落ちていく芋虫と止まる芋虫
御神木をまるごと包んだウィンの風の膜によって、ビテレ草の煙は外周からゆっくりと巨木の頂点へと集まってゆく。そうして風の膜内部の上方に煙が溜まっていった。
上の部分が煙の色で次第に不透明になって来たところで、ティアナはウィンへと声をかける。
「ウィン、上の煙を御神木頂点から吹き付けて! ゆっくりですよ!」
「わかった!」
ここまで問題なく作業が進んできたので、ティアナは第二段階の工程に進むことにした。
四方へ拡散せずに膜内部にとどまり続ける煙が、ウィンの操る風によって御神木の上部へと流れ込んでゆく。強風を使わないのは御神木の枝葉を守るためだ。
ビテレ草の煙が御神木に流れてしばらくするとエステが反応した。
「あ、うそ!? 芋虫が下に逃げてる!」
「本当に!? やったじゃない、エステ!」
「いける。このまま煙を御神木全体に吹き付けたら芋虫を追い払えるわ!」
歓声を上げる女神二人を見ながら、ティアナは壁の内側で待機させていた精霊に上昇してもらうことにした。上がるほどに虫が慌てていたり苦しんでいたりするのが見える。
ただ、真ん中辺りより下にいる大きな芋虫の動きは鈍い。体が大きいから耐性がその分だけ強いのではとティアナは推測した。
首をかしげたティアナは喜んでいるエステへと声をかける。
「土の人形に乾燥させたビテレ草を追加してもらえませんか?」
「わかったわ! どんどん入れるわね!」
「待ってください。間をおいてゆっくりと追加してくださいね。いっぺんに入れてもなかなか燃えませんから」
順調に煙が湧き出ている今、できるだけ煙を絶やすわけにはいかない。もちろん壁の内周で燃えているビテレ草がなくなってはいけないが、燃やすのは一定量であることが望ましいからだ。
「みんな、時間をかけてビテレ草を投げていって!」
エステの命を受けた土人形が、持っていたビテレ草の塊を燃えている虫除けの草の上に落とす。落下中にほどよくばらけた塊は、しばらくして次々と煙を噴き上げた。
こうして新たに煙の供給源を得た風の膜の中は更に煙で不透明になっていった。それにつれて煙の充満する空間の底が少しずつ下がっていく。
小さな芋虫は慌てたように下へ下へと降りてゆき、逃げ場を失ったものは苦しさのあまりのたうち回りながら飛び降りていた。
その様子をエステは御神木を通して上機嫌に眺めている。
「このときをどんなに待ちわびたことか。やっとあの不快な感触ともおさらばよ!」
「エステ、さっきから気になっていたんだけどいいかな~?」
「どうしたの?」
「芋虫の不快な感触があるってことは、虫除けの草の煙は煙たくないの~?」
「煙たいっていえば煙たいけど、一日くらいなら我慢できるわよ。あの芋虫を追い払えるのならね」
「やっぱり煙たいんだ~」
御神木とエステを見比べながら話をしていたリンニーは納得する。横で聞いていたティアナも地味に気になっていたことなので密かに耳をそばだてていた。
計画が順調に進んでいるように見えたティアナは、煙の充満する空間の底が下がるのに合わせて精霊を移動させた。まるで火災現場の中にいるようで不安になる光景である。
次々と芋虫が下に移っていく様子は不快でもあり愉快でもあったが、その中で気になることをひとつ見つけた。大きい芋虫ほど、その場に止まろうとしているのだ。
「どうして下に逃げないの?」
眉をひそめてティアナがつぶやく。もちろん下に避難する大きな芋虫もいるのだが、苦しんでいるのにその場から動かないものもいた。
難しい顔をしたティアナはエステへと声をかけた。
「エステ、その場に止まろうとしている大きな芋虫はどのくらいいますか?」
「え、そんなのいるの? あ、ほんとだ。そうね、ちらほらいるみたい。どうして下に行かないの?」
「さすがにそこまでは」
芋虫の考えていることまではわからないティアナは首を横に振った。
しばらく考えた末にティアナはウィンへと指示を出す。
「ウィン、煙の密度を特定の部分だけ上げられませんか?」
「できるかもしれないけど、他のところが薄くなるかもしれないよ?」
返事を聞いたティアナは迷う。下手なことをして芋虫に逃げ場を与えたくないと思うと、迂闊に現状を変化させられなかった。
