邪教徒の神殿

 王立学院の一角に聖堂がある。宗教施設なのは明らかなのだが、どの宗教の施設なのか誰も知らない。それでいて、その建物を大切に維持することだけは求められた。


 このような施設なので人が寄りつくことはまずなかった。夏休みなら尚更で、管理者でさえ滅多に近づかない。


 そんな聖堂の裏手から入る空き部屋の壁を削り続けて約三週間、カスパル達はようやく奥の部屋にたどり着いた。


 換気のために三日ほどそのままにして地下神殿の探索を始めたのが八月の上旬。貴族の子弟子女が戻ってくる時期を考えると、安心して探索できるのは二十日もない。


 換気の期間が明けると、カスパル達はすぐに地下神殿へと入った。


 調査隊はカスパルを中心に前後三名ずつ一列縦隊で並んでいる。そのうち、先頭と最後尾は完全武装の傭兵だ。残りのうち二人が助手、もう二人が作業員だった。


 四つの松明が照らす周囲へと顔を巡らしながらカスパルが眉をひそめる。


「これは、広さはともかく、思ったよりも状態が悪いな」


 大の大人が両手をいっぱいに広げても余裕で三人は並ぶことができ、天井は大人二人分以上の高さだ。しかし、その石造りの通路はあちこちが破損しており、歩きにくい。


「道が崩れて帰れなくなるなんてことはゴメンだぜ」


 背後を歩いている作業員の独り言がカスパルの耳に届く。こういうつぶやきはどこでもよく聞くのでカスパルは聞き流した。


 初日の今日は地下神殿の一階部分をざっと巡る予定だ。ヘルゲから与えられた模写地図と実際の通路がどの程度一致しているか確認するためである。地下神殿は割と大きいようなので、まず地図の信頼性を把握しておきたかったのだ。


「神殿とは聞いていたが、思っていた様子とは全然違うな」


 今のところは石造りの通路が縦横に延び、その脇に様々な部屋がつながっているのが見える。カスパルの印象では、神殿と言うよりも地下街と呼んだ方がしっくりとした。


 隊長の独り言を拾った助手の一人が口を開く。


「もしかしたら、各地からやって来た信者のための居住区かもしれませんね」


「そうだな。地図を見る限り大きな神殿のようだから、そういった施設も必要だったのかもしれん」


 かなり風化が進んでいるとはいえ、今のところは自分の常識の範囲内のものばかりなのでカスパルは落ち着いている。


「周囲に何か珍しい物があったら遠慮なく言ってくれ。金目の物だからといって、黙って懐に入れないように。必ず最初は私に見せるんだぞ」


 隊長の注意に隊員からの苦笑交じりな返事があった。遺跡の発掘では良くあることだが、そのせいで大切な発見の機会を失うわけにはいかない。


 今のところはカスパルの興味を引くような物はない。これは二階以降に期待かなと思いながら調査を続けた。


 二日目以降もカスパルの調査は続く。朝一番に地下神殿に入り、夕方から夜にかけて戻ってきた。また、毎回ゲオルクにその日の成果を報告し、持ち帰った物を見せる。


 与えられた地図によると神殿は五層から成っている。下に行くほど徐々に狭くなっているようだが、それでも各階層はかなり広い。


 カスパル個人としては一層ごとに丁寧な調査をしたいところだが、それを我慢してヘルゲの求める最下層の祭壇へとできるだけ早く向かおうとした。


 そうして第二層で新たな発見をした。複数の生き物の骨を見つけたのだ。


 大きさは人間と同じが一回り大きいくらいで骨の形は人間と似ている。しかし、頭蓋骨の形状が違ったり、手足の指先から鉤爪のようなものが伸びているなど差異が多々あった。


 一体だけ持ち帰ってゲオルクにも見せたが、専門外の遺跡卿もさっぱりである。


「地下神殿は邪教徒の施設だと聞いていたが、さすがにこれは邪教徒の骨ではないよな?」


「恐らくは。もしかしたら、邪教徒が飼育していた生き物かもしれません」


「人間に似た生き物をか? ぞっとしない話だな。さすがに邪教徒と呼ばれるだけあって、まともではなさそうだ」


 渋い顔をしたゲオルクがかつての邪教徒を評した。


 新発見に興味が尽きないカスパルだったが、そちらへの好奇心を我慢して第三層へと向かう。しかし、そこで調査していると体調が思わしくなくなった。しかもカスパル一人ではなく、隊員全員の体調が悪化していたのだ。


