ラムペ商会での騒動
ティアナがエルネスティーネの侍女になって既に十日以上が過ぎた。今はラムペ商会へと戻っている。朝一番に馬車を借りて送ってもらったのだ。迎えは翌日の朝である。
ラムペ商会に戻ってきたのはアルマと会うためだ。今のティアナはエルネスティーネに仕えているが、自由に行動できる日をもらったのだった。一方、アルマもティアナに合わせてこの日は休みである。
宿泊場所の客室で会った二人は近況を伝え合う。
一通り話し終えると、ティアナが眉をひそめて口を開いた。
「まさかアルマが狙われるなんてな。しかも、なめられたから? まるっきりチンピラじゃないか」
「実際チンピラだしね。あれは怖かったわぁ」
先日、倉庫街でアルマがウッツに襲われた件である。アルマがラムペに話をすると、外へ出るときは護衛二人を付けてくれることになった。
嫌そうな顔をしたアルマを見ながらティアナが質問する。
「その話、役人にはしたのか? こういうときの警察、じゃなかった、治安の部署だろ?」
「ラムペさんが話をしてくれたみたいだけど、あんまり期待できないみたいなのよね」
「あ、レーラー侯爵の影響が強かったんだっけ、治安の部署って」
「それもあるけど、裏家業の人間はすばしっこくてなかなか捕まえられないんですって」
王都内の治安を担当している部署とはいえ、すべて漏れなく管轄できているわけではない。裏家業の者達はそんな隙を狙って動くため、そもそも摘発が難しいということである。
ため息をついたティアナが感想を漏らした。
「これじゃ、俺達にとって王都は無法地帯とそう変わらないな」
「厄介なのは、普段はそうでもないのに、ある日突然無法地帯になるってことよね」
「うわぁ、何も信じられなくなりそう」
顔をしかめたティアナが首を横に振った。
対して、暗い話題はここまでと、アルマが顔をにやつかせながら話しかけてくる。
「それで、あんたの方は、お目こぼしありとはいえ、あっちのお屋敷で一応ちゃんと働いてるんだ。えらいえらい」
「礼儀作法とか、王立学院で学んだことがこんなに役立つとは思わなかった。それでもまだ足りないくらいってのがきつい」
「立ち居や振る舞いねぇ。王女様のお屋敷だと、メイドも更に求められるんだろうなぁ」
「メイドでさえ大半は貴族の子女だからな。子爵とか男爵の子が当たり前のようにいるぞ」
「うわぁ。あたしが入っても、力仕事や汚れ仕事くらいしかなさそうじゃない」
話を聞いていたアルマの表情が苦笑いへと変わった。そして、その視線がティアナの着ている侍女の衣服へと向けられる。
「さっきから気になってたけど、あんた、いい服着させてもらってるわね」
「初めて見たときは実家のよりも良くて泣けた」
「いいなぁ。この分だと、メイドの服も上等なんだろうなぁ」
「使用人でさえ悪くなかったもんな」
「あーもう、これだからお金持ちは!」
天井を仰いで嘆いてみせたアルマだったが、すぐに気分を変えて新しい話題をティアナに持ちかける。
「それで、肝心の精霊石はどうするつもりなの。精霊のウィンクルムだっけ? その子を解放する手立ては見つかったの?」
「全然。仕事を覚えるのに必死で、時間が割けないって理由もあるけど、今はさっぱり」
「でもそんなことを言ってたら、いつまで経っても解放できないんじゃないの?」
「そうなんだよなぁ」
エルネスティーネから急がなくても良いと言われているティアナだが、ウィンクルムのことを考えるとできるだけ早く解放してやりたいという思いはある。
一通りアルマの質問に答えると、今度はティアナが尋ね返した。
「アルマ、そっちの仕事は順調なのか?」
「順調ってのが作業を覚えることならね。でも仕事の量が多くて全然終わらないのよ」
「そんなにあるの?」
「帳簿をつけるために、商品が店にあるか確認しないといけないし、入出庫が正しいか倉庫で確認しないといけないし、入出金のために持ち金の残高を確認しないといけないし、他にも色々あるのよね」
「伝票もらって記帳するだけじゃないんだ」
「あたしもそう思ってたわ。でも、なんか次々と仕事を振られるのよね、これが」
しゃべっているうちに思い出したのか、アルマは力なく笑う。
それを見たティアナは力なくうなずいたが、ふとあることに気付いた。
「今の話を聞いていると、店の中枢に関わってるみたいに聞こえるな」
「みたいじゃなくて中枢よ。お金と物の出入りを管理してるんだもの」
「いきなりよくそんな重要な仕事を任されたもんだな。ラムペさん、大胆すぎないか?」
「身元のはっきりとした貴族のお嬢様のお付きだから信用の点は問題なかったそうよ。あと、商家出身で読み書き算術ができるって言ったら、これがわかるかって帳簿を見せられて内容を説明したの。それで能力面でもいけるって判断してくれたみたい」
「前世で会社の経理をしてたんなら、こっちだってできるよなぁ」
淡々と語るアルマを見てティアナは感心した。
そんなティアナにアルマがにやりと笑って言葉を続ける。
「あたしの働きぶりがよっぽど意外だったみたいで、ラムペさんは驚いてたわ。そうそう、その気があったら就職しないかってラムペさんに誘われたわよ」
「え、嘘だろ!?」
「本当よ。よっぽど意外だったみたいね~」
「アルマぁ、ほんとに行っちゃうの?」
途端に情けない声を上げるティアナを見てアルマは面白そうに笑う。もし本当に転職されたら、これから先ティアナは一人でやっていかなければならない。もちろん、今のティアナにそんな自信はなかった。
「そんな顔しないの。転職なんてしないわよ。少なくとも、あんたが男になる方法を見つける目処が立つまではね」
「よかったぁ」
「一人でお金が稼げるようになるだけじゃなくて、精神的に自立させないといけないのかしら。あんた、前世おじさんだったんでしょ。そのときどうやって生きてたのよ」
今度は呆れたアルマがティアナに好き放題言う。
とりあえず安心したティアナは、分が悪いので話題を変えることにした。
「それにしても、この調子だと男になる方法なんて探してる余裕が全然ないな」
「確かにね。ただ、この王都にはなさそうに思えない?」
「まぁ、今までの感触だとそうだよなぁ」
ティアナが侍女になる前までは王都内で男になる方法を探していたが、今のところ手がかりすら掴めていない。肉体を硬質化したり、透明化したり、動物に変身したりする魔法はあるものの、性転換する魔法はなかった。
今までの結果を思い浮かべながらアルマが独りごちる。
「そもそも、性転換する理由がないものねぇ」
「姿を一時的に変える魔法はあるのになぁ。もう一歩や二歩踏み込んだ魔法はないのかな」
気長にやるしかないとは覚悟しつつもティアナはため息をついた。
そうやって二人が話しに興じていると、何やら階下が騒がしくなっていることにどちらも気付いた。
どちらともなくお互いが顔を向け合う。
「この時間帯のラムペ商会って騒がしいんだな」
「いや待って。何か変よ。これ、仕事の騒がしさじゃないわ。何か揉めてるみたい」
アルマの言葉にティアナは眉をひそめる。
気になった二人は階下へと向かうことにした。
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ラムペ商会の一階は正面を雑貨店になっている。先日はウッツの襲撃でひどい有様になったがその面影はもうない。今頃は客と店員のやり取りで賑わっているはずだった。
しかし、ティアナとアルマが様子を窺うと客は一人もいない。代わりにラムペや店員と対峙する役人の姿が見えた。
扉の向こうに姿を隠したティアナがアルマに尋ねる。
「役人ってよく店に来るのか?」
「そんなわけないでしょ。しょっちゅう来られたらお店が潰れちゃうわよ」
「何を話してるのかわからんけど、何かまずそうな雰囲気だよなぁ」
「治安担当と税務担当の役人じゃない。なんで一緒に来てるのよ」
「よく違いがわかるな。俺、服の色が違うくらいしかわからん」
「その色違いの制服で区別してるのよ」
ティアナは再度役人へと目を向けた。王都内でたまに見かける紺色の制服を着ている役人は全員帯剣している。その中に、茶色の制服を着ている役人が混じっていた。
二人がしばらく見ていると、ラムペが店員の一人に指示を出した後、茶色い制服を着た役人と店の奥へ向かった。
「アルマ、なんか雲行きが怪しくなってきてないか?」
「雲行きなんて最初から悪いじゃない。税務担当と奥へ行ったってことは、事情聴取か立ち会いで調査かのどっちかね。でもなんで? うちって税金ちょろまかしたこともないし、怪しい取り引きだってしてないのに」
「まだ一ヵ月も働いてないのにそんなことわかるのか?」
「過去の帳簿もある程度見たからよ。これは何か言いがかりでもつけられてるのかしら?」
二人が扉の向こうから店内の様子を窺っていると、背後から誰かが近づいて来た。同時に振り向くと、先程ラムペから指示を受けた店員だ。
「こんなところにいたのか。アルマ、ご主人様のところへ行ってくれ。応接室だ」
「うわ、事情聴取ですか。うち、悪いことなんてしてないのに」
やって来た店員から指示を受けたアルマはため息をついた。しかし、商会の危機なので行かなければならない。
「それではお嬢様、行って参ります。部屋に戻っていてください」
よそ行きの言葉に切り替えてティアナに伝えると、アルマは小走りに店の奥へと消える。
そしてすぐに戻ってきた。
ティアナは眉をひそめながら口を開く。
「お帰りなさい。忘れ物?」
「そうなんです。お嬢様を忘れていました。一緒に行きましょう」
「はい?」
どうして自分を連れて行こうとするのかティアナにはわからない。経理関係などまったく知らないし、役人への対応も当然さっぱりだ。
それを承知のはずのアルマが更にティアナを促す。
「いいからとりあえず一緒に来てください」
手を引っ張られてティアナはアルマと共に応接室へと向かった。
アルマを先頭にして応接室へと入ると、既にラムペと税務担当の役人二人がテーブルを挟んで対峙していた。その三人分の視線がティアナを捕らえた瞬間、一様に怪訝な表情を浮かべる。
「ラムペさん、ただ今やって来ました」
「ありがとう。でも、どうしてティアナ嬢まで一緒なんだい?」
「今はラムペ商会にお手伝いで派遣されてますが、私のご主人様はこちらのティアナ様です。今回の顛末も後でご報告申し上げないといけないのですが、どうせなら直接確かめたいとおっしゃいましたので、ご案内しました」
嘘である。ティアナは一言もそんなことを言っていない。しかし、すべてが嘘ではなかった。ティアナが侍女として働いている間のみアルマがラムペ商会で働くのは一時的な派遣と言えるし、情報共有するためにことの顛末を後で聞くことも本当のことだ。
「わかりました。ティアナ嬢、こちらへ」
何をしようとしているのかはわからないものの、ラムペはとりあえずアルマの説明を受け入れた。自分の隣の席を勧める。アルマはティアナの背後に立って控えた。
三人の視線が相変わらず自分に向いていることを自覚しながら、ティアナは何を話すべきか考える。いきなり矢面に立たされて頭が真っ白だ。ちょうど奉姫祭の舞台のことを思い出す。かろうじて役人とは初対面であることを思いだしたティアナは自己紹介をした。
「初めまして。エルネスティーネ様に侍女としてお仕えしております、ティアナです」
向かって右側の役人が顔をしかめた。明らかに想定外という表情だ。当然だろう、ティアナ自身もついさっきまでそんなことをするなんて考えてもいなかったのだから。
左側の役人がティアナへ遠慮がちに尋ねてきた。
「あの、ラムペ商会とはどのようなご関係で?」
「さるお方にご紹介いただきまして、先日までこちらで逗留しておりました。今もアルマと会うために、たまにこちらへと伺うことがあります」
役人二人の表情が一層険しくなった。
それを見て、ティアナは自分に何を求められているのかを理解しつつあった。
「それで、今日はなぜ税務を司る皆さんがこちらへいらっしゃったのですか? お店には治安を担当される方も見受けられましたが」
「えーと、それはですね。実は」
それから実に歯切れの悪い説明が役人からなされた。要約すると、以前の襲撃騒ぎはラムペ商会を襲撃したのはやらせで、巨大な利益を隠すための自作自演という密告があったという。それを確認するためにやって来たということだった。
その説明にラムペが反論する。
「先程も申し上げましたが、それはおかしいです。私が毎年きちんと納税しているのは、そちらもよくご存じでしょう。一部は立ち会いの元で確認までしていただいているのですよ? それでダメだと言われるのでしたら、今後どうすればいいのですか?」
「いや、それが、こっちも上からのお達しでどうにもならなくて」
何度も問答を繰り返しているうちに、役人の方が根を上げだした。どちらの役人も頻繁にティアナへと目を向けている。黙って見ているだけのティアナだったが、エルネスティーネの威光を恐れているのは明らかだ。
結局、役人が仕事をしたという証拠作りのために、緊急の立ち入り調査をするということで話はまとまった。
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