精霊たちの得手不得手
邪神討伐隊八百名が聖教団本部のある都市から出発したのは五月の初旬だった。それから約一ヵ月かけてテネブー教徒の旧本拠地まで進み、更に南西へ二週間かけて行軍する。
霧の丘と呼ばれる丘陵地帯の北端にたどり着くと、アレックスは数組の偵察を先行させた。同時に他の将兵には野営の準備を命じる。
命じられた聖騎士や騎士は兵隊や荷駄役に天幕を張らせた。その周囲に傭兵が自分達の天幕を用意する。そんな傭兵達の中にティアナ達もいた。
アルマの指導により、討伐隊の荷駄役から借りた四人用の天幕をティアナとリンニーが組み立てる。更にリンニーが土人形二体を作って体力面を補強した。
「この子達がいると便利よね~!」
「ほんと労働者として優秀よね。これで手先が器用だったら人間の使用人は廃業だわ」
土人形の働きぶりを見て改めて感心しているアルマにリンニーが胸を張る。
今回傭兵と登録するに当たって、ティアナは魔法剣士、アルマは剣士、そしてリンニーは魔法使いと申請していた。以前の遺跡調査と同じである。
そのため、リンニーが魔法を使っても不自然さはない。たまに他の魔法使いが目を見張るくらいだ。ちなみに、精霊四体は姿を消したままである。変に注目を集めすぎても良いことはないからだった。
野営に使う四人用の天幕を張り終わると三人ともやることはなくなる。
天幕の中に入って物珍しげにあちこちを見ているリンニーをそのままに、出入り口の前でアルマがティアナに話しかけた。
「他に命令がないなら、今日はもうおしまいね。後は夕飯をもらって寝るだけだわ」
「今晩の見張りは私達の部隊じゃなかったですよね」
「そうよ。昨日やったばかりだもの」
敵の夜襲に備えて邪神討伐隊でも夜に見張りを立てていた。この夜の番は傭兵の担当だ。四百名を八つに分けて一部隊としており、そのうち二部隊ずつで見張る。
自分達だけで旅をしていたときにもやったことがあったが、やはり何度やっても眠いものは眠い。リンニーなどはついに精霊に任せてその場で寝てしまう始末だった。
ともかく、その夜の見張り番がないというのは三人にとっては嬉しいことだ。特にこれから決戦を挑むのだから寝不足は避けたい。
中を見ていたリンニーが外に出てきて、眉をひそめながらアルマに声をかける。
「この天幕の中って、なんかちょっと変な臭いがするよ~?」
「そりゃ使い古しだもの。前の利用者がどう使ってたなんてわからないんだから仕方ないわよ」
「え~そうなの~? 組み立てる前にきれいに拭いたのに~」
「魔法でどうにかできるのならしてほしいけど」
「エステだと草木の香りで満たしてくれるんだけどな~」
どうにも中の臭いが気になるリンニーは難しい顔をして考え込んだ。
天幕を前に悩んでいるリンニーの横でティアナがアルマに話しかける。
「ここですとウッツからの襲撃は気にしなくて良くなりましたけど、思った程テネブー教徒の情報は手に入りませんでしたね」
「勇者様近辺の情報がそのまま聞かせてもらえるなんて期待はしていなかったけど、ここでも街の噂とあんまり変わらない程度ってのは期待外れだったわ」
「いっそインゴルフに聞いてみましょうか」
「今じゃ側近みたいらしいから、何か有力な情報を教えてくれるかもしれないものね」
去年遺跡の調査で共に護衛をした傭兵インゴルフの立場に、邪神討伐隊へと入った当初のティアナ達は驚いたものだった。
しかし、実のところいまだに会っていない。立場が異なるため気軽に会いにくい他に、苦手な勇者とも鉢合わせになる可能性が高いからだ。
「あの勇者殿を確実に避ける方法があるなら、今すぐにでも会いに行くのですが」
「でもこのままじゃ、あんまりここへ入った意味はないわね。ある程度事態が進むまで傭兵に徹するの?」
「テネブー教徒やウッツの情報が手に入らないのなら、しばらくは我慢ですね」
若干渋い顔をしたティアナが少し口を尖らせた。
契約があるので嫌になったから途中で抜けるということができないのが傭兵契約の面倒なところだ。それに、戦場で余計なことを考えすぎてやられてしまうのも馬鹿馬鹿しい。
一旦ため息をついてからティアナが再び口を開く。
「とりあえず、目の前のことに対処しましょう」
「目の前って、何よ?」
