第8話
「そりゃ何度も調律できるなら何度もしたほうがいいよ? でもさ、パーツによっては下手な調律師がいじりすぎるとひどくなっちゃうんだよね。例えば」
そのままキャリーケースの中からサロメは新品の卵型のハンマーを取り出し、フェルト部分を指先でいじる。
「弦を叩くハンマー。下手な調律師はちょうどいい打鍵点が見つけられず板ヤスリで削りすぎたり、音の硬さをほぐそうとして針を刺しすぎて音がボケる。結果、弦もハンマーも劣化しちゃうのよ」
まいったね、とサロメは苦笑いする。
「そうなっちゃったらもう大変。余計な費用がどんどん嵩むうえに、打鍵の感覚が変わって弾く人も練習になりゃしない。何度も調律師に来てもらってまたさらに費用が嵩む」
ま、そうなってくれるとあたしたちは潤うんだけどね、とあっけらかんとサロメは言い放つ。歩合制のため、やればやるほどお金は入ってくる。
ランベールは「余計なことは言うな」と視線で制している。
静観していたメラニーは、興奮した気持ちを落ち着けるため一度深呼吸し、物事を整理してから自分の気持ちを吐露する。だいぶ冷静さを取り戻した。
「言いたいことはわかりました。でもどうも詐欺師と同じ気がするのよね。うまく言いくるめて、高い金を取ろうとする」
言葉は整っているが、メラニーの考え方は変わっていない。それも仕方ないのかもしれない。まず、高い金額に見合った調律を今までに受けたことがない。その調律をされたピアノの音を聴いたことがない。
「あちゃー、こりゃ相当頭固いなー。なら」
Vサインをメラニーの目の前に突きつけてサロメは笑う。
「二時間ちょうだい」
突き出されたメラニーは、一歩、後ずさる。二時間居座る気か。
「二時間? どうするの?」
「決まってんじゃん」と、キャリーケースをあさり、自分用のチューニングハンマーを取り出した。かなり使い古した跡がある。
「今からこのピアノを調律する。それで満足できたら考えてくれませんかねー?」
ニコっと屈託のない笑顔を見せるサロメ。詐欺師と呼ばれても、まだ一〇代半ばでも、プロはプロ。お客様を満足させることが自分達の矜持。
対照的に、悪い魔女のような笑みを見せるメラニー。なにを言っても信じないだろう。
「たとえ満足できる出来だとしても、ダメだと私が言ったら?」
完全に詐欺師と決めつけているため、確信しているかのように勝ち誇って上からメラニーは見下ろす。心づもりは決まっている。絶対にダメと言うと。
うーん、と口を突き出して天井を見ながら思惟するサロメは、先ほどよりもさらに明るい笑顔で、
「その時は言い値でこっちも折れましょ。満足させられないのなら、それは調律師じゃない」
一切の迷いもなく返してくるサロメに、メラニーは一瞬たじろいだが、ひとつ咳払いをして承諾した。
「わかったわ。その時は考えましょう」
ありがとおばあちゃん、と孫にまたなりきり、さて、とサロメは腕をまくる。
おおよその傷み具合はわかっている。その中で無駄なくかつ正確に調律する。頭の中でシミュレートし、三次元でガヴォーのモデルTを作り上げる。今の時点での音の狂いは、鍵盤のロスは、重さや反応は。工程をひとつ進めるたびに全てをアップデートして理想の音に近づける。
心配そうに事の流れを見ていたランベールは、小声でサロメに囁く。
「おい、二時間でいけるのか? 相当古いぞこのピアノ」
「はぁ? 何言ってんだコイツ」というような顔をサロメは見返す。
「あんたも手伝うのよ。当たり前じゃない」
「俺もかよ。自分で全部やる風に言ってただろ」
顔をひきつって嫌気をランベールは見せる。さっきまで紅茶しばいてたくせに、いきなり変わり身やがって。
サロメはピアノを指差し、仕事を確認する。
「鍵盤調整、棚板調整、弦合わせにダンパーやらなにやら。ひとりでやって終わるわけないでしょ。片っ端からやるのよ」
「……ったく、こうなるか」
なんとなくサロメがやる気を出したときから嫌な予感はしていた。コイツはいつもそうだと思い返す。あまつさえ顧客とティータイム。そもそも今日だってここに来る前にハンバーガーのセットを食べてきたとか言っていた。気分屋でマイペース、だがそれでいて、
「……なんでこんなやつが、フランスでトップクラスの調律師なんだよ」
「あ? なんか悪口っぽいこと言った?」
「口じゃなく手を動かせ。急ぐぞ」
鍵盤のガタツキを調整するキープライヤーや、鍵盤の戻りを調整するキー穴こじりなどの道具を手際よく準備し、ランベールは意を決する。
「じゃ、やるわよ。あ、おばあちゃん、紅茶おかわりよろしくね」
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