己の望み

 アーベント王国のフリッツ伯爵家にマリーは三女として生まれた。幼い頃から貴族の子女としての教育を叩き込まれたマリーは、それによく適応して成長する。


 また、何をしてもそつなくこなすことから、マリーは自分がとても優秀なのだと思うようにもなった。だからこそ、自分には相応の良い生活を送る資格があると思うようになる。


 大人になったマリーは首尾良く侍女として採用されて王宮へと乗り込んだが、現実の厳しさに愕然とする。実際に働いてみると自分以上の才女が同僚にいくらでもいたからだ。


「こんな、こんなはずでは」


 別に落ちこぼれというわけではない。何でもそつなくこなすので周囲の評価は悪くなかった。しかし、マリーは王宮で良くも悪くも平均的、その他大勢の一人だったのだ。


 そうしてようやくマリーは気付く。王宮の侍女ともなるとその国で最も優秀な子女が選ばれる。そんな頂点の集団では自分も平凡な一人でしかないということに。


 ここで気持ちを切り替えていれば、その後は可もなく不可もなく平穏に暮らせていただろう。しかし、それまでの自分の認識は簡単に変えられなかった。


 何か他の侍女よりも優秀だと認めてもらえるようなことはできないかとマリーは探し回り、国王の一派とダンケルマイヤー侯爵の一派が争っていること目を付ける。


「これで功績を立てれば、他の者と一線を画すことができる」


 ようやく見いだせた突破口にマリーは飛びついた。関係者の様子を探り、機会を窺い、そして行動する。


 最初は噂話を集めるところから始めて知り合いを作った。次はこれはと思う人物に積極的に話しかけて情報を得ようとした。


 こうした動きが実を結び、マリーはやがてヴィクトール国王の目にとまる。そうしてダンケルマイヤー侯爵の一派への活動を更に積極的に進めようとした。


 しかし、その矢先に問題を起こしてしまった。貴族の邸宅のある地域でヨーゼフと諍いを起こした件である。


 当初の計画では、ダンケルマイヤー侯爵の力の一端を担っているとされるヨーゼフに近づき、様々な有力情報を引き出すはずだった。


 ところが、ヨーゼフがマリーの美貌に参ってしまい、予想外にも迫ってきてしまったのだ。今までこんなことを経験したことのなかったマリーは半ば恐慌状態に陥ってしまう。


「なんという失態! このままでは無能の烙印を押されてしまう!」


 どうにか難を逃れたマリーだったが、失態といえども報告はしなければならない。なんと取り繕おうかと考えているときに、自分を助けたティアナの言葉を思い出す。


「確か、あのティアナという女は、ブルクハルト様の名を挙げていましたね。これは使えるのでは?」


 ブルクハルトの単なる顧客ではなさそうな様子だったあの銀髪の美少女を思い出しつつ、マリーは次の手を考える。


 元々醜いものが大嫌いなマリーは、背は低く小太りな上に陰湿そうな顔つきのヨーゼフにはもう近づきたくなかった。そこでティアナを利用することを思いつく。


「叡智の塔で魔法使いに何かを依頼するくらいならば、ヨーゼフに近づくことも容易なはず。ならば、いっそあの者を利用するようヴィクトール陛下へ進言しましょう」


 考えをまとめたマリーは次の目処を付けると、自分の失敗を報告するも同時に次の手立ても進言した。一抹の不安を抱えていたマリーだったが、幸い思惑通りに事は進む。


 そうしてマリーはすぐにティアナと再会する。平民は貴族を支えるのが義務と考えているマリーは、最初は平民のティアナを使い捨てにするつもりだった。


 余裕の態度で臨んだマリーだったが、ここで思わぬことを知ってしまう。


「身分を詐称するのは大罪ですよ。それに、貴族の子女が流浪するなどまともでは」


「いいえ、詐称などしていません。ガイストブルク王国の王女エルネスティーネ・シャルフェンベルク様が、この身の保証をしてくださっております」


 ティアナの反論を聞いてマリーは固まる。うそだと思いたかったマリーは証明するように求めると、ティアナは本物の書状を持ち出してきた。


 貴族であることを誇りに思っているマリーにとって貴族の秩序は絶対だ。外国の王女の後ろ盾がある貴族子女を無碍に扱うことは許されない。


 こんなはずではなかったとマリーは内心でほぞを噛む。簡単には使い捨てにできなくなってしまった。


 今後どうするべきかマリーは体を震わせながらも考える。下手な扱いをすると今度は自分が切り捨てられてしまう。それは絶対に避けなければいけなかった。


 どうにか最低限は立ち直ると、マリーは何とかその後の打ち合わせを続けた。うまく立ち回らなければならないが、成功すれば見返りは大きいと自分に言い聞かせる。


 顔合わせが終わり王宮に戻ってからもマリーの表情は厳しいままだった。すっかり日の暮れた暗い自室で一人、マリーは言葉を漏らす。


「どうせやるしかないのなら、徹底的にやらないといけませんよね」


