叶える願いはひとつだけ

 最後まで残った芋虫達をすべて駆除し終えたティアナ達が壁の外へと戻ると、リンニーとエステが土人形に穴を埋めるように指示した。


 今までビテレ草を燃える炎に投げ込んでいた土人形は、指示された通り壁を崩して穴を埋め始めた。穴の底で蠢いている芋虫達の上に土の塊が投げ込まれてゆく。


 その横でティアナ達五人は地面に座り込んでいた。


「ううっ、足の裏が気持ち悪いです~」


「一休みしたら川で洗いましょう。それまでは靴底を見たくないわ」


 小さい芋虫を踏み潰していたリンニーとエステが顔をしかめている。普段は生き物を殺さないため、精神的にもかなり参っていた。


 それに対して、女神二人よりも殺生に慣れているティアナとアルマは単純に体力切れをしていた。


「もう今日は動きたくありません」


「あたしは明日も動きたくないわ。これ絶対筋肉痛になってるもの」


「あああ、なんでそんなことを言うのですか! せっかく忘れてたのに!」


 嫌そうな顔をしたティアナがアルマに抗議するが、疲れて反応する気力もないアルマは聞き流すばかりだ。


 すっかり気の抜けた雰囲気の中、タクミがリンニーに声をかけた。


「穴を埋める作業ってどのくらいかかるのかな?」


「どれくらいでしょうね~? 掘るときの半分くらいじゃないかな~?」


「ということは一週間くらいか。結構時間がかかるんだね」


「だって大きい穴だもん。埋めるのも大変だよ~」


 そうなんだろうなとタクミは思う。土人形は疲れないので昼夜を問わずに穴を埋め続けるはずなので、それを考えると結構時間のかかる作業だということが想像できる。


 次にタクミはティアナに話しかけた。


「これで終わったんだよね」


「はい。本当のお終いは穴が埋まったときですけど、私達ができることはもうありませんね。あとは見守るだけです」


「穴が埋まるまで見届けるの?」


「まだ何も決めていませんが、少なくとも体の疲れが取れるまではここで休みますよ」


 精霊の庭と呼ばれるこの地にウィンを帰し、御神木から芋虫を駆除したティアナ達にここでやるべきことはもうない。後は去るだけだ。


 その前にこの辺りを色々と見て回るのも良いだろうとティアナが考えていると、エステが声をかけてきた。


「そろそろ川に行かない? 体を洗いたいわ」


「良いですね。汗もかなりかきましたし、煙の臭いが染み込んで大変なんです」


「だったら僕はここで待ってるね。終わったら交代で川に行くよ」


 さすがに男のタクミが混じるわけにもいかないので遠慮する。


 その意見に賛成したティアナがタクミにうなずく。


「そうしてください。着替えを取りに行ってから川に向かいましょう。アルマ」


「わかってますよ。今の時季だと、川の水は気持ち良いくらいかしら」


 立ち上がったアルマが背伸びをする。大きな仕事をやり終えた直後ということもあって晴れやかな表情だ。


 続いてエステ、ティアナ、リンニーと立ち上がると、アルマを先頭に荷物を置いてある場所へと足を向ける。


 それを見送ったタクミは、地面に寝そべって眠った。


-----


 翌日、ティアナはアルマとタクミの二人と御神木から少し離れた場所にいた。荷物を置いている場所であり、精霊の庭で寝泊まりしている場所でもある。


 獣に襲われる心配もないことを知っているので、三人とも夜の見張りすら立てずに全力で眠っている。おかげで翌朝の目覚めが良い。


 しかし、前日に思い切り動き回ったせいで三人とも朝になっても眠ったままだ。もう何もすることがないので起きる必要がないからだ。


「うっ、やっぱり痛みがひどいわね。指先まで痛いじゃない」


 珍しく日が大きく昇ってからアルマが起きた。いつもなら朝食の準備などのために朝は早起きしているが、今朝は許可をもらってずっと横になったままである。


 全身の倦怠感と筋肉痛に悩まされながらもアルマは起きる。いい加減空腹が我慢できなかったのだ。


 アルマが食事を作っているとタクミが起きてくる。時間こそ遅いものの、こちらはいつも通りだった。


「おはよう。あれ、アルマちゃんと起きられてるじゃないの」


