聖教徒の都にて

 朝晩の冷え込みはまだ続くものの、昼間は既に暖かい時季に移っている。冷え固まっていた大地からは草花が芽吹き、葉がない木の枝先からは新緑が芽吹いていた。


 遠征をして一度聖教団本部へと戻って来た邪神討伐隊の野営地も同様だ。人によって踏み固められていない地面のそこかしこから色取り取りの植物が背伸びしていた。


 邪神討伐隊の野営地には以前と同じ再び傭兵の登録所が設けられている。先の遠征で失った損失を補うためであり、登録所へ向かって長い列が続いていた。


 街の郊外にある木の陰から、浅黒い肌の男ウッツがその登録待ちの傭兵達を鋭い眼差しで眺めている。


「あいつら、どこに行くかと思ったら、よりによってそこかよ」


 吐き捨てるようにウッツがつぶやいた。眉を寄せているのは遠方を見ているせいだけではない。


 去年の暮れにティアナ達を襲って撃退されて以来、ひたすらその動向を探り続けていた。あれから四ヵ月になるが、その着いた先が勇者の邪神討伐隊なのだ。


 ウッツの視線の先には女三人の一組が固まっていた。遠すぎて何を話しているのかまではわからないが、かしましい様子は何となくわかる。


「賢者って呼ばれてるヤツがいる北の塔にいると思ったら、雪に埋もれてる森へ行って、また北の塔に戻って、今度はここか。なぁにやってんだか」


 冬山の麓は寒かったし、豪雪地帯の森へは近づくことすらできなかった。そうしてやっとまともな平地にやってきたかと思ったら、今度はウッツにとって厄介な場所である。


 何か変わった場所に行くたびにヘルゲへと報告していたウッツだが、今までは反応が薄かった。しかし、今回はさすがに大きな反応を示すだろうと予想していた。


 これ以上は眺めていても意味はないと考えたウッツは首飾りに偽装した魔法の道具を手に取る。


「ヘルゲ様、ウッツでさぁ。聞こえますかい?」


「ああ、聞こえる。何があった?」


「ティアナが聖教団本部のある都市まで来て、邪神討伐隊に入るみたいですぜ」


「なんだと? どういうことだ?」


「追いかけてるだけなんで理由まではわかりませんって。ただ、今は討伐隊の登録所で傭兵になろうとしてるんですよ」


 ウッツが見たことをそのまま伝えるとヘルゲは黙った。さすがに想定外だったらしく、しばらく考える必要があるようだ。


 その間に、とりあえず思いつくことをヘルゲが提案する。


「次はどうしますかい? 討伐隊を追っかけりゃいいんですかね? いっそ雑用係として潜り込むとか」


「いや、討伐隊に入ったのなら、お前はもうティアナを追いかけなくてもいい。別の仕事をしてもらう」


「へぇ! そいつぁ嬉しいですな。やっと小娘のケツを追っかけるのも終わりってわけで」


「お前は、こちらで用意した情報を討伐隊に流せ。連中を誘き出す」


「なるほど、罠にハメようってわけですかい。いいっすねぇ」


「用意した場所に聖なる御魂があると勇者が信じれば、必ず動くだろう」


「へへ、そこを一網打尽ってわけですかい」


 新たな仕事は自分向きであることに気を良くしたウッツが嬉しそうにしゃべった。


 そのウッツに対してヘルゲが更に指示を出す。


「噂を流して討伐隊が動き始めたら、お前はユッタを護衛して新しい本拠地へ戻れ」


「ユッタとですかい? あの嬢ちゃんは今どこに?」


「聖教団本部だ」


「目と鼻の先じゃねぇですかい」


「私の方からも連絡しておく。お前も一度会っておけ。当日の打ち合わせが必要だろう」


「わかりやした。折を見て話をつけときます」


 ようやく張り合いのある仕事になってきたと内心喜んだウッツは、会話を終えると街へと足を向ける。その足取りは非常に軽かった。


-----


 邪神討伐隊の内部浸透へと方針を変換したユッタは、その後少しずつ協力者を増やしていった。その協力者の多くは傭兵で、傭兵団の隊長や仲間内で指導的役割を果たす人物だ。


