第1章エピローグ

 舞踏会は最初こそ華やかであったが、テオフィルの結婚破棄騒動で波乱の幕を閉じた。


 もちろんこのことは早急に王城へ報告される。騒動直後に王城へ急使が送られ、関係者は自室で待機あるいは謹慎となった。


 王立学院から王都まで馬を使った急使なら丸一日かからない。そこから王族と王都在住のバッハ公爵家関係者の協議から始まり、各種手続きを可能な限り飛ばして事情聴取のための調査団が編成されるまでに二日、そして学院へ到着するのに更に二日かかった。


「あ~今日はもうずっと寝てるぅ」


「昨日はずっと調査に協力してたものね」


 寝台でティアナはぐったりとしていた。普段なら起きる時間だが、自室待機組となっている今は起床時間を自由自在に調整できる。アルマの許す限りだが。


「結局何してたの? 昼からは現場検証みたいなのにあたしも付き合ったけど」


「関係者の事情聴取だよ。俺、重要参考人扱いらしくて、根掘り葉掘り聞かれたんだ」


 何しろテオフィルがテレーゼとの婚約破棄の原因として持ち出されたのだ。元凶のユッタを除くと最も注目を向けざるを得ない人物と言えた。


「しかも去年の入学したときからときたもんだ。そんなのはっきりと覚えてるわけねぇ」


「エッカルトさんの話をするとなると、どうしても避けられないもんねぇ」


「そんで更にその原因は何だって追求されて、去年の春にモテてたことを話すことになったんだよ。朝はずっとその話をしてた」


 うつ伏せになって足をばたつかせながらティアナが愚痴を垂れ流す。


「そう言えば、エッカルトさんに会わせろって言われなかったの?」


「言われたけど断った。こっちが召喚できるわけでもないから、次にいつ会えるかわからないからって」

「物理的制約を無視していろんな所に行けるなんて、便利すぎるものね~」


 会話が成立する霊というだけでも数が少ないのに、更に人間に協力的となるとあわよくばと思うのは当然だろう。悪いことに利用しようと思えばできるので、ティアナとしては積極的に紹介したいとは思わなかった。


「それで、あんたは結局どうなりそうなの? 被害者だから処罰はされないんだろうけど、何かそれとなく言われなかった?」


「まだ何とも言えないって。調査結果を検討しないといけないから」


「形式上そう言わないといけなかったって感じだったらいいんだけど、そうでなかったら何が引っかかってるのよ」


「これがテレーゼ様のような公爵令嬢様ならこっそりと教えてくれたんだろうけど、一介の貧乏子爵令嬢じゃぁなぁ。たまにはパンとスープ以外には付かないのかな?」


「何着か衣装を質に出したら考えてあげるわよ。それはともかく、なんか微妙な扱いね。事情聴取が終わったらさっさと解放されると思ってたのに」


 なんとなく釈然としない様子のアルマが首をかしげた。


「自室待機はもういいって言われたよ。同時にもうしばらくは部屋にこもっておいた方がいいとも言われたけど。婚約破棄事件の噂がすごいらしいね」


「あーあれね。確かに、今一番の話題だから」


 苦笑しつつアルマがティアナに答えた。テオフィルの婚約破棄事件は、一週間が経っても学院内で話題の中心だった。それは貴族の子弟子女だけでなく、その使用人達も同様だ。


「毎日ひっきりなしにみんながあんたのことを聞きたがるんだから。すっかり有名人よ?」


「悪目立ちしてるだけじゃないか。全然嬉しくない」


「ということは、もうしばらく引きこもってないといけないわね」


「そう言えば、パウルはどうしているかわかるか? あいつを見たの、大ホールでユッタを引きずっていくのが最後だったからな」


 あのつらそうな表情をしていたパウルをティアナは思い出した。ある意味一番の被害者だ。散々振り回された挙げ句に最後は尻拭いを引き受けざるを得なかっただけに、ティアナは同情していた。


「自宅待機なのはあんたと一緒だけど、たまにユッタの部屋に行っているみたい。中には入れてもらえないようだけど」


「あの状況だと、いろんな意味でパウルに助けてもらったようなものなんだけどなぁ」


 あの状態のユッタは、既に自分では進むも引くもできなかったのではとティアナは考えていた。


「お兄ちゃんの優しさに、早く気付くといいんだけどねぇ」


「何にせよ、俺はもうしばらくここでごろごろするだけだな」


「室内でもできることはあるんだから、さっさと起きなさい。まずは体を鍛えるわよ」


「うへぇ」


 アルマに寝台から追い出されたティアナは、仕方なく姿見鏡の前へ行く。やっぱりたまには外に出たいなと思うティアナだった。


-----


 更に十日が過ぎた。調査団は既に王城に戻っており、三日前に関係者へそれぞれ沙汰が申しつけられていた。その内容は、政治的に王家と公爵家の均衡を図ったものである。


 被害者であるテレーゼはお咎め無しなのは当然として、テオフィルは王城で半年の謹慎処分となった。その代わり、婚約破棄宣言は無効とされる。一時的な気の迷いということで片付けられたのだ。


