第39話
アゴに手を当ててサロメも思案する。こういうことは前にもあった。ここまで囲まれてはいなかったが、なんとかできるか脳をフル回転させる。
「音を抑えれば共鳴雑音ももちろん減るんですけど、どうしようか悩んでるんですよね。というのも、この共鳴雑音もこの書店の味ではあると考えています」
「味? ないほうがいいんでしょ?」
驚いた顔でマチューが尋ねてくる。
「はい、そうなんですけど、逆に言えばこの雑音があることが、この店の証明になると考えていいんじゃないかと。最高の音質を求めるなら防音室だのコンサートホールだのでやればいいだけで、この共鳴雑音はここでしか聴けない」
雑音ではあるが、『音』でもある。そこにあるものを最大限利用するという手もある。ここからは依頼人次第となるが、そういう提案をするのも調律師の仕事だ。なにも全ての音を正しい音にすることが全てではない、希望にあった音にすることが使命なのだ。
「なるほどね、昔のレコードとかにもある、くぐもったような音が好きな人もいる。クリアな音が絶対というわけではないからね。その時代の空気感がそうさせるのかもね」
希望が見えたのか、晴れ晴れとした笑顔に変わるマチューの声色も明るくなる。それは考えつかなかったと、うんうんと頷く。やはり餅は餅屋。
「むしろ、こんなたくさんの物に囲まれて弾くことってないですからね。音質よりも、雰囲気を優先した調律にしたいと思ってます」
到達地点は見えた。そこまでの道筋も。この狂い方なら、三回くらいゆっくり調律すればピッチも落ち着くだろう。店内を照らす照明も、熱を持つことがあるため確認。大丈夫。そろそろスイーツが欲しくなるなぁと、サロメはいい意味で集中を切る。
「そっか、そんなところまで考えて調律してくれてるんだね。いや、ごめんね。なんとなく、ピアノをきれいにすればいい仕事って思ってたからさ。ほんと、こういうのはプロに頼むべきだね。いやはや」
感心しながらマチューはピアノに手を置いた。
ネットが便利さを提供しているが、中には自分で動画を見ながら買った道具で調律をしてみようとする人は一定数いる。調律に興味を持つこと自体はいいことなのだが、もう引き返せないくらいいじった後で、プロに依頼する人もいるのだ。その場合は、具合にもよるが、修復不可能になって追加料金となることもある。結局はプロに頼む方が安く済み、キレイに直るのだ。
「調律師って、ハンマー回してピン締める仕事って思ってる人もいるでしょうからね。仕方ないっすよ」
「まぁ、僕は店にいるからなにかあったら言ってよ。重い物運んだりさ」
なにかあったら、その言葉をサロメは待っていた。
「ありがとうございます。お腹空きました」
「そ、そう? とりあえず軽食あるから食べる?」
「いただきましょう」
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