「これでも体が結構痛いのよ?」


「だったら寝てたらいいのに。今日くらい良いと思うんだけどな」


「お腹が空いて我慢できなかったの。普段はもっと早くご飯を食べてるから」


 わざわざ火をおこして干し肉をあぶっている様子を見てタクミは納得する。そして、自分も空腹であることに気づいて、同じように干し肉をあぶった。


 そのあぶった干し肉を囓りながらタクミが、横になっているティアナへと目を向ける。


「ティアナ、まだ寝てるね」


「昨日は一番忙しく動き回っていたしね。仕方ないでしょ」


「起きてるよ」


 まさか返事をされるとは思わなかったアルマとタクミは驚く。


 そんな二人に顔を向けるとつらそうに言葉を続けた。


「筋肉痛と疲労で起き上がれねぇ。なんで二人は平気なんだ?」


「別に平気じゃないわよ。これでも結構痛いんだから」


「ティアナも頑張って起きたら? 寝たままだといつまで経ってもきついままだと思うよ」


「それはわかっているんだけどな、最初のひと起きがつらくて」


 ティアナの返事を聞いた二人は苦笑する。どちらにもその経験があるからだ。


 そんな二人から視線を外してティアナは火が熾されているのを見る。そして、どちらの手にも干し肉が収まっているのに気付いた。途端に空腹を感じる。


「うっ、腹が減った。俺も食べたいけど、体が」


「食べさせてあげましょうか?」


「それはいくら何でも情けないというか恥ずかしいというか」


 まるでお子様扱いされたかのような気がしたティアナは眉をひそめた。さすがにそれは嫌だったので、顔をしかめながらどうにかして起きる。


「起きるのにこれ程疲れたのは久しぶりだな。ええっと、肉は」


「はい、これを食べなさい」


「ありがと」


 礼を述べてアルマから干し肉を受け取ったティアナはそれを火であぶる。しばらくしてから噛み千切ると再び顔をしかめた。


「うっ、首が!? まさか食べるだけで筋肉痛に苦しめられるとは」


「本当に全身筋肉痛なんだね。そこまで痛いとなると相当動いたんだ」


「ウィンの風の魔法を使ってたけど、俺だって動いてたからね」


 不思議そうに自分を眺めていたタクミにティアナが言葉を返した。まだ体が慣れていないせいか非常に重く感じられる。


 そうやって三人が食事をしていると、リンニーとエステ、それにウィンがやってきた。


 最初にリンニーが声をかけてくる。


「おはよう~! あれ? 今ご飯を食べてるの~?」


「起きたのがついさっきだからです。この二人はもう少し早く起きてましたけど」


「昨日はあれだけ働いてもらったもんね~」


 にこにこと機嫌良くリンニーが言葉を返す。実際ティアナ達三人が相当に活躍したのだから、リンニーとしても言うことはない。


 隣のエステが続いて話しかけてきた。


「昨日はよく眠れた?」


「ええそれはもう。横になった途端に意識がなくなりましたよ。それで次の記憶がつい先程です」


「あたしも似たようなものね。元々寝付きは良い方だけど」


「それは良かったわ」


 ティアナとアルマの返事を聞いたエステが表情を和らげた。どうも心配をしていたようである。


 そんなエステに対してティアナは気になったことを尋ねてみた。


「あの後、穴の埋め立てはどうなっていますか?」


「順調に進んでるわ。穴が大きいからなかなか埋まらないけど時間の問題よ」


「ということは、私達にできることはもうないですね」


 作業が完全に終わったわけではないものの、やることがないのであればお役御免である。それを理解しているリンニーとエステはうなずいた。


「見ての通り、まだ体の疲れが癒えていませんからまだここに滞在しますが、その後に立ち去りますね」


「急がなくてもいいわ。好きなだけいてちょうだい。あんた達はあたしの恩人なんだから」


「ふふふ、最初の頃とは正反対の発言ですね」


「あれは忘れて! 不審者が来たら当然でしょう?」


 少し顔を赤らめたエステが頬を膨らませて抗議すると皆が笑った。


 ひとしきり笑った後に今度はウィンが口を開く。