 勇者近辺にも手を伸ばそうとしたユッタだったがこちらは失敗している。聖騎士や騎士は仕方ないにしても、まさか兵士や側近の傭兵までも籠絡できなかったのは意外だった。


 秘密の会合のために用意された室内でユッタは不満をつぶやきながら待つ。


「あのインゴルフって奴は落とせると思ったのに。護符が与えられているなんて予想外よ」


 初めて会って話したときにまったく能力が通じなくてユッタは混乱したことを思い出した。破邪の護符というものを勇者から与えられたことを聞くのがやっとだったのである。


「あんな護符を末端の兵士にまで与えるなんて、まるでこちらの動きがわかってるみたいでやりづらいわ」


 もちろん、ユッタが目を付けられているわけではない。何かおかしいと最近は一部で勘付かれ、特に勇者が警戒をして討伐隊の基幹要員に身に付けさせたのだ。


 幸いまだ特定されるまでには至っていないが、次第に捜査の包囲網が狭まってきていることは感じている。


 そこへ先日、ヘルゲから帰還命令が告げられた。感触としてはもう少し留まってやれると考えていたが拒否する程ではない。


 もうそろそろ相手がやって来てもおかしくないとユッタが思っていると、扉が開いた。そして、浅黒い肌の男が入ってくる。


「お先でしたか。どうもすいませんね」


「久しぶりね、ウッツ。去年の夏以来だったかしら?」


 小さく息を吐き出したユッタが挨拶に応じた。すると、目の前の椅子に座ったウッツが更に話しかけてくる。


「ヘルゲ様から聞いたときは驚きましたぜ。敵地のど真ん中で活動してるんですって?」


「まぁね。あたしの能力を最も活かせる役割だから」


「それにしたって、よくバレねぇもんですね。的を絞って男を落としたとしても結構な数になるんでしょう? 気付かれませんかい?」


「最近危なくなってきたわ。もうそろそろって考えていたところだから、今回の帰還命令は都合が良かったわ」


「渡りに船ってわけですかい。それで、いつ頃出てくるんです?」


「今月中には本部から出るつもりよ。今はその下準備をしてるところ」


 現状を淡々とユッタが語った。いきなり姿を消してしまうと怪しまれてしまい、今まで築き上げたものが壊れてしまいかねない。それを防ぐためにも、巡礼の旅に出るなどの理由を付けて去る用意をしているのだ。


 自分の話が一段落すると、今度はユッタがウッツへと尋ねる。


「あんたはどうなの? あたしの護衛って話は聞いてるけど、それだけ?」


「勇者と邪神討伐隊を釣り上げる準備をしてるところでさぁな。あと一息ってところくらいですかね」


「だったらそっちの都合に合わせて出発した方がいいかしら? 数日くらいだったら調整がつくわよ」


「ありがてぇ。でしたら、今月末に出発しましょうか。そんときまで待ってもらえたら確実でさぁな」


「月末ね。わかったわ」


「こっちで用意しとくモンはありますかい?」


「ないわね。旅の用意は全部そっち任せでいいのよね」


「任せてください。そっちも並行してやってますんで」


 大雑把な事柄が次々に確認されていく。やることが限られ、一時期は一緒に旅をしたこともあるだけにやり取りが速い。


 そうして話し合うことがなくなるとウッツが立ち上がる。


「それじゃ、あっしの方から失礼しやす。最初の宿で偶然出会ったということで、お願いしやすよ」


 最後の確認事項を伝えるとウッツはそのまま部屋から去った。


 これで聖教団本部を去る準備はほぼできた。なかなか充実した仕事だったとユッタは振り返る。


 比較的満足した心持ちでユッタも部屋を出た。


-----


 勇者アレックスがようやく邪神討伐隊を動かせたのは新年も二週間を過ぎた頃だった。本来ならば去年の暮れには動かしたかったのだが、傭兵主体の部隊しか認められなかったので編成に時間がかかったのだ。


