ブリュートナー『クイーン・ヴィクトリア』
第77話
パリ四区のマレ地区。セーヌ右岸にある、高級ブティックなどが立ち並ぶ優雅な一帯。その高級な佇まいに目もくれず、目的の場所へ向かう道すがらでの出来事。
「なんかさー、おかしいと思わない?」
どこかでいつか店長に言われた台詞だ、とランベールは思い返した。それを今、隣を歩くサロメに言われた。こいつが口を開くとロクなことがない。聞き返すか悩んだ結果、無視する。
しかし、その無視を無視し、不満気な顔つきのサロメがそのまま喋る。
「グランドピアノの大半はヤマハってのは世界の常識なわけでしょ? あとはカワイ。高級すぎない、それでいて品質のいい癖の少ない弾きやすいピアノ」
黙って歩くランベールにカチンときたサロメは、「聞いてんの?」と肩からぶつかりにいく。
仕方ないので諦めてランベールは会話に参加する。その二社はショパンコンクールで使用されるほどのメーカーだ。なにか問題あるのだろうか。
「まぁ、そうだな。スタインウェイやファツィオリは台数が少ないぶん、コンクールとかに使われるイメージだ」
そしてこの四社が、世界最高のピアノコンクールである、ショパン国際ピアノコンクールで使用されるピアノになる。世界最高だけあって、審査を通過できるメーカーは限られている。どれも甲乙つけ難い、それぞれのオリジナリティあふれる音を持っているメーカー。
特にヤマハとカワイは、いい音なのにも関わらず、値段が他より手頃なこともあり、調律する機会は多い。スタインウェイはともかく、ファツィオリは年間でも製造される台数が少なく、出会うことはほとんどない。
しかし、そのことを重々理解しているサロメに、今回の調律には不信感を抱いている。その使用されているピアノのメーカーだ。
「ブリュートナーて。本国のドイツですら中々手に入らないものよ。全工程手作業。年間二〇〇台ほど。てか、最近のあたしってザウターやらグロトリアンやら、レアモノばっか引いてない? 誰か操作してんの?」
家庭などよりは、ホテルやホールで見かけるメーカー。そういった場所では、メーカー専属であったり、契約している調律師に仕事がまわることが多い。家に赴いて調律することの多い二人には、中々出会うことがない。
「してるとしたら店長か社長だろ。俺に言うな。俺だってブリュートナーは初めてだ」
出会えたとしても下位モデル。その場合、当然ながら、ブリュートナー本来の音色を出せているとは言い難い。だが、今回依頼があったのは、最上位のサイズ。ほぼ出会えない、見積もったこともないモデルなので、ランベールも少し緊張する。
弱気なランベールの心境を悟り、サロメは吐き捨てるように落胆する。
「かー、頼りない。今回は貴族様からの依頼なんでしょ? ミスってパリに住めなくなるなんてこと、やめてよ」
なったらどこに住もうかなー、と彼にプレッシャーを与える。海が見えるところがいいなー、など若干の旅行気分もまじえつつ。
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