 どれだけ考えてももう後戻りはできない。


 時間の経過と共に気分が落ち着いてきたマリーはようやく覚悟を決めた。


-----


 ヨーゼフが生まれたオイゲン男爵家は割と裕福な家だった。母が商家の娘だったので実家の支援を受けることができたからだ。そのおかげか両親の仲はとても良かった。


 三男として生まれたヨーゼフはそんな家庭に生まれて良かったと心底思っていた。何しろ前世は両親の不和で散々苦労したからだ。


 そう、ヨーゼフは前世の記憶があった。物心付いたときには前世の記憶もあったのだ。小さい頃から今度こそ人生を謳歌するという決意に満ちていた。


 何をするにもまず知識だと本を読み漁り、魔法の才能があるとわかると必死に練習した。特に何かを作ることが好きなヨーゼフは、前世の記憶も利用して様々な物を作っていく。


 やがてヨーゼフは九歳のときに叡智の塔へと招かれて、更に研究を重ねて成果を上げていった。そしてついに、ダンケルマイヤー侯爵の目にとまったのである。


「その才能を私のために使わないか? 見返りは充分に与えよう」


 叡智の塔でも成功している方だったヨーゼフだったが、研究規模の拡大に伴い当時は資金繰りに困っていた。そこへこの誘いである。ヨーゼフには渡りに船だった。


 ダンケルマイヤー侯爵の支援を得たヨーゼフはより一層の研究に打ち込む。もちろん失敗も多数あったが、成功がそれを補ってくれた。


 ただ、もちろんヨーゼフは自分の研究だけをしていたわけではない。ダンケルマイヤー侯爵の要請に応じて研究もしていた。


 その中のひとつに銀の腕輪の研究があった。兵士の能力を向上させる魔法の道具を開発するように命じられたのだ。前世のゲームなどの知識を参考にヨーゼフは研究を始める。


 結果はまだ完全に出ていない。性能面はともかく、使用者の命を消費しすぎる問題を抱えているのだ。今も研究は続けており、その成果はもうすぐ出るところである。


 このように研究を繰り返し、結果を出した場合、ヨーゼフに多額の金銭がもたらされた。ダンケルマイヤー侯爵からの成功報酬と自分の研究成果を売却した利益だ。


 この金銭の額にヨーゼフは狂喜する。自分の才能がもたらした結果に震えた。


「すごい! やっぱりぼくって天才なんだ! やればできるんだ!」


 単に成功するだけでなく大きな利益も得ていると知られると、周囲から羨望と嫉妬のまなざしが向けられた。最初こそ慣れなかったものの、今では当然と受け止めている。


 更に、そのおこぼれに預かろうと様々な者達が近づいてきた。結果の出ない魔法使い、口のうまい商売人、見目麗しい子女など、今までヨーゼフに見向きもしなかった者達だ。


「成功したら何でも手に入る。いや、成功して大金が手に入ると、なんでもできる!」


 ようやく今までの努力が報われたとヨーゼフが思ったのがこの時期だった。


 しかし、本当にすべてがヨーゼフの思い通りになったわけではない。


 まず研究だ。取り組む課題が難しい程失敗が多くなる。ただし、これはヨーゼフにとって当たり前のことなので特に何とも思っていない。


 次に人間関係である。元々ヨーゼフにとっては苦手な分野だ。今もうまくいかないことはあるが、最近は相手が合わせてくれるようになってきたので困ることは少なくなった。


 最後に権力だ。今は多額の援助を受けているので多大な利益をもたらしてくれているが、刃を向けられたときの怖さをヨーゼフは知っている。今後の課題だ。


「これからは、ぼくの地位を確固たるものにしなきゃ。いつまでも命令されて、へこへこしているようじゃ不安で仕方ないもんな」


 このようにいずれは独立を目論んでいるヨーゼフではあったが、具体的なことは何も思いついていない。


 そんなある日、王宮の侍女マリーから接触されてヨーゼフは驚いた。


 ダンケルマイヤー侯爵への所用を終えて帰ろうとしたところ、王宮の廊下で呼び止められたのだ。


「あなたがあのご高名なヨーゼフ・オイゲン様ですか? お噂はかねがね聞いております」


 苺色の混じった金髪で鳶色の瞳をした美女に呼び止められ、そこで散々賞賛されたヨーゼフは舞い上がった。


 それから何度かマリーと会ううちにヨーゼフは好意を寄せるようになる。


 やがて気持ちを抑えられなくなったヨーゼフは、先日マリーを王城の近くに重要な話があると呼び出して迫った。そしてティアナに仲裁に入られて現在に至る。


 あれ以来、叡智の塔にある自分の研究室に戻っていたヨーゼフは、先日の件をまだ引きずっていた。


「くそう、あの女、邪魔しやがって」


 今から思い返してみるとあの迫り方では駄目だということはヨーゼフもわかる。しかし、だからといって邪魔されたことの恨みは消えない。


 ただ同時に、ティアナの護衛らしい髪も瞳も黒い少年のことを思い出すとその恨みも弱くなる。