「文字通り目の前にあるあの丘陵地帯ですよ。霧の丘って呼ばれるくらい霧が発生するのですよね」
野営地の南側に広がる丘の数々へとティアナが顔を向けた。
釣られて目を向けたアルマが嫌そうな顔をする。
「確か朝方が一番ひどいのよね。奇襲してくださいって言ってるようなもんじゃない」
「だからその手前で野営するのでしょう。中に入ったらどうなるかわかりませんが」
「事前の調査じゃよくわからなかったから、今から現地調査なんでしょ? 仕方ないんだろうけど、後手に回ってるわよね」
「偵察隊が敵の襲撃を受けなければ良いのですが」
部隊長の話では邪教徒の数は多くないとのことだったが、その根拠はどこにもない。それにいくらテネブー教徒が少数派だとしても、霧に紛れて襲撃されると厄介だ。
数えればいくらでも湧いてくる不安要素にティアナとアルマは眉をひそめる。
「討伐隊全体や部隊全体のことは上の人に任せるとして、あたし達はどうするの? 一番の対策は霧が出ている間は入らないってことだけど」
「けれど、それですと討伐にならないですよね。それに、私達は命令されたら濃霧の中にも入らないといけないですし」
「物理的な対処はちょっと思いつかないわね。魔法で何とかならないの?」
「どうでしょう。霧の発生する原理ってどうだったかしら?」
寒暖差によるものまでは覚えているものの、そこから先は霧がかかったかのように記憶が曖昧になっていた。こういうとき、中途半端な知識しかないことが悔やまれる。
二人で霧対策について悩んでいると、リンニーが難しい顔をして寄ってきた。
「ねぇ、天幕の中を臭わないようにしてみたんだけど、どうかな~?」
声をかけられたティアナとアルマは顔を見合わせた。悩みの質が大きく下がってしまったが、二人はリンニーに付き合うことにする。
天幕内には微風が巡っていた。ウェントスの魔法で空気が澱まないようにしているらしい。どうも根本的な解決はできなかったようだ。
天幕の臭い対策に一旦区切りを付けると、今度は三人で霧対策を考えた。そして、リンニーの提案で一つだけ個人でやれることを思い出す。
とりあえず何らかの対策ができることにティアナ達は安心した。
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翌朝、ティアナ達が目を覚まし天幕から出ると、霧に遮られて何も見えなかった。まるで煙幕を張られているかのような状態に三人が驚く。
「うわ~、本当に何も見えないね~」
「霧の丘にまだ入ってないのにこれなの? 目の前に来るまで誰かわからないわ」
「なら、昨日話し合った通り、精霊に周りが見通せる魔法をかけてもらいましょう」
リンニーとアルマの感想を受けてティアナが提案した。
これは、以前も使った暗闇の中でも見通せる魔法をかけてもらうというものである。要は周囲の様子がわかれば良いので、同じ魔法で代用したのだ。
ちなみに、ティアナは風の魔法で、アルマは水の魔法で、リンニーは土の魔法でそれぞれ視界を確保している。
灰色の風景を眺めながら、ティアナは禁忌の魔法書を手に入れるときよりもわずかに視界が良くないことに気付いた。憑依している風の精霊へ声をかける。
「ウェントス、以前よりも少しだけ視界が悪いですけど、魔法の効果が悪い原因でもあるのですか?」
『水ガタクサン浮イテルカラ、空気ガ重イ』
「水? ああ、霧のことですね。へぇ、これが原因になるのですか」
意外なことを聞いたティアナが驚く。てっきりどんなときでも明瞭に見えると思っていたからだ。
風の精霊で影響があるのなら他の精霊も同じはずと考えたティアナは、アルマとリンニーに声をかけてみた。
「霧の影響で空気が重くなっているらしいので私の視界は少し悪いですけど、二人はどうですか?」
「あたしは断然見やすくなってるわね。もしかして、霧が水分だから?」
「アクア、どうなのですか?」
『空気ニ水ガタクサンアルト楽ニナル』
「わたしは前と変わらないかな~。テッラは霧が出ても平気なのかな~?」
『平気。空気ハ関係ナイカラ』
三体の精霊は司るものによって影響を受けたり受けなかったりしているようだ。
残る火の精霊はどうなのかと気になったティアナは問いかけてみた。