どうするかティアナ迷う。風の膜やビテレ草の煙を現状維持とするなら別に対策を講じないといけない。
「タクミに殺してもらう? いえ、そもそもどうやって登るの? ウィンなら魔法で可能?」
自分の案が可能かティアナはウィンへと確認することにした。
「ウィン、タクミを御神木の中に魔法で運び込むことってできますか?」
「風の膜を維持したまま? いいけど、あの木の枝に乗せるだけでいいんだよね?」
「できるのですね、それじゃ」
「でも、あの中って今煙たいよ? 大丈夫?」
軽い感じで指摘されたティアナは口を閉ざす。御神木の中は今、虫除けの草の煙でいっぱいなことを思い出したのだ。視界は悪く、呼吸もしづらいことはすぐ想像できた。
「あの中でも目が見えるようにして、更に息ができるようにもできますか?」
「全部は無理。ティアナにならできるけどね。それだって、中に入らないとダメだよ。中にさえ入れたら、自分に魔法をかけるのと変わらないからできるけど」
すぐさま言い返されたティアナは眉をひそめた。
ティアナはエステに中の様子を確認した。
「その場から動かない大きな芋虫の様子はどうですか?」
「相変わらずね。どうやっても動かないみたい。もしかしたら動けないなのかも?」
「羽化しようとしているのなら厄介ですよね」
自分でも精霊を通して御神木の中の様子を見ていたティアナだったが意見は同じだ。
このまま放っておいても良いことはないと判断したティアナは決断する。
「仕方ありません。ウィン、私に憑依してください。御神木の中で下に避難しない芋虫を退治しに行きます!」
「え、あの中に行くの? これで芋虫は全部落ちるんじゃなかったの?」
「一部しぶとい芋虫がいるので、直接倒さないといけないのです」
「そっかぁ。大変だねー」
同情が混じった返事をしつつ、ウィンがティアナに近寄ってきた。
その間にティアナは今まで憑依してもらっていた精霊を解放する。それと入れ替わりにウィンが重なるとティアナは憑依させた。
「随分久しぶりな気がしますね」
『ホントだね。前はずっと中にいたのに』
「まぁそれはいいでしょう。ところで、これなら私の視界を確保して、呼吸もできるように魔法をかけられるのですよね?」
『できるよ。他には何かある?』
「以前みたいに、風の魔法で足下を浮かすことはできますか? 枝の上を歩くのはちょっと不安で」
『あー人間だと落ちたら大変だもんね』
「あとは、残った大きな芋虫の位置を正確に知りたいので、エステと連絡を取りたいのですが可能ですか?」
『えっと、こうかな?』
『え? なに? どうしたのよ、ウィン』
「頭に直接響くのですか! なるほど、あなたと同じ形で会話をすることになるのですね」
『ティアナ!? どうなってるのよ?』
自分の方を見て驚いているエステにティアナは手を振って応えた。同時に事情を話すとすぐに承知してくれる。
『そういうことなら構わないわよ。残ってる大きな芋虫の場所を教えたらいいのね?』
「ええ、お願いします。視界の悪い御神木の中だと目で探すのは大変ですから」
『これで全部かな?』
「はい。それでは、あの御神木の中に連れて行ってください。木の頂点から下へと潜っていく感じでね」
『わかった!』
ウィンの返事と共にティアナの体が宙に浮く。視界が上昇していくにつれて足場のない不安も増していくが、かつて空を飛んだとき程ではない。
御神木の頂点まで浮くとティアナの体はその頂点へと近づいていった。周囲の眺めは壮観だが今は気にしている余裕がない。
「上まで来ると改めて御神木の大きさがわかりますね。この中に残った芋虫をすべて駆除するとなると」
今になって相当時間がかかるのではということにティアナは思い至ったがもう遅い。足の裏のすぐ下は風の膜だ。
『下に降ろすよー』
「お願いします。エステ、今から御神木の中に入ります。次に呼びかけたときに、最寄りの残った大きな芋虫の場所を教えてください」
『わかったわ。待ってるわよ』
エステと連絡を取っている間にもティアナの体は風の膜の内側へと沈み込んでいく。
頭まで完全に膜の内側に入るとティアナは驚いた。ビテレ草の煙が充満しているため、視界が不明瞭な上に呼吸がしづらいからだ。
