第205話

「あ、あぁ。ご自由に」


 なんだか自分の知っているものではないものを見せられているようで、男は完全に任せることにした。過程を見ながら注文を入れようかと考えていたが、どうやら自分が口を挟める状況でないことを早々に悟った。


 そこに、差し入れのようにパネットーネの乗った皿を届ける女性。


「直りそうですか? スイーツのおかわり、いる?」


 店員であり、調律をお願いする形となったキアラ・エストロジは、いてもたってもいられなくなり、客が途切れた瞬間を見はかって接近する。


 今の時間帯は責任者でもあり、面白そうだと思ってスイーツと労働を交換してみたが、やはり気になるものは気になる。若干の申し訳なさから、追加で持ってきた次第。


 ピンを回す手を止め、有り難くサロメは食しつつ、ピアノについての疑問を投げかける。


「普段弾いてるのはあんたでしょ? 整調してるのも」


 ただの店のインテリア、にしてはしっかりと弾かれている雰囲気を持っている。そして雑音の原因となるネジもしっかりと締まっている。丁寧に保存されている証拠。


 一瞬ピクッと反応しつつも、すぐにキアラは笑顔を作る。


「よくわかったね。所詮は真似事だから。習ったこともないし。全部独学、なもんで整調までしかやらないようにしてる」


 調律、そしてハンマーを調整する整音は自分には荷が重い。今よりもさらに酷い音にしてしまう可能性を加味し、そこまではやらないでいた。できることだけ。本格的な調律は、ここでアルバイトを始めてから一度も頼んでいないはず。


 実際、特に整音に関しては厳しく取り締まっているホールも存在する。というのも、弦を叩くハンマーは一度いじると取り返しのつかないことになることが多い。そのため、契約している調律師以外では禁止している場所もあるほど。


 しかしそんなことは無視し、そのピアノにおいて最適だと思われる処置を、勝手に施してしまう調律師がいるのもまた事実。このサロメのように。


「調律師なんてみんな独学みたいなもんよ。同じピアノなんてないんだから。だとしてもあんた、なかなかいいセンスしてるわ」


 家庭用のピアノを多く調律していることもあり、そのあたりの決まり事は曖昧。その唯我独尊な少女が認めるほどに、このピアノは愛されている。


「センス?」


 ただただ内部の清掃をしたり、自分でもできそうなことを少しずつやっていただけのキアラからすれば、嬉しいがなにを褒められているのかわからない。もし分解してわからなくなりそうなものがあれば、なにもしないで放置していたわけで。腑に落ちないが、とりあえず仕事に戻る。

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