「この大事なときに、なんという不覚。空気が澱んでいたのか?」


 松明はいつも通り使えていたので平気だとカスパルは考えていたが、案外駄目だったのかもしれないと思い直す。


 結局、三日目の調査は途中で打ち切り、四日目は地下神殿へは入らなかった。


 五日目、第三層に立っても平気だったので調査を再開する。この階層にもあちらこちらに骨が散在していた。しかもその数は第二層よりも多い。


 ともかく先に急ぐことにしたカスパルは第四層へと降りた。そしてすぐに顔をしかめる。


「なんだ、この臭いは?」


「やたらとムカつく臭いっすね。死臭とは違うようですが」


 先頭を歩く傭兵が言葉を返してきた。熟練者であると聞いていたカスパルはその発言を信じる。しかしそうなると、何の臭いなのかがわからない。


 我慢して進むと、通路や部屋のあちこちに多数の骨が散乱しているをすぐに見つけた。


「どの骨も人間の大人以上ばかりだな。動物か魔物でも飼育していたのか?」


 第三層より数も種類も増えた骨を見てカスパルは首をかしげたが、本当はどうだったのかまったくわからない。


 しかし、調査はそこまでだった。またしても全員気分が悪くなったからだ。しかも前回よりも体調は悪く、助手の一人は嘔吐する始末である。


 これ以上の調査はできないと判断したカスパルは二度目の中断を余儀なくされた。


 七日目、再び体調が元に戻ったカスパル達は第四層へと足を踏み入れた。


「あの嫌な臭いを嗅がなくても済むのか。これは好都合」


 安心したカスパル達は奥へと進んでゆく。前回は体調不良で骨を持ち帰れなかったが、ゲオルクに報告は済ませてある。眉をひそめて不安がっていたが今更止められない。


 この頃になると、カスパルはなぜか無性に第五層へと降りたくて仕方なくなっていた。以前までは興味のあった周囲に目を向けなくなっている。それは他の隊員達も同じで、傭兵も、助手も、作業員も、目を輝かせて歩いていた。


