エラール『No.0』
第17話
食の宝庫と言っても過言ではない大都会パリにおいて、『パリの胃袋』と呼ばれる場所を挙げるなら、二区にあるモントルグイユ通りを市民は思い浮かべる。かのクロード・モネも描いたこの通りは、様々なグルメが密集しており、さらにその先のプティ・カロー通りへと続く歩行者天国。フランスでは『新発売』というものが国を通してあまりないため、言い方を変えれば昔ながらの味をずっと守り続けていると言っていいだろう。
南北に五〇〇メートル伸びるこの商店街は、もともとパリの中央市場だったこともあり、美食が自然と集まる場所だったのだろう。パリで最古ともいわれるフランス菓子屋もあり、老若男女問わず、今も活気に溢れている。
そんな最古のお菓子屋で二人の少女がエクレアやマカロンをつまんでいる。ピアノ調律師サロメ・トトゥと友人のファニー・ダリューである。
「駅のストリートピアノってのは、動画配信で稼ごうって人とか、なんとなく目立ちたいって人にはちょうどいいのかもしれないけどさぁ」
不機嫌そうにエクレアにかじりつき、サロメは咀嚼する。フランスで最も影響力があると言われるガイド誌にて、『パリで一番優秀なエクレアである』とまで言われたエクレアだ。不機嫌で精神マイナス十点な状態でも、一瞬目を見開くほどに美味。やっぱニ区に来る楽しみはこれだよね、と内心思う。
「調律師から見るとどう?」
絶賛ダイエット中のファニーは、宣言していることとやっていることがズレている気もするが、彼女は至って真面目に『〇〇〇〇だからカロリーゼロ』を貫いている。マカロンはちなみに、上と下から挟んでいるからカロリーゼロだ。飲んでいるレモネードとシロップを混ぜたディアボロは、『マカロンと食べると甘さとスッキリさが合わさってカロリーゼロ』。
「バッカじゃないの、としか言えない」
吐き捨てるようにサロメは言う。
「例えば?」
実はそこまで興味はないが、一応ファニーは話に乗る。
「ピアノってのは、温度の変化に敏感、湿度にも敏感、直射日光なんてもっての外、鍵盤内部に虫が入る、落書きされたり壊される、その他ありすぎてピアノの破壊工作の一環としか思えないわね」
パリで一番のエクレアを食べ切ったまま、次のパウンドケーキに手が伸びてサロメは一瞬悩む。今日はコーラをやめてジュドランジュにしたが、やはりコーラの刺激が欲しい。このパウンドケーキも間違いなく美味しいだろう。なら一番優秀な食べ方をすべきと〇・五秒で考えてコーラを注文した。来るまで待とう。
「良い点は?」
「ないね」
バッサリとサロメは切り捨てる。しかし「あー……」と考え直し、
「普段、生のピアノを聴かない人にはいいんじゃない? でもそんな人がいきなりストリートピアノにハマってモーツァルト聴くようになるとは思えないけどね」
さっきからチラチラと店員を見ながらサロメはコーラを待つ。右手にはすでにパウンドケーキがあるため、あとは左手にコーラを持つだけ。
「でも身近になるって点ではいいんじゃない?」
「どうせSNSで『ストリートピアノです、イェーイ☆』で終わりよ。弾くわけでもなく、ただ承認欲求を満たしたいだけ」
コーラが来た。とりあえず今はストリートピアノなんてどうでもいいから、至福の時間を味わいたい。喉がケーキで詰まりそうになるのをコーラで流し込む。パリで一番優秀なパウンドケーキの称号をあげよう、とサロメは天に昇った。
「どんどん世の中はピアノから離れてっちゃうねぇ」
ピアノ、というファニーの声でサロメは我に返った。ここはフランス・パリニ区のお菓子屋さん。
「まぁ、なんちゃってピアニストが淘汰されていくだけで、私は別に困らないけど。ちゃんと弾かれて成長したピアノを調律する。これこそが至高のピアノ。ストリートピアノなんか知ったこっちゃないわよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます