第75話
店に到着した頃には、すでに営業時間は過ぎており、店内には従業員のみ。店の奥のパーテーションで仕切られた、応対用の対面ソファーをみなで囲む。
「普通、もうちょっと引きずるものじゃないですかね。あと一ヶ月くらいは」
納得いかない、そんな口調でランベールがエクレアを齧る。やっと店が静かになってきていた。自分の仕事も、負担も順調にいい意味で減ってきていた。しかし、たった半日で元凶が息を吹き返している。
「は? なに? 文句あんなら帰れば? 食べなくていいわよ」
対面に座った男がなにか言っている。なにか、のはずだがサロメは自分に言われている気がして、機嫌を損ねた。
そこへ店長のロジェが仲裁に入る。
「まぁまぁ、やっぱこうあるべき、なのかな?」
多少の寂しさもあるが、賑やかさも大事。むしろなにもないことに、物足りなさすら若干感じていた。
「店長ダメですよ、こいつたぶん、またお客さんの家のもの、勝手に食べますよ」
元に戻る、つまりまたクレームがくる、の流れを容易に想像でき、ランベールは釘を刺す。そして、だいたい火消しに回るのは本人以外。
「文句あんの?」
「ないと思ってるのがヤバいだろ」
ふてぶてしいサロメに、ランベールはバチバチと火花を散らす。
「たしかに……そこだけは……改善してほしいかな」
ランベールの言う通り、サロメ専用のクレームをまとめたファイルがあるのを、ロジェは思い出した。
しかし、本人は、
「ふわーい、頑張りまーす」
と、ソファーに寝転ぶ。たぶん起きたら忘れている。
そのダラけきったサロメの態度を見やり、一番巻き添えをくらいやすいランベールは、彼女の隣で欠伸をするルノーにターゲットを変える。
「社長のせいですね」
唐突に呼ばれたルノーは、首を傾げた。
「ん? なにもしてないよ」
「明らかになんかやったでしょ。せっかく静かになったのに」
アトリエとしての方向性に危機を感じていたランベールとしては、ようやくできた軌道修正。それがまたすぐに元の軌道に乗り出し、悩みの種となる。
それでも、ルノーはその口撃をぐにゃりと避ける。
「なにもなにも。お店のあるべき姿を取り戻しただけ」
調律先の家でくつろいで、お菓子を勝手に食べ、飲み物も勝手に飲む。そんな姿。
「それより、来月の教会のリサイタルは持ち回りで。サロメちゃんが初日と二日目、ランベールくん、レダくん、社長の順番ね。それぞれのピアニストの子達が望む調律。できるだけ近づけてあげてね」
それぞれ作曲家で分けているため、求める音が違う。それでも一般の聴衆向けであれば気にしないところも多いが、コンセルヴァトワールの講師が何人か聴きにくるとあれば、念入りにやっておいて問題はないだろう、という学園の判断を、ロジェは説明する。
ひとつ、ランベールは気になったところがある。調律師の中に、この場にいない人が。
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