「タクミって呼ばれてたよな。まるで日本人の名前みたいじゃないか」


 自分は転生したので他にも転生者がいる可能性はヨーゼフも考えたことはある。しかし、直接やって来る転移者については考えたことはなかった。


「もし転移者だとしたら、なんであの女と一緒にいるんだ?」


 いくら首をひねってもヨーゼフに理由はわからない。異世界に勇者が召喚されるという漫画ならヨーゼフも前世で呼んだことはあるものの、そのようにも見えなかった。


 もし何らかの理由で本当に日本から転移してきたのであれば、ヨーゼフとしては色々と聞きたいことがあった。自分が転生してもう二十年以上経過しているので、その後の技術的進歩などを知ることができるのなら聞いておきたいのだ。


「何とかあのタクミって子と話ができないかなぁ」


 そうなるとタクミの主人らしいティアナと会わないといけないが、目的を達成するために負の感情を抑えることくらいはヨーゼフにもできる。


 調査が終わるまではこの国に滞在するというティアナの言葉を思い出したヨーゼフは、その間にどうにかタクミと話す機会が得られないかと考えた。


-----


 同僚と護衛任務を交代したカミルは、ダンケルマイヤー侯爵邸の一角にある宿舎の一室で休んでいた。


 殺風景な室内には最低限の生活用品しかないが、唯一酒瓶だけが例外だった。封の開いているものも開いていないものも室内に多数置いてある。


 既に後は寝るだけのカミルは未開封の瓶を一本手に取り、無造作に開けて直接口に付けた。すっかり慣れた酒精が胃に流れ込む感触を楽しむ。


「はぁ、うめぇ」


 わずかに表情を緩めたカミルが瓶から口を離して言葉を吐き出す。


 数ヵ月前まではまだ残っていた子供っぽさはその顔から抜け落ち、今では粗暴さが相に現れていた。その顔が微妙に歪む。


「まさかあいつらにまた会うとはな」


 ため息をひとつつくと、カミルは再び酒瓶を呷る。


 祖国にいた頃のカミルは大体順風満帆な人生を送っていた。フリック伯爵家の次男として生まれ、剣技の才能に恵まれて騎士団に入ることを目指していた。


 社交性も人並みにはあったので仲間もいた。中でも王族と友人になれたのは幸運だった。将来社交界で優位な立場にいられるからだ。


 そんな幼少期の総仕上げとして王立学院で更なる飛躍を狙っていたカミルだったが、ここから人生の転落が始まる。


 最初はとある子爵令嬢に入れ込んだことだ。幸い憑依体質のある娘だったので袖にされて結果的に正解だったが、カミルには面白くない出来事だった。


 次に、翌年別の男爵令嬢に入れ込む。こちらはある程度近づけたが、何しろ友人の王子をはじめ、競争相手が多くて気が休まらなかった。


 ところが、それが命取りとなる。何と王子が婚約者の公爵令嬢と婚約破棄したことに巻き込まれてしまったのだ。そのせいでカミルは実家から勘当されてしまう。


 更に、子爵令嬢の使用人の女に投げ飛ばされたことが周囲の物笑いの種となり、祖国にいられなくなってしまった。


 そこから先の流浪の旅はカミルにとって悲惨だった。何不自由なく生活していた貴族の子弟が、いきなり世間に放り出されてまともに生活できるはずがない。


 まとまった手切れ金を渡されたカミルは旅を始めるが、そもそもまともな金銭の使い方など知らないので、すぐに一文無しになってしまう。


 働こうとしても、カミルの望むような働き口には紹介状が必要だった。しかし、そのようなものを持っていなかったカミルは、真っ当なところで相手にされなかった。


 さりとて人足のような仕事には耐えられなかったため、カミルは酒場の用心棒などをしてどうにか糊口を凌ぎつつ、町から町へと旅を続けた。


 転機が訪れたのはアーベント王国に着いてからだった。たまたまダンケルマイヤー侯爵領に立ち寄り、偶然腕の立つ者を募集していることを知って応募したのだ。採用試験に合格したカミルは、ここでようやく仕官することができたのである。


 ここからは再び上り調子の人生となる。腕に覚えのあったカミルはその実力を示し、ダンケルマイヤー侯爵配下の騎士団で頭角を現してきたのだ。


 そんなときに、偶然王都内でティアナの姿を見かけてしまう。更にその隣に立っていた平民女も見たときは冷静でいられなくなった。


「くそ、どうにも腹の虫が治まらねぇ」


 ティアナ達がどんな目的でアーベント王国へやって来たのかカミルは知らない。しかし、そんなものは関係なく、自分と同じくひどい目に遭わせてやりたいという思いが膨らむ。


 ところが、今はダンケルマイヤー侯爵に仕えている身なので自由に動けない。それがもどかしかった。


「あいつら、絶対に後悔させてやる!」


 どうにかならないものかと悩みながら、カミルはその後も寝るまで酒を呷り続けた。

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