 それでもようやく討伐隊を動かすことができたアレックスは、勇んでテネブー教徒の本拠地を攻撃した。その結果、作戦は成功して敵の本拠地を占領する。


 ところが、あまりにも簡単に勝てたのでアレックスは首をかしげた。もっと敵が激しく抵抗すると思ったからだ。そして、占領後の調査でその勘が正しかったことがわかる。テネブー教徒の幹部を一人も捕まえられなかったからだ。


「どうして邪教徒の幹部が誰もいないんだ? いくら何でもおかしいぞ?」


 邪神討伐隊が攻撃した直後に全員が慌てて逃げた可能性も考えたアレックスだったが、生き残ったテネブー教徒を徹底的に尋問したところ事前に逃げていたことが判明した。


 重要な物品さえもきれいに運び出されていたことを知り、アレックスはいよいよ情報が事前に漏れていたのではないかと疑う。


 問題はいつどこから漏れていたかだ。討伐隊の内部からは考えにくく、またアレックスとしても考えたくない。そうなると聖教団本部からになるが、それにも首をかしげる。


「この討伐隊に反対していた連中というのが一番ありそうだけど、いくら何でもそこまで邪教徒に肩入れするものなのか?」


 熱心なルーメン教信者であるアレックスにとって同胞を疑うのは心苦しいことであるが、それ以上にテネブー教徒へそこまで肩入れするというのが理解の範疇外だった。


 ともかく、肝心の邪神の魂も邪教徒の幹部も逃してしまったアレックスは、仕方なく一度聖教団本部へと戻ることにする。


 こうして冬の遠征は空振りに終わったわけだが、外部から見た場合の評価はまた異なった。勇者が邪教徒の本拠地を成敗した戦勝と受け止めたのである。


『我らがルーメン教の勇者アレクサンダー・トロイが邪神討伐隊を率いて遠征す! 憐れな邪教徒どもは我先に裸足で逃げ出した! 邪神でさえも恐れをなす!』


 巷での評判は上々で、邪神討伐隊の士気も高い。事実を知っているアレックスとしては心苦しかったが、これからのことを考えると話すわけにもいかなかった。


 代わりに、次こそは邪神を仕留めようとその居場所を探ることに力を注ぐ。


 そんなある日、インゴルフがアレックスの天幕へとやって来た。


「よぉ、アレックス隊長。ちょっといいか?」


「どうした?」


 組立用机で日々の事務作業をしていたアレックスが顔を上げる。若干興奮した様子を見て何かあったと察知した。


 黙って自分を見上げるアレックスにインゴルフが報告する。


「邪神の魂がある場所がわかったぜ。やっとあいつら吐きやがった」


「やっとか!」


 待ち望んだ報告を聞いたアレックスが思わず立ち上がった。遠征から戻って一月半後、ついに邪神の魂の在処が判明したのだ。


「場所はどこだ!?」


「霧の丘ってところだそうですぜ」


「聞かない場所だな。どこなんだ?」


「邪教徒の前の本拠の南西にある辺鄙な場所で、南側の山脈から突き出るようにある丘陵地帯のことらしいですぜ。よく霧が出るらしいとも言ってたなぁ」


 話を聞いたアレックスがインゴルフの横を通り過ぎようとする。


「よし、すぐに出発するぞ! 討伐隊にすぐ命令を出せ!」


「了解しました。今度は当たりだといいっすね」


「そうだな。ほら急げ、これから忙しくなるぞ!」


「アレックス隊長はどこへ?」


「本部に行って報告してくる。戻ったらすぐ出発できるようにしておくんだぞ!」


「そりゃ無茶ですよ!」


 インゴルフが追いかけながら声をかけてくるが、アレックスは笑って意に介さない。


 ようやく望む方向に事態が動き始めてアレックスは気分が良くなった。

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