 ユッタはテオフィルをかどわかした罪で王立学院を放校された上に投獄された。処刑という意見がバッハ家から出ていたが、テオフィルの嘆願により罪一等が減じられている。


 カミルはテオフィルに次ぐ協力者ということで放校処分となった。更に、家名に泥を塗ったということで実家から勘当されている。


 パウルは実家に戻って半年間謹慎することになった。本人に罪はないが、キルヒナー家の嫡男として自主的に責任を取った形だ。ある意味今回一番の被害者だった。


 もちろんティアナにも沙汰はあった。その結果を受けて準備を終え、現在テレーゼの部屋でお茶を飲んでいる。


「ティアナ、今回の事件での協力に感謝します。そして、わたくしの力及ばずあなたが退学になってしまったこと、本当に申し訳ありません」


「テレーゼ様のせいではありません。王家と公爵家の都合となると、私達ではどうにもなりませんから」


 申し訳なさそうにテレーゼが謝罪すると、ティアナは困ったように笑った。当主でもない二人には、特に貧乏貴族令嬢であるティアナにはどうしようもないことだった。


 本来は非のある者だけを罰するべきだが、そうなると王家側の人物に属した者だけを処分することになる。しかしそれは刑事罰としては正しくても、政治的には問題があった。特に今後テオフィルとテレーゼが結婚した後の両家の関係を考えると尚更だ。


 そこでティアナに白羽の矢が立てられた。王家とも公爵家とも関係がなく、それでいて子爵家と階位も低め、しかも学院内では孤立しているので格好の的だ。そして、ティアナに退学処分となった。罪状は王族を傷つけた罪である。


 この沙汰にはテレーゼが猛烈に反対したが国王の命は覆せなかった。


「そうおっしゃってくださると気が楽になります。しかし、わたくしの心情としては納得できませんわ」


「ありがとうございます。しかし、例えお沙汰がなくても退学することになっていましたから、実質的には意味のない処分なんです」


「どういうことでしょう?」


「実は、今回の騒ぎで実家から勘当されてしまったのです。理由はどうあれ、去年に続いて今年も問題を起こした娘など不要と」


 テレーゼは目を見開いた。


 実は王城から沙汰が申しつけられる直前に、今回のことを知ったベルネット家から勘当する旨が認められた手紙をティアナは受け取っていた。同時に、今後は学費や生活費を一切送らないとも記載されていたのだ。


「なんということに、それでこれからどうなさるのですか?」


「はっきりとは決めておりません。ただ、私の憑依体質の噂は国中に広まっていますから、心機一転して国外に出てみようかと考えております」


 既に室内で売れるものはできるだけアルマが処分してくれているところだ。どれも二束三文で買い叩かれているそうだが、何とか当座の資金は得られそうだとティアナは聞いている。


「そうですか。そんなことになっていたとは。学院を出られるのはいつです?」


「室内のものを処分し終わってからですので、遅くても三日以内には出発する予定です」


「わかりました。それでは出立なさる前にもう一度お目にかかりましょう。お詫びにもなりませんが、いささかの用立てと紹介状をご用意いたします」


「ありがとうございます」


 望外の幸運がティアナに降って湧いた。特に紹介状はまともな地位の人と関わるときに身分証明書として役に立つ。王侯貴族だけでなく、商家や宗教団体にでも通用するのだ。テレーゼのような公爵家からの紹介状となると尚のことである。