「ねぇ、いつ言うの? ボクが言っちゃっていいのかな?」


「あ、は~い。わたしが言うね!」


 怪訝な表情を見せるティアナ達を前にリンニーが一歩進み出た。何事かと視線を向けた三人にリンニーは元気よく伝える。


「あのね、昨日からエステとウィンの二人と一緒に話していたんだけど、ティアナとタクミの願い、どちらかひとつを叶えようかなって思ったの~」


「誤解のないように言うと、別に意地悪してるわけじゃないのよ? 元々叶えるのが難しい望みだから、あたし達でもひとつがやっとだってことなんだからね!」


 リンニーの説明に不足があると思ったらしいエステが焦った様子で補足した。


 話を聞いたティアナとタクミは呆然とした。何か手がかりがあればと期待はしていたが、まさか願いを叶えてもらえるとは思っていなかったからだ。


 最初に立ち直ったティアナがリンニーに問いかける。


「私は男になることで、タクミは元の世界に帰ることですけど、本当に叶えられるのですか?」


「え~っとねぇ、精一杯頑張るよ~!」


「リンニー、あなたはちょっと黙っててちょうだい。ティアナ、多分できるとは思うんだけど、本当に叶えられるかどうかはまだ確信は持てないのよ」


「ああなるほど。ほとんどできないみたいに言っていましたものね」


「そうなの。やるとしても相当大変だから、期待はしてもらっても良いけど、過剰なのはちょっとね」


「できなかったらごめんないさいね~」


「いいからあなたは黙ってなさい!」


 怒られて落ち込んだリンニーをよそに、エステは更に言葉を続ける。


「それで、そっちの願いは二つだったから、どちらの願いを叶えるのか教えてくれない?」


「ひとつだけしか叶えられなくてごめんね~」


 話を聞いたティアナとタクミは顔を見合わせた。こんな形でお互いの願いを天秤にかけられるとは想像していなかったので、すぐに言葉が出てこない。


 横からアルマが声をかけてくる。


「で、どうするのよ? 予定だとタクミを優先することになるけど」


「そうですね。以前から言っていましたからね」


「でもいいの? ティアナの方は普通じゃ無理ってエステに言われてたじゃない」


 複雑な表情を浮かべたタクミが言葉を返す。それに対して、ティアナは苦笑いしながら答えた。


「最悪、俺の場合は願いが叶わなくてもこのまま生きていけばいいが、お前はそうもいかないだろ? こっちの世界は生きるだけで大変だからな」


「見た目はファンタジーまんまの世界だけど、実際に生きるとなると本当に死にやすいものね。日本に帰った方が絶対良いわよ」


「それに、転生して特別な能力を持っていたとしても、それで絶対安泰というわけでもなさそうだしな」


「破滅した転生者も二人ばかり見たことがあるものね。あたし達も原因のひとつだけど」


 男の口調に戻ったティアナに続いてアルマも促す。それに対してタクミはうなずくだけだった。


 その様子を見たティアナが女神二人に顔を向ける。


「ということで、タクミの願いを叶えてやってくれないか?」


「え、あ、うん。わかったわ」


「ティアナ、口調がさっきまでと全然違うわね~」


 あまりの変貌にリンニーとエステは願い事そっちのけで驚いている。


 ここでようやく自分の口調に気がついたティアナは笑った。


「ありゃ、気が抜けたかな」


「それが前世の記憶の方なのね。人格も変わってるの?」


「いやそこまでは。外向きと内向きで態度を変えてるだけだよ」


「それじゃ、わたし達はやっと本当の仲間になったってことよね~!」


 両手を合わせてリンニーが嬉しそうにする。


 そう言えば、いつの間にか女神二人に対する距離感がほとんどなくなっていたことにティアナは気がついた。そして、それは恐らく良いことなのだとも考える。


 以前から決めていたとおり、タクミはこちらに染まりきる前に元の世界に返さないと行けない。そのためにも、仲良くなった友人二人が助けてくれるというのなら、ティアナは遠慮なく力を借りよう決めた。

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