王女様のお悩み
酒に目がない女神が酒場で散々飲んだ二日後、ティアナ達はラムペ商会を後にした。
向かった先はこの国の王女エルネスティーネの屋敷だ。精霊石の巫女でもある王女の邸宅は王都の郊外にある精霊殿の隣にある。
本来、王族との面会は実現するまでに何週間もかかるのが普通だ。しかし、ティアナを慕う王女の思いはすべての慣例をすっ飛ばし、第一報から三日後に面会が実現した。
応接室ではなく執務室へと案内されたティアナ達は、執務机の奥に座る気品ある美少女の表情が満面の笑みに変わるのを見た。
「ティアナ姉様!」
「お久しぶりです。エルネも元気そうで、待ってその勢いで飛び込むのは、ぐはっ」
席から立って走り寄ってきたエルネはそのままの勢いでティアナに飛び込んだ。さすがにその場で支えきれなかったティアナは三歩下がってアルマに背中を支えられた。
貴族の子女としてあるまじきうめき声を出したティアナは、胸にうずくまっているエルネを引き剥がす。
「小さい子みたいに飛び込むのはやめてください。さすがにきついです」
「申し訳ありません。つい嬉しくて。ところで、こちらの方がご連絡のあった?」
「はい。ウィンの故郷である精霊の庭に住んでいらっしゃるリンニーです」
「初めまして~! 慈愛を司る女神のリンニーです~」
美女ではあるがそれ以外人間と見た目が変わらないリンニーを見て、エルネは寄ってきたお付きの侍女ローザ共々眉を寄せた。一見すると女神と呼ぶには普通すぎたからだ。
微妙な表情をしている二人だったが、先にローザが立ち直る。
「エルネスティーネ様、こちらへご案内されては」
「まぁいけない! ティアナ姉様、リンニー様、どうぞこちらへ」
屋敷の主に促されたティアナとリンニーは執務室内にある応接の場へと移った。三人掛けの柔らかい長椅子に二人で座る。ティアナが中央でリンニーが左側だ。
アルマはティアナの真後ろで、ローザもティアナ達の正面にある長椅子の背後に立つ。
残るエルネは本来ならばローザの前に座るはずなのだが、最後まで立っていた王女はティアナの右側に座る。
「エルネ?」
「久しぶりにお会いしたのですから、ティアナ姉様のお隣がいいです」
目をきらきらとさせたエルネに迫られるとティアナは断りづらい。ちらりとローザの表情を窺うと眼光が鋭くなったような気がした。
「エルネがそう言うのでしたら」
「ありがとうございます、ティアナ姉様!」
許されたエルネはティアナの右腕に抱きついた。そしてそのまま離れない。
更にローザの眼光がきつくなった気がする中、ティアナは早まったかなと思う。しかし、無理に引き剥がしてエルネの機嫌を損ねることもないと放っておくことにした。
「リンニーのことを説明する前に、ウィンを精霊の庭に届けるまでのお話を先にしましょう。その方が納得してもらいやすいでしょうから」
「はい! ティアナ姉様の冒険譚ですね! 楽しみです!」
大げさなと思いつつもティアナは今まであったことを順番に話し始めた。
ラムペの時とは違い、こちらでは精霊の庭についてまですべて話す。御神木に湧き出た芋虫を取り除く話をしたときにリンニーの話も一緒にした。
話を聞き終わったエルネが笑顔を見せる。
「やはりウィンをティアナ姉様にお任せしたのは正解でした! ちゃんと故郷に戻れたと聞いて嬉しいですわ」
「タクミの事も合わせて解決できたので、肩の荷が一気に下りた気分です」
「自分の望みよりも他者を優先するなど、誰にでもできることではありません。ティアナ姉様は素晴らしい選択をなさいました」
更にティアナの右腕から離れて立ち上がったエルネはリンニーへ一礼する。
「まさか創世の神のお一人がいらっしゃるとは夢にも思わず、数々のご無礼をしてしまい、申し訳ございませんでした」
「信じられないのは仕方ないものね~。あ! どうせならあの子達も紹介しようよ~」
「そうですね。みんな、姿を見せて」
ティアナが声をかけると、その正面に竜巻と火柱が、アルマの横に水玉が、そしてリンニーの目の前に土人形が現れた。いずれも半透明で人間の半分程度の大きさだ。
「この子達は、助けてくれたお礼にとウィンから付けてもらった優秀な精霊です」
「この人の形をしているのがテッラで、竜巻がウェントス、火柱がイグニス、あっちの水玉がアクアだよ~」