 相変わらず周囲は石造りであり、崩れそうな様子も変わりない。よく今まで崩れなかったなと感心するくらいだ。


 地図を神経質に確認し、ひたすら歩き続けたカスパル達はついに最下層へと降り立った。


 第五層も今までと同じ雰囲気の作りだが、その最奥だけはわずかに違う。通路の奥には扉があるのだが、壁や天井の傷み方が今までよりもましなのだ。


「この奥に邪教徒の祭壇があり、そこには人知を超える力を授ける何かがあるらしい」


 周囲と地図を確認し終えたカスパルは独りごちた。


 体調不良となりながらも、一週間かけてようやくここまでたどり着けたことにパスカルは頬を緩める。


「扉を開けるんだ」


 背後からついてきていた作業員二人にカスパルが声をかけた。その言葉にすぐさま応じた二人が扉まで進み出る。そして、躊躇うことなく扉を押し開けた。


 扉の奥は広い空間になっているようだった。しかし、明かりは松明だけのため、扉の向こう側がどうなっているかはわからない。


 しかし、今更引き返す気などカスパルにはない。恐れることなく扉の向こう側にいこうとした。


 そのとき、生ぬるい、あの死臭とも違う強烈な臭いがカスパル達調査隊を包み込む。その瞬間、全員の意識が途切れた。


 まぶたにかかる明るい日差しがカスパルの目を刺激する。頭の中がぼんやりとしたまま目を開けると、ゲオルクの部下として与えられている寝台に寝ていた。


「私は、一体?」


 頭が覚醒するにつれて最後の光景を思い出そうとする。全身が妙にけだるい。


「扉を開けて、中に入ろうとして」


「カスパル様、ゲオルク様がお呼びです」


「わかった、今行く」


 体の調子は良くないが、主人に呼ばれているのなら急がなくてはならない。


 身なりを整えてゲオルクの部屋に入ると主人に声をかけられた。


「眠ったばかりのところ悪いな。明け方近くまで戻って来ないなんて初めてのことだったから、早く報告を聞いておきたかったんだ」


「構いません。どうも眠りが浅かったようで、先程目を覚ましたところです。それで、昨日の調査ですが」


 一呼吸をおいて、カスパルは覚えていることをゲオルクに話す。覚えているのは最奥の扉を開けたところまでだ。


「そうして扉を開けたところ、なんとも言えないそよ風が吹いてきまして、私達はまたしても体調を崩してしまったのです。それで、急いで戻って参りました」


「やはりそういうことか。しかし、戻ってくるのに随分と時間がかかったように思うが」


「最初はあまりにも体調が悪く、第四層で一旦休んでいたのですよ」


「面倒なことばかりが起きるな。それで、扉の奥に祭壇はあったのか?」


「それが、中には入っていないのでわかりません」


 話を聞いたゲオルクはため息をついた。元々疑問に思っていた任務なので、カスパルの報告を聞く度に不安が大きくなるばかりだ。


 一方のカスパルは記憶が途切れた後の話を平然とした自分に内心驚く。しかし、その驚きは表情には表れず、ゲオルクに訂正する気にもなれなかった。


 こうして、第五層であったことは前の二回と似たようなものとして結論づけられる。そのおかげで調査が続行ということになり、カスパルは心底安心した。


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 十日目、カスパルは再び地下神殿の最も奥にある扉の前に立っていた。扉は既に開け放たれており、その奥は漆黒だ。


「ここに祭壇があるのなら、この部屋はさしずめ祭室だな」


 機嫌良く独りごちたカスパルは他の隊員と共に扉の奥へと踏み込む。そこは、今までで最も大きな室内だった。天井までの高さも意外にある。


 奥へと進んでゆくと、松明によって天井や床以外にも柱や彫像の土台が照らされる。どれも痛んでいたり破壊されているが、往時は立派だったことをうかがわせる様相だ。


 他にも、他の階層と同じく多数の骨が散乱していた。


 カスパルはその様子を視界に入れるが興味を示さない。十日前ならば確実に近寄ってあれこれと調べていたはずなのに。


「あった、これが祭壇か!」


 祭室の奥まったところに、周囲とは異なりまったく経年劣化しているようには見えない石の祭壇が姿を現した。


 床より一段段差があって高くなっている場所が祭室の奥にあり、その中央に大人が十人くらい横になれそうな台座が腰の高さまでせり上がっている。そこから禍々しい形の樹木を模した石像が天井近くまで伸びていた。


 また、台座と樹木の接合部分に人間の頭大の黒い玉がはめ込まれている。


「これが封印されたいにしえの神の力か」


 台座に近づいたカスパルは恐る恐るその黒い玉に触れてみる。すると、磨き上げられた石というよりは滑らかな皮膚のような感触がして驚いた。しかもほのかに温かい。


 更にカスパルの頭に言葉が流れ込んでくると同時に、強烈な使命感をかき立てられた。


 黒い玉を手にしたままのカスパルが血走った目で正面をながめる。


「我が信ずるは己の欲望。我が望みは他者の不幸。世に悲しみを振りまくため、我は解き放つ。偉大なる我が主よ、我に闇を与え給え」


 カスパルがつぶやくと、黒い玉が黒く輝いた。そして、台座の上にある禍々しい形の樹木が黒く変化し、特に枝葉の部分が微妙に怪しく揺れ動く。


 黒い玉から手を離したカスパルは呆然としながら後ろによろめいた。先程まであった強烈な使命感はもうない。


「一体何が起こっている!?」


 今回の調査ではもちろん地下神殿の最奥にある祭壇まで到達するのが目的であった。しかし、あくまでも今回は祭壇の確認だけだ。ましてや得体の知れない物を開放させる方法などカスパルは許可されていないし、知らなかった。


 やがて、黒く輝く何かの奔流が玉からあふれ出す。恐怖を感じたカスパルは慌てて後退したが、同時に背後から悲鳴を聞いた。


 振り返ると、作業員の一人が人間とも魔物ともつかない者に取り押さえられ、はらわたを食われていた。周囲では傭兵が別の半人半魔の生き物と戦っている。


「なんだこれは! こんなことになるなんて聞いていないぞ!?」


 次第に胸が苦しくなり、呼吸が荒くなる。


 新たにやって来た半人半魔の生き物がカスパルへと一目散に襲いかかってきた。


 その醜い姿にカスパルは悲鳴を上げる。同時に床を転がるように横へと逃げたために相手の牙から逃れることができた。


 カスパルを襲った半人半魔は勢い余って台座にぶつかる。すると、禍々しい形の樹木の枝が伸び、その生き物を突き刺した。最初はもがいて抵抗していた半人半魔だったが、すぐに干からびて崩れ落ちる。


 その様子を見ていたカスパルの理性は限界を超えた。恥も外聞もなく大きな悲鳴を上げて駆け出す。もはやまともに周囲など見えていない。


 狂乱したカスパルが逃げた後、最後まで生き残っていた傭兵も禍々しい形の樹木の枝に貫かれて絶命する。そして、すぐに干からびた。


 残った多数の半人半魔の生き物は出口を求めてカスパルに続く。


 祭壇では、禍々しい形の樹木の根元で黒い玉が黒い奔流を吐き出している。まるで、長年の鬱憤を晴らすかのようだった。

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