていくらか知っていることにティアナは気付いた。しかも、良く思っていない様子だ。
より具体的なことを聞くためにティアナは質問を投げかけてみる。
「私も色々と噂は聞いているけど、タクミもレーラー侯爵のことをだんだんと知るようになったのね」
「あーうん。そりゃ、館の中の人やあっちこっちで見かける人の様子を見てれば、嫌でもわかるし。どうも悪い人っぽいんだけど、助けてもらったのは事実だしなぁ」
「恩を感じているから、レーラー侯爵から離れられないんだ」
「それもあるんだけど、一番の理由は、僕がこっちじゃどうやって生活していけばいいかわかんないってのも大きいんだ。そもそもお金を稼ぐこともできないから」
タクミの境遇を聞いたティアナは若干の同情した。そのお金を稼げないというのはティアナも問題として抱えているので、他人事ではないのだ。
「わかる。私もこのお屋敷で働くまでは働いたことがなかったから」
「マジで!? どうやって就職できたの?」
「私の場合は主人のエルネスティーネ様に気に入られたっていうのが大きいです」
「あーそれは。僕だと無理だなぁ」
勢いよく食いついてきたタクミが椅子の背もたれにしょんぼりともたれかかる。
「タクミはこちらの知り合いはいないの?」
「いないよ。普段は侯爵様の館で待機してるし、外に出るときは大体護衛だから。この前の精霊祭のときみたいに外出できることもあるけど、今のところ外に知り合いはいないよ」
「それは厳しいですね」
レーラー侯爵がどこまで意識しているのか不明だが、結果的にタクミが外部との接触をしづらいようにしているとティアナは感じた。
そこで、ティアナは更に踏み込んで話をしてみる。
「働き口の話にタクミは興味あるみたいだけど、機会があったらレーラー侯爵のところ以外で働きたいと思ってるの?」
「うん、思ってる。あんまりいい雰囲気のところじゃないし。他に行けるところがあるんだったら行きたいんだけど」
「だけど?」
「侯爵様に恩があるからそれは返しておきたいと思ってるのが一つと、もう一つ、僕、自分の故郷に帰りたいんだ。その方法を自分一人で探すのは難しいから」
次第に思い詰めた表情となるタクミの様子を見て、ティアナは目を少し開いた。
わかっているつもりで忘れていたが、タクミは転移者なのだ。しかも見たところ十代の少年である。日本では中学生や高校生というまだこれからの年代だ。望郷の念が沸くのは当然であるし、可能なら返してやりたいともティアナは思う。
「だったら、レーラー侯爵みたいに力のある貴族に庇護してもらえるなら、転職も考えるってこと?」
「うん、そんなに都合のいい話があるとは思えないけど」
怪訝な表情で返答してきたタクミを見てティアナは苦笑した。同じ話を持ちかけられたとしても、ティアナだって警戒するからだ。
「それじゃ私が探しておいてあげる。忙しいからあんまり時間はないけど、手の空いたときにね」
「マジで? でも、なんでそこまでしてくれるの?」
「このお屋敷のご主人様に仕えるまでは、働き先を探すのに苦労したのよ。だから人ごとに思えなくて」
「そっか、ありがとう! 僕も自分で探すけど、ティアナの方がいいところを見つけられそうだなぁ」
「なんたって、王女様のお屋敷で働いているものね!」
意外にあっさりと話に乗ったタクミを見て内心驚いたティアナだったが、まずはタクミが乗り気になってくれたことを嬉しく思う。
最低限知りたいことは聞けたティアナは、他にも積極的にタクミへと尋ねてみる。
「さっき、護衛で外出するとき以外は待機してるって言ってたけど、待ってる間は何をしてるの?」
「それがさ、最初はただ待ってるだけだったんだ。でもすぐに飽きて本なんかを読ませてもらおうと思ったけど、そのときこっちの文字が読めないことに気付いたんだ」
「え、そうなの?」
タクミの指摘で、日本語を知っているせいで気付かなかった点にティアナは今気付く。
いきなりこちらの世界にやって来た場合、最初に苦労するのは言葉がわからない点だ。だからこそ、文字が読めないというタクミのぼやきは正しい姿だと言える。では、会話はどうなのだろうか。
初めて出会ったときからタクミが会話で困った様子はなかった。ティアナはこちらの言葉でタクミに話しかけていたのにだ。こちらの世界の言葉を学んだわけではないのなら、これはおかしなことである。そうなると、タクミには何らかの力が働いていて、会話による意思疎通のみ問題なくできるようになっている可能性が高い。それがどんな力なのかまではティアナにはわからないが。
そんなティアナの胸中での考察に気付いた様子もなく、タクミは話を続ける。
「それで今は、武器を扱う練習をしてる」
「護衛をするんだから必要よね。でもそんなに簡単に覚えられるものじゃないよね?」
「まぁね。でも、前にも言ったけど、僕ってここだとやたらと力が強いから、それで無理矢理武器を振ってるんだ。前に剣の技を教えてくれる人が呆れてた。これじゃ剣技なんて必要ないって」
それだけチート能力なのだろうとティアナは想像した。
タクミは横に立てかけている木製の棒を触って苦笑する。
「だから今はこの棒を使ってるんだ。振り回すだけで何でも武器なるなら、あんまり人を怪我させずに済むこっちの方がいいと思って」
「それは良い考えね! 絶対その方がいいわ!」
持っている力にタクミが溺れていないことをティアナは喜んだ。
安心したティアナは更に質問を重ねる。
「レーラー侯爵の護衛はあなた以外にもいる?」
「そりゃいるよ。騎士の人とかね。今の僕じゃどれだけ戦えるなんてわからないから」
「それじゃどうして護衛に選ばれたの?」
「この屋敷に侯爵様の護衛を入れてもらうためだって聞いてる。王女様は侯爵様の護衛を屋敷の中に入れたがらないらしいんだ。それで、一番弱く見える僕一人だけを入れるってことで話をまとめたって聞いてる。だから、棒一本だけで鎧も着てないんだよ」
戦える者を下手に中へと入れて暴れられたら厄介なのだろうとティアナは推測した。
ここで寂しそうな表情を浮かべるタクミに気付いたティアナは話を変える。
「そうだ、力が強いって前から言ってるわよね。それを見せてくれない?」
「いいけど、どうやって?」
「例えば、このソファを片手で持ってみるとか」
「ああなるほど。いいよ」
気楽に請け負ったタクミを半信半疑で眺めていたティアナだったが、三人掛けのかなりの重さになるソファをタクミは軽々と片手で持ち上げた。他にも一人では持てないテーブルを持ち上げたり、絶対に手の届かない高さにある天井まで簡単に飛んでみせてくれた。
驚いたままのティアナが本音の感想を漏らす。
「魔法を使ってるとしか思えないですね」
「あはは! だよね。これ、故郷に戻ってもできるかなぁ」
無邪気に笑うタクミをティアナは微笑ましそうに見る。
その後はエルネスティーネとレーラー侯爵の面会が終わるまで、二人は近況の話を中心に色々と雑談をして時間を潰した。
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