突然現れた四精霊に驚くエルネとローザにティアナが紹介しようとすると、リンニーが先に伝えてしまった。別に誰が紹介しても良いのだが、何となく間が狂って黙ってしまう。
一方、四精霊の方はそんなティアナに構うことなく、紹介された順番にエルネへ手を振ったり体を揺らした。
その様子を見ていたエルネはローザへと顔を向けた。
「ローザ、あなたにもこの精霊達が見えます?」
「はい、はっきりと。ここまで立派な精霊を見たのは、ウィンクルム様以来です」
力の強い精霊ほど大きくはっきりと見えることをローザも知っているので、現れた四精霊を前に目を見開いている。
信頼できる侍女から目を離したエルネは精霊一体ずつに顔を向けながら挨拶した。対する精霊も手を振ったり体を揺らして応える。反応してくれたことにエルネは喜んだ。
挨拶を終えたエルネは羨ましそうにティアナを眺める。
「これでティアナ姉様は当代一流の精霊使いになられましたわね」
「ウィンに言わせると、私が無力で危なっかしいから紹介したらしいですけど?」
「それでこれ程の精霊を四体も付けてくれるなど、普通ならばありえませんわ」
「どのくらいすごいかわかるのですか?」
「正確には、どれだけすごいか計り知れないことがわかるのですわ」
ため息をつくエルネを見ながらティアナは思う。植物を司る女神も認めていたくらいなのだから、人間であるエルネでは全容を把握できないのだろう。
「ウィンよりも私の言ったことを理解して行動してくれるのは助かってます」
「妙に幼いところがありましたものね、ウィンって。それにしても、魔法での契約もなしに四精霊を意のままに操れるなんて、まるでおとぎ話の世界ですわ」
「私は魔法を使えないのでわかりませんが、契約しないと何もしてくれないのですか?」
「人間同士ならば対価を支払うことで働いてくれますが、存在の根元から異なる精霊相手ですと、人間から支払える対価が魔力くらいしかありません。そうなると、気まぐれな精霊を働かせるために、魔法で縛り付ける必要があるのです」
「まるで精霊が人間に捕まえられて無理矢理働かされているみたいですね」
「実際そうだと思いますわよ。契約を解除しても残ってくれる精霊なんて聞いたことがありませんから」
話を聞いたティアナは眉を寄せて黙る。精霊は最初から自分を友人と見なしてくれたいたように感じていた。恐らくウィン絡みなのだろうとは予想できるが、はっきりとしたことはわからないままだ。
ともかく、これでティアナ側から話せることは話した。再び右隣へと座ったエルネにティアナは問いかけた。
「私の方はこれですべてお話しました。今度はエルネのお話を聞かせてくれませんか?」
「はい、喜んで! でも、ティアナ姉様みたいに面白いお話はありませんわよ? 普段はこのお屋敷にずっといましたから」
「しばらく会っていないのですから、たまに変わったことはなかったのですか?」
「えっとですね」
話す前は話題の少なさを気にしていたエルネだったが、いざ話を始めると止まらない。例え日々同じ事を繰り返す日常であっても気を向ければ話せることはある。
「去年は末までお屋敷で療養ということでしたが、年が明けると王宮での行事に参加することが増えました」
「精霊石の巫女としてのお勤めは?」
「新年から徐々に減ってゆきました。近く巫女の任を解かれることになると聞いています」
「ということは、精霊石の力はもうないのですか」
「はい。今年に入ってからは精霊石の力が急速に衰えて、最近ではもうほとんど力がなくなってしまいました」
今では周囲にいた精霊達もほとんどいなくなったらしいことも聞いて、ティアナはわずかに寂しく感じた。かつて助けてくれた恩人達はもうあの場所にはいない。
わずかに感傷に浸っていたティアナだったがすぐに意識をエルネに戻す。
「そうなると、王女本来の政務をすることになるわけですね」
「本来の政務といっても、わたくしに与えられるお役目はお茶会や舞踏会に参加することばかりです。どうせならもっと魔法について学びたいですわ」
「本格的に魔法使いの元で修行したいということですか」
「わたくしの場合ですと、こちらに来ていただくことになりますね。でも、お茶会や舞踏会に参加するだけなら仕方がないのですが」