「これでいくらかでもあなたのお力添えができれば、嬉しいですわ」


「とても助かります。これで路頭に迷うことはなくなりましたから」


 テレーゼが寂しげに笑うのを見てティアナも微笑む。この言葉は本当のことで、路銀以上にどうしようか連日アルマと議論していたのだ。それが解決したのは大きい。


 学院退去後の問題が一つ解決してティアナは肩の力を抜いた。


-----


 テレーゼとのお茶会があった夜、ティアナの部屋にエッカルトがやって来た。


「ティアナ、アルマ、息災である」


「こんばんは、エッカルト」


「む、出立の準備は着々と進んでいるようだな」


「作業をしてくれているのは主にアルマだけどね。それもあと少しで終わりだよ」


 次第に物が減って寂しくなってきた室内を見回しているエッカルトにティアナが話す。


 そこへ奥から戻ってきたアルマが姿を見せた。


「エッカルトさん、いらしてたんですね。こんばんは。ここともあと少しでお別れです」


「そうだな。ここは学院故、皆いつかは旅立つときが来る。それが少し早くなっただけのことだ。話し相手がいなくなるのは残念だがな」


「この王立学院をずっと守っていらっしゃるんですものね。たまには他の場所に行きたくならないんですか?」


「興味はあるが、ここを巡回する方が重要だな」


「伊達に長く地縛霊はしていないということですか」


「ははは! そういうことだな」


 アルマの問いかけにエッカルトが笑って答えた。


「結局、エッカルトにはお世話になりっぱなしだったなぁ」


「構わん。若人の世話をするのは年寄りの役目だ。立派に育つのが何よりの恩返しだぞ」


「夏休みから教えてもらっていた武術も、中途半端に終わるのが残念だな」


「そうは言っても、一人前になるには何年もかかってしまう。この先卒業するまでやったとしても、結局は中途半端のままだったろう。まぁ、よりましにはなっていただろうが」


「でも、剣術を教えてもらえたのは良かった。知らないよりはいいし」


 ティアナの言葉にエッカルトが嬉しそうにうなずく。


「しかし、そなたの場合、剣術よりもその憑依体質を使いこなす方が重要であろう。儂が憑依すれば剣術を使えるようになるのなら、憑依する者によって様々なことができるのではないか?」


「確かにそうなんですが、あれ、憑依した霊の力を引き出すほどに、意識も乗っ取られちゃうんですよね。だから使いこなすといってもなかなか難しくて」


「む、そうであったな。儂も久しぶりに肉体があったときのことを思い出せたぞ。しかし、いざとなったら強制的に排除できるではないか。あまり恐れることはないように思えるのだが」


 ティアナの憑依体質は特殊で自分に乗り移る霊を選べる。望まない憑依は拒否できるのだ。それは一旦憑依されてからも同じで、途中で強制排除できる。また、憑依した霊の能力を使えるが、引き出す能力が大きくなるほど憑依者の性格に影響される。この十数年の人生でそれがわかっていた。


「それでも、自分以外の何者かを自分の中に入れるのは、やっぱり怖いですよ」


「む、それは確かにそうだな。軽率な発言だった」


「でも切り札になることには違いないんですよね。憑依されてもいい霊さえいれば」


「普段はただのおっさんな女の子だからね」


 途中でアルマが混ぜ返してくる。ティアナはその言葉に苦笑した。


「何にせよ、ここを旅立つそなたらの健闘を祈るとしよう」


「ありがとうございます」


 エッカルトから贈られた言葉に、ティアナとアルマは礼を述べた。


-----


 出発の朝がやって来た。生徒は既に授業のため寄宿舎から出払っている。


 旅装姿のティアナとアルマはがらんとした部屋で立っていた。横には必要な荷物を詰め込んだ鞄が二つと背嚢が一つある。


 そのティアナの姿は衣服以外に一つ大きく変化していた。腰まであった銀の髪が肩で切りそろえられているのだ。旅するのに長髪は不便であり、心機一転するためでもあった。


 すっかり頭部が軽くなったティアナが感慨深げに独りごちる。


「いよいよここともお別れか。一年半、いろんな事があったなぁ」


「まったくね。ありすぎたおかげで退学ってのが泣けてくるけど」


 アルマの言い方に二人して笑う。その通りなので笑うしかなかった。


「結局、あのままここを卒業しても打開策なんて見つからなかったろうから、これで良かったのかもしれないな」


「そういう前向きなところはいいわね。追い出されるなんて思ったら気が滅入って仕方ないもの」


「これからもよろしくな!」


「何がよろしくよ。ろくな再就職先が見つからなかったから、ついて行ってあげるのよ。いいところがあったらすぐに乗り換えてやるんだから」


「えぇ」


「それにしても、あんたもらったあの指輪どうするのよ? 使うの?」


「使う? う~ん、男に惚れられても困るんだけどなぁ」


 実はテレーゼから路銀と紹介状以外に『誘惑の指輪』を贈られていた。ユッタから没収した指輪をテレーゼがどうやってか手に入れたらしい。これもお詫びの一つと言うことだった。


 アルマは嫌そうな顔でティアナに忠告する。


「使うのはいいけど、男を次々と連れ込まないでよ。横で変なことをしてたら蹴り倒してやるんだからね」


「するか! さっさと行くぞ!」


 寄宿舎の前にはバッハ家の馬車が待ってくれている。テレーゼの好意で、王都まで使わせてもらえることになっているのだ。そこから先は自分達でなんとかしなければならない。


 最初に向かうところはテレーゼからもらった紹介状に書いてある先だ。


「さぁ、これから男になる方法を探すか!」


「これだもんねぇ」


 呆れるメイドから目をそらしたティアナが鞄を一つ手に取った。アルマは背嚢を背負うと残った鞄を持つ。


 ティアナが扉を開けて最初に出て、アルマが廊下に出てから扉を閉める。


 誰もいなくなった部屋から、二人の足音が遠ざかっていった。

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