第76話
「というか珍しいですね、レダさんが入ってるって。時間とれたんですか?」
フランスにおいて、個人事業主は登録と納税をしっかりすれば、副業は可能。そのため、他に本業があってもなにも問題はない。レダ・ゲンスブールは、まさにその恩恵を受けて、ここで副業をしている。
いつもは『時間ができたら』ふらりと現れるので、予測ができない。一ヶ月以上いないことも。だが、珍しいことに一二月二四日はすでに予定が組まれている。ロジェは「それなんだけど……」と、言葉が濁る。
「そのピアニストの子だけは特別でね。あまりにも特殊すぎて、レダくんしか調律できないんだ。特別に抜け出して駆けつけてくれるらしい」
寝ていたはずのサロメの耳が、ピクっと動く。
「あたしでも無理と?」
なにやら穏やかじゃないことを。ならやってやろうじゃない、というオーラを纏う。
しかし、サロメの技術には全幅の信頼を寄せているロジェでさえ、目を伏せた。
「無理……じゃないかな。調律がその子専用で、講師のピアノでも練習にならない。本来の力が出せないんだ。その子の家の調律も、毎回レダくんが行くことになってる」
でももしかしたら……という期待もある。もし他にできるとしたら、サロメ以外にはいないと。
そんなロジェの思いを知る由もなく、残っていたエクレアを四つ一気にサロメは平らげる。
「ムキー!」
「いいじゃねーか、ややこしい調律やってくれるっていうんだから」
できないものはできない。今の自分の実力を知っているランベールには、そういった曲芸のような調律よりも、しっかりと地に足をつけて技術を伸ばすという展望がある。なので、悔しいという感情はない。わけでもないが、あまりない。
しっかりと全部時間をかけて飲み込んだサロメは、傲慢とわかりつつも、やらなければならないことがある。
「全部調律できるようになりたいのよ、こっちは」
と、宣言してまた寝入る。
この場にはいないレダも含めて、一台のピアノを調律する。それに少しの感動をロジェは覚え、鼓舞する。
「なんだかいいね。チームっぽくて。あ、サロメちゃん。これ次の調律のピアノについての資料ね。これなんだけど——」
「……」
どう考えても狸寝入りだが、まぁいいか、とロジェは差し出そうとした資料をしまう。一応、目を通したほうがいい気もする、一八四八年製のプレイエル。まぁ、彼女ならこの特殊なピアノもいけるだろう。
ピアノのオーバーホールでもない限り、みなで力を合わせる、ということもあまりない。『チーム』。フカフカのソファーに沈み込むサロメに、その言葉が染み込む。
(みんなで作る音)
絶対、という基準のない世界。弾かれることで成長するピアノと音。また新しい日々が始まる。
「悪くないかもね」
そう、サロメは小さく呟き、本当に寝た。
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