「イグニスは霧はどうなのですか?」
『水ダカラ苦手。行キタクナイ』
既にティアナ経由で長剣に転移しているイグニスが短い返答を寄越した。なんとなく嫌そうな感情がこもっているようにティアナは受け取る。
そうやって自分達の視界と精霊について三人で話をしていると、部隊長から集合がかかった。
傭兵達が部隊長である騎士とその取り巻きを囲むと、現在の状況と今日の作業についての説明が始まる。
それによると、昨日の偵察で邪教徒の姿が確認されたので、今日は本隊から二部隊百名を出して霧の丘の奥を調べることになった。その一部隊がこの部隊だ。
最後に部隊長の騎士が声を上げる。
「尚、偵察行動はこのあとすぐに行う。各自天幕に戻って急いで準備し、再びこの場所へ戻るように!」
「ちょっと待ってくれよ! この霧の中を進むのか? 無理だろ! せめて霧が晴れてからにしようぜ!」
「霧の丘の奥を調べるためには、今から出発しないと充分な時間をかけられん。それに、遅くとも昼までには晴れることは現地住民の話でわかっている。近くに邪教徒の姿は確認されていないので怯える必要はない」
「敵がいねぇのはわかったけどよ、周りが見えねぇと前に進めねぇだろ。そこはどうすんだよ?」
「こういった何も見えない場所でも視界を確保できる優秀な魔法使いがこちらに派遣される。その者の助言を得ながら進軍する」
自信に満ちた調子で断言する部隊長を反論した傭兵が不安げに見た。その気持ちは他の者達も同じだ。相変わらず自分達は霧に遮られて何も見えないままだからである。
その後もいくつか質疑応答があったが、最終的には部隊長の命令通り再集合次第すぐに出発となった。
一旦解散となって自分の天幕に戻って来たティアナ達も手早く武具を身につける。
「うわ~、霧の中だと濡れちゃうね~」
「お肌が乾燥しないからいいんじゃないの?」
「偵察は一泊してから帰る予定なので、保存食を持って行かないといけませんね。アルマ、支給されるのでしたっけ?」
「聞いてないわね。だから自前で用意しろってことなんでしょ」
「わけてくれても良いのにね~」
「どうせ硬いパンに痛んだ干し肉が配られるだけなんじゃないの? 昨日の夕飯なんて、暖かいだけが取り柄だったじゃない」
「ちゃんとしたご飯が食べたいな~」
出発の準備をしながら雑談をする三人だったが、話題は面白くないものばかりだ。
準備ができて部隊長の下へに着いた三人は残り半分の傭兵がやってくるのを待った。
しばらく立ちっぱなしで手持ち無沙汰だったリンニーがティアナに問いかける。
「わたし達のところ以外にも偵察をする部隊ってあったよね~? どこかな~?」
「そういえば、どこの部隊かは聞いていませんでしたよね。アルマは知っていますか?」
「第四部隊だってのは他の人が話しているのを聞いたわよ」
邪神討伐隊は、聖教団軍の正規兵を第一部隊として第二から第九までの傭兵隊で構成されている。遠征から帰還後に新編成されたティアナ達のいる第九部隊に対して、結成当時からある第四部隊と組ませたのは、様々な均衡を保つためだということが予想できた。
三人が話をしていたそのとき、第九部隊の近くまで他の部隊がやってくる。少し離れたところで止まると、あちらの部隊長がやってきてティアナ達の部隊長と話を始めた。
霧の丘の手前なのでまだましだとはいえ、それでも視界は悪い。しかし、ティアナ達は精霊の魔法のおかげでいつも通り周囲を見渡せる。
「あれは?」
特にやることがなかったティアナは何となく第四部隊の様子を眺めていたが、そこにふと気になった傭兵がいた。精悍な顔つきでくせ毛のあるベリーショートの女傭兵だ。
自分の部隊に戻ったあちらの部隊長が号令をかけると、向こうの傭兵は歩き始めた。すぐにティアナの気になった女傭兵は他の傭兵に紛れて見えなくなる。
傭兵なのだから傭兵部隊にいること自体はおかしなことではない。ただ、前に嫌な思いをした人物だったので不愉快になっただけだ。
そのとき、部隊長の号令がかかる。ティアナは無理矢理気持ちを切り替えて部隊長の下へと向かった。
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