第204話
いつも通り。と言われても、やることとやり方が決まっているサロメは、グリッサンドしてひとつひとつの鍵盤を確認する。これ以外でやるつもりもないし、これが一番早いわけで。
「はー……めんどくさ」
調律においてユニゾンは基本であり奥義でもある。一流の調律師は弾き手の特徴を掴んでこれを合わせる。音叉で中央のラの音を四四二ヘルツに合わせ、そこを基準として調律師の考える正しい音をピンを回して広げていく。
そしてこれまた当然のように男はサロメのやり方に違和感を覚える。普通は鍵盤を叩き、音を確認しながら少しずつピンを回す。だが、彼女は全く確認せず回すのみ。顔を顰める。
「……なに? どうなってんの?」
これは自分の知らないやり方。もしかして素人を引いちゃった? と緊張してくる。だがもし。これが成功するならば。とてつもないものを引いたのかもしれない、という高揚感。
もしゃもしゃと口を動かしながらファニーが代わりに話し相手になる。
「あれがあの子のやり方らしいから。口は挟まないほうがいいよ。私はなにが変なのかもよくわからないけど」
むしろ調律を見たのは初めて。こうするのが普通なのかと感心していたが、どうやら違うみたい。なら正しいのってどうやるんだろう。あと、追加で頼んでもこの人が払ってくれるのかな。
「……やっぱり面白い。これは拾いものかもな……」
ピアノの傍でなにやらブツブツと独りごとを言っている男。いい意味での想定外。高齢化が進む調律師業界においての新たなスタンダード……になるのか、など先を見据える発言。
そこに新たにスイーツを乗っけた皿を片手にファニーが近づく。
「おかわり。糖分補給は大事」
店員に伝えたらまたくれた。サービスのいい店はまた来たくなる。今日の仕事をまた次の時まで引っ張れないかな。そうすれば次回もタダで食べられる。
この子はこの子で新しい。引き攣りながらも男は冷静に対処。
「……きみはなにもやってないけどね」
しかし不可解な点もファニーにはある。
「ていうか。サロメって結構有名だと思ってたけど。少し前にもなんとかって有名な配信者の調律したらしいし。知らない?」
学校でも、ピアノと全く関係ない人で知っている人はいた。ピアノに詳しそうなこの人はなにも知らないのだろうか?
狼狽えるように深く思考しつつ、男は聞き返す。
「そうなの? いや、そうなの、か……」
「軽く突き抜けるような明るい音。それでいい?」
想定しているものは、厳かなクラシックよりも華やかでリズミカルなジャズ。となるとサロメが目指すべき目標の音がわかる。そうなるとさらにスピードは速くなる。相変わらず音の確認はしない。もうわかっているから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます