第2章 Release
第2章プロローグ
白を基調とした石造りの応接室でティアナは椅子に座っている。肩で切りそろえられた癖のない銀髪とやや切れ長で金色に輝く瞳が特徴の可憐な美少女だ。着ている衣服が地味な旅用のものであってもその輝きは失われていない。
「やっぱりおっきな商会の当主ともなると、忙しいのかなぁ」
ぽつりと漏らした声色は容姿に違わぬ美声だ。しかし、口調は男そのものである。
その独り言に脇で立っているアルマが反応した。
「そりゃそうでしょ。引退してるんならともかく、現役なんだから。うさんくさい娘二人なんて普通は後回しよ」
形式上は今もティアナのメイドであるアルマだったが、返した言葉の響きには目上に対する畏敬の念が欠片もない。やや癖のある赤毛のショートボブに茶色い瞳は地味だがかわいらしいのに、今は愛想笑いすら浮かんでいなかった。
ため息をついたティアナが独りごちる。
「紹介状があってもやっぱこんなもんかぁ」
「あたし達に差し出せるものが何もないんじゃ、どうしようもないわ。こうして中に入れてくれただけ上等よ」
既に長時間待たされているティアナは、あまりの暇さに口数が次第に増えてきていた。アルマも最初こそ諫めていたものの、今ではティアナに付き合って話をしている。それをいいことに、ティアナはすっかり気を抜いて雑談を続けていた。
「舞踏会で婚約破棄騒動に巻き込まれたのが、今からちょうど一ヵ月前か。王立学院を出て、まだ二週間も経ってないんだよな。信じらんねぇ」
「それは同感だわ。今や隣の国に落ち延びてるのが泣けてくるけど」
自分と同じ前世の記憶持ちである使用人の言葉にティアナは顔をしかめた。
不機嫌になった主人を見てアルマは微笑みながら言葉を続ける。
「とりあえず、今はこの面会を乗り切ることだけを考えましょ。いくら紹介状があっても、嫌われたら受け入れてもらえないんだから」
「わかってる。このラムペ商会に庇護してもらえたら、当面の生活費は心配しなくてもいいもんな。何とかしないと」
紹介状を書いてくれた貴人から同時に結構な額の路銀も受け取った二人だったが、それでも資金が無限にあるわけではない。いつの時代、どんな場所でも先立つものはいくらでも必要になるのだ。
ティアナが改めて気合いを入れ直したところで、部屋に頭髪が寂しくなってきた中年男性が入ってきた。
「お待たせてしまって悪いですね。急ぎの案件が直前に入ってしまったんです」
「いえ、お気になさらず」
すぐさま立ち上がってティアナは一礼する。
アルマと二人きりだったときとは中身と同様に男の言動だったが、秘密を知らない部外者に対してティアナは令嬢としての態度で接する。完璧な擬態だ。
「私はフランク・ラムペ、このラムペ商会の当主です」
「ティアナです。実家との縁が切れたので、家名を名乗れず申し訳ありません。そして、こちらが私のお付きのメイドであるアルマです」
紹介されたアルマが一礼した。
挨拶が終わると、ラムペの勧めでティアナは席に着く。同時に本人も対面の席に座った。
「紹介状は拝見しました。それと、ティアナ様がここにいらっしゃるいきさつについても、添えられていた手紙を拝読して理解しました。特異な体質があるとはいえ、災難でしたね」
「いつかはこうなるかもしれないと覚悟はしていましたから、驚きはないです」
「ご贔屓様から紹介いただいたお客人ですから、私としては相応のご協力はいたします。ここでの滞在場所はご用意しましょう。他に何かあれば申しつけてください」
ティアナは少し驚いた表情を見せた。てっきり面接試験のようなものがあると身構えていたのに、蓋を開けてみれば無試験合格を言い渡されたようなものだからだ。なので、ついラムペに尋ねてみる。
「ありがとうございます。てっきり何か試されるのかと思っていましたが、あっさりと受け入れてもよろしいのですか?」
「大のお得意様の、しかも本物の紹介状を携えていらっしゃった方を疑うなどすれば、あちらで商売などできませんよ。紹介状を書いていただけるとは、余程信頼されているのでしょうね」
何しろ、かの貴人は公爵令嬢であり次期王妃なのだ。頼んだからといって、おいそれと紹介状を書いてくれるわけではない。しかも、わざわざ当人の事情まで添えてである。一時的に滞在する程度の便宜を図るには充分な保証だ。
期待以上の回答してくれたラムペにティアナは苦笑した。
「厄介な問題を解決するため、多少お手伝いしただけです」
「ああ、なるほど」
ラムペはそれ以上踏み込まない。一ヵ月前に何があったのかある程度把握しているからだ。利益にならないことには関わらないのが商売人の基本である。
それよりも、これからのことを確認しておかなければならない。ラムペは中でも一番気になっていることを尋ねる。
「失礼を承知で念のために確認させてください。手紙にあなたの憑依体質についての説明が記述されていましたが、本当に周囲に問題が発生することはないと考えてよろしいのですよね?」
「はい。私の許可がなければ何であっても憑依できないですから、悪霊に取り憑かれてご迷惑をかけることはありません」
物心がついたときから付き合ってきた体質だけに、ティアナは自信を持って言い切る。
それを聞いたラムペの表情が緩んだ。
「それは良かった。対人関係や商売関連ならばともかく、霊についてはさすがに門外漢ですからね。対処するとなると頭を抱えてしまいますよ」
相手の懸念が払拭できたと見て取ったティアナは、話をこれからのことに切り替える。
「ところで、こちらでの滞在場所ですが、この建物の一室でしょうか?」
「ご希望でしたら宿を手配いたしますよ」
「いえ、あまりご負担をかけるのも悪いですから、こちらの客室をお借りできれば充分です。あとは、今後のためにしばらく調べ物をするつもりですので、そのときに手助けしていただければ嬉しいです」
「調べ物ですか。差し出がましいようですが、どのようなことをお調べになるのです?」
問いかけられたティアナは一瞬言葉に詰まる。もちろん男になる方法を調べるわけだが、それをそのまま伝えるわけにはいかない。
「えっと、憑依体質のこととか、です」
「これは失礼。なるほど、確かに気になることではありますね」
とっさに優先順位の低い調査対象を口にしたティアナだったが、ラムペはそれで納得してくれた。憑依体質のせいでティアナが散々陰口を叩かれていることもラムペは知っていたからだ。
嘘をついたかのような気分になったティアナの笑顔が引きつる。
「当面は図書館など書物や資料がある場所を探して回るつもりです」
「それでしたら、いくつかご紹介できます。お教えいたしますよ」
「ありがとうございます。とても心強いです」
病気や魔法のことについては門外漢のラムペではあったが、ここガイストブルク王国の王都のどこに何の施設があるかは詳しい。それを列挙していく。
「ああ、どうせなら調べ物の合間に息抜きのついでに、王都を観光してはいかがでしょう。必要でしたらその都度案内人もご用意しますよ」
「すばらしいです。ではそれを楽しみに調べ物をしますね」
元々息抜きで観光することは考えていたティアナだったが、思わぬ提案をラムペから受けて顔をほころばせる。
ティアナの要求を理解したラムペは微笑みながらうなずいた。
「それでは、当面はこちらに滞在しつつ、王都内で調べ物をなさるということでよろしいですね」
「はい、よろしくお願いします」
「今から使用人をこちらに寄越しますので、その者に部屋まで案内させましょう。お二人で一部屋でよろしいですか?」
「はい」
「食事のときは、毎回こちらからお呼びします」
ラムペは最後の説明を終えると立ち上がる。ティアナも立ち上がろうとするとラムペは手で制した。
「それではティアナ様、私は仕事がありますので、これで失礼いたします」
「ティアナで結構ですよ」
「さすがにそれは。では、ティアナ嬢とお呼びいたします」
呼ばれ方にこだわりがあるわけではなかったのでティアナはそこで妥協する。
当面の決め事が片付いたところでラムペは応接室から退室していった。
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