言葉を一旦句切ったエルネがため息をつく。
その様子を見たティアナは何があったのかと少し真剣に耳を傾けた。
「わたくし、また望まぬ相手から求婚されていますの」
「去年の秋にあんなことがあったばかりなのにですか?」
「何があったのかな~?」
反対側から質問されたティアナはリンニーへと顔を向ける。そういえば、この中で女神様だけが事情を知らないことを思い出した。
一瞬どうしようかティアナは考えたが、アルマに説明を任せると再びエルネを見る。
「この国の貴族の方でしたら、少なくとも一年は様子を見ると思っていましたけど」
「はい、わたくしもです。しかし、その殿方は隣国の方なのです。ブライ王国のルーペル
ト王子ですけど、ご存じですか?」
「名前だけは、一応」
風化しつつあった王侯貴族の名前をティアナは記憶から引っ張り出してくる。ブライ王国はここガイストブルク王国と祖国ヘルプスト王国の北に隣接する国だ。
「確か、兄弟二人がいて、弟王子でしたよね?」
「その通りです。そのルーペルト王子が今年の新年会に使者としていらっしゃいまして、そこでお目にかかったのが始まりです」
「あー」
何となく展開が読めたティアナは微妙な声を漏らす。よくあると言えば、よくある話だ。
「一目惚れされたわけですね」
「ご明察です! さすがティアナ姉様! わたくしのことはすべてお見通しなんですね!」
「う~ん、それはどうかしら?」
嬉しそうに目を輝かせるエルネから顔を逸らせて、ティアナはそのままローザへと目を向けた。鋭い目は和らいでため息をついている。
「新年の舞踏会以来、ことある毎に先方から贈り物が届けられてきておりますが、エルネスティーネ様のご指示ですべて返却しております」
「それほど熱心なのですか」
「ルーペルト王子は現在兄のラルフ王子と王位争いをしていらっしゃいます。次第に不利になってきていると聞いていますから、有力な支援者を求めていらっしゃるのでしょう」
「わぁ、大変ね~」
アルマの説明を聞き終えたリンニーがまったくの他人事として受け止めていた。正直なところ、ティアナにとってもそうなので咎める気にはなれないでいる。
何にせよ、権力の周辺ではよくあることなのでティアナ達に驚きはない。ただ、友人のエルネがそれに巻き込まれているのには同情していた。
一瞬の間ができた隙を突いてアルマがローザへと口を開く。
「先方にお断りの使者は送られたのですか?」
「エルネスティーネ様からご使者を何度か送りました。しかし、まったく意に介してはいらっしゃらないご様子ですね」
「では、国王陛下からも使者を送っていただいたらどうですか?」
「それが」
言葉に詰まったローザの顔が歪む。アルマだけでなく、ティアナとリンニーも首をかしげた。
王侯貴族の間で政略結婚など日常茶飯事なので、意外な婚姻が結ばれることはもちろんある。しかし、普通は劣勢な派閥や集団に大事な王女という手駒を与えることはしない。
そこまで考えてティアナは気付いた。
「もしかして、兄王子と天秤にかけているのですか?」
「どうもそのようなのです」
やるせないといった様子のローザがうなずいた。
ブライ王国とガイストブルク王国の内情についてほとんど知らないティアナはそれ以上判断できない。ローザは不満そうだが、ティアナが言えることは何もなかった。
口を尖らせたエルネが再びティアナの右腕に絡みつく。
「まったく、迷惑な話ですわ! わたくしにはティアナ姉様という方がいるというのに!」
「勝手に人を巻き込んで、更に問題をこじらせるような発言はやめてください」
「そんな! 殿方になった暁には、結婚してくださるのでしょう?」
「そのような約束をした覚えはありません。」
「へ~そうなんだ~」
「あなたも真に受けないでください。信じすぎです」
顔を右に左にやりながらティアナがエルネとリンニーに突っ込みを入れていく。
その間にちらりとローザを見ると再びティアナを見るが鋭くなった。自分の責任ではないと目で訴えかけたが聞き入れもらえない。
正面から自分を見据えるローザの圧力に耐えつつ、右腕に絡みついたエルネをどうしたものかとティアナは頭を抱えた。
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