煙のせいで涙目になり、息が苦しくなったティアナはむせながらウィンに抗議した。
「ごほっ、ちょっと、どうして息がこんなにしづらいのですか! しかもよく見えない!」
『あれ、これじゃダメ? うーんと、それじゃもうちょっと、これならどう?』
「大分楽になりましたけど、ひどい目に遭いましたよ。まだ煙り臭いのは仕方ないのでしょうね」
『これ以上は周りに影響が出ちゃうよ。ティアナの周りに煙が来ないように風で散らしてるから、強くするとそれだけティアナの周りは煙が薄くなっちゃうもん』
「となると視界もこれ以上は期待できませんか。思ったよりもエステ頼みになりそうですね」
『こっちは期待してくれていいわ! あんたが御神木に取り付いたのはわかってるんだから! 早速行くなら教えるわよ!』
ようやく落ち着いたティアナにエステからの返事が届いた。
待っていても良いことはないのでティアナは大きな芋虫がいる場所を教えてもらう。
御神木の幹に手を添えながらティアナはウィンにゆっくりと下に降ろしてもらった。そもそも高所を移動する自信がないので御神木内での移動はウィン頼みである。
「やっぱり視界が悪いと相当近寄らないと見えないですね。でも、暴れている大きな芋虫を至近距離でしか確認できないというのは相当危険では、あれ?」
『どうしたの? 芋虫はその先にいるけど、もう少し距離はあるわよ?』
エステの言葉を無視してティアナは眉を寄せて正面を見続けた。前方の少し先に、暗い緑の蛍光色をした物体がのたうち回っているのが見えたからだ。
思わすティアナはウィンへと話しかける。
「もしかして、あなたって生き物が光って見えるの?」
『うん。多分人間と同じ見え方はしてないと思うよ。でも、ちゃんと見えてるでしょ?』
「ええまぁ」
てっきり煙がないかのような明瞭な視界を得られると思っていたティアナは、ウィンが人間とはまるっきり違う存在だと改めて知る。
しかし、これはこれで便利だ。周囲の枝葉に芋虫の輪郭が紛れることなくはっきりと見えるので対処しやすい。
大きな芋虫に近づくにつれて枝の揺れが大きくなる。風の魔法で浮いているティアナに影響はないが、揺れる葉のせいで空気が攪乱されて煙が微妙に薄くなっていた。
剣を抜いたティアナは暴れる大きな芋虫へと更に近づく。周囲を警戒する余裕がないのか、ティアナが近寄っても反応に変化がない。
それならば好都合とティアナは斬りかかる。以前タクミの話していた通り、大きな芋虫の体は剣によってあっさりと切り裂かれた。
不快な鳴き声と共に更に暴れる大きな芋虫を更にティアナは斬りつける。跳ね飛ばされないように気をつけているせいで若干腰が引けているが、それでも効果はあった。
大量の体液を吹き出した大きな芋虫の動きが急に弱る。そうして、三度目の攻撃でまったく動かなくなった。
「倒すのは難しくないですが、ちょっと面倒ですね」
『どうして枝の上にこだわってるの? 別に好きなところから攻撃したらいいと思うんだけど』
「え? でもそんなことをしたら、私が下に落ちちゃうじゃないですか」
『ボクの風の魔法で浮いてるんだから落ちないよ』
ウィンに指摘されたティアナが絶句する。風の魔法で自分を宙に浮かせるようウィンに指示したのに、枝の上を歩かないといけないと思い込んでいたことに気付いたからだ。
「そう言えば、別にどこからでも攻撃できますよね。ウィンがいないときの癖が染みついてしまっていたようです」
『あーそれはしょうがないねー。でも、今は大丈夫だよ。落ちないから好きなところを歩けるから』
「それならかなり楽になりますね」
いささか拍子抜けした声色でティアナが答える。しかし、これで作業が大分楽になった。
「エステ、最初の芋虫は片付きました。次をお願いします」
『わかったわ。そこからだと近いのは』
ずっと呆けていても仕方ないので、気合いを入れ直してティアナは指示を受ける。
エステからの説明を聞いたティアナは急いで次の大きな芋虫の場所へと向かった。
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